【二八九《伝わらない言葉》】:一

【伝わらない言葉】


「理緒さん、良かった……無事で」


 理緒さんの両肩を掴んで怪我がないか確かめる。だが、理緒さんに怪我をしている様子はなかった。


「凡人くんっ……怖かった。外に居てすごく揺れて一人で……」

「理緒さんを探しに行こうと思ってたんだ。でも、こんなに暗い中を一人で歩いて……」


 俺は美優さんも居たし百合亞さんも居て一人ではなかった。それでも、今の状況は異常で強い恐怖を感じた。そんな状況を理緒さんは一人で俺の家まで歩いてきた。かなり心細かったに違いない。


「凡人くんに会いたかったのっ……一人は心細くて……」


 泣き付いてきた理緒さんの背中を擦って、俺は少ししゃがんで理緒さんの顔を覗き込む。


「理緒さん、とりあえず中に――」

「凡人さん、その人……誰ですか?」


 理緒さんの背中に手を回して部屋の中へ入れようとすると、Tシャツだけ着た百合亞さんが理緒さんを見て目を細める。

「高校の同級生で俺の親友なんだ。こっちに一人で住んでて俺を頼りに来てくれたらしい」


 百合亞さんにそう説明した後、理緒さんに百合亞さんの説明をしようとする。でも、Tシャツ一枚姿で、明らかにシャワー上がりという様子の百合亞さんに、理緒さんは泣き腫らした目を鋭く尖らせる。


「あなたこそ誰? ここ、凡人くんの家だけど?」

「私は凡人さんのアルバイト先の後輩で、巽百合亞です。凡人さんがしばらく泊めてくれるって言ってくれたので、お世話になってます」

「アルバイト先の後輩が、先輩の部屋に上がり込んでTシャツ一枚で過ごすのって非常識じゃないかな?」

「こんな時間に訪ねてくる方が非常識だと思いますけど」

「二人とも、そんな意味の無い口論をしてる場合じゃないだろ。とりあえず中に入ろう。理緒さんもここまで一人で来て疲れてるだろ」


 睨み合う二人を制してから一旦部屋の中に入る。


「百合亞さんはとりあえず下を穿いて」

「はぁーい」


 クスクス笑って返事をした百合亞さんが俺の貸した短パンを穿き始め、俺は百合亞さんから視線を理緒さんに向ける。


「理緒さ――」

「凡人くんのことだから、地震で心細いあの子を放って置けなかったんだよね。分かってる」

「そうか、良かっ――」

「だって、私はそういう人を勘違いさせるくらい振り切った凡人くんの優しいところが好きだから」


 俺の腕を掴んで引っ張った理緒さんは、ゆっくりと俺の胸に額を置いて小さく息を吐く。


「凡人くんが無事で良かったし、凡人くんに会えて良かった。凛恋は?」

「凛恋は地元に帰ってる。前の地震で凛恋の両親が心配してたから」

「そう。じゃあ、しばらく凛恋はこっちに戻って来られないね」

「え?」

「高速道路が崩れて寸断されてるし、新幹線の線路も壊れてて使えないみたい。それに飛行場の滑走路も液状化現象で水没してて復旧の目処が立たないって。フェリーも津波の影響を考えて運航休止とも聞いたよ」

「そう、なんだ……」


 今の今まで美優さんと百合亞さんを連れ帰るのに精一杯で、ろくに情報収集が出来てなかった。だから、理緒さんから状況を聞いて言葉が出ない。

 陸も空も海もダメ。その状況は思ったより深刻だ。

 陸の方は高速道路しか分からないから、一般道は通じてるのかもしれない。でも、凛恋は車を運転出来ないし、高速バスも新幹線も飛行場もフェリーも使えない。その状況では。凛恋はこっちに来られない。それに当然、俺も地元に帰って凛恋に会う手段がない。

 凛恋に会える目処が立たないのは辛い。でも、百合亞さんが遭遇した男のことを考えると、状況が落ち着くまで凛恋はこっちに戻って来ない方が良い。


「理緒さん、荷物とかは?」

「家に寄らずに来たから何も……」

「そっか。でも、一応凛恋が置いてる下着があるからそれを借りればなんとかなるか。シャワーが使えるから使って。それと、俺は少し出て来る」

「もしかして、希のところ?」

「ああ。希さんのところもだけど、凛恋の妹の優愛ちゃんのところにも行ってくる。二人とも心配だから、可能なら連れて帰って来たいと思ってる」

「分かった。あの子のことは私が見てる。凡人くんは十分気を付けて行って来て」

「止めないでくれてありがとう」


 てっきり止められると思っていたが、理緒さんはすんなり俺が希さんと優愛ちゃんを探しに行くことを許してくれた。


「凡人くんは止めても無駄だからね。凡人くんが優しさだけで突っ走っちゃう人だって分かってるから」

「ありがとう。一応、隣に住んでるアルバイト先の先輩にも話をしておくから、百合亞さんのことは大丈夫だとは思うけど」

「へぇ。あの子のこと名前で呼んでるんだ」

「アルバイト先の仲の良い人達が名前で呼び合おうってなって――」


「まあ、私も凡人くんに名前で呼んでもらってるしとやかく言うことじゃないんだけど。あの子と話したいこともあるし、あの子のことは気にせずに希と凛恋の妹さんのところに行って来て」

「理緒さん、百合亞さんと俺は別に――」

「安心して。あの子と凡人くんが浮気してるなんて思ってないし。凛恋の方が断然あの子より可愛いし、それに――」


 そう言いながら一度百合亞さんに視線を向けた理緒さんは、俺に視線を戻して下から見上げて、真顔で言った。


「顔もスタイルも私の方が勝ってる。だから、私になびかなかった凡人くんがあの子と浮気してる訳がない」

「そ、そっか」


 確かに百合亞さんと凛恋を比べると――いや、比べること自体が間違ってはいるのだが、それでも凛恋の方が断然可愛いのは間違いない。それに理緒さんと比べても理緒さんの方が可愛いのは事実だ。でも、それを理緒さん本人が言うと――いや、まあ……理緒さんくらい可愛い人だと、それくらいの自信があっても嫌味にはならないのかもしれない。


「じゃあ、俺は行ってくる」

「うん。行ってらっしゃい。気を付けてね」

「百合亞さんも疲れただろうからゆっくりしてて」

「はい。ありがとうございます」


 俺は理緒さんと百合亞さんに声を掛けてから、希さんと優愛ちゃんを探すために再び地震の影響で混乱している外へ出た。




 家から一番近いのは希さんの家で、まずは希さんの家を目指す。

 希さんが既にどこかへ避難している可能性もある。でも、それでも近くにある避難所を回ってでも希さんを探したい。

 栄次に希さんのことを頼まれてるからという理由じゃなく、親友の希さんの無事を自分の目で確かめたいという思いが強い。


 深夜になるといつもなら人通りの少なくなる道も、避難している人達が行き交い騒がしい。でも当然、明るい雰囲気なんて微塵もなかった。

 希さんも優愛ちゃんも無事で居てほしい。二人にもしものことがあったら、栄次にも凛恋にも合わせる顔がない。


 みんなをバラバラにせずに一ヶ所にまとめられれば、一人で居るよりも安心出来るし、協力し合うことが出来る。

 家に居るかは分からないが、希さんの住むアパートへ近付くと、アパートの外には何人か住人らしい人達が集まって話をしていた。その人達をさり気なく視線を向けて希さんを探す。でも、その人の集まりに希さんの姿はなかった。


 アパートの階段を上る途中、壁に貼ってあったであろうタイルが散乱していた。

 希さんの部屋の前まで行き、俺はインターホンを押す。でも、押しても鳴っている反応がない。多分、地震の影響で壊れてしまったのかもしれない。


「希さん! 俺だ! 凡人だ! 居るなら返事をしてくれ! 希さんを迎えに来た! 家には理緒さんも――」


 話の途中でドアが開き、中から希さんが顔を出した。でも、その希さんは泣き腫らした目をしていて顔色は真っ青だった。


「かずと……くん……」

「希さ――」

「凡人くんっ! 凡人くんっ!」

「希さん、無事で良かった」


 理緒さんと同じように泣き付いてきた希さんの背中を擦って、俺は声を掛ける。希さんも一人で心細かったんだ。

 玄関先から見える希さんの部屋は、キャビネットやラックが倒れて酷い状態だった。


「希さん、怪我とかしてない?」

「うん……大丈夫」

「良かった。希さん、うちに来ないか? 理緒さんも居るし、一人で居るよりもみんなで居た方が安心だろ?」

「私が行って良いの?」


 俺の両腕を掴んだ希さんは、ポロポロと涙を流しながら尋ねる。


「良いに決まってるだろ。どうしてそんなこと聞くんだよ」

「私……この前、凡人くんに強く当たって……」

「そんなこと気にしてたのか。そんなことで俺が希さんに来るなって言う訳ないだろ。俺達は親友なんだぞ」


 希さんは一緒に帰っていた俺と美優さんとのことを気にしていたらしい。あの時の希さんは怖かったが、だからってこんな状況で希さんを放っておくなんてする訳がない。


「遅くなってごめん」


 希さんはずっと一人で恐怖に耐えてたんだ。また大きな地震が来るかもしれない。そんなことを思いながら、ずっと一人で頑張ってた。でも、そうさせたのは俺が来るのが遅かったからだ。


「ううん……私の方こそごめん。それと、来てくれてありがとう」

「着替えとか荷物をまとめようか。この後、優愛ちゃんのところにも行きたいんだ」

「うん。すぐに準備する。中に入って待ってて」


 手の甲で涙を拭う希さんと一緒に入ると、希さんが振り返って俺の顔を見上げた。


「私は栄次みたいに、凡人くんの思うように任せるなんて出来ない。私は凡人くんとも親友だけど凛恋とも親友だから。だから、私は絶対に凡人くんは凛恋と付き合い続けるべきだと思うし、二人はずっと一緒に居るべきだと思う」

「心配してくれてありがとう。俺が一番好きで一番大切なのは凛恋。それは今も昔もこれからも変わらないよ」

「ありがとう。それを聞いてちょっと安心した」


 部屋に入った希さんは荷物をまとめながら、俺を見てニコニコ笑う。そして、手の甲でまた目を拭ってからクスッと笑った。


「どうした?」

「高一の頃の歩こう会を思い出したの。あの時、最後の休憩所で怪我した私を背負って行きますって言ってくれた凡人くんとさっきの凡人くんが重なって」

「そんなこともあったな」

「凡人くんにとっては何の変哲もないことかもしれないけど、私にとっては凄く大切な思い出なの。あの時も今も凡人くんは本当に優しくって格好良くて、私はそんな凡人くんが大好き」

「ありがとう」

「もちろん、親友としてだよ? 凛恋と同じくらい凡人くんのことが大好き」

「分かってるよ。ありがとう」


 希さんが身支度を済ませるのを待って、俺は希さんの荷物を持って部屋を出た。


「凡人くん、本当に来てくれてありがとう」

「希さんのことが心配だったんだ」

「うん。本当に来てくれて良かった。一人で本当に不安だったから。……凡人くんのスマホは凛恋に繋がった?」

「いや、制限が掛かってるみたいで繋がらない」

「私も繋がらない。きっと、凛恋も栄次も心配してる」

「早く無事を知らせたいんだけどな」


 またスマートフォンを出して凛恋に電話を掛けてみる。でも、電話は凛恋に繋がらない。


「次は優愛ちゃんのところだよね?」

「そう。でも、希さんみたいに家に居てくれれば良いけど、外出してたら通信制限で連絡出来ないから、どこに居るか探しようがない」

「それでも考え付くところは探してみるんだよね?」

「ああ。どこか安全な場所に避難してるとしても、やっぱりこの目で優愛ちゃんの無事を確認しないと」

「凡人くんならそう言うと思った。夜中にわざわざ私を迎えに来てくれたし。本当にごめんね。地震の後で危ないのに」

「何も謝ることないだろ。俺が来たくて来ただけだし」

「そういう照れ屋なところも凡人くんらしい。……凡人くんと話せて安心した」


 小さく息を吐いた希さんは、俺の顔を見てから悲しそうに視線を落とす。

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