【二八五《杜の都で辿り着く》】:一

【杜の都で辿り着く】


 仙台牛のお店で真井さん達と別れて歩き出し、俺は隣を歩く田畠さんに尋ねる。


「田畠さん、多胡さんのあれ、知ってたんですか?」


 その質問に田畠さんはクスッと笑って頷いた。


「うん。だから、会った時にあまり関わらないようにしようと思ってたの。でも、まさかお手洗いの前にも来るとは思わなかった」


 その田畠さんの反応は当然だ。女性がトイレに立ったのを追い掛けて来るなんて、ちょっとどころの話ではなく相当怖かったに決まってる。


「でも、多野くんはどうして女性トイレの前に来たの?」

「え? いや……なんか、席を立った多胡さんを見たら胸の奥がザワザワして。嫌な予感がしたんです。それで、追い掛けたら多胡さんに言い寄られてる田畠さんを見て」

「そうなんだ。心配してくれてありがとう。お店の中で乱暴なことはされないって思ってたけど、初対面の男の人に近付かれるのは怖かったし」

「もしかして、田畠さんが多胡さんとロケ現場で話してる時に顔が赤かったのって、初対面で緊張してたからですか?」

「うん。真井さんも多胡さんもテレビに出てる人だし、それに初対面の男の人だし緊張しちゃって」


 アハハと恥ずかしそうに笑いながら言う田畠さんを見て、俺は心の中で安心してホッと息を吐いた。自然な笑顔が出たということは、多胡さんのことが田畠さんの心の傷にならなかったということだ。


「多野くんはどこか見たいところある?」

「そうですね。仙台に詳しいわけじゃないですけど、馬に跨がった伊達政宗の像がある仙台城は定番じゃないですか?」

「うん。昨日私もネットで調べて見たんだ」

「あとは、真井さん達が撮影に使ってた美術館以外にも博物館はありますし。天文台もあります。定禅寺通りの並木道は綺麗で有名ですし、田畠さんが記事を書く時に役に立ちそうな場所は――」

「じゃあ、仙台城だけ行かない?」

「仙台城、だけですか?」


 田畠さんの提案に戸惑う。仙台城だけで良いのだろうか?


「昨日、古跡さんから電話が来て、仕事で行ったからって真面目に仕事モードで観光して来ないようにって言われてたの。だから、ちょっとここに行きたいなって思って」


 少し恥ずかしそうに田畠さんは俺にスマートフォンを見せる。そのスマートフォンの画面には、仙台にあるアウトレトモールの紹介ページが表示されていた。


「私、博物館とかお寺よりもこういう観光スポットが好きなんだけどな~」


 わざとらしく言う田畠さんに、俺は笑って顔を向ける。


「じゃあ、形だけ観光しましたって伊達政宗の像の写真を撮ってから、アウトレットで遊びましょうか」

「うん! 私、昨日ネットで調べて行きたい店のリストを作ってきたんだ」


 俺が田畠さんの案に同意すると、田畠さんは一層明るく笑い、その笑顔は無邪気な笑顔に変わった。

 田畠さんは編集者として最近は忙しい毎日だった。アルバイトの俺と違って泊まり込みは多かったし、定時で帰れることなんてない。休みも休みらしく過ごせてなかったかもしれない。もしかしたら、古跡さんはだから田畠さんを行かせたのかもしれない。


 若手で目玉記事の担当なんて、かなりプレッシャーを感じることに決まってる。だから、一瞬でも仕事から離れられる今日のこの時間は、田畠さんのストレス発散の時間に最適だ。




 仙台城で形だけの観光をしてから、俺達は田畠さんが来たがっていたアウトレットモールに来た。

 アウトレットモールの建物は日本らしくない海外の街並みのようで、沢山のフードショップやブランドショップがある。そのアウトレットモールで、田畠さんは編集部では見ないはしゃいだ様子で買い物を楽しんでいる。


「多野くんごめんね、荷物持たせちゃって」

「いえいえ、田畠さんが楽しそうで良かったです」

「多野くんは? 多野くんは楽しい?」

「はい。まあ、俺もお寺とかよりもこっちの方が気が楽ですよ」

「良かった。でも、私も同じ。結構堅苦しいの苦手だから」

「でも、田畠さんってかなり真面目だったから意外です」

「そう? 私だってアウトレットで買い物くらいするよ?」

「意外だったのは、案外気を抜けるんだなって。田畠さんは常に何事にも真面目に取り組んでるイメージがあったから、今日も仕事で来たんだから全部仕事に役立つことを吸収するって言うのかと思って」


「確かに、前までの私だったら、無理してあまり興味のない博物館とか資料館とか回ってたかも。でも、絵里香と出会って、適度にサボる必要も知ったから。人は常に一〇〇パーセントで居られるほど強くはない。家に居る時は五〇パーセントくらいで、いつもは八〇パーセントくらいでして、本当に頑張らないといけない瞬間に温存してた分も合わせて力を出すの。そしたら、頑張らないといけない時に息切れせずに全力でやり通せる」

「田畠さんは平池さんに、メリハリを付けてやることの大切さを教えてもらったんですね」

「うん。それに、多野くんと二人で遊べる機会なんてもうないし」

「え?」

「だって、多野くんには八戸さんが居るでしょ? 二人っきりで出掛けることなんて出来ないから」


 そう言われて、当たり前のことに今気付いた。でも、それは気付いたとか納得したという、スッと心に入って来たという感覚じゃなかった。

 夢から覚まされた。そんな、残念さのある感覚だった。

 田畠さんの言う通りだ。今日は、仕事だから田畠さんと二人で仙台まで来た。だけど、これがプライベートだったら絶対に来てない。だって、俺には凛恋という大切な彼女が居るから。


 そうせざるを得ない理由がないのに、彼女以外の女性と二人で遠出するなんて、誰でも浮気だって言う。そういうことを、俺は今、仕事という理由を使ってしている。

 罪悪感はある。でも、やっぱり心の奥に確かに残念だと思う自分が居た。そんな自分が居ることに、また罪悪感を抱いた。


「そろそろ行かないと向こうに着くのが夜遅くになっちゃうね」

「そうですね。駅に行きましょうか」


 夢から覚めた俺は、現実を歩き出して田畠さんと一緒にアウトレットモールを出た。

 道すがら、スマートフォンに来ていた凛恋からのメールに返信する。そして、俺は仙台駅まで行くためにタクシーを停めた。


「すみません。仙台駅までお願いします」

「お客さん達、仙台駅って言ってたけど、なんかトラブルが起きてるみたいで在来線も新幹線も動かないみたいだよ?」

「え? 電車が動かない? とりあえず、仙台駅まで行ってもらって良いですか?」


 年配のタクシー運転手さんにそう伝えてスマートフォンで調べようとすると、隣から田畠さんが自分のスマートフォンを俺に見せた。


「システムトラブルで全線不通だって。運転再開の目処も立ってないみたい。私、古跡さんに連絡するね」

「はい。お願いします」


 全く予想もしなかったトラブルに、俺は戸惑いながらも古跡さんに連絡する田畠さんを見守る。

 電車が全線不通になるなんてトラブルを予想することなんて不可能だ。しかも、再開の目処も立たないというのは、かなり深刻だ。


「すみません。行き先を仙台空港に変えてもらって良いですか?」

「はいよ」


 気の良い返事をしてくれたタクシー運転手さんは、そう言って交差点を曲がる。

 陸路はダメでも飛行機なら帰れる。多少交通費は掛かってしまうが、それでも帰れなくなるよりかはマシだ。


「はい。今、多野くんが行き先を空港に変えてくれました。空港に行ってからまた掛け直します」

 電話を切った田畠さんは、俺を見てニコッと笑った。

「丁度古跡さんから、飛行機は? って聞かれた時に多野くんが空港に行き先を変えててくれて、本当に多野くんと一緒で良かった。私、電車が使えなくて頭真っ白で、飛行機のことなんて思い浮かばなかった」

「でも、多分みんな俺と同じことを考えてます。だから、席が空いてれば良いんですけど」


 空港に着いてから、その俺の不安は的中した。

 空港のロビーに入って、俺はすぐにチケットカウンターで飛行機のチケットを取ろうとした。でも、俺が確認した時には既に最終便まで全席埋まってしまった後だった。


「古跡さんに連絡したら、仕方ないからこっちで一泊しなさいって。領収書あれば宿泊費も出すからって」

「まあ、そうなりますよね。とりあえず、中心街に戻りますか」

「そうだね」


 俺は空港でタクシーをまた拾って、タクシーの中で凛恋に電話を掛ける。


「もしも――」

『もしもし凡人!? 飛行機、取れた!?』

「ダメだった」


 空港まで来る間、俺はメールで凛恋に状況の報告をしていた。しかし、流石に帰れなくなったのは電話で伝えないといけない。


『嘘……じゃあ、どうするの?』

「こっちに泊まることになる」

『えっ……でも、田畠さんと一緒でしょ?』


 凛恋の見当違いな心配に俺は小さくため息を吐いて、田畠さんに聞こえないように話す。今、田畠さんが誰かに電話中で良かった。


「一緒の部屋に泊まる訳ないだろ。別の部屋に決まってる」

『ご、ごめん。流石に一緒に泊まるのはないよね。ごめん、ちょっと私もパニクってて』

「まあ、そういうことだから。今日は帰れそうにない」

『うん。でも、凡人が事故に遭ったとかじゃないから良かった』

「ありがとう」

『今日は希のところに泊まるから安心して』

「ああ。ごめんな」

『謝らないでよ。凡人は何も悪くないんだから。その代わり、明日の夜は今日の分も合わせてエッチするんだから覚悟しててね?』

「了解」

『愛してる。チュッ!』


 凛恋のキス音の後に電話が切れて、俺はスマートフォンを右手に持ちながら田畠さんを見る。田畠さんも丁度電話が終わったところだったが、妙に顔が真っ赤だった。


「絵里香から電話来てて。災難だねって言ってた」

「そうですか。顔が赤いですけど大丈夫ですか?」

「えっ!? た、多分、走ったからそれでかな。多野くんは八戸さんに?」

「はい。今日は帰れそうにないって言ったら、希さんのところに泊まりに行くって言ってました」

「そっか。でも、本当に絵里香の言う通り災難だよね……」


「でも、俺達にはどうしようもないですからね」

「そうだけど……私がアウトレットではしゃがなかったら、もしかしたらもっと早く電車の不通に――」

「そんなこと言ったら、俺も全く気付いてませんでしたし。俺も田畠さんも悪くない。悪いのはおかしくなった鉄道会社のシステムですって」


 田畠さんに自分を責めさせないために、システムのせいにして笑う。それに田畠さんは笑い返してくれた。


「とりあえず、ビジネスホテルに電話して探しますか」

「うん。私もそうする」


 俺はスマートフォンを使って仙台駅周辺のビジネスホテルを調べて電話を掛ける。


『ホテルフォレスト仙台、フロントでございます』

「すみません。部屋の予約を取りたいんですが、シングル二部屋、空いてませんか」

『大変申し訳ございません。只今、全室満室でして』

「そうですか、ありがとうございます」


 電話を切って、俺は次に別のビジネスホテルへ電話を掛けた。でも、どのホテルに掛けても部屋が取れず、俺は途中で旅館や駅周辺以外のホテルにも対象を広げる。しかし、それでも空いてる部屋が見付からない。

 多分、電車が使えず飛行機もダメ、それで俺達と同じように仙台で一泊しようとした人達が殺到したんだ。だから、空き部屋のあった宿泊施設は全て埋まってしまっていた。


 せめて一部屋でも空いてれば、田畠さんを泊まらせられる。俺は駅の中で寝泊まりすれば良いが、流石に女性を外で寝泊まりさせる訳にはいかない。

 タクシーが仙台駅に着く間、手当たり次第に電話を掛けた。でも、仙台駅に着いてもホテルは見付からなかった。


 仙台駅の中にある喫茶店に入ってからも、俺はスマートフォンで電話を掛け続ける。でも、どこに掛けても空いてる部屋は見付からなかった。

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