【二八四《杜の都で始まる》】:二
「多野くん、どうしたの? なんかちょっと怖い顔をしてる」
「そうですか?」
「気のせいかな? でも、ちょっと雰囲気が暗かったかも。移動で疲れた?」
「いや、そんなことはないですよ」
内心では、多胡さんを見て腹が立ったからという理由があった。でも、それを田畠さんに言うのは躊躇われた。
「あっ、美優ちゃんじゃん。真井さん、どうしたんですか?」
「せっかく来てくれたんだから見学してもらおうかと思って」
「そうなんですか~。美優ちゃんが見てるんだったら気合いが入るな~」
「気合いならいつも入れとけ。だから遅刻なんてするんだぞ」
「それを言わないでくださいよ~」
「多胡くん、確認するからこっち来て」
「あーい」
多胡さんはスタッフの男性に呼ばれて走って行く直前、田畠さんに向かってウインクをした。それに田畠さんは顔を赤くして俯く。俺は、その田畠さんから少し離れて、待機していた真井さんの隣に並んだ。
「真井さん、多胡さんってあんな感じなんですか?」
「まあな。俺はもうちょっとしっかりしろって言ってるんだけど治らないんだよ。遅刻はしょっちゅうするわけじゃないけど、挨拶は適当だし目上の人に敬語が使えないし。あとは、プライベートで羽を伸ばしすぎるところかな。まあ、真面目な凡人とは合わないタイプだろうな。今の凡人、物凄く怖い目してるぞ」
「まあ、今後会うことはない人なのでどうでも良いですけど」
「多胡のことは置いといて、撮影が終わったら昼飯一緒に食おうぜ。この近くに美味しい仙台牛の店があるんだ。田畠さんも一緒に」
「私も良いんですか?」
「ええ。色々、仕事場での凡人の話を聞きたいですし」
そう言ってニヤッと笑った真井さんは、俺の肩に手を置いてから顔を動かしてから、右手を挙げた。
「あっ! 桃ちゃん! こっちこっち。紹介したい人が居るんだよ」
「真井さん、お疲れ様です。初めまして、多久磨桃(たくまもも)です」
「こいつは俺の友達の多野凡人。それで、こちらは凡人の職場の先輩で、レディーナリー編集部の編集をしてる田畠美優さん」
「田畠美優です。よろしくお願いします」
「多野凡人です。よろしくお願いします。すみません、私はアルバイトなので名刺がなくて」
「いえ、気にしないで下さい。身長、高いですね」
田畠さんから名刺を受け取った多久磨さんはニッコリ笑う。芸能人というだけあって可愛らしい顔をしている。ただ、凛恋の方が数倍、いや数一〇倍可愛い。
「だろ? こいつ一八七もあるんだぜ、無駄に」
「無駄には酷いでしょ」
「そうですよ。それに、なんで多野さんのことなのに真井さんが得意げなんですか?」
クスクスと笑う多久磨さんは、俺を見てまたニッコリ笑った。
「昨日の撮影の時に、明日俺の親友が来るんだって聞いてたんです。なんでも、ゲームが凄く強いとか」
「最近はやれてませんけど」
「そうだぞ。今度この前のリベンジするんだからな。負け越して終わってモヤモヤしてるんだから」
「まあ、手加減しませんけど」
「言ったな~。絶対に今度ぎゃふんと言わせてやるよ。じゃあ、俺は出番だから行ってくる」
「はい。頑張り過ぎないようにして下さい」
「ありがとな」
歩いて行く真井さんを見送ると、多久磨さんが真井さんを振り返ってクスクス笑った。
「あんな子供っぽい真井さん初めて見ました。いつも、主演として現場を引っ張ってるお兄さんって感じだから」
「そうなんですか。まあ、仕事の顔とプライベートの顔は違いますからね」
「そういえば、多野さんはなんでさっき真井さんに頑張って下さいじゃなくて、頑張り過ぎないで下さいって言ったんですか?」
「ああ。自分が頑張ってる時に頑張れって言われるとしんどいんで、あまり人に頑張ってって言わないようにしてるんです。それに、真井さんは俺に頑張れなんて言われなくても十分頑張ってますから。もちろん、本気で背中押す時は言いますよ」
「そうなんですか。多野さんは優しい人なんですね」
「桃ちゃん、準備して~」
「はい! じゃあ、私はこれで失礼します」
「はい。頑張り過ぎないで下さい」
「ありがとうございます」
眩しい笑顔で軽く手を振って去って行った多久磨さんを見送ると、隣に立つ田畠さんが俺をジッと見ていた。
「多野くんって多久磨さんみたいな子が好み?」
「え? 好みと言われるとなんとも言えませんけど、可愛いと思いますよ、普通に」
「ふぅ~ん。……確かに、八戸さんと系統が似てるかも」
田畠さんは多久磨さんを見ながらそう呟く。その目が妙に鋭くて、ほんの少し怖く感じた。
真井さんの午前の撮影が終わるのを待って、俺と田畠さんは仙台牛の店に連れて行ってもらった。しかし、俺は隣に座る田畠さんの、更にまた隣を見た。
「現場に居る時から美優ちゃんとゆっくり話したかったんだ。休みの日は何してるの?」
「えっと……他社の女性誌を読んだり、部屋でDVDを見たり、それから雑誌以外の本を読んでます」
「そうなんだ。俺も結構インドア派なんだよ。美優ちゃんとは気が合う」
この場には他にも真井さんの共演者や撮影スタッフの人達も居る。だから、多胡さんが居るのは当然なんだと思う。でも、多胡さんが田畠さんの隣に座っているのは理解出来ない。
「多野くん、これ美味しいね」
「えっ、はい。そうですね。やっぱり良い肉は違いますよね」
多胡さんに話し掛けられていた田畠さんが、不自然に俺の方を向いて話し始める。
「良かったのかな、真井さんにご馳走してもらって」
「大丈夫ですよ。真井さんは俺達より稼いでるんですから」
「こら。変な話を田畠さんにするなよ」
「事実でしょ」
横に座っていた真井さんに軽く頭を叩かれると、正面に座っている多久磨さんが口を手で隠してクスクス笑った。
「凡人、桃ちゃんに笑われてるぞ」
「違いますよ。多久磨さんは"俺達"を笑ってるんです。ですよね、田畠さん」
俺が田畠さんに加勢を求めると、田畠さんはクスッと笑った。
「え? 多野くんだけじゃないの?」
「ほら~田畠さんもそう言ってるから、笑われたのは凡人だけな。可哀想に~」
ニヤニヤしながら真井さんが背中を叩いていると、前でニコニコ笑う多久磨さんを見て、真井さんが優しい笑みを浮かべた。
真井さんは俺をいじりながら、頻りに多久磨さんへ話題を振っていた。だから、真井さんは多久磨さんをリラックスさせたかったのかもしれない。
隣に座っている田畠さんが立ち上がってトイレの方に歩いて行く。それを見送ると、一人分のスペースを空けた隣に居る多胡さんと目が合った。
多胡さんは俺と目が合った瞬間、視線を鋭くさせて睨む。そして、立ち上がる時、耳元で囁いた。
「仕事が終わったならさっさと帰れよ」
その多胡さんは田畠さんが行ったトイレの方向に歩いて行く。それに、俺は気が付いたら立ち上がって多胡さんを追い掛けていた。
「良いじゃん。美優ちゃん的にも俺と仲良くしてた方が良くない?」
「あの……困ります」
「今日こっち泊まりなよ。俺の部屋来る? 一緒に部屋で飲もうよ」
「あの……ひゃっ!」
「俺、美優ちゃんのこと好きになっちゃったかも」
「離れろ」
田畠さんの腰に手を回して抱き寄せた多胡さんを、俺は強引に田畠さんから引き離す。そして、後ろに田畠さんを隠して多胡さんに向かい合う。
「邪魔しないでくれる? 今、美優ちゃんと話してんだけど。てか、何なの君。美優ちゃんの後輩でしょ。別に俺が美優ちゃんを誘っても関係ないじゃん」
隠すことなく憤りと不満をぶつける。その多胡さんを納得させられる言葉を俺は思い付かなかった。
多胡さんを追い掛けて来たのも何も考えずにやったことだし、田畠さんに迫る多胡さんを止めたのも理由らしい理由なんてない。だから、多胡さんの言葉に何も反論出来なかった。でも、俺は言葉を捻り出した。
「田畠さんが震えてるからです。いきなり初対面の男性に迫られて怖くない女性は居ません」
「緊張してるだけだよ。俺に会って緊張しない人なんて居ないし。美優ちゃん、これ俺の連絡先ね。今日は邪魔が入ったから、また今度会おうよ」
田畠さんのスカートのポケットへ紙を入れた多胡さんは歩いて席に戻って行く。その後ろ姿を睨んでいると、俺の後ろに居た田畠さんが俺の腕を引いた。
「多野くん、ありがとう」
「いや……すみません、余計なことしました」
「ううん。余計なことじゃない。……嫌だったから、多野くんが助けてくれて良かった」
髪を耳に掛けて軽くスカートを叩いた田畠さんは、ポケットから多胡さんが入れた紙を出し視線を動かすと、近くにあったゴミ箱へ捨てた。
「田畠さん?」
「私、ああいう不真面目で軽薄な人嫌い。遅刻してちゃんと謝れないし、挨拶もちゃんと出来ないし」
小さく息を吐いた田畠さんは、顔を上げて軽く俺の腕を引いた。
「そろそろ戻らないと真井さんに悪いよ」
「は、はい」
俺と田畠さんが席に戻ると、田畠さんは自分の座っていた椅子を俺の方へ近付けて多胡さんから離した。
「田畠さん達は午後からどうするんですか?」
「編集長がせっかく仙台まで行くんだから色々見て来なさいと行ってくださったんで、夕方の新幹線の時間まで多野くんと相談して色々見て回ろうと思います」
「そうですか」
俺を挟んで田畠さんと話す真井さんは、俺に視線を向けてニコッと笑う。
「凡人、あまり八戸さんに心配掛けるようなことはするなよ」
「え? まあ、普通に観光してれば危ないことなんて起きないですし大丈夫ですよ」
「まあ、そりゃそうか。ほらほら、遠慮なく食えよ。俺がサーロインステーキをおごってやろう」
「さっき散々ロースとかタンとか食べさせてもらいましたけど」
「良いんだって。久しぶりに凡人に会ったしな。田畠さんはデザート食べます? ここのずんだ餅が美味しいんです」
「ありがとうございます」
真井さんにずんだ餅をご馳走になる田畠さんの顔は、さっき多胡さんに迫られた時とは違って明るかった。そんな田畠さんに安心しながらも、俺は田畠さんが距離を取った多胡さんに視線を向ける。その多胡さんの視線が田畠さんの顔から、田畠さんの下腹部に向いたのを見て、心の中にゾワゾワっと蠢く感覚がした。でも、その前に俺の腕を真井さんが強く掴んだ。
「多胡」
「真井さん、なんですか?」
「お前、昼一番に全スタッフと共演者に謝れ。ディレクターには俺から話をしておいた」
「えぇ~せっかく楽しい気分なのに、昼一にそんな――」
「一応忠告しとくが、仕事とプライベートを切り替えられない人間はすぐに干されるぞ。スタッフから信頼されなくなった演者は二度と使ってもらえなくなる。一日でも長くこの仕事を続けたかったら覚えとけ。それと……」
真剣な顔で多胡さんに話をした真井さんは、爽やかにフッと笑って言った。
「狙うなら、身の丈にあった人にしといた方が良い。自分の身の丈に合わない相手に手を出そうとすると、自分が相手に飲まれるぞ。この前も週刊誌に叩かれたばかりだろ」
「え?」
それを言われた多胡さんは、急に大人しくなって体を縮込ませる。
週刊誌に叩かれた。その真井さんの言葉について考えていると、隣から田畠さんが俺の太腿を指で叩く。すると、テーブルの下に隠すように田畠さんがスマートフォンを見せた。
『多胡宗義、日替わり恋の一週間。爽やか俳優は肉食系だった』
その見出しのネット記事は、多胡さんが一週間連続で違う女性を自宅に連れ込んだという記事だった。どうやら週刊誌の出版社のネット記事らしく、写真もバッチリ掲載されていた。記事によると、相当事務所に絞られたらしく、それは多胡さんが急に静かになったことから事実なんだと思う。
「ほら、どんどん食え」
俺は明るい笑顔で真井さんが注文してくれたサーロインステーキにナイフを入れる。そして、サーロインステーキから肉汁が溢れ出すのを見ながら、かなり心がスッキリした自分は本当に性格が悪いと思って笑った。
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