【二六四《偏執者は混沌の渦中へ》】:二

 家に帰って来ても、騒いで酒で酔っていたこともあってみんなまだ起きる気配はない。

 暖房の効いた部屋でテレビをボーッと眺める。でも、テレビに映っている番組の内容なんて少しも頭に入ってこなかった。


『ねえ、答えて? 私じゃダメな理由』


 頭に反響するその真弥さんの言葉を振り払うために頭を激しく振って右手の拳を握り締める。でも、それは考えることを放棄しているだけでしかない。俺が凛恋の彼氏で居るには、明確な答えが必要だ。真弥さんだけではなく、理緒さんや他の俺を好きだと言ってくれる人が完全に納得出来る答えが。でも、何を考えても、その考えを否定しようと考えたら簡単に否定出来てしまうことに気が付く。それを繰り返せば繰り返すほど、俺は思い知ってしまった。自分の、凛恋に対する好きが簡単に否定されてしまうくらい弱いものだったことに。


 俺は決して凛恋に対してふざけていたわけじゃない。俺は俺なりに凛恋に対して真剣に向き合ってきたつもりだった。でも、他人からすれば、俺のその真剣に凛恋へ向けてきた気持ちは簡単に否定出来るものだった。


 俺が今まで沢山の男に凛恋との仲を引き裂かれそうになって来たのは、俺が悪かったのだ。でも、俺の顔が栄次のようなイケメンじゃなかったからじゃない。俺の好きは他人から見たら簡単に否定出来るような好きにしか見えていなかったのだ。だから、俺が凛恋に相応しくないと思われてきた。


 それは、凛恋じゃないとダメな理由を俺がはっきりと言えないからだ。いや……“誰でも納得出来る”凛恋じゃないとダメな理由を俺がはっきりと言えないからだ。

 ショックだった。自分の凛恋に対する気持ちが、こんなにも簡単に迷わされるような弱いものだったなんて。


「凡人くん、勝手に台所使ってごめんね」

「い、いえ……ありがとうございます」


 コンビニで買ってきたインスタントコーヒーを淹れてくれた真弥さんにぎこちなくお礼を言うと、真弥さんは隣に座る。その真弥さんから距離を取ろうとすると、すかさず真弥さんに腕を掴まれた。


「避けられるのはショックだな」

「あんなこと言われてそれで普通にしろって言う方が無理です」

「それで? 私じゃダメだって答えは出た?」

「…………」

「凡人くんらしくないけど、凡人くんらしいね」

「どういうことですか」

「凡人くんは何でも真剣に考えて一生懸命悩んで答えを出そうとする。だから黙って考えることを止めるのは凡人くんらしくない。でも、凡人くんって凄く恋愛にピュアだから、恋愛のインピュアな面を直視出来ないのは凡人くんらしい」

「別に穢れてるわけじゃ――」


「穢れてるよ。恋愛は凄く純粋な面もあるし凄く不純な面もある。それは恋愛だけじゃなくて人同士が関わること全てに言えることだけど。私が教師と生徒の立場だとしても凡人くんのことを好きだって気持ちを諦められなかったのもそう。それに今だって私は凡人くんが好き。それに、さっき改めて思った。凡人くんを誰にも渡したくない。私が凡人くんのことを支えたいって」

「それは――」

「私のその気持ちを綺麗に切り捨てられる言葉があるなら言って」

「全ての人を納得させられることなんてこの世にありません」

「やっぱり凡人くんらしくないな。そんな“だったら私だけを納得させれば良いよ”って言葉で反論出来ちゃうようなことを言うなんて。凡人くんはそこを予測出来ないほど浅はかな人じゃないし頭が悪いわけじゃない。きっと混乱してるんだよね」


 コーヒーを一口飲んだ真弥さんは、小さく息を吐いた。


「全部聞いたよ、ロニー王子の話。きっとその話がなかったら、私はここまで強引に動かなかった。でも、もうダメだよ。それは筑摩さんも同じだと思う。私も筑摩さんももう八戸さんに我慢出来なくなった」

「それでも俺は、凛恋が好きなんです」

「じゃあ、私が嫌いな理由は?」

「俺は真弥さんのことが嫌いなわけじゃ――」

「ごめん。今のは意地悪な質問だった。優しい凡人くんが嫌いだって聞かれて嫌いって答えるわけないよね。……恋は盲目って言葉は知ってる?」


 落ち着くためか小さく深呼吸をした真弥さんは、俺にその質問をする。

 恋は盲目は、物事の分別が付かなくなるという盲目という言葉から、恋をすると理性や常識を失ってしまうことを表す言葉だ。


「俺は理性も常識も失ってません」

「うん。凡人くんは理性的で常識観もちょっと捻くれてるところはあるけどしっかりしてると思う。でも、八戸さんに恋をしてることで周りが見えなくなってることが多い。八戸さんが絡むと凡人くんは自分の命だって顧みない」

「それは、俺が一番大切なのは凛恋だからで――」

「だったら、凡人くんが一番大切にしてくれてる八戸さんはどうなの? 八戸さんが凡人くんを守ってくれた? きっと八戸さんがしてるのは、傷付いてる凡人くんを体と心で癒やすだけ。八戸さんが動けば凡人くんが傷付かなくて済んでることだってあった」

「凛恋はそんなことしなくて良いんです。凛恋のことは俺が守らなきゃ――」

「露木先生、凡人くんに言葉で訴えかけるのは無理ですよ」

「理緒さん……」「筑摩さん、おはよう」


 寝間着姿で居間に入ってきた理緒さんは、俺の隣に座って俺越しに真弥さんを見る。


「凡人くんの凛恋好きは意地みたいなものですから。たとえ凡人くんを論破出来るものがあったとしても、凡人くんは意地で言葉なんて否定して終わりです」

「そうだね。凡人くんは頑固者だから筑摩さんの言うとおりかもしれない」

「だから、私は何でもするって決めたんです。周りから汚いって思われても、最低だって罵られても」

「奇遇だね。私も今そう思ってた。言葉だけじゃ難しいだろうなって」


 二人とも満面の笑みではないが決して暗い顔はしていない。でも、向け合う言葉は鋭く互いを傷付けようとするものだった。


「露木先生って男性経験少ないんですよね?」

「経験が多いと偉いってわけじゃないよ?」

「それはそうです。でも、なんでも経験は重ねれば重ねるほど強い実力になります。私、経験は私達の中ではダントツですよ? それに、露木先生より若いですし」

「でも、筑摩さんは夏休み明けから凡人くんと一緒に居たのに、凡人くんに何の変化も作れなかった。それは、人と接してきた経験の差があるんじゃないかな?」

「止めてください」


 言葉を投げ付け合う二人の間で、俺はそう言って二人の会話を止める。だが、その止めた後にどうすれば良いかなんて何も分からなかった。

 俺はみんなと楽しく年末年始を過ごしたかったのだ。みんなだって同じに決まっている。言い合っている真弥さんも理緒さんもそうだ。でも、二人はそれなのに言葉をぶつけ合ってる。


「「凡人くんのせいじゃないから」」


 こたつの中で両手を握った理緒さんと真弥さんからその声が掛けられる。そして、真弥さんは俺の肩に、理緒さんは俺の太腿に手を置いた。


「大丈夫。凡人くんが心配してることにはならないよ。私、みんなのことは好きだから。ただ、みんなのことは好きでも、それでも譲れないことがあるだけ」

「私も揉め事を起こすつもりはないよ。ただ、私は凡人くんに私を好きになってほしいだけ。そのためには、ちょっと無理するかもしれないけど」


 真弥さんも理緒さんも俺のことを心配して気遣ってくれている気持ちは分かる。でも、俺は凛恋が好きなんだから二人の気持ちには応えられない。でも、その気持ちに応えられないと言うだけではなく、完璧に二人を諦めさせられる言葉が見付からない。

 凛恋じゃないとダメだという理由を重ねても、真弥さんに全て否定された。凛恋の得意な家事も、俺のことを理解してくれていることも、俺の初恋も意味を成さなかった。俺が凛恋を好きな根拠だと胸を張って言えることでは、真弥さんは納得しなかった。


 真弥さんは――もしかしたら理緒さんも、俺が何を言おうと納得してくれないのかもしれない。もしそうだったら、俺はどうすれば良いのか分からない。

 頭の中がぐちゃぐちゃで考えれば考えるほどドツボにはまって、考えても考えても堂々巡りで何一つ前に進まなくなる。そして、その迷っている自分で居る時間が長くなれば長くなるにつれて、自分が持っているものが正しいという自信が失われていく。


「私、着替えてきますね」


 こたつから出て立ち上がった理緒さんは、そう言って居間を出て行く。真弥さんと二人残された俺は、すっかり冷めたコーヒーの入ったマグカップに手を伸ばして飲む。


「凡人くん、勘違いしないであげて。筑摩さんはああ言ってるけど、凡人くんを体で奪おうと考えてるわけじゃないから。もちろん、何でもする気だって言ってる筑摩さんはそうすることも最終手段だと思ってるだろうけど、凡人くんの聞いた川崎さんの話から分かってるよね? 筑摩さんは言葉がダメだから、行動で凡人くんに自分の気持ちを分かってもらおうとしてる。もちろん私も」


 そう言った真弥さんは立ち上がろうとする。でも、途中で動きを止めて俺の頬へ不意討ちの軽いキスをした。


「でも……私もそれしか方法がないって追い詰められたら、何でもするよ。私は、私が凡人くんを幸せに出来るって確信してる。そうじゃなかったら、私は筑摩さんや八戸さんと同じステージに上がっちゃダメだから」


 立ち上がり居間を真弥さんが出て行き居間のドアが軽い音を立てて仕舞ったのを聞いてから、俺は両手を組んでこたつの上に置き……その上に頭を置いて抜け出せないジレンマから逃げ出したい思いを抱いた。でも、俺が巻き込まれた渦はもう、簡単に抜け出せないほど大きくうねりを上げていた。

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