【二六五《懐疑に揺れて》】:一

【懐疑に揺れて】


 凛恋を好きな、凛恋でないとダメな理由をどんなに重ねてもダメなら、真弥さんや理緒さんではダメな理由を挙げなきゃいけない。でも、ダメな理由というのは相手のことを否定するということだ。

 見た目は真弥さんも理緒さんも大抵の人が『可愛い』と言う容姿をしている。性格にはそれぞれクセはあるが、それは人が誰しも持っている『個性』の範ちゅうに入るもので決して悪いわけじゃない。何より、二人は俺にとって大切な友達なのだ。その友達をダメだと断じることは出来ない。


 凛恋が好きだから。それで今まで断れてきた。でも、真弥さんも理緒さんも凛恋に対して不信感を持っている。その状況で凛恋を理由にしても全く聞き入れてもらえなかった。

 凛恋は何も悪くないのに、真弥さんも理緒さんも凛恋を悪いと言う。


「はぁっ~……」


 寒空の下、白い息を吐きながら俺は晴れた空を見上げる。太陽は浮かんでいても、心の中に明るい気持ちは湧かなかった。

 今日は萌夏さんが俺達に手作りケーキをご馳走してくれると言ってくれて、今俺は萌夏さんの実家である純喫茶キリヤマに向かっている。でも、その足は重たい。


 凛恋は萌夏さんの手伝いをするらしく先に行っている。だから、丁度良く一人になれる時間があった。それで、俺はだいぶ早く家を出て公園のベンチに座り空を見上げている。

 真冬の公園で空を見上げているのは俺くらいのもので、公園の中は閑散としている。でも、その静かな公園だからこそ一人で考えるには丁度良い。だけど、丁度良い環境で考えたからと言って、結論が出たり妙案が浮かんだりするわけじゃない。


 凛恋は俺に頼ってくれる。俺はそれが嬉しいし、頼ってくれる凛恋に全力で応えようと思う。俺はそれを自分に対して負担だと思ったことはない。確かに、辛い思いはした。でも、それは必要なことなのだ。俺が辛い思いをする代わりに、凛恋が抱く辛い思いを減らすことが出来る。俺は……凛恋が傷付くことなんて見たくない。二人も傷付く必要はない。俺一人だけで良いんだ。


「多野?」

「えっ? 本蔵さん?」


 突然声を掛けられ空に向けていた顔を下ろすと、視線の先には本蔵さんが立っていた。そして、本蔵さんは周囲を見て首を傾げる。


「一人?」

「ああ。この後用事があって、それまで時間があるからここで時間を潰してるんだ」

「どうしてこんな寒いところで?」

「暖房が効いてる場所に居るとのぼせそうだったから」


 凛恋は俺が本蔵さんと話をするのを嫌う。だから、それとなくこの場から立ち去る方が良い。しかし、俺がベンチから立ち上がる前に、本蔵さんは俺の隣に座って小さく息を吐いて視線を向ける。


「本蔵さん、どこかに用事があったんじゃ」

「買い物に行こうと思っただけ。誰かと待ち合わせをしてるわけじゃないから、時間はいつでも良い」


 完全に立ち上がるタイミングを失い、俺は公園の出入り口を一度見てから本蔵さんに視線を戻す。


「そう言えば久しぶりに話すね」

「八戸に嫌われてるし、空条にも嫌われてるから。私はずっと多野と話したいと思ってた」

「…………」

「考え事?」

「いや、ボーッと空を見てただけだよ」


 考え事の内容は、本蔵さんに話す内容じゃない。気軽に誰でも相談出来る話じゃない。


「多野、この前はごめんなさい」

「え? 何の話?」


 突然、本蔵さんに謝られて、何のことか分からず聞き返す。すると、本蔵さんは視線を落として膝の上で両手を握った。


「ロニー王子のハロウィンパーティー。多野がパイをぶつけられるのを止められなかった。私はステージから離れた場所に居たから」

「本蔵さんも来てたんだ」

「ロニー王子に招待された」

「本蔵さん、ロニー王子と仲良かったんだ」


 ロニーと本蔵さんに接点があったのが意外だった。でも、本蔵さんは小さく横に首を振って否定した。


「全然。ずっと前から嫌いだったから無視してた」


 本蔵さんの行動は大人しかったし、声も淡々として激しさは感じない。でも、使われた言葉は強い嫌悪感が表れた言葉だった。


「なにかあったの?」

「多野の誕生日の次の日、ロニー王子から声を掛けられて喫茶店に誘われた。そこで、ロニー王子が八戸を好きだから、一緒に協力しようと言われた」

「へ?」

「私が八戸から多野を奪って、ロニー王子が多野から八戸を奪う。そうすればお互いにメリットがあるからって」

「それで?」

「断った。私はああいう、裏でこそこそする男が一番嫌い」

「そうだったんだ」


 本蔵さんが俺のことを好きだという話は、塔成大文学部の同学年では知っている人が多いらしい。だから、ロニーはどこかで話を聞き付けたのだろう。

 カルロス国王が言っていた、俺がロニーがやったと思っていたことのほとんどはロニーの母親のせいだった。でも、ロニーはロニーで色々と考えていたのだ。本蔵さんと協力しようとするのが正々堂々かどうかはさておき、気分の良い話じゃない。


「八戸は?」

「ああ。これから萌夏さんの家で萌夏さんのケーキをご馳走になるんだけど、凛恋は先に行って萌夏さんを手伝ってる」

「そう。じゃあ、八戸には言えないことを考えてたの?」

「ただボーッとしてただけだよ」

「ボーッとしてる人間が、眉間にしわを寄せながらため息は吐かない。何か悩んでいたに決まってる」


 真っ直ぐ俺を見ながら確信を持って言う本蔵さんに俺は諦めた。


「本蔵さんに相談出来ることじゃないよ」

「分かってる。私と多野はそこまで仲良くなれていない。特に、何でも一人で考えるような多野みたいな人は、私くらいの関係性の相手には相談しない。八戸に言えないことなら尚更」


 俺は本蔵さんを突き放すような言い方をした。でも、本蔵さんは眉一つ動かさずに、淡々とした表情のまま認めた。


「ただ、誰か相談出来る人は居る?」

「えっ?」

「私は、多野に私を頼ってもらえるとは思ってない。もちろん私に頼ってくれたら、私は私が出来る全ての力を使って多野のために動く。でも、そうじゃないから、せめて多野がその抱えている悩みを相談出来る人が居るのか聞いておきたい」

「相談出来る相手……」


 真弥さんから言われたことを、凛恋には言えない。それに、萌夏さんにも言えないし、もちろん理緒さんにも言えない。里奈さんはきっと俺の話を聞いたら、真弥さんに怒るだろうし確実に凛恋の味方をする。希さんもその点では同じだ。瀬名はこの手の相談事には不向きな相手だ。可能性があるとすれば栄次くらいだが、栄次もきっと公平な客観的な立場で話はしないだろう。俺や凛恋のためを思って、俺の持っている意見を肯定するに決まっている。


 俺が答えを迷っているうちに、本蔵さんは立ち上がる。そして、口から白い息を吐いてから俺を見た。


「世の中は不公平」

「え?」

「八戸は友達と一緒に楽しくケーキを作ってる。きっと、笑って話しながら自分が作ったケーキを多野が食べて喜んでくれるかなんて話している。でも、多野はたった一人で誰にも相談出来ない悩みに一人で戦っている。だから、世の中不公平」

「別に凛恋は――」

「本当に不公平。多野は八戸を守るのに、八戸は多野を守ってない。それに、八戸は多野を裏切っている」


 俺が本蔵さんの言葉を否定しようとすると、本蔵さんはそう淡々と言って歩き出しそのまま公園を出て行ってしまった。

 俺は凛恋を守って凛恋は俺を守っていない。それは、真弥さんが俺に言った言葉と同じことだった。でも、真弥さんと俺の話を本蔵さんが聞いていたわけはないし、真弥さんがそんな話を誰かにするわけがない。だから、本蔵さんの言った言葉は、純粋な本蔵さん個人から生まれた意見だ。そうだということは、真弥さんとは違う立場の本蔵さんの目から見ても、俺は凛恋を一方的に守っているだけに見えているということだ。そして、それをあえて口にしたということは、本蔵さんにとっても俺と凛恋の関係性は疑問を抱くような関係だということだ。


「……でも、当たり前だろ。凛恋は俺の彼女なんだ」


 誰の目から見ても疑問を抱かれるとしても、やっぱり俺は自分と凛恋の関係に疑問なんて抱かれる意味が分からなかった。




 待ち合わせの少し前に純喫茶キリヤマのドアを開けると、一般のお客さんが座っている席とは別に店の奥にあるテーブル席に『貸し切り』というコピー用紙に印刷された手製の張り紙がされていた。


「凡人くん、いらっしゃい」

「萌夏さん、休みの時くらいコックコートじゃなくても良いんじゃないか? それだとプライベートって感じがしないだろ?」

「良いの良いの。コックコートを着てる方が気合いが入るし――」


 ニッコリ笑って言った萌夏さんは、言葉を途切れさせて後ろを一度振り返ると、頬を少し赤らめて俺に顔を近付けて小声で言う。


「凡人くんのために作るのに、気の抜けたケーキなんて出したくないから」

「あ、ありがとう」

「ううん。あっ、奥の貸し切り席で待ってて。コーヒー、淹れてくるね」

「お構いなく」

「構う構う!」


 クスクス笑ってカウンターの向こうに入りコーヒーを淹れてくれる萌夏さんを見送り、俺は貸し切り席の一番手前に腰掛ける。


「はい」

「ありがとう。凛恋は?」

「今、マドレーヌを焼いてるんだけど、自分が見てるから私は休憩してきてって」

「そっか。せっかくの休暇なのに俺達のためにありがとう」

「みんなのためじゃなかったらやらないやらない」


 笑って手を横に振りながら、萌夏さんは俺の正面に座って自分の分のコーヒーを一口飲む。そして、俺をボーッと見詰めた。


「ん?」

「ご、ごめん」


 見詰める萌夏さんに首を傾げると、萌夏さんは慌てて笑いながらコーヒーを一口飲んだ。


「……凡人くんはさ、理緒のことどう思う?」

「理緒さん? 良い友達だと思うけど」

「そりゃそうだよね。でも、そうじゃなくて女の子としてどうかってこと」

「まあ、可愛い人だと思うよ。大学の男子学生にも可愛いって評判だし」

「そっか」


 なんだか歯切れの悪い会話に疑問を持っていると、カップをソーサーの上に置いた萌夏さんは小さく息を吐いて、店の厨房に続く出入り口を一度見てから俺に尋ねた。


「凡人くん、理緒とキスされたってホント?」

「…………」

「り、理緒が言ってたの。凡人くんに強引にキスしたって。だから、凡人くんが浮気したなんて話じゃなくて」

「まあ……理緒さんの言うとおりだよ。でも、凛恋には言わないでくれ」

「も、もちろん言ってない。安心して」


 萌夏さんはまたコーヒーを飲む。でも、そのコーヒーを飲む動作に挙動不審さが感じられる。


「……ご、ごめん。その話を聞いて、凡人くん達がフランスに来てくれた時のことを思い出して」

「――ッ!? ゲホッゲホッ!」

「ご、ごめん!? 大丈夫!?」

「だ、大丈夫。気にしないで」


 コーヒーを飲んでいた俺が咳き込んで、萌夏さんは真っ青な顔をして椅子から腰を浮かせる。その萌夏さんに左手の平を向けて制した。


「いきなり変な話してごめんね。あの時のこと思い出して、やっぱり凡人くんは嫌な思いをしたんだろうなって思って。気持ち悪いって思われたんじゃないかなって」

「凛恋には申し訳ないと思った。でも、気持ち悪いとは思わなかったよ」

「……そうなんだ」


 赤い顔のままジーッと俺を見詰める萌夏さんは、ソーサーに置いたコーヒーカップの取っ手を指先で撫でながら視線をコーヒーカップの中に落とす。


「良かった。私、キモいって思われてなかった」

「どうしてそんな心配を?」

「……だってさ、好きでもない人からキスなんてされたらキモいものでしょ? 私だったら絶対に口をすぐ洗うし、考えただけでも吐き気がする。それに、キスしてきたやつのことを軽蔑する」

「俺は……凛恋に申し訳ないことと、その……キスされたことに驚いて頭が真っ白になったよ」

「そうか……うん、だよね。どうしてって驚いちゃうよね。いくら気持ちを知ってる相手でも、友達からされたら」


 思い返しても、萌夏さんにキスをされた時はいきなりのことでビックリした。それに、理緒さんの時も真弥さんの時もそうだ。


「何で俺なんかにってのも思ったかもしれない。俺は栄次みたいに格好良いわけじゃ――」

「凡人くんの方が断然格好良いっ! ――あっ! ごごご、ごめん!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る