【二六三《陰徳》】:二

 今日、ケーキバイキングの後は酒を買い込んで俺の家に来た。

 爺ちゃんと婆ちゃんはいつも恒例の温泉旅行に行っているし、栞姉ちゃんは刻季時代の同級生だった岡部さんの家に泊まりに行っている。だから、今家には俺以外寝泊まりしていない。


「良いのかな……家の人が留守の時に」

「大丈夫ですよ。爺ちゃんと婆ちゃんには電話して許可はもらってるんで」


 不安がる真弥さんを笑っていると、堂々と家を歩く凛恋が俺の部屋から出て来る。


「遠慮なくくつろいでください」


 真弥さんの背中を押して居間に連れて行くと、後ろからついて来た凛恋が俺の腕を引く。


「急いで出て来たから部屋の換気してなかったでしょ。今換気してきた」

「ありがとう」

「さて、これから飲むぞー!」


 グッと両手を胸の前で握って気合いを入れる凛恋に、俺は小さく微笑む。

 いつもならあまり飲み過ぎるのは良くないと目を光らせるが、今日は飲み過ぎてもどうせうちに泊まるし、周りはみんな飲み過ぎても大丈夫な相手ばかりだ。

 居間に行き、こたつを入れてみんなでこたつに入って一息つく。


「早速乾杯しよ!」


 萌夏さんが買ってきた缶チューハイを人数分並べて自分の分を手に持って持ち上げる。それにみんなも笑顔で缶を持って応えた。


「「「乾杯っ!」」」


 乾杯をして缶を開け、みんなが飲み始めたのを見計らい、俺は買ってきた飲み物をとりあえず冷蔵庫に仕舞う。いくら冬と言っても温い酒は美味しくはない。


「初詣は今年も行くでしょ?」

「うん。凡人くんに運転してももらえるし、私がレンタカーを予約しとく」


 毎年のことながら今年も俺は運転手としてみんなの命を預かるらしい。


「今年はちょっと遠くに行ってみない? この辺の神社は行き尽くしちゃったし」


 萌夏さんと里奈さんがそんな話をしているのを聞きながらこたつに戻って缶チューハイを飲む。

 何かゲームをするわけではなく、ただ座っているだけで会話が盛り上がる。その会話を盛り上げるのは主に里奈さんと萌夏さんだが、それに凛恋や希さん、真弥さんに栄次や瀬名も会話に入って会話の輪が広がっていく。そのみんなをボーッと眺めていると、俺から離れた位置に座る理緒さんに目が行った。


 今の理緒さんは、夏休みから仲間内で微妙な位置に居る。それは、主に里奈さんと揉めたことが原因で、里奈さんはかなり理緒さんのことに目を光らせているようだが、理緒さんからは気にしている様子は感じられない。

 多分、里奈さんは俺が知っているリア充らしいリア充の女子なのだ。それは、高校時代から分かっていた。


 高校一年の終わり、里奈さんは当時付き合っていた有馬から焚き付けられて、俺と凛恋を別れさせるように仕向けた。それは彼氏に言われたからという理由がある。でも、結果的にそれを了承して行動に移したのは里奈さんだ。後々反省をしたとしても、里奈さんの思考回路がそれで丸っきり変わるわけじゃない。


 里奈さんは、友達の凛恋を傷付ける者を許さない。高一の時の俺は、里奈さんに凛恋を傷付けて不幸にすると思われたから、徹底的に嫌われて無実の罪で糾弾された。だから、今回の理緒さんに対する態度もあの時と同じなのだ。ただ、昔と今で違うのは、自分が気に食わないからと言って、周りに関係なく理緒さんのことを仲間はずれにしようとしないことだ。気に食わないなら気に食わないなりに無難にやろうとしているのは見て取れる。


「凡人くん、飲みが足りないよ」

「真弥さん、ペース速くないですか?」


 まだ缶チューハイを飲みきっていない俺の目の前に、真弥さんはビールを持ってくる。そして、自分の分のビールと並べて置いた。


「ほらほら、おつまみの裂きイカだよ」

「ありがとうございます」


 缶チューハイの残りを飲み干し、真弥さんが持って来てくれたビールを開ける。すると、真弥さんも新しい缶ビールを開けて俺の缶に軽くぶつけた。


「みんなの担任してる時は、こうやって一緒にお酒を飲めるなんて想像してなかったな。しかも、年末年始に誘ってもらえるなんて」

「真弥さんにはみんなお世話になってますからね。それに、高校の時は他の生徒より真弥さんと接する機会も多かったですし」

「そうだね。主に凡人くんには沢山心配掛けさせられたし、逆に心配してもらったからね」

「迷惑を掛けたことは本当にすみません」

「ううん。凡人くんのことを心配したことは、あまり凡人くんが悪いことばかりじゃなかったからね。凡人くんは自分以外の誰かのために何かをしようとしてた。その何かをしようとする凡人くんが危なっかしくて心配してたの」

「凡人くんの話だと、高一の歩こう会を思い出します」

「あっ! それ、私も思った!」


 ニッコリと真弥さんの会話に乗った希さんの言葉に、萌夏さんがニコニコ笑いながら頷く。


「残り五キロの休憩所だった公園で希が足にマメが出来て、保健医の先生に歩いちゃダメだって言われたら、凡人くんが『俺が背負って行きます』ってサラッと言ってさ。あれはめちゃくちゃ格好良かった」

「萌夏?」

「良いじゃん良いじゃん。凛恋だって格好良いって思ったでしょ?」

「そりゃ、まあそうだけど」


 萌夏さんの言葉に納得しながら唇を尖らせる凛恋は、俺の方をチラッと見てから手を強く握ってさり気なく体を近付けた。


「あの時な~。刻雨の中でみんなの帰りを待ってたらカズが希を背負ってて、必死で事情を聞いてもみんな笑ってよく分からないことを言ってるし」

「知ってる? 栄次、あの時に私が凡人くんのことを好きになっちゃったと思ったんだって。事情を説明したら安心してたけど」


 クスクスと笑う希さんが栄次にからかうように言うと、栄次はばつが悪そうに唇を尖らせた。


「だって、希がめちゃくちゃカズのこと褒めるから」

「当然だよ。自分も辛いはずなのに私のことをおぶってゴールしてくれたんだよ? 凡人くんにはいつも感謝してるけど、あの時のことは本当に感謝してる。あの時のゴールがあったから、私達はもっと仲良くなれたと思うし」

「そうよね。今思えば、あれが多野同盟の始まりだったのかもね~」


 昔話をしながら、過去にあったことを思い返す。それだけで楽しく懐かしい。


「二年の時の歩こう会は露木先生も一緒に歩けて凄く楽しかったです」

「あの時のことは今でも反省してるの。先生なのに不甲斐なかったなって」

「そんなことありませんよ。私達は露木先生と一緒に歩けて凄く楽しかったんですから」

「でも、後半のほとんど荷物を凡人くんに持ってもらってたから」

「まあ、そういうのはカズの性分みたいなものですからね」


 恥ずかしさに縮こまる真弥さんに栄次が明るい声で言うと、栄次は俺を見てクスッと笑う。


「昔っからカズは人の手助けを自然とするやつでしたから。まだ露木先生の方は分かる手助けだから良いんですよ。小学校の頃なんて、いつの間にかカズが助けてることが多くて、クラスメイトのほとんど誰もカズが助けてくれたなんて分かってなかったくらいです」

「凡人くんって、そういうの周りにアピールするような人じゃないからね。当時のことは知らないけど、話を聞いて納得出来ちゃう」


 ビールを飲みながら、真弥さんは俺にからかうようなニヤニヤとした笑みを浮かべて言う。しかし、どこの世界に「俺が手伝ってやったぞ」と言うやつが居るんだ。それに、俺は別に手伝ってやったと思ったことはない。

 当番の仕事を忘れたら、仕事を忘れたことに先生が怒ってうるさかったし、最悪の場合は緊急の学級会が開かれて帰りが遅くなることもあった。だから、自分が嫌な思いをしたくないから――。


「そんなこと言うと、凡人はきっと『先生が怒るのがうるさい』とか『それで帰りが遅くなるのが嫌だ』とかなんとか言って照れ隠しするに決まってますよ」


 隣で俺を見ながらクスクス笑う凛恋に言われ、俺はどうしようもない気恥ずかしさを感じて、ビールをグッと飲んで裂きイカを口に入れて強く噛んだ。




 栄次と瀬名は俺の部屋へ運び、凛恋、希さん、真弥さん、里奈さんは爺ちゃん達が使っている寝室に運んだ。

 栄次と瀬名が寝やがったせいで男手が俺しか居なくて、結局全員を俺一人で運ばなきゃいけなかった。せめて、栄次と瀬名には自分の彼女くらいは寝かせてから寝てほしかった。

 みんなを布団に寝かせてから居間へ戻るためにドアノブに手を掛けようとする。すると、部屋の中から萌夏さんの呆れた声が聞こえた。


「理緒。里奈を挑発して何が楽しいのよ」

「別に挑発したつもりはないけど」

「あの里奈が、凛恋から凡人くんを奪うなんて宣言したやつを許すわけないじゃん。高校の頃から里奈は友達意識が強かったけど、高一の頃のことがあってから凛恋と凡人くんにめちゃくちゃ恩を感じてるって知ってるでしょ? よく二人が居なかったら、自分は今この友達の輪に居られなかったって言ってるし」


「それとこれとは別問題だよ。私が凡人くんを好きなのは」

「私は別に理緒に凡人くんを諦めろなんて言わないよ。私だって未だに凡人くんのこと好きだし。でも、やり方が強引だって言ってるの」

「萌夏には話したでしょ? 凛恋が凡人くんにしたこと」

「そりゃあ、凡人くんの知り合いの子のことは凄く悲しい出来事だと思う。でも“一人で歩けるようにはなったんでしょ?”」


 その萌夏さんの言葉に、俺は心臓の奥がえぐられるような感覚がした。それは、萌夏さんが夏美ちゃんのことを知っていたからじゃない。萌夏さんが夏美ちゃんの状況について知っているような言葉を発したからだ。


「凡人くんにはいつ言うの?」

「言わないよ。凡人くんは知らなくて良いことだから」

「でも、黙って飛び降りた子の世話をしてるって聞いたら、凡人くんはきっと理緒に悪いって思うし、そういうことを理緒だけにさせてたことに罪悪感を持つに決まってる」

「だから言わないの。私は凡人くんに川崎さんのことでこれ以上傷付いてほしくない」


「まさか、その子の面倒見るために国内留学するとか……理緒の行動力が羨ましい」

「萌夏は知ってるでしょ。私は凡人くんに恩があるの」

「まあ、男を取っ替え引っ替えして略奪愛上等のやりたい放題だった理緒を本気で友達だって言える男子は凡人くんしか居ないのは分かってる。他の男とか絶対に下心丸出しで来るに決まってるし」

「それもだけど、私は小学校の頃に凡人くんのことを好きになって、凡人くんに出会えたことに感謝してるの。小学校の頃のいじめ、結構キツくて……多分、私は自殺してたかもしれない」


 ドアノブから手を離し、俺は廊下の壁に背中を付けて小さく深呼吸をして心を落ち着かせようとした。

 理緒さんが夏美ちゃんの面倒を見ているなんて知らなかった。それに、理緒さんが小学校の頃に自殺を考えていたことも……。


「理緒って、昔は今より大人しかったんだっけ?」

「うん。今より全然純粋だった。いじめられて帰っていっつも家で泣いてた」

「小学生だろうが高校生だろうが社会人だろうが、いじめっていつでも残酷だからね。まあ……私も当事者だったことがないわけじゃないから、強くは言えないけど」

「でも高校の頃は全然気にしてなかったよ。いじめてきた子の彼氏取って楽しんでたし」

「それ、めちゃくちゃ趣味悪いわよ?」

「うん。今ならそれが最低なことだって分かってる。でも、当時はそうすることで私は心の平静を保ってたの。凡人くんにはいじめに立ち向かう姿勢は見せてもらえたけど、私の心は凡人くんみたいに強く――ううん、凡人くんみたいに耐えようとする意思を強く持てなかったから」


「凡人くんのあれは凡人くんの特殊能力だからうちらには真似出来ないって。凡人くん、今でも?」

「うん。塔成大に留学してるフォリア王国のロニー王子が凛恋のことを好きなの。それで、凡人くんから凛恋を奪おうとして色々やってきてる。この前のハロウィンパーティーでは、凛恋に凡人くんへパイをぶつけさせようとしてた」

「…………なにそれ」

「でも、手違いで凛恋の大学の友達が凛恋の立場になったんだけど……凡人くん、パイを避けられたのに避けずに受けたの」

「……そっか。やっぱり凡人くんってそういうのに立ち向かう人だからね。別に逃げることが悪いことじゃないのに」


「あそこで逃げたら、ロニー王子に負けるって思ったんだと思う。でも、ロニー王子まで凡人くんにパイを投げようとしたから……我慢出来なくてビンタしちゃった」

「いや、私もその場に居たらしてた。まあ、凛恋には出来なかっただろうけど、相手は男だし」

「それは分かってる。凛恋の男性恐怖症が、同じ女の私でも想像出来ないくらい根深い問題だって。誰だって、男の人に乱暴されそうになった経験なんて――……ごめん」


「良いって。確かに理緒はそういう経験ないから分からないかもね。でも、本当に怖いの。私も凡人くんに助けてもらったから、まだなんとか踏みとどまれてるけど、今でも時々内笠のことは夢を見る。そのうちに一〇回に九回は凡人くんが華麗に助けてくれるんだけど、残りの一回は乱暴されてる途中で目が覚めるの。実際に私は体を触られたくらいだけど、凛恋はそれより辛い思いをしてるから。だから、沢山の男が見てる目の前で男を平手打ちなんて無理。怖くて足がすくんで動けなくても仕方ない」

「でも、私は許せなかった。あの場で凡人くんを守れるのは凛恋だったのに。きっと凡人くん自身も、私なんかより凛恋に守ってほしかったに決まってる」


 壁と床に体温を奪われ、体は凍えて震えてくる。でも、居間に戻れるタイミングはない。


「萌夏は諦めたの? 凡人くんのこと」

「全然。今でも大好きに決まってるじゃん。今日だって凡人くんに会いたくて会いたくて堪らなかったし。それで実際に会ったら、つい凡人くんに触りたくなって目隠ししちゃった」

「私、凡人くんともう三回ディープキスしたよ」

「はあっ!? どういうことよ!」

「凡人くんって隙だらけでしょ? それに凄く格好良いからつい」

「ついって……そりゃあ里奈もキレるわ」

「里奈は知らない。言ったのは萌夏だけ」

「止めてあげてよ。凡人くんが凛恋に対する罪悪感で落ち込むに決まってるじゃん」

「だって、隙だらけだったし。きっと萌夏だって凡人くんとしてたと思うよ」


「はあっ!? そ、そんなこと出来るわけないじゃん! 凛恋の彼氏だし!」

「でも、したいとは思うでしょ?」

「…………そりゃ、まあ、ちょっとは?」

「凡人くん、キス上手いよ。本当に好きな人としたのが初めてだったからって言うのもあるけど、凄く幸せな気持ちになれた。それにあれは毎日凛恋としてるね。舌絡めたら条件反射で絡め返すくらい」

「ちょっ、生々しい話しないでよ。ちょっと想像しちゃったじゃん。てか、よくキス出来たわね。私は凛恋に申し訳なくて無理」


「私、そういう罪悪感はとうの昔になくしてるからね。それに、凡人くんって何言っても凛恋が好きだからで片付けちゃうから。だったら、もう体使うしかないでしょ?」

「まさか――」

「残念。エッチは完全に拒否されてる。今の状況だと、部屋に二人っきりになって同じベッドに裸で寝ても凡人くんは私に手を出してこないよ」

「良かった」

「それは、私が親友の彼氏とエッチする人じゃなくて良かったの良かった? それとも、凡人くんが彼女以外の女の人とエッチする人じゃなくて良かったの良かった?」


「はあ? あの真面目で一途な凡人くんが彼女の凛恋を裏切るわけないじゃん。その点に関しては断言出来る」

「なんだ。じゃあ、凛恋と自分以外の女の人とエッチしてなくて良かったの良かっただったんだ」

「そんなこと言ってないでしょ!」


 理緒さんの笑いながらからかう声が聞こえ、萌夏さんの強い否定の言葉が聞こえてくる。

 なんでこうも、俺が一度部屋を出て戻って来ようとしたら入りづらい話をしていることが多いのだろう。別に理緒さんと萌夏さんが悪いわけではないが、もうちょっと良いタイミングで戻りたかった。


「で? やっぱり諦めない気?」

「当然。萌夏も露木先生も諦めたみたいだけど、私は諦めない。私が凛恋に勝てるチャンスは大学生活残り一年しかない」

「まあ、凡人くんのことだから、就職決まって大学卒業したら即凛恋と籍を入れるだろうね」

「私はそれでも凡人くんのことを奪う気はあるけど、問題は私の気じゃないの。今でもあれだけ一途なんだから、籍なんて入れたら絶対に無理でしょ」

「ああ、無理無理。凡人くんが不倫なんてするわけないじゃん」

「だから、まだ可能性のある今に悔いが残らないようにしたいの」

「まあ、私は凡人くんと凛恋が傷付かないようにするなら――」

「それは無理だって萌夏が一番分かってるでしょ? 恋愛は絶対にどっちかが傷付くものなんだから」


 その理緒さんの真っ直ぐとして淀みのない言葉を聞いて、俺はゆっくりドアに背中を向けて自分の部屋に向かって歩いた。

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