【二六三《陰徳》】:一
【陰徳】
日本に帰ってきて速攻で地元まで帰り、地元の駅で凛恋に出迎えられた記憶はある。しかし、それ以降の記憶が全く無く、目を開いたら凛恋と一緒に俺の部屋のベッドで寝ていた。
きっと疲れていたし、凛恋に会えてホッと安心したからだと思う。カルロス国王がもうロニーに俺や凛恋に近付くなと言ったという話を聞いて安堵したのだ。もう、凛恋を怖がらせるものは何もない。
スマートフォンで時間を確認すると深夜で、結構な時間爆睡していたようだ。
「凡人、おはよう」
「おはよう、凛恋。起こしてごめんな」
「ううん。本当は凡人が起きるまで待ってたんだけど、凡人の寝顔を見てたら私も眠くなっちゃって寝ちゃった」
そう言ってはにかむ凛恋の腰に手を回して抱き寄せると、凛恋はクスクス笑って自分から俺に体を近付けた。
「ほんと、迷惑な話よね。ついて来いって言ったり帰れって言ったり」
ドイツから数日で帰って来た理由は、マリアさんに突然帰れと言われたからということになっている。当然、ドイツであったことを公に出来るわけがないから、気分屋のマリアさんに振り回されたとする方が安全だと判断されたらしい。
「でも良かった。二週間も会えないなんて寂しすぎておかしくなっちゃうところだった」
「俺も辛かった……」
寂しさがゾッとぶり返し、そのぶり返した寂しさを拭い捨てるために凛恋の唇を奪った。
凛恋の柔らかい唇の感触を自分の唇により強く伝えるために、唇を凛恋の唇に押し付ける。
「もっと近くに」
「かっ、凡人!?」
凛恋の腰に回した手を強く引き寄せ、凛恋の体を俺の体に押し付ける。すると、凛恋がニッコリ笑って俺の手を取り自分のお尻に回させる。
今度は凛恋から俺の唇に自分の唇を押し付ける。でも、凛恋はそうしながら俺のズボンを脱がし、唇を離した瞬間に俺のシャツを捲り上げた。
「凡人の匂い」
脱がした俺のシャツを両手で握り鼻に当てた凛恋は目を閉じて息を吸い込む。そして、シャツをベッドの外に放り投げると、ベッドの中でモゾモゾ動いて、着ていたルームウエアを脱ぎ捨てた。
「やっぱり、寝る時は凡人に触ってないとダメね。全然安心感が違う」
ぴったりと肌を重ねて寄り添う凛恋は、俺の背中に回して軽く指を立てる。
「昨日、フォリア王国の大使館から電話があった」
「大使館から?」
「うん。フォリア王国の国王様が、私と凡人にロニー王子が迷惑を掛けたことを申し訳ないと思ってるって。それで、もう二度とロニー王子には私達に関わらないように言ったから安心して下さいって」
「そっか。良かった」
全てを知っている。そのカルロス国王の勅命の裏に何があったのかも知っている。でも、その全てを凛恋に言う必要はない。今、凛恋は俺の前でホッと息を吐いて安心している。その凛恋の柔らかい表情をあえて崩すようなことを言うのは野暮だ。
「本当に嬉しかった。もう、あの人の顔を見なくて良いって思うと……」
「凛恋……」
安心していたはずの凛恋の顔がぐにゃっと歪む。
「だって最低じゃん。私に、沢山の人達の前で凡人を傷付けさせようとしてたのよ? そんなことするやつの顔なんて見たくなかったから。……それに、あいつは私をホテルの部屋に――」
「結果的にロニーは俺と凛恋に関われなくなった。俺と凛恋はフォリア王国って大きな国に勝ったんだ」
実際は、ロニーは凛恋が言ったことを仕組んではいなかった。でも、それでもロニーには俺と凛恋の絆を引き裂こうとしたという罪がある。たとえ、自分はただ凛恋に自分を好きになってもらおうとしただけなんてことを言ったとしても、凛恋にロニーを好きになってもらうためには、俺と凛恋の絆を壊さなければならない。それは、俺と凛恋にとって最低最悪な罪だ。
「凡人は本当に凄い。本物の王子に勝つなんて」
「凛恋がずっとロニーを拒んでくれたからだろ?」
「当たり前じゃん。私が好きなのは凡人だけなんだから。このままずっと、これからずっと、一生私は凡人が好き」
ギュッと俺を抱き締めた凛恋の背中に手を回し、さりげなくブラのホックに手を掛ける。すると、凛恋がクスッと笑った。
「今日くらいはゆっくり休ませてあげようって思ってたんだけど?」
「俺を下着姿にして自分も下着姿になっておいてよく言うな」
「だって、四日も凡人に会えなかったのよ? 我慢出来るわけないじゃん」
ぷくぅっと頬を膨らませた凛恋は、俺の首に手を回してゆっくり目を瞑る。そして、俺はその目を閉じた可愛い凛恋の唇にそっと唇を重ねた。
俺は基本的に時間ギリギリに行動するのは好きじゃない。特に誰かと予定がある時は、待ち合わせの時間にかなりの余裕を持って行動する。やっぱり人を待たせるというのは悪いことだからだ。
「本当にごめんっ!」
そんな時間に厳しいはずの俺は、大慌てで服を引っ張り出す。そして、ベッドの上では胸を布団で隠した凛恋が何度も頭を下げながら電話の向こうに居る萌夏さんに謝っていた。
「本当にごめん! すぐに行くからっ! 凡人! 私のパンツとブラどこ!?」
「ベッドの枕元に置いてる」
「ありがと! 急がないで良いって言われたけど、大遅刻じゃん!」
今日は、俺がドイツに行っていて出来なかったクリスマス会をするということになっていた。しかし、あろうことか俺達が起きたのは集合時間を三〇分も過ぎてからだった。
「二人してスマホのアラームで起きないとは思わなかったな……」
「凡人が全然寝かせてくれなかったからだし!」
「凛恋だって目をらんらんに輝かせて起きてただろ」
「だって、四日もエッチしてなかったのよ? ちゃんと貯金の分も含めて取り返さないと損じゃん!」
「そんな貯金聞いたことないぞ……」
「凡人、ホック留めて」
「はいはい。かしこまりました、お姫様」
ベッドの上でパンツを穿き、ブラのストラップに腕を通した凛恋が振り返る。その凛恋のブラのホックを留めてやると、凛恋は着替えの入った鞄から着替えの服を引っ張り出して慌てながら着る。しかし、凛恋はまだレギンスを穿き終えていないのにベッドから立ち上がろうとした。
「キャッ! あ、ありがと」
凛恋の体を支えてベッドに戻すと、凛恋が真っ赤な顔で俺の顔を見る。
「気を付けろよ。凛恋に怪我なんてしてほしくないからな、俺は」
「うん。……凡人はいつも格好良いけど、今の凡人チョー男らしくて格好良かったっ!」
「ありがとう。ほら、凛恋は化粧もしないといけないんだろ?」
「うん! もう少し待ってて!」
凛恋が大慌てで化粧をするのを見ながら、一足早く支度が終わった俺は凛恋の化粧を待つためにベッドに座る。すると、俺のスマートフォンが震える。着信は理緒さんからだった。
「もしも――」
『嫉妬しちゃうな。明け方までエッチして寝坊なんて』
「凛恋はそんなことも萌夏さんに電話で言ったのか……」
化粧する凛恋の後ろ姿に視線を向けながら尋ねると、電話口からクスッという笑い声が聞こえる。
『ううん。萌夏からは何も聞いてないよ。でも、本当に明け方までしてたんだ。良いな~、私も凡人くんとエッチしたい』
「そういう話、外でするのはどうかと思うぞ。……寝坊してごめん。結構遅れる」
『ううん、気にしないで。みんな結構自由にお店を見て回ってるから。凡人くんと凛恋が来る頃には集合場所に戻ってるよ』
「ありがとう」
『まあ、私は個人的に凡人くんに何かしてほしいかな』
「昼飯に何かデザートをおごるよ」
理緒さんのからかう言葉を躱すと、電話の向こうから男性の声が聞こえた。
『こんにちは。君、今暇?』
「理緒さん?」
『男の人に声を掛けられただけ。大丈夫、私が好きなのは凡人だけだから、ナンパ男になんか付いていかないよ』
さっきまでの理緒さんの声よりだいぶ甘ったるい理緒さんの声が聞こえて、間を置いてからクスッと笑う声が聞こえた。
『ナンパ男の撃退なんかに使ってごめんね』
「まあ、変な男を追っ払うためなら仕方ないだろ」
『私、今の言葉が本当になるために何でもするから。じゃあ、また後でね』
その言葉で電話が切れて、俺はスマートフォンをポケットに仕舞う。すると、化粧を終えた凛恋が俺の方を振り返り、俺の膝の上に座って凛恋の櫛で俺の髪をとかした。
「はい。今日も完璧な世界で一番格好良い凡人の出来上がり」
「ありがとう」
「さ、みんな待たせちゃってるし行こう」
凛恋に手を引かれ、俺は鞄を持って凛恋と一緒に家を出た。
クリスマスを過ぎても、クリスマスフェアというのは続いているところもあるらしく、俺達が今日行く予定のケーキバイキングもまだクリスマスフェアが続いている。
ケーキバイキングも何度か行っているが、みんなで過ごす時間は五年六年になる。だから、地元で行くところも限られてきた。でも、行く場所ではなく行くメンツが重要なだけだから、行く場所なんてどこだって良い。
「みんなそれぞれショッピングモールで店を見て回ってるって。萌夏はケーキ屋さんを見て回ってるって言ってた」
「日本に帰ってきてもケーキのことを考えてるなんて萌夏さんらしいな」
「ケーキバイキングも萌夏の提案だしね。てか、萌夏って結構ケーキとか食べてるらしいのに、全然太ってないの。チョービックリした」
「パティシエールって結構激務らしいからな。それでカロリーを消費するんじゃないか?」
「そうかも。帰ってきた時に会ったら、毎日チョー疲れるって言ってた。なんか、萌夏の居るお店がフランスの有名な雑誌に取り上げられて、それで今とんでもないお客さんなんだって」
「元々萌夏さんの務めてる店は有名店だったらしいからな。その新店舗なら話題にもなるだろうし」
凛恋と話しながら歩いて待ち合わせの場所になっているショッピングモールに行く。そして、スマートフォンを取り出そうとすると後ろから両目を塞がれた。
「こらー、久しぶりに会えるって楽しみにしてたのに、大遅刻してきたな~」
「萌夏さん、本当にごめん」
目を塞がれたまま後ろに居る萌夏さんに向かって謝ると、視界が明るくなって振り返る。すると、ニコッと微笑む萌夏さんの顔が見えた。
「あれ? 萌夏さんなんか大人っぽくなった?」
「えっ? わ、分かる? 昔とメイクを変えたの」
首を傾げて尋ねると、萌夏さんが動揺して髪を手で弄りながら頬を赤らめる。すると、横から強い衝撃を受けた。
「イテッ! 凛恋、何するんだよ」
「私の目の前で萌夏を口説くな」
「そんなことしてないだろ」
「私は凡人くんにならいくらでも口説かれたいけど?」
火に油を注ぐ言葉をニヤニヤ笑いながら言う萌夏さんに困っていると、萌夏さんの後ろから栄次と希さん、瀬名と里奈さんが並んで歩いてくる。
「みんな、遅刻してごめん」
「ごめんなさい」
栄次達に謝ると、隣に立っていた凛恋も頭を下げて謝る。
「気にするなって。俺達はそのくらいじゃ怒らないから」
爽やかな笑顔で栄次が言うと、他の三人も笑顔で頷いてくれた。
「理緒さんと真弥さんは?」
「まだ来てないな」
「俺が電話して――」
栄次に答えてスマートフォンを取り出そうとすると、耳に綺麗なピアノの音色が聴こえた。そのピアノの曲は初めて聴く曲だったが、すぐに誰が弾いているか分かった。
「真弥さんのピアノだ」
俺はピアノの音色が聞こえる方向に歩き出す。すると、すぐにショッピングモールの一角に置かれた白いグランドピアノが見えた。そして、そのピアノの前に置かれた椅子に座り、真弥さんがピアノを奏でている。
真弥さんは気持ち良さそうにピアノを演奏し、その周囲では遠巻きに真弥さんの演奏を眺める通行人が居る。その中に、理緒さんの姿があった。
「理緒さん」
「凡人くん、こんにちは」
「こんにちは。真弥さん、ピアノ弾いてたんだ」
「うん。途中で会って、一緒に待ち合わせ場所に行く途中でピアノを見付けたの。誰でも自由に弾いて良いピアノなんだって」
並んでピアノを演奏する真弥さんを眺めていると、演奏を終えた真弥さんが立ち上がる。すると、真弥さんの演奏を聴いていた人達が真弥さんに大きな拍手を送った。
「凡人くん」
「真弥さん、理緒さん、遅れてごめんなさい」
「ううん、ゆっくり服見てたから大丈夫。行こっか」
「はい」
歩き出した真弥さんの隣を歩き出すと、真弥さんはチラリと俺の方を見て微笑む。
「冬休みに会えないって聞いてたから、会えて良かった」
「ご迷惑をお掛けしました」
「ううん。今年も良い年末年始を迎えられそうで嬉しいなって思っただけだから。もう、みんなで過ごすのが毎年の恒例になってるし、そこに凡人くんが居ないっていうのは考えられないから」
「そう言ってもらえて嬉しいです」
真弥さん、理緒さんと一緒に待ち合わせ場所に戻ってみんなと合流し、俺と凛恋のせいでだいぶ遅れてしまったクリスマス会が始まった。
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