【二五〇《茨の種子》】:二

 俺もはしゃいで盛り上がろうとした。でも、どうしてもそういう気になれず、部屋の隅で酒を飲むことしかしていなかった。だから、いつもより酒を飲む量が増えてしまった。


「――ッ!」


 アイスコーヒーの苦味の隙間から、唇と舌に理緒さんにされたキスの感触が蘇った。

 理緒さんのキスは、凛恋のキスとは違った。凛恋のキスは幸せを感じる包み込まれるようなキスたが、理緒さんのキスは俺の欲求を引きずり出すようなキスだった。

 どうして今、このタイミングで理緒さんにされたキスを思い出したのかは分からない。でも、そのせいで抑えようとしていた欲望が煽られた。


「理緒さんから……」


 ポケットの中に入れていたスマートフォンに理緒さんからの着信が入る。その着信相手を見て応答ボタンを押すことを躊躇う。

 理緒さんのキスを思い出したことで、電話に出ることを躊躇ってしまう。

 理緒さんは親友だ。でも、今、理緒さんとの電話に出ることが凛恋に対する裏切りのように思えた。

 呼び出し音を聞きながら、電話に出ることを躊躇う。でも、呼び出し音は鳴り止む気配はない。


「……もしもし?」


 意を決して恐る恐る電話に出て尋ねる。すると、クスッと笑った声の後、理緒さんの声が聞こえた。


『電話に出ようか迷ってた?』

「いや、ちょっと手元にスマートフォンがなくて」

『そっか。てっきり、この前のキス思い出してドキドキしてくれてたのかと思った』


 電話の向こうでクスクス笑う理緒さんは、いつもの俺をからかう時の理緒さんと変わらない口調だった。


『私は凡人くんとのキス思い出してたの。凛恋の目の前でキスした時もドキドキしたけど、この前のディープキスも凄くドキドキした。今もドキドキして、凡人くんと話したくなったの』

「あの時のことは忘れてくれ。俺も忘れるから」

『嫌だよ。それに、凡人くんにも忘れさせない』

「理緒さん、俺は理緒さんと友達で居たいんだ」

『もう無理だよ。私はどんなことをしても凛恋から凡人くんを奪うって決めたの』

「俺は――」

『そういえば凛恋は起きてるの?』

「凛恋は寝てる」


 俺の話を聞かない理緒さんに答えながら、温くなったアイスコーヒーに口を付ける。すると、電話の向こうでフッと理緒さんが笑った。


『じゃあ、今日は凛恋とエッチ出来ないんだ』

「一日しないくらいどうってことない」

『でも、凛恋って凡人くんにエッチな動画とかも見るの許してないんでしょ? 可哀想』

「別にそんなもの見なくても、凛恋が居れば――」

『でも、その凛恋は肝心な時にエッチさせてくれない。残念だな。私が近くに居たら、今すぐにエッチしたのに』

「たとえ理緒さんが近くに居ても、俺は凛恋以外としない」

『凡人くんって結構意思が強いから、簡単に凛恋から奪えるなんて思ってないよ。でも、だからって凡人くんを凛恋に任せられない』

「今から風呂に入って寝るから、用がないなら切っても良い?」


 会話を切り上げようとすると、その言葉を無視して理緒さんが尋ねた。


『凡人くん、気付いてた?』

「何を?」


 いきなり気付いてたと言われても何の話か分からない。


『ディープキスしてた時、凡人くん途中から私の腰に手を回して舌絡めてくれてたんだよ?』

「そんなことしてない」

『じゃあ、今度また試してみよっか? 凡人くんが無意識に抱き寄せてくれて舌を絡めてくれるか』

「ごめん。本当にもう寝る時間だから」

『うん。でも、また電話するね』


 電話を切って、スマートフォンをテーブルに置いたまま俺は着替えを取ってから足早に浴室へ入る。そして、頭から熱いシャワーを被った。

 体の火照りを冷ますよりも、より熱いシャワーで覆い隠す。


 煽られて高ぶった欲望を抑えないといけない。そうは分かっていても、ゾクゾクと心の奥から湧き出る気持ちをなかなか抑えられない。

 壁に手を付いてシャワーを浴びていると、後ろから浴室のドアが開く音がして、柔らかく後ろから抱き締められた。


「凡人、家まで連れて帰ってくれてありがと」

「凛恋、起きたのか」

「うん。目が覚めたら布団の上で、それで凡人がシャワー浴びてる音が――んんッ!?」


 凛恋の話の途中で振り返り、凛恋の唇を強引に塞ぐ。そして、熱く深くキスを押し付けた。

 まだ濡れていなかった凛恋は、俺が凛恋の体を壁に押し付けたことで頭からシャワーを浴びて全身を濡らす。でも、頬に髪が張り付くのにも構わず、凛恋は俺の首に手を回してキスを返してくれた。


「はぁっ……はぁっ……凡人、いつもより興奮してる?」

「ごめん……」

「謝らないの。チョー嬉しい。それにさ、私も今日はちょっとヤバかったから」

「ヤバかった?」

「うん……今日はチョーエッチしたい気分だったの。カラオケの時からヤバかった」


 凛恋の腰に手を回して抱き寄せると、凛恋がクスッと笑って俺の肩に手を置いて頬にキスをした。


「もしかして、私が起きなかったら我慢してた」

「ああ。だって他に発散出来ることなんてないし」

「他の子とエッチなんてしたら引っぱたく」

「する訳ない!」

「分かってるわよ。だから、ごめんね。我慢させて」

「凛恋が謝ることなんて……」

「凡人の彼女として、私は何も出来てないから。ずっと凡人に庇ってもらってばかりで、だから……せめて私の心配をしなくて良いって思ってほしい」

「凛恋……もしかして、最近明るくなってたのは、俺に心配を掛けないためか?」

「うん」

「なんでそんな――」

「理緒に盗られたくない」


 凛恋が俺の手を握り、凛恋の太腿とお尻へ手を回させる。そして、下から真っ直ぐ俺の目を見上げる。


「凡人は私のだもん。……理緒に目の前でチューされて死ぬほど悔しかった。でも、理緒が言ってることは正しくて……だけど、凡人にチューしたのは絶対に許せない」


 凛恋が背伸びをして俺の唇を塞ぐ。でも、今度は凛恋から俺へ押し付けるようなキスだった。


「出よっか」

「ああ」


 まだ唇に名残惜しさを感じながら、凛恋と一緒に浴室を出る。

 お互いの体をバスタオルで拭いてから、手を繋いで寝室まで行くと、俺は凛恋を布団の上に寝かせて覆い被さり、上から凛恋の頬にキスをした。その俺のキスを受けた凛恋が、俺のシャツを掴んでクスッと笑う。


「今日の凡人、チョーやる気満々」

「そういう凛恋だって、シャワー浴びてる時からずっと俺に胸を押し付けてたくせに」

「そうよ? だって、こんな格好良い彼氏とエッチの前のシャワー浴びてるのに興奮しない訳ないじゃん」


 着たばかりのシャツを脱がした凛恋は、俺を布団の上に座らせ、俺の手を取って自分のシャツの裾を握らせる。


「凡人が脱がしてくれる?」

「もちろん」

「凡人、私の服脱がすの好きだよね? 初めの頃はブラのホック外すのに手間取って、何度もごめんごめんって謝ってたっけ?」

「だっ、だって……あまり手間取ってると気持ちが冷めるってネットで見たから」

「手慣れてる方が嫌だし。それに、私が痛くないように慎重に一生懸命脱がそうとしてくれる凡人、凄く可愛くて大好きだった。今は、手慣れてきちゃったけど、それもそれだけ私と凡人がいっぱいエッチして来たってことだから、チョー嬉しい」


 凛恋の服を脱がせると、凛恋がニヤッと笑って腕で胸を隠す。そのいじらしい姿に興奮して、軽く凛恋の肩を押して布団の上に押し倒し、両手を指を組んで握りながら首筋に顔を埋めた。


「ひゃっ……凡人っ……」


 可愛い凛恋の声を聞きながら、凛恋の体に触れて少しずつ欲望を高めていく。

 もう、抑える必要はない。でも、抑える必要がないからと言って一気に解き放ってはもったいない。


「凛恋、凄く可愛い」

「凡人はチョー格好良い」


 どちらからともなくまたキスを始めて、凛恋の腰と布団の間に手を入れると、凛恋が体を横に倒して唇を尖らせる。


「体の下に手を入れてたら、凡人の手が痺れちゃうでしょ?」

「凛恋、ありがとう」

「当然よ。凡人は私の世界一大切な人なんだから。だから、私は一生掛けて罪を償うから。凡人に辛いことをさせた罪が許されるまで、私はずっと償い続ける」

「凛恋に罪なんてない」

「あるの。凡人を好きな人みんなからと私自身からは、私は凄く重い罪を犯した最低な人間なの。それを償い切れないと、みんなが凡人を奪おうとしてくる」

「そうだとしても、俺は凛恋以外は好きにならない」


 当然の答えを返し、俺は凛恋の体を引き寄せる。

 じっくり高めて焦らした欲望を、やっとゆっくり紐解く。そして、躊躇わずに凛恋へ解き放つ。

 じんわりと体の中から欲望が染み出る快感に酔いしれる。

 やっぱり、俺の欲望を掻き立てて解き放ってくれるのは凛恋だけだ。凛恋だけが、俺の誰にも見せたくない猥(みだ)りがわしい俺を受け入れてくれる。

 温かく優しい心地良さに目を閉じて、永遠にこの心地良さを手放さないように、包み込んでいた手にギュッと力を込めた。




 いつだって、凛恋と抱き合って眠った後の朝は、堪らない幸福を感じて目覚める。

 目の前に居る可愛い凛恋の寝顔を堪能し、そっと頬にキスをすると、くしゃっと顔を歪めた凛恋が目を覚ます。そして、俺を寝惚け眼で見ながらニッコリと頬んだ。


「おはようのチュー」


 凛恋がチュッと音を立てて俺の唇にキスをすると、強く俺を抱き締めて身を寄せる。


「あー、チョーヤバい。本当、夏休みじゃなかったらって思うとぞっとする。チョー朝寝坊だし」


 枕元に置いてあったスマートフォンで時間を確認した凛恋が、スマートフォンを枕元に戻して、また甘えるように抱き付く。


「全然凡人が寝かせてくれないから困っちゃった」

「ごめん」

「でも、あんなに甘えられたら応えたくなっちゃう。それに、私もいっぱい凡人といちゃいちゃしたかったし、チョー幸せだったっ!」


 頬を俺に擦り付ける凛恋は、俺が凛恋を強く抱き寄せて背中を撫でると、クスッと笑って俺の胸に自分の胸を押し付ける。


「凡人、朝から元気すぎ」

「仕方ないだろ」

「でも嬉しい。凡人がギュッてしてくれるとチョー安心出来るしチョー幸せ」


 ひしっと抱き付く凛恋は、俺の顔を見上げて明るく笑う。


「私、絶対に凡人を心から笑わせるから。私が絶対、凡人の可愛い笑顔を作ってみせる」

「ありがとう」


 俺は凛恋の言葉に微笑みを返しながら強く抱き締めた。その笑いは、自分でも心の底からの笑いではなかった。でも、凛恋が居ればいつか必ず心から笑える日が来ると確信出来た。


「あっ、もうお昼前じゃん」


 布団の中で抱き合っている間に時間が経ち、それを確認した凛恋がクスッと微笑んだ。


「スマホ見なかったら、きっと夜までこのままいちゃいちゃしてたかも」

「俺はそれでも良いけど?」


 凛恋の後ろに手を回して軽くお尻に触れると、凛恋が俺のシャツの裾から腰を直接撫でていたずらっぽく小首を傾げた。


「でも、いちゃいちゃするのにもエネルギー使うし、腹ごしらえは大切でしょ?」


 そう言った凛恋が布団の中から抜け出し、乱れた寝間着を整えながら立ち上がった。


「軽くチャーハンでも作るから、凡人も起きてきて。それで、ちょっと休憩したらまたいちゃいちゃしよ!」

「分かった。凛恋のチャーハン楽しみだな~」

「もう飽きるくらい何度も作ってるでしょ?」

「凛恋の料理に飽きる訳ないから、何度作ってくれても楽しみなんだよ」

「もー、凡人ってチョー優しい! ありがとう。今日も愛情込めて作るね」


 パチッとウインクをして台所に行った凛恋の後を追いながら、俺は布団から出て居間のテレビを点ける。テレビの画面には、昼時の情報番組が映し出された。丁度、映画の番宣コーナーが終わったところだった。


『さて次は、今日本人女性の誰しもが注目している、フォリア王国のロニー・コーフィー・ラジャン第一王子の初ロマンスの話題です』


 そう言った女性アナウンサーの直後、画面いっぱいに週刊誌の表紙の一部を拡大した映像が映る。


『フォリア王国の第一王子の初ロマンスは略奪愛!? しかも相手は、あの世を騒がせた男子大学生の恋人』


 その長ったらしい見出しの映像が映った後、画面は週刊誌の記事の映像へ切り替わる。そこには、並んで座るロニーと浴衣姿の凛恋が映っていた。

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