【二五〇《茨の種子》】:一
【茨の種子】
最後の補講を受け終わり、講義室から出た瞬間、目の前に黒いスーツを着た細身の白人男性が立ち塞がった。
「こんにちは。多野凡人さんですね。私はフォリア王室で公務全般の管理をしている者です」
「私にフォリア王国王室の方が何の用でしょうか?」
「少しだけお時間を頂けませんか? 塔成大学の応接室をお借りしています。そこでお話したいことがあります」
俺の方にはお話したいことは何一つも無いのだが、そんなことを言っても通じる訳がない。
フォリア王室の白人男性と一緒に応接室に入ってソファーに座ると、目の前に座った白人男性が正面に座って口を開いた。
「単刀直入に申し上げます。八戸凛恋さんとの交際を解消してください」
「凛恋に言われたならともかく、赤の他人から言われても聞く必要はありませんね」
「ロニー王子は八戸凛恋さんと真剣に交際するつもりです。フォリア王室としても、八戸凛恋さんは決して高貴な女性とは言えませんが、容姿は申し分ありません。それに、一般の家庭出身というのはロニー王子の交際相手としてのイメージも良いと考えています。元々ロニー王子はフランクな性格ですが、より庶民的な面を出すことが出来ます」
「俺の彼女を王室のイメージ戦略に使わせるわけないでしょう」
「ロニー王子の幸せと、フォリア王国の安定のためです。それに、八戸凛恋さんにとっても、ロニー王子との結婚は今後の人生を豊かにします。日本の一般庶民が与えられるものは限られているでしょう。王位を継いだロニー王子は、今まで以上に地位も権力も財力も持つことになります」
「人の幸せを地位と権力と財力だけで語らないでもらえますか?」
「地位と権力と財力がない人間には、人を幸せにすることは出来ません。それに――」
そこで一瞬言葉を切ったフォリア王室の男性は、俺に向けていた目を細めた。
「人を自殺に追いやるような人間が、人の幸せを語ることも私はおかしいと思いますが?」
その言葉に返す言葉が思い付かなかった。なぜそのことを知っているのかと尋ね返すことも出来なかった。それくらい、夏美ちゃんのことは俺を黙らせるには効果があった。
「ロニー王子やフォリア王室がどう考えているか知りませんが、俺は凛恋に別れてほしいと言われても簡単に別れるつもりなんてありません。だから、他人のあなたから言われても別れる気なんて一ミリもありません。話がそれだけなら帰らせてもらいます」
ソファーから立ち上がると、白人男性が俺に不快そうな視線を向ける。だが、それに気付いていながら、俺は気にせず軽く頭を下げて部屋を出た。
部屋を出た瞬間に、全身に重たい何かがのし掛かる。そして、強烈な気分の悪さを感じた。
なぜ、フォリア王室が夏美ちゃんのことを知っているのか。それは、当然調べたからに決まっている。でも、夏美ちゃんの話がフォリア王室の人から出てくるとは思っていなかったから、言われた瞬間の動揺は大きかった。
人を自殺に追いやるような人間が、人の幸せを語るのはおかしい。その言葉は、全くもってその通りだと思う。だから、そう素直に思ったから反論が出来なかった。
俺は夏美ちゃんを傷付け、夏美ちゃんを不幸せにした。それは事実だ。もう誰からも目を逸らして忘れるしかないと言われる現実だ。でも、だからと言って凛恋とロニーが付き合うなんて許せる訳がない。
凛恋が誰を選ぶかという意思を俺が強制することはもちろん出来ない。でも、凛恋はロニーではなく俺が好きだと言ってくれている。その前提条件があれば、俺は全力で凛恋をロニーから、フォリア王国から守る。
国と個人では分が悪いの分かっている。だけど、俺は今まで沢山の障害から凛恋を守ってきた。凛恋を守るために本気で命を懸けてきた。
俯いて考え込みながら廊下を歩いている途中、ポケットに入れたスマートフォンに着信が入る。電話の相手は空条さんだった。
「もしも――」
『多野くん、今どこに居る?』
「え? 塔成大の構内だけど?」
『今すぐ行くから待ってて』
「えっ? あっ……」
通話の切れたスマートフォンを一度見てからポケットに仕舞い、俺は大学の校門に向かって歩き出す。
校舎から出て校門も出たところでしばらく突っ立っていると、大学の正面の通りに一台の軽自動車が停まった。
「多野くん、助手席に乗って」
「あ、ありがとう」
初めて見る空条さんの車に乗り込むと、空条さんが車を走り出させながら微笑む。
「買っちゃった」
「買っちゃったで買えるのが凄いな」
「スマホで車見てたら、可愛くて一目惚れしたの」
「確かに丸っこくて可愛いフォルムをしてるね」
何気なく世間話を始めてしまったが、合流した目的を聞いてない。
「喫茶店で良い?」
「大丈夫」
空条さんの走らせる車は道路脇の駐車スペースに停車する。俺は空条さんが降りる前に車から降りて、近くにあったパーキングメーターに三〇〇円を入れた。
「あっ! なんで多野くんが払っちゃうの!?」
「いや、女の子にお金は――」
「多野くんに払わせるつもりなんてなかったのに。じゃあ、喫茶店は私のおごりにさせてね」
「いや、喫茶店の方が」
「勝手にお金払っちゃう多野くんが悪い」
車を離れて喫茶店に入ると、空条さんは店の一番奥の席に座ってメニューを俺に差し出す。
「俺はオリジナルブレンドを飲むよ」
「了解」
メニューを受け取らずに答えると、俺に返事をした空条さんはメニューを開いて少し流し見てから店員さんを呼ぶ。
「オリジナルブレンド二つとフレンチトーストを二つお願いします」
「オリジナルブレンドお二つとフレンチトーストお二つですね。少々お待ち下さい」
店員さんが一度離れると、空条さんはニッコリ笑った。
「私だけフレンチトースト食べるの恥ずかしいから、多野くんも付き合って」
「ありがとう。ご馳走になります」
空条さんが二人分のフレンチトーストを注文した時、空条さんが優しさで注文してくれているのは分かった。だから、その厚意に甘えることにする。
「電話とメールは何度かしてるけど、会うのは久しぶりだね」
「夏休みに入ってから会う機会がなかったからね。空条さんは夏休みは何してたの?」
「今年は一昨日までロスに行ってたよ」
「ロサンゼルスか。相変わらず行くところが凄いな」
そんな話をしていると、テーブルにコーヒーとフレンチトーストが運ばれてくる。そして、店員さんが離れていくのを見送ると、空条さんは視線をフレンチトーストに落として呟いた。
「一昨日、奈央から聞いた。多野くんが気に掛けてた施設の子が飛び降りたって」
「そっか……」
「それを知った多野くんはきっとショックを受けてるだろうって思ったら居ても立っても居られなくて……」
「俺は大丈夫だよ」
「私には大丈夫に見えない。大学の校門に立ってた多野くん、凄く疲れた顔をしてた。それに今も無理してるのが顔に出てる」
「とりあえず食べようか。冷ますと良くないし。いただきます」
コーヒーにもフレンチトーストにも手を付けない空条さんを見て、俺はコーヒーを一口飲んでフレンチトーストをナイフとフォークで切り分けて食べる。
「いただきます」
フレンチトーストを食べる俺を見た空条さんは、何か言いたそうな雰囲気をしていたが、ナイフとフォークを手に取って食べ始める。
ロサンゼルスで夏休みを楽しんでいたはずなのに、俺のせいで変に空条さんを心配させてしまった。
空条さんは関係ない人だ。栄次達も関係ない人だった。本当だったら、凛恋も関係ない人にしたい。でも、凛恋の性格上それが出来ないのは分かる。だけど、空条さんは今回の問題に全く関係ない。
「ロサンゼルスから戻ってきたのって、夏美ちゃんのことを聞いたから?」
「う、うん……私に何か出来るとは思わなかったけど、じっとしてられなくて」
「ごめん。空条さんにまで心配掛けて。空条さんは関係ない話なの――」
「関係あるよっ!」
ナイフとフォークを持った手を止めて空条さんは声を荒らげる。そして、ハッとした表現をして俺に頭を下げた。
「大きな声出してごめんなさい」
「いや、俺は大丈夫だけど」
「でも、関係ないなんてことないよ。友達の多野くんが辛い思いをしてるのに、何もせずに見てるなんて出来ない。私に出来ることはないかもしれないけど……」
「そんなことない。そうやって気に掛けてもらえるだけで嬉しいよ」
そう俺が答えると、空条さんはフレンチトーストをまた食べ始める。
「きっと、多野くんのことだから責任を感じると思って。でも――」
「俺が夏美ちゃんを傷付けたんだ」
「多野くんが? そんなことあり得ないよ。多野くんは凄く川崎さんを大切にしてたのを私は知ってる」
「いや……もう夏美ちゃんには会えないって伝えたんだ。だから、夏美ちゃんはそれでショックを受けて……」
「…………そっか」
空条さんはそれだけ言ってフレンチトーストの最後の一欠片を口に運んだ。空条さんの表情から、空条さんが何かを察して、それ以上何も聞かないという雰囲気を感じた。
「八戸さんは?」
「今は、希さんと希さんの彼氏と居るよ。この後、合流することになってる」
「ごめん。用事があったのに……」
「大丈夫。ちょっと遅くなるってメールしてるから」
フォリア王室の人に呼ばれた時に短いが遅くなるとメールをしている。だから、空条さんとの話が終わってから連絡しても問題ない。
「私も一緒に行っちゃダメかな?」
「空条さんも? ちょっと凛恋達に聞いてみないと分からないけど」
「聞いてみてくれない? もちろん赤城さんの彼氏さんも居るから、全然断ってもらって大丈夫だから」
「ちょっと電話して聞いてみるよ」
「ありがとう」
俺は椅子に座ったまま凛恋に電話を掛ける。
『凡人! 遅い!』
「ごめんごめん。ちょっと空条さんと会って」
『空条さん?』
「ああ。それで、この後凛恋達と遊ぶって話をしたら、空条さんも一緒に良いかって」
『私は大丈夫だけど、ちょっと希達にも聞いてみる』
凛恋が希さん達に聞いている間、正面に居る空条さんを見る。
空条さんはコーヒーを飲んでいるが、何か思い詰めたように視線をテーブルの上に落としている。
『凡人、希と栄次くんも大丈夫だって』
「分かった。じゃあ、空条さんにもそう伝えておく」
『はぁーい! 早く来てね! チョー寂しすぎて泣きそうなんだから』
「急いで行くよ。じゃあ、後で」
『うん!』
電話を切ると、空条さんがコーヒーを飲み干して微笑む。
「凛恋達も空条さんと遊びたいってさ」
「ありがとう。気を遣わせちゃったね」
「凛恋と希さんとはもう仲良しだろ。希さんの彼氏は俺よりもコミュニケーション能力高いし、すぐに仲良くなれるよ」
「良かった。そういえば、この後はどこに行くの?」
「ああ。凛恋と希さんの希望でカラオケだよ」
自分のコーヒーを飲み干して、俺は会計をするために伝票に手を伸ばす。すると、俺よりも先に伝票を取った空条さんが、ぷくぅっと両頬を膨らませ立ち上がって言った。
「もう。多野くんは油断も隙もないんだから」
背中に凛恋を背負ったままドアの鍵を開けて部屋の中に入る。
凛恋を起こさないようにそっとドアを閉じ、寝室まで向かって布団を敷き、ゆっくりと凛恋を寝かせて息を吐く。
カラオケに行った凛恋は、いつにも増してはしゃいだ上に酒も入ったことで、カラオケの帰り道で俺におんぶをせがみ、そして寝てしまった。
凛恋の寝顔を見て軽く頭を撫でてから、凛恋の唇にキスをする。
唇を離しても、凛恋は可愛い寝顔をしていて、不安になるくらい無防備になっている。
「全く……無防備にもほどがあるだろ」
スカートが捲れて白いパンツが見えている凛恋に声を掛けながら、捲れたスカートを直して凛恋の隣に寝転ぶ。
「凛恋……」
凛恋の口の端にキスをして、凛恋の手を軽く握る。眠っている凛恋は手を握り返しはしないが、少し汗ばんだ柔らかい凛恋の手の熱からゾクゾクとした欲望が沸き立つ。
「エッチしたい……」
思わず欲望が口に出て、手が凛恋の服に伸びる。そして、凛恋のシャツの裾に触れる直前、手を引いて凛恋から体を離す。
凛恋から離れて、俺は寝室のドアを閉めて居間に戻る。そして、冷蔵庫からペットボトルのアイスコーヒーを取り出し、グラスに注いでテーブルの前に座る。
酒が入っていたにしても、寝込みを襲うようなことをするなんて最低だ。
ほぼ毎日エッチしてると言っても、しない日がない訳じゃない。凛恋の体調が悪い時には我慢なんてせずに、普通に凛恋の隣で眠れる。でも、今日は無性に凛恋を感じたかった。
今日、凛恋は本当にはしゃいで楽しんでいた。それが嬉しいと思う反面、自分がどんどん置いて行かれている気がした。
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