【二四九《恥も外聞もなぐり捨てた飾りのない愛は》】:一

【恥も外聞もなぐり捨てた飾りのない愛は】


 真弥さんの意向で半ば強引に外へ連れ出された俺達は、真弥さんが行きたいと言っていた遊園地へ向かった。

 地元の遊園地より大きく有名なこっちの遊園地には、凛恋と来たことはある。でも、友達と一緒に来るのは初めてだ。


「高校の頃の修学旅行で来た以来だ~」


 アーチを抜けた瞬間に、真弥さんは駆け出し少し離れた場所で立ち止まると、その場でターンして周囲を見渡す。その真弥さんの明るい笑顔は無邪気で、一瞬だが真弥さんが自分より年下の女の子に思える錯覚を抱いた。でも、すぐにその錯覚は晴れる。


『今の八戸さん、本当に最低だよ。そんな人に、凡人くんの大切な人だって胸を張ってほしくないし、そんな人が凡人くんの大切な人だって胸を張ってるのを見ると腹が立つ』


 その、今まで聞いたことがなく途方もない恐怖を感じる真弥さんの声が頭の中で再生される。多分……いやきっと、あの時の真弥さんは今まで俺達には見せてこなかった、本気で怒った真弥さんを出していたのだ。


 真弥さんはいつも明るいイメージがある。俺が真弥さんに心配を掛けた時は悲しませて泣かせて仕舞ったことはある。でも、今まで俺は真弥さんが怒ったところを見たことがなかった。

 日頃怒らない希さんが怒った時も怖いと思う。でも、ドア越しに声を聞いただけでも、怒った真弥さんは怖かった。


「ほらほら、みんな行くよー」


 俺達に向かって戻って来ながら満面の笑みを浮かべて手を振る真弥さんは、俺の目の前に立つとニコッと笑った。


「最初はあっちね!」

「あっ……」


 これ以上どう上がるのか分からないハイテンションの真弥さんは、俺の手を掴んで走り出す。それに元から手を繋いでいる凛恋も引っ張られて、そして……悲しそうな声を漏らした。


「真弥さん、今からそのテンションだと最後まで保たないですよ?」

「大丈夫大丈夫! 最悪、明日はホテルで一日寝てても良いし! せっかくみんなで遊園地に来られたんだから楽しまないと!」


 振り返ってニコニコ笑う真弥さんは、入ってすぐの場所にあったグッズショップに入る。


「やっぱりここに来たら、これ買わないとねっ!」


 店内に入った真弥さんは、真っ先に被り物のコーナーに言って俺を振り返りながら言う。

 確かに、入り口から入ってグッズショップへ来る間も、遊園地のキャラクターを模した被り物をした女性客は沢山居た。ただ、被り物をしているのは大抵"女性客"であって、男性客はほとんど見なかった。


「凡人くんにはどれが似合うかな~」

「凡人くんっていつもクールで格好良いから、たまには明るく可愛い感じの格好させてみたいですよね」


 真弥さんと並んで被り物を見る理緒さんが、ショッキングピンクのウサギの被り物を手に取るのが見える。そのショッキングピンクの被り物を見て、俺の背中にゾッとした寒気が走る。


「こっちも可愛いと思うよ?」


 真弥さんは真弥さんで、レモンイエローの雛なのか親鳥なのか分からないが、とにかく赤いクチバシ付きの被り物を手に取って見ている。そして、二人はそれぞれの被り物を持って振り返った。


「「凡人くんはどっちが良い?」」

「いや、俺は被らなくても」


 両方から俺には不似合いな被り物を差し出され、やんわりと断ろうとする。しかし、真弥さんも理緒さんもグッと近寄って俺に被り物を差し出してくる。


「凡人くんには凛恋が選んであげたら?」


 後ろから希さんが俺と凛恋の背中を押して、被り物の陳列棚の前に押し出す。


「ほらほら、凛恋は凡人くんの、凡人くんは凛恋のを選んであげよ。栄次は私のを選んで、私は栄次のを選ぶから」

「分かった」


 栄次と希さんが隣に並んで、二人は仲良く被り物を選び始める。


「凡人は私に何被ってほしい?」


 隣で腕を組んで首を傾げる凛恋に、俺は垂れ耳の犬の被り物を合わせてみる。


「可愛い」

「これにする!」

「え? これで良いのか?」

「凡人が最初に手に取ったってことは、これが凡人の好みなんでしょ? 凡人にはこれ」


 俺に凛恋が差し出したのは、パンダの顔部分を模した被り物で、二つのつぶらな瞳でパンダが俺を見ていた。


「いや?」

「いや! 凛恋が選んでくれたなら喜んで被る」

「良かった」


 凛恋がニッコリ笑ってくれて、その笑顔に元気が出た。

 グッズショップを出て、俺は頭に被ったパンダの被り物を気にしながらみんなに視線を向ける。

 俺が選んだ垂れ耳の犬の被り物を被った凛恋の隣には、熊耳のカチューシャを付けた希さんが歩いている。真弥さんはリスの被り物を被り、理緒さんはコウモリのカチューシャを付けていた。そして、栄次は狼の耳のカチューシャを付けている。


 まだ仮装をする時期にはほど遠いが、遊園地の中は現実離れした雰囲気で、俺がパンダの被り物を被っても違和感が抑えられた。ただ、完全に違和感を拭えていないのが、流石俺と言えるのかもしれない。


 遊園地に来る前は、こんな時に遊園地に行っても楽しめるのかと思っていた。だけど、笑って希さんと話している凛恋を見れば、現実から切り離してくれる遊園地の雰囲気は、凛恋の心に良かったのだと思う。


「まずはジェットコースターに乗ろう!」


 走り出す真弥さんはジェットコースターの順番待ちをする列に並ぶ。


「やっぱり、夏休みだから凄い人だね」


 俺達が列の最後尾に並んだそばから、俺達の後ろには何一〇人もの人が並び始める。

 真弥さんの言う通り、夏休み真っ最中の今、遊園地は沢山の人で溢れている。


「パンダ凡人くんも可愛いね」


 真弥さんが俺が被っているパンダの被り物の鼻を指先で突きながら笑う。


「パンダ自体が可愛いですからね」

「私は、パンダを被りながら真っ赤な顔で周りをキョロキョロ見てる凡人くんが可愛いって思ったけど。やっぱり恥ずかしい?」

「いや、やっぱりこういうのは男が被るものじゃ……」

「でも、喜川くんは自然だけど?」

「あのスーパーマルチイケメンと俺を一緒にしないで下さい」

「そうだよね。凡人くんは、プロフェッショナルイケメンだもんね」

「何のプロフェッショナルですか……」

「ん? 女の子の心を掴むプロフェッショナルかな」


 クスクス笑う真弥さんは、視線を横に向ける。その方向には凛恋が居て、凛恋は希さんと笑って話していた。


「八戸さんは、そういうところがダメなんだよね。肝心な時に凡人くんから目を離しちゃう」


 そう言った瞬間、真弥さんが俺の手首を掴んで軽く引っ張る。すると、ジェットコースターの係員が俺と真弥さんをコースターの座席に案内した。


「あっ……」


 横に三人並ぶ席に俺は右に真弥さん左に理緒さんという並びで座らされる。顔を後ろに向けると、後ろには栄次、希さん、凛恋の並びで三人が座っていた。


「ドキドキするね」


 コースターが停まっている場所の周囲にあるスピーカーから、気持ちを盛り上げる激しめの音楽が聞こえる。ただ、その激しめの音楽が、コースター発車前の緊張感も煽っていた。


「真弥さん」


 隣から俺の手を握った真弥さんの手から手を離そうとすると、真弥さんは柔らかい笑顔のまま指を組んでがっちりと手を握る。

 声を掛けても真弥さんは俺に顔を向けず、顔を正面に向けたまま手を繋ぎ続ける。


「凡人くんの隣にやっと行けた」


 左に座る理緒さんが、クスッと笑いながら俺の左手を握る。


「理緒さん、手を――」

「嫌だよ。ずっと凡人くんと手を繋ぎたかったし」

「凛恋が――」

「後ろからじゃ見えないよ。頭の上までシートがあるから」


 さっきまではガードが下りてなくて背伸びをして後ろを確認出来たが、今はガードが下りて後ろを確認出来ない。


「それに、音が大きいから話し声も聞こえないし。こんなことしても気付かない」

「ちょっ!」


 指を組んで握った俺の手の甲を、ミニスカートの裾から出た太腿へ当てる。

 柔らかくすべすべとした理緒さんの太腿の感触を手の甲に受け、思わず俺は手を太腿から離す。すると、理緒さんは口元を小さく笑わせて首を傾げた。


「凛恋と比べてどう?」

「理緒さ――」


 からかうような笑みを浮かべた理緒さんの手を振り解こうとした瞬間、ジェットコースターは一気に加速をして走り出す。


「「キャーッ!」」


 左右から真弥さんと理緒さんの楽しそうな歓声が聞こえる。その声の大きさと比例するように、二人の手が俺の手を強く握る。

 頬を激しく撫でる風や高速で流れる景色よりも、俺の意識は握られている両手に向けられる。そして、その手を離さなければいけないという気持ちで、ジェットコースターを楽しむ余裕なんてなかった。


 凛恋に対する申し訳なさでいっぱいだった。真弥さんには手を繋がれたことがある。でも、あの時の、真弥さんに迷惑を掛けたお礼の時とは違って、二人の手からはからかいが感じられなかった。

 二人とも、手を繋いだ時に俺をからかうように笑った。だけど、繋がれた手は絶対に離さないという意思を感じるくらい強く握られている。その強さから、ただのからかいだけではない二人の心が見えるような気がした。




 ジェットコースターから始まって、真弥さんを中心に色んなアトラクションに俺は引っ張り回された。でも、手を繋がれたのはジェットコースターの時だけで、その後、俺はずっと凛恋と手を繋ぎ続けた。

 俺が凛恋の手を握って離さなかったのは罪悪感に苛まれたからだ。ちゃんと凛恋の手を握って、自分の側に凛恋を居させたかった。


 真弥さんと理緒さんに嫌悪を抱いた訳じゃない。ただ単純に、凛恋に申し訳ない気持ちで心が埋め尽くされていた。


 園内にあるレストランで昼食を終え、再びアトラクション周りを始めた時、真弥さんが通路の脇にあるおどろおどろしい建物を見る。


「ホラーハウスだって!」


 目をキラキラと輝かせた真弥さんがおどろおどろしい建物を指さす。どうやら、ホラーハウスに行ってみたいらしい。ただ、凛恋はホラー系が大の苦手だ。だから、凛恋がホラーハウスに入れるとは思えない。


「俺と凛恋は外で待ってますよ。俺、ホラー苦手なんで」

「凡人……ありがと」


 凛恋が身を寄せて俺の手を両手で包みながらはにかむ。


「凡人くんも一緒に行こうよ」


 その真弥さんの言葉を聞いて、凛恋は握っている手に力を込める。


「別に人数制限はないから、みんなで入れば凛恋も大丈夫じゃない?」


 ホラーハウスの前にある説明書きを見た理緒さんはそう言うが、凛恋の苦手は人数が増えれば解消されるわけじゃない。


「いや、俺と凛恋は二人で休憩してるよ」

「じゃあ四人で行こうか。カズと凛恋さんはゆっくり休んでて」


 明るく爽やかに笑って栄次がみんなに提案して、希さんの手を引いてホラーハウスに歩いて行く。

 真弥さんと理緒さんも栄次達に付いていくのを見送ると、俺は凛恋の方を向いて手を引く。


「栄次達が戻って来るまで座って待ってるか」

「うん」


 近くのベンチに座ると、凛恋が鞄からお茶のペットボトルを取り出して一口飲む。


「凡人、私のせいでごめんね」

「凛恋が謝ることなんて何もないだろ? 俺が少しゆっくりしたかっただけなんだから。俺の方こそ凛恋を付き合わせてごめん」

「ううん。チョー嬉しかった」


 腕を組んで寄り掛かる凛恋を受け止めて、俺は丁度建物の影になっているベンチの上で小さく息を吐いた。

 みんなとワイワイ騒いで歩いている時は、遊園地の中は明るく騒がしい印象だった。でも、日陰のベンチに座って低い視点から見ると、ついさっきまで自分が溶け込んでいた遊園地を客観的に見えた。そのお陰か、明るく騒がしい雰囲気に飲み込まれず、ゆっくり体と心を休めることが出来た。


「昨日ね。凡人と出会った頃の夢を見たの」

「俺と出会った頃の夢?」

「うん。まだ、私が凡人に片思いしてて、頑張って凡人と友達になろうとしてる時の夢。あの時の私を客観的に見てる夢でさ、本当に私って必死なの。凡人に送るメール一通打つのにも凄い読み直して打ち直して、凡人に会う前は何度も鏡で自分の髪とか化粧とか確認して、それに声も低くならないように女の子らしい声が維持出来るようにお風呂の中で練習もしてた」


「そんなことしてたのは聞いたことがないな」

「だって恥ずかしいじゃん。それでね、あの時の私を見て思ったんだ。凡人と付き合う前の私の方が、凡人のことを大切にしてたなって」

「凛恋?」


 凛恋の握った手が震え、俺に寄り掛かっていた凛恋は俺にすがりつくように俺の腕にしがみついた。


「今の私は、昔の私よりも凡人を大切にしてない。好きな気持ちは変わってないけど、今の私は昔の凡人に言わなかったわがままをいっぱい言ってる。凡人が私の彼氏だからって、私のしてほしいことを凡人に押し付けてる。昔の私は、凡人にそんなことやらなかった」


 現実から切り離された遊園地から切り離された日陰のベンチで、凛恋は静かにそう気持ちを口にした。


「凛恋が昔は言わなかったわがままを言ってくれるようになってくれてるなら、俺は嬉しい」


 凛恋の気持ちを大切に受け止めて、俺は凛恋にそっと自分の気持ちを返す。

 わがままを言ってくれるようになったというのは、凛恋がそれだけ俺に遠慮なく、俺を近い存在だと捉えてくれているからだ。


「でも、私はわがままばかりで何も返せてない」

「凛恋は俺の側に居てくれてる。それに、毎日料理を作ってくれて、朝起きたらおはようって言ってくれて、帰って来たらおかえりって出迎えてくれる」

「そんな普通のことじゃ――」

「普通なんかじゃない。好きな人が側に居てくれてることは、普通のことじゃない」


 真剣に、素直に思ったことを訴え返した。それで、凛恋が抱いている不安を掻き消せると、掻き消そうと思った。でも、凛恋の顔はハッとして、そして……暗く崩れた。


「…………私は、普通だと思ってたから、普通だと思っちゃったから……凡人を傷付けた」

「俺は凛恋に傷付けられたことなんてない。凛恋には俺が自分で付けた傷を毎日癒やしてもらってるんだ」


 凛恋が不安になっている。それは、確実に昨日の夜に凛恋と真弥さんがしていた会話のせいだろう。でも、誰が何を言おうとも、凛恋は何も悪くない。


「凛恋、凡人くん、お待たせ!」


 ベンチに座って待っていた俺の耳に、希さんのその声が聞こえる。その声に、暗い顔をしていた凛恋は笑顔を作って立ち上がる。

 遊園地に来る前、凛恋は無理にも笑えなかった。でも、今は無理にでも笑えてる。そして、希さん達と遊んでいる時はとても楽しそうにしている。


 凛恋は前へ進み出そうとしている。それはきっと、凛恋が俺のために前へ進もうとしてくれたんだと思う。だけど、俺はそんな凛恋を見て焦りを感じた。

 俺はまだ、前へ進もうとすることが出来ない。どうしても、後ろを振り返って、後ろを気にしてその場で立ち止まっていることしか出来ない。


 凛恋が前へ進み始めたのに、俺はまだ前に進めていない。

 ただ歩き出せば良いのだ。ただ、振り返らずに前に向かって足を進めれば良い。ただそれだけで良いと分かっているのに、俺の心は前に歩き出そうという勇気を持てない。

 夏美ちゃんのことを忘れれば良い。それは自分でも思ったし、真弥さんにも言われた。でも……忘れるということは、夏美ちゃんを傷付けたことよりも、更に夏美ちゃんに対して不誠実になることだ。


 今更、何を躊躇っているのか。もう既に酷く夏美ちゃんを傷付けたのに、傷付けると決意して前へ進んだのに。でも……どうしても躊躇ってしまう。

 俺は夏美ちゃんを傷付けた。その事実が俺の心に重くのし掛かり、心が潰れそうなくらい軋んで痛んだ。その痛みが怖くて、その怖さから更に不誠実になることを躊躇ってしまう。原因はそうだと分かっている。だけど、原因が分かったからと言って、どう動けば良いのか分からない。原因が分かっても、痛みが緩和される訳じゃない。痛むという覚悟は出来る。でも、その痛みは覚悟していても耐えられる自信が無い。


「凡人、大丈夫?」

「あ、ああ。大丈夫」


 凛恋が前屈みになって俺の目を真っ直ぐ見る。その不安そうな凛恋の表情を見て、俺は笑った。

 俺が夏美ちゃんのことを忘れられるのは、まだ凛恋に包まれている時だけだ。凛恋と存在を一つにして、夏美ちゃんだけではなく、色んな現実から切り離されている瞬間だけ気持ちを楽に出来る。だけど、このままでは前へ進み出した凛恋に置いて行かれてしまう。


 だから俺は、凛恋と同じように無理に笑って、歩き出した凛恋に置いて行かれないように、前へ進むことを拒む足を動かさなくてはいけない。

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