【二四五《散り菊》】:二

 今から大規模な打ち上げ花火を見ると言うのに、俺と凛恋は線香花火をやることで盛り上がる。でも、凛恋とそんな話で盛り上がることが楽しいから、俺は全然周りの目は気にならなかった。


 設置されたスピーカーから、花火の開始時刻のアナウンスが流れ、そのアナウンスで言われた打ち上げ場所の近くに人混みが厚くなる。しかし、たまたまその打ち上げ場所の近くに居た俺と凛恋は、いつの間にか人混みに飲まれてしまっていた。


「凛恋、大丈夫か?」

「うん。大丈夫。お尻は凡人に守られているし」


 俺に背中を付けた凛恋が振り返り、ニヤッと笑ってお尻を俺の足に押し付ける。それに対抗するために、俺は凛恋の体を後ろから抱き締める。


「やっぱ凡人って凄い。外なのにこの安心感!」


 嬉しそうに俺が前に回した手に自分の手を重ねた凛恋は、軽く体を横に揺らしながら鼻歌を歌う。

 凛恋の可愛い鼻歌を聴きながら、俺も凛恋から感じる体温に心地よさと安心感を抱いて空を見上げる。すると、後ろから強く突き飛ばされた。


「イッテッ!」


 思いっ切り背中を蹴飛ばされたかと思うくらい強い衝撃を受けた俺は、思わず凛恋から手を解いてしまい胸を押さえる。すると、凛恋が振り返って俺の背中を擦ってくれた。


「凡人! 大丈夫!?」

「だ、大丈夫。ちょっと後ろから突き飛ばされて息が詰まっただけだ」


 心配してくれる凛恋に答えると、凛恋は鋭い目付きで俺の後ろを睨み付ける。


「最低。誰よ、私の凡人を突き飛ばしたやつ」


 俺の後ろを睨んで視線を流す凛恋だが、今の人混みのことを考えれば故意に人を突き飛ばした訳ではないだろう。それに、仮に故意に突き飛ばした人が居たとしても、この人混みの中で探し出すのは不可能だ。


「全く。私の凡人にこんな――」

「すみません。これより先は特別観覧スペースになっております。一般のお客様はお下がりください」


 人混みの中でその声を上げる制服を着た警備員が、規制線のための黒と黄色のトラロープを持ちながら人混みを押す。その警備員が、俺と凛恋の間を通り過ぎた。


「凛恋!」

「凡人!」


 俺が凛恋の手を握って引き寄せると、トラロープを持った警備員の後ろから付いて来た別の警備員が俺の肩を押す。


「一般のお客様はロープの内側に入らないでください」

「すみません。その子は俺の彼女なんです。間違えて入ってしまって!」


 警備員に凛恋から引き離され、俺は必死にロープを腹に食い込ませながら凛恋に手を伸ばす。すると、その俺の視界に黒いスーツを着た一団が入って来た。


「クソッ!」


 視界が黒スーツの男性だけになり、凛恋の姿はおろかさっきまで居た警備員の姿も見えなくなる。


「凛恋さん、こんなところでどうしたんですか?」


 後ろから聞こえる人混みの喧騒が、黒スーツの一団の向こう側から聞こえるその声で小さくなる。その爽やかな声の主の顔が、すぐに俺の脳裏にフラッシュバックした。


「クソッ! ロニー王――ロニー・コーフィー・ラジャンッ!」


 必死に規制線のロープをくぐり抜け、黒スーツの一団の隙間に体をねじ込む。すると、俺の体は軽々と宙に浮き、すぐに河川敷の地面に叩き付けられた。黒スーツを着た男に地面へ押さえ付けられたのだ。


「クッ!」


 腕を決められて身動きが取れない状況で、俺は必死に顔を上げて俺を押さえている男の顔を見る。その男は、ロニー王子のボディーガードをしている男だった。


「警備員に引き渡せ。ロニー王子の邪魔になる」


 別の男が俺を見下ろして冷たくそう言った。それを聞いて、俺は必死に声を張り上げた。


「凛恋ッ!」

「凡人!? 凡人! どこに居るのッ!?」


 黒スーツの男達の作った壁越しに、凛恋の声が聞こえる。その声に俺が声を上げようとすると、黒スーツの男が革手袋をはめた手で俺の口と鼻を塞いだ。


「凛恋さん、この人混みでは多野さんを見付けるのは不可能です」

「凡人はすぐそこに居るんです! 声が聞こえました! 凡人! 凡人ッ!」

「ンーッ! ンンーッ!」


 凛恋の呼ぶ声に俺は必死に応えようとする。決められた腕が軋んで痛むのに耐えながら、必死に暴れて拘束から抜け出そうする。でも、俺よりも遥かに体格の良い男に押さえられてビクともしない。


「それに、この人混みに女性一人を戻すのは危険です。花火を見物した後で良ければ、家まで責任を持ってお送りします。私も出資者という立場上、すぐにこの場を離れる訳にはいきません。それにしても、その浴衣、凄く凛恋さんにお似合いですね。とてもお綺麗です」


 爽やかなロニーの声が聞こえ、そのロニーが凛恋の浴衣姿を見ていることに怒りが沸き立つ。

 ここまでするのか。そう思ったが、それも今更だ。凛恋の居場所を追い続けて、凛恋と是が非でも二人っきりになるために、凛恋のお父さんの会社や塔成大にまで手を回した男だ。強引に俺と凛恋を引き剥がしてきたとしても不思議じゃない。


「どうされましたか?」

「この男が規制線の中に無理矢理入って来たので取り押さえました。まだ暴れようとしているので、警察を呼んで頂いた方が良いと思います」

「分かりました。すみません、トラブル発生です。特別観覧席まで警察の方をお願いします」


 駆け付けた警備員は、俺が口を塞がれていることに全く疑問を持つことなく無線に話し掛ける。その直後、黒スーツの男達の隙間から、凛恋の腰に手を回して歩いて行くロニーの後ろ姿が見えた。




 警察署の取調室で、地面に押さえつけられて服に砂や河川敷に生えていた草の葉を付けた俺を見て、向かいに座る警察官がため息を吐いた。


「君が入ろうとしたのは一般客の立ち入りが禁止されているスペースだった」

「俺の彼女も一般客です」

「君が言っていた女性だが、ロニー王子のボディーガードからロニー王子の友人だと聞いている。ロニー王子が招待したそうだ」

「俺の彼女はなんて言ってたんですか?」

「ロニー王子のボディーガードは――」

「ロニー王子のボディーガードじゃなくて、本人と話すのが普通でしょッ!」

「ボディーガードがロニー王子と女性の花火見物を邪魔することは出来ないと言っていたんだ。それに、フォリア王国のボディーガードが嘘を言う訳がない」


 意味の分からない根拠で話をする警察官に、俺は思いっ切り机を蹴飛ばしたい思いになる。しかし、物に当たるのは良くないし、この状況でそんなことをすればさらに状況が悪化する。


「今回は厳重注意で済ませますが、他人の迷惑になる行動は慎んでください。お帰り頂いて結構です」

「失礼します」


 本来ならこういう場合「すみませんでした。ご迷惑をお掛けしました」とでも言うべきなんだろう。でも、迷惑を掛けられたのは俺の方だ。

 警察署から出て、すぐに俺は凛恋に電話を掛ける。すると、すぐに凛恋と電話が繋がった。


『凡人ッ!?』

「凛恋、無事か?」

『うん。私は大丈夫。凡人は?』

「俺も大丈夫だ。凛恋、今、ロニー王子と一緒に居るだろ?」

『えっ……違うのッ! これは――』

「分かってる。俺、ロニー王子のボディーガードに取り押さえられて警察に突き出されたんだ。今、警察署を出た」

『最低っ!』

「凛恋、とにかくロニー王子に気を付けて待ってろ。絶対に迎えに行く。それから、頭に血が上ってビンタなんてするなよ」

『分かってるわよ。本当はビンタだけじゃなくて、あいつの大事なところ蹴り飛ばしたい気分だけどキモいし我慢する。ホント、あのクソ王子のせいで最悪な気分。絶対、明日二人で線香花火しようね』

「もちろん。とにかく、すぐに行くから」

『うん。待ってる』


 凛恋と電話を終えて、俺はスマートフォンをポケットに仕舞う。

 パトカーで警察署まで連れて来られたこともあって、また花火大会の会場に戻るまで時間が掛かってしまいそうだ。この調子だと、俺が会場に着く頃にはもう花火大会は終わっているだろう。


 駆け出しながら、俺は両手の拳を強く握る。その握った拳に込められた怒りは、もちろんロニーに向けていた。

 もう、ロニーの好意が叶う見込みはゼロだ。完全に、凛恋はロニーのことを嫌っている。それが分かっていても、ロニーが凛恋を手に入れようとするために、俺と凛恋を引き裂こうと画策していることが許せなかった。

 どんな策を弄しても、凛恋の気持ちは手に入れられない。凛恋の気持ちはそんな汚いものではないし、そんなに容易いものじゃない。


「それにしても、大事なところを蹴り飛ばしたいにクソ王子か」


 凛恋の言葉を思い出して、思わず笑みを溢してしまう。

 あそこまで凛恋が口にするというのはよっぽどのことだ。凛恋に嫌われたことを笑うのは悪いが、ロニーの自業自得なのだから仕方がない。


 世の中には、ロニーの行いに騙される人も居るのかもしれない。でも、凛恋はそんなロニーの小細工に騙されるような子じゃない。いや、俺と凛恋の絆は、ロニーに崩されるほど柔じゃない。

 そう思うと、ロニーに対して不安や恐怖を抱いていた自分が馬鹿らしく思えてきた。


 とりあえず、近くの駅に向かって花火大会の最寄り駅に行かなければいけない。

 花火に間に合わなくても、終電で帰るためには急がないといけない。

 地面に叩き付けられた時に打った腕や肩、腰には痛みがある。でも、早く凛恋の元へ行かなければいけないという思いがその痛みを和らげてくれた。

 駅に向かうために、大通りのスクランブル交差点で信号待ちをする。


 夜中でも人通りの多いスクランブル交差点には、早めに花火見物を終えた人達なのか浴衣を着た女性達がちらほら見える。

 今日、凛恋とのデートを台無しにしたのは俺のせいではない。でも、今日の埋め合わせはちゃんとしないといけない。

 凛恋を抱きしめていた両手の平を見て、悔しさが溢れてくる。


 ちゃんと俺が凛恋を抱きしめていたら、凛恋を離さなかったら、凛恋に不安な思いをさせなかった。ロニーの思うようにことを運ばせなかった。だから、そうさせてしまった自分が情けなかった。


「ちゃんと、埋め合わせする。線香花火だけじゃなくて、他にも何か」


 凛恋への埋め合わせを考えながら、青信号になったスクランブル交差点の向こう側に向かって歩き出す。そして、ふとビルの壁に設置された街頭ビジョンに目を向ける。

 見上げた街頭ビジョンにはスーツ姿の男性アナウンサーが映っていて、どうやら夜のニュース番組が流れているらしい。でも、俺はその街頭ビジョンを見て立ち尽くした。

 街頭ビジョンに映る男性アナウンサーの顔の横には、学生証の証明写真のような……夏美ちゃんの顔写真が映し出されていた。


『今入ってきたニュースです。水江(みずえ)駅近くの雑居ビルから人が落ちてきたという通報を受け、救急隊員と警察が急行したところ、ビルの下で血を流して倒れている女性を発見し病院へ救急搬送されました。女性の身元は公立高校に通う高校生、川崎夏美(かわさきなつみさん)一八歳で、川崎さんは意識不明の重体。警察は自殺を図った可能性と事件に巻き込まれた可能性の両面から捜査を進めています』

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