【二四四《蕾→牡丹→松葉→柳……》】:一
【蕾→牡丹→松葉→柳……】
地元から戻って来て、流石に毎日家でダラダラしている訳にもいかず、俺は古跡さんに電話して編集部でアルバイトを出来ないか聞いてみた。しかし、案の定、夏休みにはちゃんと夏休みをしなさいと言われてしまった。だが、その連絡のせいで俺が戻って来ていることを不審に思った古跡さんが、俺を飲み会に呼び出した。そして、今はレディーナリー編集部の人達と行きつけの飲み屋で飲み会をしている。
「で? 多野はどうして戻って来たの?」
「いや……大学から、テストの成績が悪くて、このままだと単位が足りずに留年するから補講を受けろと言われて」
しばらく食事と酒を楽しんで、大分みんなの酔いが回って来た頃、俺の隣に座った家基さんが尋ねる。それに、俺はロニー王子のことは伏せて事実を話した。
「えぇっ!? 多野くんの単位が足りないなんてあり得ないでしょ!」
正面から、平池さんがギョッとした顔をして声を上げる。それを平池さんの隣で聞いていた田畠さんも小さく頷いて同意していた。
「多野くん、ちゃんと大学の教務課に調べてもらった方が良いよ」
「成績の開示は求めたんですけど、開示はしてないって突っぱねられてしまって。仕方なく戻って来て夏休み終わりまで補講を受けることになりました」
家基さんとは反対側の俺の隣に座る帆仮さんに答えると、帆仮さんは不満そうな顔で唇を尖らせた。
「多野くんがテストの成績が悪いなんてあり得ないよ。絶対に何かの間違いに決まってる」
「まあでも、こっちが何言っても取り合ってもらえないんで、とりあえず今は大人しく補講を受けようと思ってます。変な意地を張って留年なんてしたくありませんし」
「多野くんって本当に大人だよね」
ビールを一口飲んで唐揚げを頬張る帆仮さんを見て、家基さんがクスッと笑う。
「帆仮が子供過ぎるのよ。まあ、その帆仮の子供っぽい熱さは長所だけど」
「私だったら頭にきてずっと抗議し続けますよ」
「でも、本当に理不尽なこともあるもんね。多野のことを少しでも知ってる人なら、多野が単位落とすようなやつじゃないって分かると思うけど。ほら、多野、元気出しなさい。これ食べて良いから」
「ふごっ! いや、全く落ち込んではいないんですけど……でも、ありがとうございます」
家基さんから無理矢理口に唐揚げを放り込まれ、俺はそれを噛み砕いてからお礼を言う。
「古跡さん、やっぱり多野くんにアルバイトしてもらいましょうよ~」
「ダメよ。多野が居ると、帆仮と平池と田畠が楽をし過ぎるから」
帆仮さんの訴えに、古跡さんがニヤッと笑って日本酒の入ったグラスを持ち上げる。それに、帆仮さんはギョッとした顔をし、平池さんと田畠さんは少し頬を赤く染めて俯いた。
「多野が夏休みに入った途端、平池と田畠はテンパるし、それをフォローしようとした帆仮は案件を頭から抜けさせるし、日頃どれだけ多野に気を回してフォローしてもらってたかよく分かったわ。三人とも、多野より年上なんだからしっかりしなさい」
「「「はい……」」」
笑いながら言う古跡さんに、三人は小さくなって細く弱い声で返事をする。それを聞いていた家基さんは、クスクス笑って帆仮さん達三人に視線を流した。
「そういえばさ。三人って多野のこと好きなの?」
「「「「へ?」」」」
帆仮さん、平池さん、田畠さんの三人に加え、隣に居る俺も家基さんの言葉に聞き返す。すると、家基さんは俺に肩を組んで引き寄せながら、ニヤニヤと人の悪い笑みを帆仮さん達三人に向ける。
「夏休みに入ってから、三人ともよく多野の席を見てるじゃない。だから、好きな男が居なくて寂しがってるのかと思って」
「多野くんとは休憩時間によく話しますし、私の可愛い後輩ですから、居なくて寂しいとは思いますよ。でも、好きとは」
「そっか~。残念だったわね、多野。男として魅力を感じないって」
からかった帆仮さんの答えを聞いた家基さんは、今度は俺をからかって笑いながら言う。
「間接的に俺を傷付けるのは止めて下さいよ」
「べ、別に多野くんに男として魅力がない訳じゃないよ! 多野くんは身長が高くてスラッとしてて顔も真面目さが感じられて格好いいし。それに、性格も優しくて仕事でも易しくフォローしてくれるし!」
「なんか、取って付けたような褒め言葉ね」
「も~、家基さんが、多野くんに魅力が無いみたいな話をするからじゃないですか~」
相変わらず家基さんのからかいに本気で狼狽える帆仮さんから視線を外し、目の前に座る平池さんと田畠さんに視線を向ける。すると、平池さんが俺を見てニタァーっとした人の悪い笑みを浮かべた。
「私は、多野くんがフリーだったら絶対にアタックしてますね~。だって、塔成大生で将来有望ですし、しかも仕事も出来て優しい。そんな男がフリーだったら誰だって食い付くでしょ」
「すみません。俺には彼女が居るんで」
「私もあれだけ可愛い彼女に対抗しようなんて思わないわよ」
からかう平池さんに笑顔で答えると、平池さんは明るく笑いながら料理を箸で摘まむ。
「で? 田畠はどうなの?」
「えっ? わ、私ですか?」
帆仮さんをからかい、平池さんをからかえないと察した家基さんは、次の矛先を田畠さんに向ける。すると、真面目な田畠さんは本当に困った様子でおろおろとし始めた。それを見て、俺は自分の酎ハイを一口飲んで、正面に居る田畠さんに笑顔を向けた。
「田畠さん。ちゃんと言っといた方が良いですよ。私にも選ぶ権利がありますって。田畠さんは見た目が清楚で可愛らしいから男は選び放題でしょ」
家基さんのからかいに困っている田畠さんを助けるために言うと、今度はニタニタとした笑みを家基さんが俺に向ける。
「多野って、そういうところが天然の女たらしよね。そういう困ってる時に助けてくれる男に女はコロッといっちゃうものよ?」
「そんなことないですって。あっ、家基さんのグラス空ですよ? 何飲みます?」
「ありがと。じゃあ、次は芋焼酎をロックで」
「分かりました。すみません。芋焼酎のロックをお願いします」
店員さんに注文を伝えながら、俺は上手く家基さんのからかいの手を止められてホッと息を吐いた。
飲み会終了後、俺は古跡さんに帆仮さんと平池さんを送るのを任され、帆仮さんを送った後に酔いが回って俺をからかい出した平池さんを送り、一緒に二人を送ってくれた田畠さんを送るために駅まで向かう。
「多野くん、いつもありがとう」
「いえ。俺も女性を一人で夜に歩かせるのは嫌なんで」
「多野くんはいつもそう言ってくれるよね」
酔って赤くなった顔でニッコリ笑った田畠さんは、右手で笑った口を隠す。
「酔うと家基さんも絵里香もからかうから困っちゃうよね」
「田畠さんは真面目だからまともに受けとっちゃいますしね。ちょっとは躱さないと」
「絵里香相手には上手く躱せるけど、やっぱり先輩の家基さんにはどう言えば失礼じゃないかって考えちゃって」
「まあ、その気持ちは分かりますよ」
「でも、その割りには、多野くんは誰にからかわれても躱し方が上手いよね」
「俺は田畠さん達が入ってくるまで結構いじられましたからね。経験がちょっと長いだけです」
田畠さんと話しながら歩いていると、ポケットに入れたスマートフォンが震えて、俺は一度ポケットから出して電話の相手を確認する。電話の相手は、夏美ちゃんだった。
「出て良いよ」
「すみません」
立ち止まった田畠さんが笑顔で言ってくれて、俺は夏美ちゃんの電話に出る。
「もしもし」
『凡人さん……会いたい……』
「どうしたの? 何か嫌なことでもあった?」
『何かあった訳じゃないんですけど……凡人さんに会いたくなって……』
「今は夜遅いから難しいかな。施設の面会時間も過ぎてるし」
『今、こっちに居るんですよね? 私、抜け出します』
「ダメだよ。高校生がこんな時間に出歩いたら。明日顔出しに行くから」
『……凛恋さんと一緒に来ないで下さい』
「分かった。一人で行く」
時々ある、急に不安になってしまう精神状態になった夏美ちゃんを諭すように言って、俺は明日顔を出す約束をして電話を切る。すると、田畠さんが俺に不思議そうな顔を向けていた。
「友達に施設に入ってる高校生の子が居るんですけど、時々不安になって電話が来るんです」
「前に言ってた、母親から酷いことを言われて家出したって子?」
「はい。明日、ちょっと顔を出してみます。待ってもらってすみません。行きましょうか」
田畠さんに謝って歩き出すと、隣を歩く田畠さんが俺の方をじっと見る。
「多野くんって、不思議な人だよね」
「え?」
「多野くんからは全然下心を感じないから。大学の頃にも色んな男の人と話したけど、優しくしてくれる人はみんな下心を感じたの。もちろん、女の人を軽く見るような人も居たけど、そうじゃない人も居た。そういう人は下心はあったけど真面目で良い人だった。でも、多野くんからは全然下心を感じない」
「普通じゃないですか? 女性と接する男が全員女性に対して下心を持ってる訳じゃないと思いますよ。多分、田畠さんはモテそうだから、話をした男の人達は、田畠さんのことが気になってたんじゃないですかね?」
女性と話すことに気を遣う人は居るが、女性と話す時に全員が全員下心を持つ訳じゃない。俺は希さん達と話す時は、普通に友達として何の気兼ねもなく話をする。同じ女性でも田畠さんのような目上の人達には、失礼がないようにいつも以上に気を遣う。俺が気を遣わず下心を持って話が出来るのは凛恋だけだ。
「なんだろうな……。言葉で表現するのがちょっと難しいんだけど、多野くんは人に優しくする時に凄く自然すぎるくらい自然だなって。下手したら自分が優しくされてることにも気付けない時がある。特に仕事のことは、私が気付かないうちにフォローされてて。気付くのは、多野くんにこれやっておきましたって言われてからか、誰かに多野くんがやってたって言われてから。いつもその度にもっとしっかりしないとって反省してる」
「すみません。そういうつもりではやってなかったんですけど」
「ううん。やってもらうことは凄く助かるけど、古跡さんが言ってたみたいに私の方が年上なんだから、もっとしっかりしないといけないって身が引き締まるっていうか。まだ、多野くんに助けてもらうことばっかりだけど」
恥ずかしそうにはにかんだ田畠さんは、後ろに手を組んで軽く首を傾げて俺の顔を覗き込む。
「多野くんは優しいし凄く頼りになるから、お友達の高校生も多野くんに甘えちゃうのかもね」
「色んな人に、俺は人に優しくし過ぎてるって言われるから、気を付けないといけないのかなとも思うんですけど」
今、夏美ちゃんが分離不安障害という辛い状況にあるのは、俺が安易に夏美ちゃんに関わったからだ。だから、俺はもっと人と関わる時の距離感や態度を考えないといけないと思っている。
「私は、多野くんはそのままが良いな。優しくて頼りになって仕事が出来る、可愛い年下の男の子の多野くんで良いと思う」
「そうですか?」
「うん。私は、人に優しく出来ることは否定されることじゃないと思うから。もちろん、それで多野くんが追い込まれちゃうなら、多野くんにとって良くないことだけど。それは多野くんが優しくしてくれることに甘えている方に問題があることだと思う。だから、多野くんは何も悪くないよ」
「ありがとうございます」
俺は、夏美ちゃんのことで俺が一〇〇パーセント悪くないとは思わない。割合がどのくらいかは言い切れないが、確実に俺に非があると思っている。でも、田畠さんが優しく言ってくれた言葉は嬉しくてありがたかった。
帰りに凛恋へお土産のコンビニスイーツを買って家に帰り着くと、既に寝巻き姿の凛恋が玄関に駆けてきて俺をギュッと抱き締めた。
「凡人おかえりっ!」
「凛恋、ただいま。お土産のプリンを買ってきた」
「気を遣わなくて良かったのに。でも、ありがと」
頬にキスをしてくれた凛恋が俺の鞄を受け取って背中を風呂場に向かって押す。
「お風呂の準備も着替えの準備もしてるからゆっくり入って来て」
「ありがとう」
凛恋に促されて風呂に入り、風呂から上がってすぐに凛恋の隣に座ってテレビを見る。すると、俺が隣に座った瞬間に凛恋は俺の腕を抱き、俺の首筋に鼻を当ててクンクンと臭いを嗅ぎ始めた。
「凡人、明日どこかにデートしようか。観たい映画があるの」
自分のスマートフォンを出して凛恋が俺に映画の公式サイトを見せる。どうやら、恋愛系の映画らしい。でも、俺はその凛恋の顔を見て、心にチクッと棘が刺さるのを感じた。
「凛恋、ごめん。今日帰って来る時に、夏美ちゃんから電話があって。また精神的に不安定になってるみたいで、明日ちょっと顔を出そうと思ってるんだ」
「えっ……また、行くの?」
「前に行った時から一ヶ月くらいは空いてる。前ほどそんなに頻繁に不安になってる訳じゃないから、夏美ちゃんの分離不安障害も改善されてるとは思うんだけど」
「…………」
凛恋が露骨に落ち込んで俯いてしまう。
凛恋は夏美ちゃんのことが好きではない。それは、夏美ちゃんが俺に対して分離不安障害のせいで好意を持っているからだ。
凛恋の気持ちは痛いほど分かる。自分の恋人が、自分の恋人を好きだと思っている異性に会いに行くのは辛い。俺だって、凛恋がロニー王子に会いに行こうとしたら辛いし止めたくなる。でも……俺には夏美ちゃんを分離不安障害という状況に追い込んだ責任がある。
俺は弱い人間だ。社会を変える力もないし、夏美ちゃんを救うことも俺一人では出来ない。だけど、カウンセラーの植草さんや施設の職員の人達と力を合わせれば、夏美ちゃんの分離不安障害もきっと改善出来ると思う。そのために、俺が出来ることが夏美ちゃんに会って元気付けることなら、俺はそれをやらなければいけないと思う。
「夏美ちゃんが分離不安障害になってるのは俺のせいなんだ。俺が安易に夏美ちゃんの問題に関わったせいで、夏美ちゃんの問題をより深刻化させてしまった。でも、今は植草さんと施設の人達のお陰で、夏美ちゃんの分離不安障害も改善出来てきている。だけど、俺の責任で起こしてしまったことだから、俺に出来ることがあるならやらなきゃいけないと思う。それが、ただ会って話をすることだけでも」
「…………やだ。行かないで」
いつもなら、凛恋は悲しい表情をしても仕方ないと諦めてくれていた。でも、今日はそうならなかった。そんな凛恋を見て、もう凛恋の優しさに甘えられる状況ではなくなったのだと悟る。
「もう我慢出来ない。凡人が夏美ちゃんと会うの、ずっと嫌だった。凡人は私の凡人じゃん。私の彼氏じゃん。なのに……夏美ちゃんは凡人のことが好きで、凡人のことを私から盗ろうとしてる。凡人が私以外の子を好きにならないって信じてても、私は夏美ちゃんが凡人を私から盗ろうってすることが嫌なの。だから…………」
「分かった。じゃあ、明日夏美ちゃんに電話して行けなくなったって話す」
涙目で訴える凛恋の肩に左手を置いて、右手で凛恋の頭を優しく撫でながら俺はそう決心した。
いつか訪れると思っていた選択肢だ。そして、いつか訪れると思っていた時から答えは用意していた。だから、俺はその用意していた答えに従うだけだ。
凛恋と夏美ちゃん。人としての価値はどっちも同じだ。でも、俺の中でどちらを優先するかなら、当然凛恋を優先するに決まっている。
「凡人…………ありがと」
俺の答えを聞いた凛恋は、目から涙を溢して俺の胸に顔を埋めながら抱き締める。
「もう夏美ちゃんと会わないよ。でも、最後に一度だけ夏美ちゃんと話をする機会を作って良いか? 流石に、何も言わずに音信不通になるのはダメだから」
「うん。私もそこまで凡人にさせようとは思ってない。でも……ごめんね、凡人が夏美ちゃんにもう会わないって言ってくれて凄く嬉しい」
俺のシャツの背中を掴んだ凛恋は、顔を上げて赤くなった目で見上げながらゆっくりと首筋に唇を付ける。
軽く音を立てて俺の首筋をついばむ凛恋は、俺の両肩を押して床に押し倒し覆い被さる。
「自分でも……自分が最低なことを言ってるのは分かってるの。優しい凡人に夏美ちゃんを見捨てさせるようなことをさせてるのは、凡人の彼女として最低だって分かってるの。……でも、ごめんね……もう耐えられない」
「凛恋が謝ることなんて何もない」
凛恋の背中に手を回して抱き締めながら、俺は首を横に振って凛恋の言葉を否定する。
夏美ちゃんのことは全部俺が悪い。全部、後先考えずに行動した俺が悪いんだ。凛恋は、そんな俺の後先考えない行動のせいで傷付いた側で、俺に謝ることなんて何一つもない。
明日、夏美ちゃんには電話で謝ろう。それで、次に会う約束をする。そして、その次に会った時に、ちゃんと夏美ちゃんに話してこよう。俺が居なくても夏美ちゃんはちゃんと前を向いて歩ける強さを持っていると。それで夏美ちゃんが納得してくれるかは分からない。でも、俺はそれでも夏美ちゃんに話して納得してもらわなければいけない。
それが、俺の責任だから。
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