【二四三《築き上げた絆か、生まれ持った力か》】:二

 少年サッカーの試合を見てから、凛恋の希望で俺達は繁華街にある個室居酒屋に行って夕食を食べた。

 居酒屋で酒の入った凛恋は、明るく楽しく話をし、時折新幹線で出会った迷惑な客の愚痴を挟んだ。その、楽しい話だけではなく毒づく凛恋も、俺の大好きな凛恋らしい姿だった。


 居酒屋を出る頃には、良い感じに可愛く酔った凛恋が俺にベタベタとくっついて甘え、火照った凛恋の体温が服越しに伝わる。


 凛恋が俺を今日連れて行った場所は、昨日ロニー王子とデートしたコースと同じだった。美術館にカフェ、サッカー観戦に食事。サッカーはスタジアムで行われる大規模なものではなかったし、食事もロニー王子が連れて行くような高いレストランではなく、よく行く個室の居酒屋だ。でも、そのコースを選んだことに凛恋がロニー王子とデートしたことを気にしているのが分かった。


「さて、帰るか」


 食事が終わればデートも終わり。そう思って駅に向かって歩き出そうとすると、突っ立つ凛恋が俺の手を引っ張って引き止める。


「まだ行くとこあるし!」

「え? でも、夕飯食べたら終わりじゃないのか?」


 俺を引き止めた凛恋が駅とは反対方向に歩き出し、俺は凛恋に付いて行きながら凛恋の横顔を見る。


「ロニー王子のことを気にして、今日デートしてくれたんだろ?」

「そうよ。ロニー王子とデートしたことを凡人に上書きしてもらうために同じデートコースでデートしたの。でも、当たり前だけどやっぱり凡人と一緒の方がチョー楽しい。ロニー王子って、ずっと冷めてるっていうか、終始上から目線のくせに無難なことしか言わなくて全然楽しくなかったし」


 凛恋のロニー王子を否定する言葉。そして、ロニー王子よりも俺が優れているという言葉。俺はその言葉が、単純で最低にも嬉しくて堪らなかった。


「それに、凡人に上書きしてもらうなら行くとこあるでしょ?」


 繁華街を抜けて淡いネオンの光に包まれるホテル街に入った凛恋は、財布から取り出した一枚のカードを俺に見せる。そのカードは、ラブホテルの会員カードだった。

 凛恋と行くラブホテルの場所はほぼ固定されている。家の近くか、今居るホテル街のホテルかだ。だから、行くところが固定されているなら、会員カードを作った方がお得だと言って凛恋が作ったのだ。


 会員カードは利用回数毎にポイントが貯まり、そのポイントが一定数を越えると利用料金が割り引かれるというシステムになっている。ちなみに、今の俺と凛恋は割引率が最大のポイント数に達している。誇るようなことではないが。


「大好きな彼氏とデートの後なら、行って当たり前の場所でしょ?」


 凛恋が平然とそう言って、いつも行くホテルに入っていつも通りに手続きを済ませて部屋まで俺を連れて歩いて行く。

 大好きな彼氏となら当たり前の場所。その言葉を、俺は勝手に『大好きな彼氏と以外では絶対に行かない場所』と脳内変換した。


 今日、凛恋はロニー王子と同じデートコースを俺となぞった。でも、最後はロニー王子とは行かなかった、俺以外の男とは絶対に行かない場所へ行った。それが堪らなく嬉しい。それで喜ぶ自分が単純で下品なやつだと思われたとしても、そんなことどうでも良いと思えるくらい幸せで仕方なかった。


 ロニー王子と俺を客観的に人間としての価値で比べたら、ロニー王子が圧倒的に高い。でも、凛恋にとってはそんなことが関係ないと撥(は)ね退けてしまうくらいの愛がある。

 それを今感じたことで、俺の心の中にある不安と恐怖が綺麗に消え去った。




 凛恋とデートした次の日。俺はスマートフォンの着信で目を覚ます。

 目を開くといつもの俺と凛恋の部屋ではない、ラブホテルの部屋の内装が見える。そして、隣ではスヤスヤと可愛い寝顔で寝ている凛恋の顔が見えていた。


「…………」


 ベッドから抜け出してテーブルに置いたスマートフォンを見ると、振動で耳障りな音をテーブルの上で立てながら、ロニー王子からの着信を知らせていた。

 テーブルの上からスマートフォンを手に取って、一度凛恋の方を見て起きていないことを確認してから俺はロニー王子の電話に出た。


「もしもし」

『多野さん、おはようございます』

「朝からなんですか?」

『凛恋さんとのデートは楽しかったですか?』


 俺は電話の向こうから聞こえる、寝起きには最悪の爽やかな声に、ソファーへ腰を下ろしながら小さくため息を吐く。


「人の行動を監視するのはやめてもらえませんか? 俺も"凛恋"も迷惑してます」

『ですが、川辺でやっているアマチュアのサッカーは面白かったですか?』

「小学生が楽しそうに一生懸命ボールを追い掛けてましたよ」

『私は凛恋さんとスタジアムのVIP席でゆっくり試合を楽しみましたよ』

「そうですか」

『それに、試合の後には居酒屋よりも凛恋さんに相応しいレストランで、凛恋さんに相応しい食事をしました。凛恋さんも大変喜んでくれましたよ』

「そうですか。それをわざわざ言うために電話して来たんですか?」


 ロニー王子が俺に対して大した用事がある訳がない。あるとすれば、凛恋と会わせろとか、今のように俺がロニー王子より凛恋に相応しくないと言ってくるくらいしかない。


『いえ、そういう訳ではありません。昨日、両親と電話をしまして、日本の友人と楽しくしていますと話をしました』

「その友人に俺は入ってるんですか?」

『多野さん、それは愚問ですよ。私は私に敬意を払って下さる方なら誰でも友人だと思っています』


 敬意を払っている相手なら友達だと思っているのなら、俺は友達には入っていないのだろう。


『それと、素敵な女性に出会い、その女性と将来を考えていると話をしました』


 ロニー王子の言葉に、俺は明確な怒りを持ってスマートフォンを握る手に力が籠もる。


「頭の中で勝手に妄想を膨らませるのはロニー王子の自由ですけど、そんな嘘を国王に言って――」

『嘘から出たまことということわざがありますよね』

「嘘つきは泥棒のはじまりってことわざもありますけど」

『有言実行をすれば嘘ではなくなります』

「凛恋は渡さない」

『凛恋さんは誰のものでもありませんよ。もちろん、多野さんのものでもありません』

「凛恋は望んでない」

『今求めていること、思い描いていることが全て正しく幸せな結末であるとは限りません。そこに至ってから、それが最良で最善だったと気付くこともあります』

「今の幸せを作れない男が、未来まで幸せに出来る訳がない」

『今すぐに凛恋さんを私に任せて下さるのならすぐにでも幸せにしますよ』

「金や権力じゃ、人は幸せにならない」

『もちろん分かっていますよ。でも、幸せを作るための土台である安心と安全はお金と権力で手に入れられます。そのしっかりとした土台を作れれば、時間を掛けて心を解くだけです』


 自信に満ち溢れたロニー王子の言葉に、俺は何度も言葉を重ねてその自信を崩そうとする。でも、ロニー王子は一切その自信を崩すことなく爽やかな声のままだった。


『凛恋さんと二人きりでデートして改めて思いました。凛恋さんは今まで出会ってきたどんな女性よりも素敵な方だと。見た目の美しさだけではありません。凛恋さんは私を王子という色眼鏡で見ない。もちろん、私の立場に臆させてしまってはいます。ですが、私がフォリア王国の第一王子だからと近付いてくる女性ではない』

「それは単純にあなたという人間に関心がないだけです」

『美術館でもカフェでもスタジアムでも、それにレストランでも、凛恋さんは私の話を熱心に聞いてくれました。淑やかな日本人女性らしい日本人女性です』


 俺はそのロニー王子の言葉を聞いて、ロニー王子が何も凛恋について分かっていないことが堪らなく可笑しくて、堪らなく嬉しかった。

 凛恋は、物静かで上品さがあるという意味では、淑やかな性格ではない。凛恋は明るさと優しさの中に人間らしい冷たさのある子だ。


 嫌いな人は当然嫌いだと内面では口にするし、嫌いな人の愚痴を並べてストレスを解消する、人としてなら誰しもが持っている内面をちゃんと持っている子だ。でも、ロニー王子は凛恋が持っている非の打ち所のない魅力的な外面だけしか見えていない。


 俺は凛恋の完璧な外面から凛恋に出会った。でも、俺が好きになった凛恋は、そんな外面だけじゃなく、友達として信頼し、誰にも見せるものじゃない内面の凛恋もだった。

 嫌いなやつのことは心底嫌ってこき下ろすし、部屋でだらけている時はパンツが見えてもお構いなしに寝転がる。怒ると、それはもう眉をひそめてしまう罵詈雑言をこれでもかと並び立てる。でも、俺はそんな人間らしい内面を見せてくれた凛恋を好きになった。そんな凛恋と結ばれたいと思えた。

 その凛恋との絆があるのは俺だけだ。


『今日、今から私もそちらに戻る予定です。またお会いすることになると思います。では、失礼します』


 電話の切れたスマートフォンをテーブルの上に置いて、俺はソファーから立ち上がりベッドの中に戻る。そして、目の前に見える凛恋の寝顔に心が癒やされた。

 安心し切って隙だらけの凛恋を見ていて、思わず凛恋の髪を指に絡めて撫でてしまう。


「凛恋の髪、いつ触っても柔らかくて気持ちが良いな……」

「だって、凡人にいつ触ってもらっても良いようにケアしてるし」


 目を瞑ったままの凛恋が口をニヤッと笑わせて言う。そして、俺の頬を撫でながら、凛恋が真剣な眼差しを俺に向けた。


「ロニー王子と一緒に居る時、ずっと凡人のこと考えてた」

「凛恋、もうこの前のことはもう怒ってないよ」

「ごめん……やっぱりそう聞こえちゃうよね。でも、本当なの。ずっと凡人に会いたかった」


 ベッドに横になっている凛恋の目から涙が零れ落ち、その涙を見た瞬間、凛恋を強く抱き締める。


「怖かった……ずっと……最後はホテルに連れて行かれるんじゃないかって不安で……早く帰りたかった。早く帰って早くこっちに来て凡人に会いたかった」

「凛恋……ごめん」

「ロニー王子のパーティーになんて行きたくない……」

「行かせたくない」


 俺の体を凛恋が俺よりも強く抱き締め返すのを感じながら、その力よりも強く俺もまた抱き締め返す。

 行かせたくない。でも、ロニー王子がお父さんの会社にまで手を回したせいで、俺と凛恋では拒否出来ないレベルの話になっている。

 権力や財力も持って生まれることは罪じゃない。でも、その権力や財力を使うことにはそれ相応の責任が伴う。それに、権力や財力でどうにか出来る問題だからと言って、なんでもしていい訳じゃない。


「私、凡人だけに好かれたい。他の男の人には全員に嫌われたい。……そしたら、こんな思いをしなくて良いのに。……凡人に心配掛けなくて良いのに」

「凛恋は何も悪くない。それに、誰がなんと言おうと俺は凛恋が好きで、凛恋は俺が好きだ」

「うん……私が好きなのは凡人だけ。絶対に、凡人以外を好きになんてならない」


 凛恋がすがるように重ねた唇を受け止め、俺はキスをしながら好きという気持ちの糸を紡ぎ、その糸から愛情の布を織って凛恋の心を包み込む。そして俺はそれで安心せず、凛恋を守るという責任のリボンで凛恋の心を包み込む布の口を優しく綴じた。

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