【二四二《強者でも恋愛と戦争で手段を選ばない》】二
次の日、俺のスマートフォンが朝から鳴った。その電話に、俺は八戸家の二階の廊下で壁に背中を付けて出た。
「もしもし?」
『塔成大学文学部三年の多野凡人さんでお間違いないでしょうか?』
「はい。そうです」
『私は塔成大学教務課の者です。多野凡人さんに大切なお話があってお電話しました』
「大切な話?」
大学の教務課から直接電話が来るなんて珍しい。それに、今は夏休み中だ。大学側が俺に何か用事があるとは思えない。
『全学生の成績を調べていたところ、多野凡人さんの単位が足りないことが判明しました』
「はい? そんなはずはありません。必須科目の単位は取れているはずです」
『いえ、学期末テストの成績が良くありません』
「いや、でもテスト後にテストの成績で単位を落としたなんて言われませんでした」
『こちらで採点ミスがあり、再確認をしたところ多野さんの単位が足りないことが判明したんです。ですが、採点ミスは大学側のミスですので、多野さんには夏休みに行われる明日以降の補講全てを受講していただくことで、単位を差し上げることになりました』
「補講の全て……」
俺は教務課の職員の言葉に、夏休み前に見た補講の日程表をうっすらと頭の中に思い出す。俺は補講を受ける必要がないと思ってしっかり見ていなかったが、確か夏休み期間中に飛び飛びではあったが何度か補講が入っていた。でも、それは夏休み期間に満遍なくばらついていて、全て受けるとなると補講の機関だけ戻る訳に行かず、夏休み期間中ずっと戻らなければならない。
「テスト結果の開示をしてもらえませんか?」
俺は電話の向こうに居る教務課の職員にそう尋ねる。
テスト全てを満点だったとは思えない。でも、単位を落とすほど悪い点を取っていたとも思えない。絶対に合格ラインを越えた点数を取っていた自信がある。だから、ちゃんと自分の目で俺の結果を確認したかった。
『申し訳ありませんが、学生に対して個別に成績開示はしていません』
「はあっ!? そっちの採点ミスで単位を落としてるって言うのに、成績開示をしないってどういうことだよっ!」
思わず、教務課の職員の言葉に声を荒らげてしまう。自分達のミスで単位を落としていたと言っているのに、それを学生本人に確認させないなんて、あまりにも大学側の都合の良い話だ。
『お話は以上です。出来れば補講を受けて頂きたいですが、それが出来なければ、残念ながら留年ということになります。それでは、失礼します』
「ちょっ!」
一方的に電話を切られ、通話終了の文字が表示されているスマートフォンの画面を見下ろす。
「凡人? どう、したの?」
凛恋が部屋から出てきて、すぐに俺の腰に手を回して抱き付きながら不安そうに首を傾げる。俺が声を荒らげたせいで凛恋に心配を掛けてしまったらしい。
「……大学から電話があった。採点ミスがあって俺が単位を落としてるって。でも、明日以降にある補講を全部受けたら単位をくれるって言ってた」
「え? でも、凡人がテストで単位を落とす訳ないじゃん! もし採点ミスがあったとしても、凡人がテストで単位を落とすなら、塔成大の人達の大半が補講を受けないといけなくなる」
「俺もテストの成績には自信があったんだ。だから、教務課に成績を開示してくれって言ったんだけど、それは出来ないって」
「それ、絶対におかしいじゃんッ!」
「大学側がおかしなことを言っているのは分かる。でも、とりあえず戻って補講は受けておかないと。もしこっちの主張を聞き入れてもらえなかった時、俺は留年になる」
凛恋の言う通り状況はおかしい。でも、明らかに不可解だからと言って大学側の話を無視して、それで最悪の結果になったら目も当てられない。だから、今はとりあえず大学に戻って明日から補講を受ける必要がある。
「今から新幹線に乗って戻る。凛恋は――」
「私も一緒に行く」
「凛恋は戻る必要なんてないんだから、戻らなくて良いだろ。それに、みんなと遊ぶ予定もあるんだろ? 今日は女子会だって――」
「いや! 凡人と一緒に居る! それに、凡人を一人にしたら絶対にコンビニのお弁当とかパンでご飯を済ませるでしょ。そんなの絶対にダメ」
激しく首を振る凛恋は、俺の腰にしがみついて両頬を膨らませる。
「凡人は私と一緒に居たくないの?」
「居たいに決まってるだろ」
「じゃあ、私も戻って良いじゃん」
「でも、せっかくの夏休みなのに」
「せっかくの夏休みに凡人と離れ離れの方があり得ないし! 良いの。みんなとはキャンプも行けたし飲み会もカラオケも行けたから」
ニィーっと笑う凛恋は、俺の腰から手を離して肩に置き、背伸びをしてキスをしてくれた。
「ママに話してくる。もちろん、バカ塔成大の手違いだってちゃんと言っておくから。まあ、ママも凡人がテストの点数が足りなかったなんて絶対に信じないだろうけど。てか、凡人のこと知ってる人ならそんなの絶対に信じる訳ないし」
「ありがとう。凛恋」
明るい笑顔を向けてくれる凛恋の腰に手を回して、俺はゆっくり凛恋の唇へ自分の唇を近付ける。すると、凛恋がゆっくり目を閉じる。そして、唇に凛恋の唇の隙間から漏れ出た吐息が触れ、寸前に凛恋の唇の気配を感じた瞬間、八戸家のインターホンが鳴った。
「こら、キス止めない」
「ごめん、つい」
動きを止めた俺に、目を閉じていた凛恋がクスッと笑って俺の首を抱き寄せる。そして、もう一度目を閉じた。
俺は再び凛恋の唇を奪おうと顔を近付ける。すると、誰かが階段を駆け上がって来る音が聞こえる。でも、八戸家で階段を駆け上がってくるのは凛恋以外だと優愛ちゃんしか居ない。
「お姉ちゃん! 大変っ!」
「何かあったの?」
「ロニー王子が来てる!」
「えっ?」
俺の首に手を回したまま、凛恋は驚いた表情をする。その凛恋の腰から手を外し、俺は凛恋から離れて優愛ちゃんの横を抜けて階段を下りる。すると、玄関先に立っているお母さんの背中が見えた。
「初めまして。凛恋さんのお母様ですね。私は凛恋さんの友人のロニー・コーフィー・ラジャンと言います」
「凛恋の母です」
「これは、突然お邪魔してしまったお詫びです。どうか受け取ってください」
「ありがとうございます」
俺はそのやりとりを見て、お母さんが一瞬だけロニー王子の後ろに顔を向けたのが頭の動きで分かった。お母さんの性格上、いきなり現れた人からの贈り物なんて無条件で受け取る訳がない。多分、後ろに控えているボディーガードの威圧感に受け取らざるを得ないと思ったのだろう。
「多野さん? どうして八戸さんの家に?」
「凛恋は俺の恋人です。恋人の家に居るのに理由が必要でしょうか」
「凡人くん?」
俺がロニー王子の前に歩み出ると、隣からお母さんの戸惑った声が聞こえる。しかし、俺はそれよりも目の前のロニー王子に意識を向ける。
「ロニー王子……どうして、ここが?」
後ろから、凛恋の戸惑った声が聞こえる。その凛恋の方を見たロニー王子は、爽やかな笑顔を浮かべて頭を下げた。
「驚かせてすみません。連絡をしても繋がらないので、会いに来てしまいました。良かったら、これから一緒に出掛けませんか? 凛恋さんに街を案内してほしいんです。こっちに案内してもらえる友人は凛恋さんしか居なくて」
「凛恋、お母さんにさっきの話をしておいてくれ」
「う、うん。ママ、少し話があるの」
「えっ? でも」
凛恋に手を引かれたお母さんは、戸惑った表情で凛恋と俺、そしてロニー王子を見る。そんなお母さんに、ロニー王子は変わらぬ爽やかな笑顔を向けた。
「お母様、私のことは大丈夫です。ですが、この後凛恋さんと出掛けるので、それは――」
「その前に俺と話すことがあるだろ」
俺越しに凛恋を連れ出す約束を取り付けようとしたロニー王子に、俺は今までかつてないほど強い語調でロニー王子の言葉を遮る。今まではなんとか表面上は敬意を持っているように接することが出来たが、もう無理だ。
「君、ロニー第一王子に失礼だろう」
この前会った外務省の職員が俺に鋭い視線と非難を向ける。しかし、ロニー王子が振り返らずに手でそれを制した。
「大丈夫です。私は全く気にしていませんから」
そう言って俺に笑いかけたロニー王子は、時計を見て首を傾げる。
「大丈夫ですか? 今の時期の日本は、新幹線のチケットを取るのは難しいと聞きます。急いで取りに行かないと、明日大学に行けなくなってしまいますよ」
「そこまでするか」
ロニー王子の余裕たっぷりの言葉に、俺は怒りを見せながらも拳でぶん殴りたい衝動を抑える。隠す気はないようだ。自分が持っている権力を使って、塔成大を動かしたと。
「多野さんが、私と凛恋さんが会おうとするのを邪魔するからです。連絡も取らせてもらえなくされては、こっちも強気に出るしかありません」
「俺の成績を改ざんして俺だけを大学に戻して、その間に凛恋と会う気だったのか?」
「多野さんが居ると、凛恋さんとまともに話も出来ませんから。仕方がなかったんです」
「仕方がなかったで、人の人生を左右させる問題を自分の都合で起こすのか。それが、一国の王子のやることか」
「多野さんくらい優秀な人なら、一年の留年くらい苦にならないでしょう。それに、必要な時には冷淡になることは上に立つ人間には必要なことです」
「俺もそう思う。ただ、それは国とか組織全体の利益のためだ。あんたは自分の欲のためにしか動いてない」
「そんなことはありません。もちろん、私が凛恋さんともっと親しくなりたいという気持ちもありますが、凛恋さんと私が親しくなって結婚することになれば、フォリア王国繁栄のためになります」
「――ッ!」
一気に沸点に達した怒りでロニー王子に詰め寄ろうとする。しかし、素早く前に出てきたボディーガードに思いっ切り突き飛ばされた。
「自分が何言ってるのか分かってるのか? 凛恋の恋人の俺の目の前で、お前と凛恋が結婚? そんな失礼な話があるか」
「それだけ真剣に凛恋さんのことを思っているということです。言葉遣いや礼儀が分かっていない多野さんよりも、凛恋さんは私と一緒になった方が幸せだと言ってるんです」
金色の髪を手ですいたロニー王子は、俺に紙を一枚差し出す。
「さっき調べたところ、新幹線の空きはありませんでした。夜行バスとフェリーでは明日の補講に間に合いません。ですが、飛行機は一席残っていました。ですので、誰かに取られてしまう前に取っておきましたよ? ただ、困ったことに今から一時間後の飛行機です。すぐに空港へ出ないと間に合いません」
ニッコリ笑ったロニー王子が言葉を言い終えた瞬間、後ろで激しくドアが開く音が聞こえる。
「凡人ッ! 今調べたら新幹線も飛行機も全部満席になってる! ママがフェリーと高速バスじゃ明日に間に合わないって! どうしよう! 明日の補講に出ないと――」
「こんにちは、凛恋さん。今、多野さんとも話していたのですが、実は私のボディーガードの一人が大使館に戻る用があって飛行機のチケットを取っていたんです。ですが、多野さんは明日の補講に出ないといけないんですよね? ただ、あと一時間後発のチケットで、少し多野さんを急がせてしまいますが」
手に持った航空券を凛恋に見せるロニー王子の顔からは、一切の邪気を感じない。それが、心底ロニー王子という人間の恐ろしさを感じさせた。こうも、人は感情を冷徹にコントロール出来るものだろうか。
「……あの、ロニー王子。そのチケットを――」
「私に街を案内してくれませんか? 多野さんが戻られると、凛恋さんもお一人になってしまうでしょう?」
「街を案内したら、チケットを譲ってくれますか?」
「もちろん。凛恋さんの頼みなら喜んでお譲りしますよ」
ロニー王子は、凛恋の返答を聞く前に航空券を凛恋に手渡す。そして、軽くウインクをした。
「それと、今日はゆっくり回りたいので二人きりが良いのですが? どうですか?」
「ダ――」「分かりました」
俺が凛恋の持った航空券を奪って破り捨てようとした。でも、俺の手を、航空券を持った凛恋の手が躱す。そして、ロニー王子の申し出を受けた。
「良かった。多野さん、急がないともう一時間を切っています。空港までお送りしましょうか?」
凛恋に明るく笑いかけたロニー王子は笑顔のまま、俺に空港へ行くように促す。それに、俺は拒否しようとした。しかし、凛恋が俺の体を向けさせてキスをした。
「明日、絶対に行くから」
「凛恋……」
「大丈夫。分かってるから」
凛恋は俺の左手の薬指にはめたペアリングに触れてそう言う。そして、ロニー王子の方を向いた。
「凡人を空港まで送ってもらえますか?」
「分かりました。外に車を停めてあります」
そう言って、凛恋をエスコートするために差し出したロニー王子の手を、凛恋は無視して俺の手を引いて玄関から外へ出た。
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