【二四〇《平然と妄動的な幸せに溺れる》】:二
爺ちゃんは湯呑みを置いて俺に首を傾げる。だが、俺に聞かれても困る。
俺はロニー王子のことを、フォリア王国の第一王子で、顔が良くてスポーツも出来て頭も良くて、それで女性には紳士的で、凛恋のことを好きだということしか知らない。ロニー王子が今まで何をしてきたのか――爺ちゃんの欲しい答えで言えば、ロニー王子が何か日本とフォリア王国のためにしたという話は知らない。
「まあ、日本に留学に来ることで貢献してるんじゃないか? 友好関係のない国に王子を任せるなんてしないだろうし、ロニー王子が留学してくるってだけで日本とフォリア王国に友好関係があるって言えると思うけど」
「今のご時世、留学なんぞ誰でも出来るだろ」
「いや、だから……まあいっか」
なんだかムスッとしている爺ちゃんに言葉を重ねようとしたが、今の爺ちゃんに何を話しても水掛け論にしかならなそうだった。だから、俺からその話題を終わらせることにした。
一般人の留学と王族の留学は丸っきり違う。それを同列に話そうとしている時点で、その話は破綻している。どう足掻いても並べられる事柄じゃない。
爺ちゃんはテレビのチャンネルを変えて、別のニュース番組を見始める。それを見て、俺は立ち上がって自分の部屋に行った。
部屋に入って、俺はベッドの上ですやすやと寝息を立てている凛恋の顔を見た。
爺ちゃんは、俺の夜更かしや朝起きるのが遅いとガミガミ言うのに、凛恋に対しては激甘で何も言わない。でも、凛恋が俺より起きるのが遅いのは珍しい。
凛恋の頭を撫でて汗ばんでいないのは確認したが、日が昇って暑くなるだろうからエアコンの設定温度を落とす。
理緒さんも栞姉ちゃんも、凛恋に非があるようなことを言っていた。もちろん、凛恋が俺のことを忘れたのは凛恋に非があると思う。それに、栞姉ちゃんは俺の中でその話が終わっていないと言っていた。でも、俺の中で終わっていないのは、ロニー王子が凛恋を好きだということだ。
俺と凛恋はあまり喧嘩らしい喧嘩をしたことがない。今回のことも喧嘩というより、俺が一方的にショックを受けただけだった。喧嘩をしないとお互いの本音がぶつからないから良くないとも言える。でも、俺と凛恋は日頃からお互いに何でも話しているのだ。ただ、全ての想いを包み隠さず話さないなんて無理だ。
きっと、凛恋は俺が空条さん達と凛恋の居ない飲み会に行くことを良いと思っていないと思う。たとえ、ちゃんと行く前に誰が参加する飲み会に行くと凛恋に言ったとしても、嫌な気持ちを全て消せる訳じゃない。
俺も凛恋が男の居る飲み会に行くと言い出したら、嫌な気持ちにはなると思う。でも、ちゃんと凛恋が言ってくれたら、それで俺は送り出せると思う。ちゃんと言ってくれるということは、凛恋に何もやましいことがないということだからだ。でも、それでも、やっぱり想像して嫌な気持ちがゼロになることはない。だけど、その本音はお互いに口にしない。
全ての本音をぶつけ合うことだけが、信頼関係の強さじゃない。時には想いを飲み込んで、信じて相手に任せることも信頼関係の強さだ。でも、俺はそれが出来なかった。
「凛恋、ごめんな……」
凛恋の頭を撫でながら、卑怯な俺は眠っている凛恋に謝る。
ロニー王子が凛恋を好きだと知って、そのロニー王子が開いたパーティーに凛恋が参加したと知って、俺は冷静になれなかった。情けないくらい酷く取り乱して、惨めなほどショックを受けて落ち込んだ。それは、俺が凛恋に任せるという強さを持っていなかったからだ。
凛恋は俺と同い年で、もうすぐ二一になる。だから、凛恋のお父さんお母さんでもない俺が過保護に凛恋を構おうとするのは良くないことなのだ。それが、凛恋の男性恐怖症の改善を遅らせている要因になっているのかもしれないと思う。でも……どうしてもダメなのだ。
頭に、凛恋が男に傷付けられて悲しむ顔が浮かんで、そんな顔をもう二度と凛恋にさせたくないと思う。俺は凛恋を傷付ける男を寄せ付けない男としての魅力はないし、男が寄り付いた時に撃退出来る強さもない。だから、俺には凛恋に対して過保護になって、自分の側から凛恋を片時も離さないことでしか凛恋を守れない。
もっと俺に男としての魅力や強さ、そして余裕があれば、こんな状況には陥っていない。今の過保護な俺では作れない、凛恋の笑顔を作れていたかもしれない。
「かず、と……?」
「ごめん、起こしちゃったな」
「――ッ!? ヤバっ! もうこんな時間っ!」
目を開いた凛恋が寝惚け眼で時計を確認して飛び起きる。そして、ベッドから慌てて下りようとした凛恋の肩を押さえてベッドの上に座らせる。
「焦らなくて良いって。夏休みなんだし」
「でも、もうお爺ちゃん達は起きてるでしょ? 私だけこんなに遅くまで寝てるなんてダメっ!」
「なんでだよ」
「だって、彼女の私が朝寝坊するなんて、凡人の立場が――」
「爺ちゃんは凛恋にはゆっくり寝てろって言うよ。それに、凛恋が俺より遅くまで寝てるってことは相当疲れてたんだろ? だったら、ちゃんと寝て疲れを取るべきだ」
凛恋の体を支えながら隣に座ると、凛恋は立ち上がろうとするのを止めて俺の腕に自分の腕を絡めて抱き付いた。
「凡人……」
「どうした?」
俺の名前を呼んだ凛恋は、俺の目を見るがすぐに視線を逸らす。その動きに、凛恋が何かを躊躇っているのを感じた。
「理緒と私、どっちが好き?」
「凛恋に決まってるだろ。理緒さんは親友として好きだけど、俺は凛恋を女性として世界で一番大好きなんだ。好きのレベルで言ったらダントツに凛恋が上に決まってる」
「良かった……」
その凛恋がホッと息を吐きながら安堵した声を発する。
「なんでそんなことを聞いたんだ?」
「だって……私より理緒の方が凡人のことを分かってる」
「そんなことない。凛恋の方が俺のことを分かってるって。俺がどんな料理が好みだとか、寝る時の体勢とか、風呂に入ってどこから体を洗うかとか、そういうのを理緒さんは知らない」
「そうじゃなくて……凡人がどんなことを思ってるかってこと」
凛恋はそう言って力なく首を振る。でも、俺は凛恋が気にしてることを分かりながら、わざと関係ないことを言った。だけど、凛恋はそんな小手先の答えで納得するような子じゃないのも分かっている。俺は、凛恋が放っている重々しい雰囲気を消し去りたかったのだ。
「俺も凛恋の全てを分かりたいと思う。だから、凛恋がそうやって悩む気持ちも分かる。もし、俺以外の男が俺よりも凛恋のことを分かってたら、俺はめちゃくちゃ落ち込んで立ち直れないと思う。俺が他の男に勝てるところって、そういうところしかないから」
「そんなことない! いつも言ってるけど、凡人は他の誰よりも凄く格好良くて優しくて素敵な私の彼氏だもんっ!」
「凛恋がそう言ってくれるのも分かってるし、それが凛恋の本心でお世辞じゃないのも分かってる。でも、これはもう俺の性格なんだよ。俺の心にどうしようもないくらい深くまで付いた錆なんだ。消そうと思っても消せないんだ」
凛恋に抱かれていない手で凛恋の頭を撫でると、凛恋は俺の胸に額を付けて身を任せる。俺は、凛恋の頭を撫でていた手を凛恋の背中に回して抱き寄せた。
「じゃあ、私は何度だって言う。凡人がどんなに格好良くて優しくて素敵な彼氏かってことを」
「ありがとう」
俺はありがとうの後に「ごめんな」を言いそうになった。でも、その「ごめんな」は言う必要の無い「ごめんな」だ。だから、言わずに凛恋の背中に回した手に力を込める。
「凡人。凡人は凄いんだよ。スーパーで買い物に行っても、絶対に私に荷物は持たせないし、私が届かないところにある商品をサッて取ってくれるの。それに、絶対に道路側を歩かせないし、レストランに行ってもずっと悩んでる私をニコニコ笑いながら待ってくれて、私が二種類で迷ってたら、いつも一個ずつ頼んで一緒に分けようかって言ってくれる。それに、バイトで疲れて帰ってきても、一緒に家事をやってくれるの。料理も洗濯も掃除も、全部一緒にやってくれる。それに、レディーナリーの編集部では編集さんにすっごい頼りにされてて、モデルの仕事で古跡さんとか帆仮さんに会うと、いっつも凡人が居るお陰で助かってる、凡人が居ないと大変だって言われるの。その度にめちゃくちゃ嬉しくて、私がそんな凄い凡人の彼女だってことが誇らしいって思う。それに……凡人は絶対に私のピンチに駆け付けてくれる王子様で騎士様なの。悪いやつらから私のことを守ってくれて、それで凡人が危ない目に遭うのは凄く悲しくて怖いけど、それでも凡人は凄く格好良くて強くて……」
言葉を重ねて、言葉を重ねながら俺の頭や頬を撫で、凛恋は丁寧に丁寧に俺の不安を取り除いてくれる。たとえ、俺がまた懲りもせず不安になることが分かり切っているとしても。
「それで……チョー、キスとエッチが上手い」
「だから、それは言わなくて良いって言っただろ? 結構面と向かって言われるのは恥ずかしいんだぞ?」
「ダメ。それも私の大好きな凡人の一部だもん。凡人にチューされて抱き締められたらどんなに嫌なことだって忘れさせてくれるの。だから、私はそんな凡人の全てが大好き」
「ありがとう。俺も凛恋の頭の天辺から足の先、心の隅々まで凛恋の全部が大好きだ」
抱き合って大好きを向け合う俺達は、ゆっくりと顔を近付けて唇を重ねようとする。でも、その俺達の唇が触れる寸前、テーブルの上に置いた凛恋のスマートフォンが震える。そのスマートフォンの画面には『ロニー王子』という文字が見えた。その文字を見た瞬間、温まっていた俺の心が一気に冷たくなってしまった。そして、その冷たくなった心を感じて、俺は自分自身が嫌になった。
名前を見ただけで、凛恋に電話を掛けてきたと認識しただけで、こんなにも意識して心を乱されてしまう。そんな、弱い自分が――。
「ンッ!?」
凛恋のスマートフォンに意識を向けていた俺は、凛恋の不意討ちのキスを受けて、そのまま凛恋にベッドの上に押し倒される。
「凛恋……電話がっ……」
凛恋が俺の首筋や鎖骨にキスをするのを感じながら、凛恋にそう声を掛ける。でも、凛恋は俺の鎖骨から唇を離して、俺の上に馬乗りになって上から俺の顔を見下ろし、親指で俺の唇をなぞる。
「やだ。もうスイッチ入っちゃったもん」
そう言った凛恋は、鳴り止まない自分のスマートフォンにムッとした目を向けたと思ったら、自分のスマートフォンの電源を切った。そして、隣に置いてある俺のスマートフォンの電源も切る。
「しつこ過ぎ」
俺はその凛恋が言った嫌悪に満ちた言葉に安心した。その言葉に安心した俺は、人として酷い心を持っていると思う。でも、俺は最低にも、凛恋がロニー王子に対して抱いた嫌悪と拒絶を嬉しく思った。
「私と凡人がいちゃいちゃする時間は誰にも邪魔させない。私が、一番幸せな時間なんだから」
「凛恋……」
再び凛恋の唇が重ねられ、凛恋の手が俺のシャツの裾から素肌を撫でる気持ち良い感触に目を閉じる。そして、俺も凛恋の素肌に触れるために凛恋のシャツの裾に手を伸ばした。
凛恋は俺の彼女だから、俺のことを世界で一番好きで居てくれるから、恋人でもないし好きでもないロニー王子の電話に応じなかった。凛恋がやったことは居留守で、人としては不誠実なことだと思う。しかも、相手は一国の王子なのだ。でも、それでも堪らなく嬉しい。凛恋に不誠実な行いをさせてしまったという罪悪感よりも、ロニー王子よりも俺を優先してくれたということに全身が震えるほどの幸せを感じる。
そして、その幸せに、俺はただ全身を沈めて溺れた。
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