【二四〇《平然と妄動的な幸せに溺れる》】:一

【平然と妄動的な幸せに溺れる】


 隣で眠る凛恋の姿を見ながら、俺は部屋を出る。そして、台所に向かって冷蔵庫から麦茶の入ったキーパーを出しコップに注いだ。

 時間は日付が変わった深夜。俺は昨日、みんなで行ったキャンプから帰って来て、凛恋はそのままうちに泊まった。


 キャンプ場から帰ってくる時の車内は静かだった。でも、それはみんなが眠っていたからという訳ではなく、雰囲気が冷たく鎮まっていたのだ。

 静かだった理由は、俺とロニー王子のせいだ。ロニー王子が素知らぬ顔で俺達の前に現れ、それに我慢出来なかった俺がみんなの楽しい雰囲気を壊した。


 凛恋は俺の一番の理解者だ。でも、ロニー王子に関してのことでは、理緒さんが俺のことを理解していた。俺が言ってほしいと思っていた言葉や、持ってほしいと思っていた、ロニー王子に対する嫌悪という共感を理緒さんは持っていた。


「カズくん?」

「あっ……栞姉ちゃん」


 台所でコップを片手に突っ立っていると、起きてきた栞姉ちゃんが俺と同じようにコップへ麦茶を注ぐ。そして、首を傾げて再び俺を見た。


「なんか、悩んで眠れないって顔してるね。ほら、お姉ちゃんに話してみて」

「…………実は」


 俺は栞姉ちゃんにロニー王子が凛恋を好きだと言ったことから、昨日の出来事までを出来るだけ主観を入れずに客観的に話した。その俺の話を聞き終えた栞姉ちゃんはコップの中の麦茶を飲み干して小さく息を吐いた。


「はぁ~……つまり、八戸さんよりも筑摩さんの方が良いかもって思ったってこと?」

「いや、そういう訳じゃなくて……」

「カズくんのは普通のとはちょっと違うと思うけど、それって多分、倦怠期だね。倦怠期になると相手の悪いところが余計に気になるから。でも、カズくんは八戸さんに対して無関心になってる訳でもないし会話が減ってる訳でもない。だから、倦怠期だと思うけど軽いやつかな~」


 ため息を吐いた栞姉ちゃんは、コップを流し台の上に置いて、流し台にお尻を付けて体重を掛ける。


「私もかなりズルい人間だと思うけど、筑摩さんも結構ズルい子だったんだね。カズくんの八戸さんに対する不満を狙い撃ちなんて。しかも、軽いとしても倦怠期にばっちり的確に突いてる」

「俺は凛恋に不満なんて持ってない」

「でも、八戸さんはカズくんの気持ちを理解出来なかったけど、筑摩さんはカズくんの言ってほしい言葉を全部言ってくれたって言ってたじゃない。それって、カズくんの求めてる言葉を言ってくれなかった八戸さんに不満があるからでしょ? でも、少なくともカズくんの話を聞いてると、カズくんのことを分かってるのは八戸さんじゃなくて筑摩さんだよね。それにやっぱり、八戸さんはカズくんに慣れ過ぎて雑になってる」


 俺を見た栞姉ちゃんは、またため息を吐いて腕を組む。


「カズくんは優し過ぎるからね。その優しさに安心して甘えたくなる気持ちも分かるよ。でも、流石に帰りが遅くなるって連絡をしないのはあり得ない」


 コップの中に入った麦茶の水面に視線を落とし、栞姉ちゃんの言葉に首を振った。


「凛恋が俺を忘れたことはショックだった。でも、凛恋の俺に対する気持ちは変わってないし、俺の凛恋に対する気持ちも変わってない」


 俺は栞姉ちゃんの言葉に怒りを持って否定した。

 悩んでることを話した。それで俺は、ロニー王子から凛恋を守るにはどうすれば良いかを知りたかった。でも、栞姉ちゃんからは俺が聞きたい話ではない話しか出て来なかった。


「きっと、カズくんは八戸さんが自分を最初に好きって言ってくれた人だからってことが、心の中で大きくなってるんじゃない? 確かに八戸さんは優しいし料理も出来るし見た目なんて、下手なアイドルよりも可愛い。でも、だからって最初に好きになってくれた八戸さんが、必ずしもカズくんに相応しいとは限らないんだよ? 五年も付き合えてるんだから、全く相性が合わないなんてことはあり得ない。だけど、八戸さん以外にもカズくんを好きな子は沢山居るし、それぞれに良いところが沢山ある」

「それでも俺には凛恋しか居ない」


「カズくん、それって一途じゃなくて、一途であることに意地になってるだけじゃない? 確かに浮気症の人は私も良くないと思う。でも、周りの人の良いところに全く目を向けないカズくんと、浮気症の人は別だと思う。カズくんは、八戸さんが居るからって理由だけで何もかもをシャットアウトし過ぎてる。だから、八戸さんがカズくんのことを一瞬でも忘れたことに、カズくんはこんなに動揺して傷付いて悩み続けてる」

「俺は傷付いてなんか――」

「八戸さんに連絡するのを忘れてるって言われて傷付いて、ロニー王子が八戸さんのことを好きだと知って傷付いて、それだけ傷付いてれば十分傷付いてる。たとえ、カズくん自身が傷付いてないなんて言い張ってもね。まあ、カズくんがそうやって自分を蔑ろにするのは今に始まったことじゃないけど」


 そう言って麦茶を一気に飲み干した栞姉ちゃんは、俺の顔を真剣な目で見る。


「今まで、カズくんは八戸さんとすれ違って来た。それは、色々な失敗のせいでしょ?」

「栞姉ちゃんの言う通り、俺が何かを失敗してすれ違ったことばかりだ」


 俺は凛恋と付き合い始めの頃、キャンプ先で出会った迷子の女の子の家族を見て、両親や兄弟が居ることを羨ましいと思った。それを、俺は凛恋に伝えた。その伝えたことは、凛恋に俺のことを分かってもらおうという思いからだった。でも、俺の思いの伝え方が悪くてすれ違い、そのすれ違いに俺は戸惑って何も出来なかった。そして、それが原因で俺と凛恋は付き合ってから初めて、恋人関係が終わってしまうかもしれない危機を経験した。


 二回目は、俺が刻雨に転学してからだ。当時里奈さんと付き合っていた同級生の有馬の策略で、俺は凛恋と一度別れた。それは、俺が凛恋のことを信じ切れなかったことが原因だったからだ。

 二度の失敗。いや、それ以外にも俺は凛恋とのことで何度も失敗し、その度に凛恋を傷付けてきた。だから今回だって……。


「カズくんは結構不安症だと思うよ。もちろんロニー王子みたいに凄い人が、自分の彼女のことを好きだなんて言い出したら、カズくんじゃなくても不安にならないなんて無理だと思う。でも、カズくんって私が出会った頃から自分に自信が――……ううん、自分が人から好かれるって自信がない。だから、誰かが八戸さんのことを好きだって言ったら過剰に反応しちゃって不安になってる。それに私の想像だけど、その度にカズくんは思ってるんじゃない? ライバルが現れるのは自分のせいだ。自分に魅力がないから八戸さんに言い寄る男の人を追い払えないんだって」

「それは……」

「カズくんって、凄く頭が良いけど、心は凄く捻くれているように見せてるけど、凄く真っ直ぐな人なんだよ? でもね、無理矢理それを悪く言うと単純で分かり易いの。だから、ずる賢い人に簡単に手の上で転がされちゃう」


 単純で分かり易い。そう言われたのは多分初めてだと思う。でも、栞姉ちゃんに言われたことは大体合っている。それに、理緒さんには俺の心を読まれたように、俺が凛恋に言ってほしいと思った言葉を言われた。他にも、真弥さんや萌夏さんに、まるで俺の心の中が見えるかのような言葉を掛けられたこともある。それに……凛恋にだって俺は何度も心の中を見透かされている。


「カズくんが単純で分かり易くて、ビックリするくらい自分に自信が無いネガティブ思考の人だって言うのは、私だけじゃなくてカズくんの友達はみんな分かってることだと思うよ。もちろん、八戸さんも分かってるはず。だから、八戸さんはそういうカズくんの性格を一番知ってるはずなんだから、もうちょっとカズくんのことを考えるべきだった。まあ、やっぱり帰りが遅くなる連絡は、カズくんの性格関係無しにするべきことだったとは思うけどね」

「それはもう解決したんだ。凛恋は謝ってくれたし」


 俺は栞姉ちゃんの話に決着を付けるためにそう言った。でも、俺の言葉を聞いた栞姉ちゃんの反応は意外な反応だった。

 栞姉ちゃんは、俺の顔を見てため息を吐いたのだ。心底、呆れきった顔で。


「はぁっ……そう。八戸さんはカズくんに帰りが遅くなる連絡をし忘れた。それを八戸さんは謝って丸く収まった。でも、カズくんはその丸く収まったはずの話を私に話したよね? それって、カズくんの中で全然丸く収まってないことだよ。カズくんは心の中で納得出来てないの。はぁ~…………」


 深く長いため息を吐いて、長い時間無言になった栞姉ちゃんは、空になったコップを流しに置く。


「きっと、端から見たら、終わったことをネチネチ言ってる男らしくない人に映ることなのかもしれない。でも、私の目からは、カズくんが無頓着な八戸さんのせいで傷付けられたようにしか見えない」




 朝起きて寝惚け眼で居間に出てきたら、地元のローカル番組に爽やかな笑顔を浮かべるロニー王子が出演していて、女性アナウンサーのインタビューを受けているのがテレビに映っていた。

 ロニー王子はわざわざ俺達の地元に来て、俺達の地元にあるリゾートホテルに泊まっている。しかも、泊まっている部屋はスイートルームだそうだ。俺はロニー王子のことに関心がある訳じゃないが、垂れ流しになっているテレビが勝手にその情報を俺の耳に伝えてくるから仕方ない。


 夏休みが始まったばかりだというのに、俺はあまり晴れやかな気分になれない。

 キャンプに行ったのにロニー王子の登場で台無しにされ、地元に帰ればロニー王子のことを頭から切り離せると思ったのに、結果は見たくもない爽やかな笑顔を見せられている。


「凡人」

「ん? 爺ちゃん、どうした?」

「この外国人は凄い人なのか? お前と年は変わらないんだろ?」

「さっきも紹介されてただろ? フォリア王国って国の第一王子だって。正真正銘の王子様だよ。それに、ロニー王子が留学に来た時にはもっとテレビで報道されてただろ? その時に見なかったのか?」

「そのくらいは知ってる。俺が言ってるのはそうじゃない。このロニー王子は、テレビ番組に出るくらい凄い人なのかを聞いてるんだ」

「は? いや……だから、一国の王子様だって言っただろ?」

「なんだ。最近のテレビは王子に生まれれば出られるのか?」


 お茶を飲みながら眉間にしわを寄せる爺ちゃんの言葉に、俺は首を傾げる。

 爺ちゃんがテレビに出ているロニー王子を羨ましがっている訳じゃないのは分かる。それに、ロニー王子へ嫉妬している訳でもない。凛恋関連で俺に嫉妬というか対抗心を燃やすことはあるが、それは孫娘のように思っている凛恋に構ってほしいからだ。

 そういう感情ではなく、爺ちゃんは単純にロニー王子がテレビに出ていることを疑問に思っているようだった。


「この外国人が王子だというのは分かる。だが、この外国人は何かをしたのかと思ってな」

「一国の王子様が留学してきたら、何もしてなくてもマスコミは追っかけるものだって。アイドルみたいな扱いなんだろ」

「そういうものか。だが、この男は芯が無さそうだな」

「芯が無さそう?」

「凡人にはまだ分からんだろうな~」


 俺が聞き返した瞬間、なぜか爺ちゃんは得意げな表情をして軽く胸を張る。どうやら、孫よりも自分が凄いところを見せたいという変なスイッチを押してしまったようだ。


「俺は色んな被疑者を取り調べてきた。その中にはどうしようも無いクズも居たが、芯の通ったやつも居た。そういうやつは決まって目が据わっていた。この外国人は目が泳いでは居ないし、冷め切っている訳でもない。だが、強い意志も燃えるような想いも見えない。全てを達観して流れに身を任せているような目だ。まるで、自分が何でも知っている神だと勘違いしたやつの目だな。こういう目には覚えがある。詐欺や拉致監禁のような犯罪行為を主導していたカルト教団員やそのカルト教団の教祖がこんな目をしていた」

「爺ちゃん、国際問題になっても知らないぞ」


 一国の王子様に向かって、カルト教団員や教祖のような目をしてるなんて、家での雑談でなかったら一発で国際問題だ。


「カルト教団員も教祖も自分の信仰に沿って行動する。そこに犯罪の意識は低い。自分が正しいことをしてるって意識だからな」

「それで? 爺ちゃんはロニー王子を犯罪者扱いして何が言いたいんだ?」

「この外国人はカルト教団の関係者ではないだろうから、何かを信仰してる訳じゃない。だが、目に見える色は同じ種類だ。カルト教団の関係者が他人から見て眉をひそめることでも平気な顔でやってのけるように、この外国人も自分の周りで起こっていることを当然だと思ってる」


「自分の周りで起こってることって、ロニー王子がテレビに出ることか? それなら当然だろ。だって、王子様で顔も良いし」

「だが、この外国人は何か偉いことをした訳じゃないだろう。世の中にはこの外国人よりも偉い人間はいくらでも居る。途上国の発展のために毎日身を削って働いている人は世界中に居るし、貧しい人達を支援するために働いている人も同じだ。でも、この外国人は口では偉そうなことを言ってるが何もしていないんだろう。さっきから、日本と自分の国はこれからも友人として支え合い、互いの発展に貢献し合うべきだなんて言ってるが、そのことについてこの外国人は何かやったのか?」

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