【二三七《絶体冷怒》】:二

「凡人くん、また身長伸びた?」

「いや、変わってないと思うけど?」


 大学生になって定期的に身長を測ることなんて無くなったから、俺の身長が何センチあるかは分からない。でも、理緒さんが俺のことをからかっているのは分かるから、俺は肩をすくめて首を傾げ返した。


「こうして見ると、やっぱり凡人くんはすらっとしててスタイル良いよね。羨ましい」

「良いことは何もないけどね」

「凡人くんってファッションとかあまり興味ないもんね。あっ、行こうか。立ち話するよりゆっくり座りながら話そう」

「ああ」


 俺は歩き出す理緒さんの隣を歩き出しながら、変わらず明るい表情の理緒さんを横から窺う。

 きっと、俺と凛恋が喧嘩をしたことは誰かしらから聞いて知っているだろう。だから、理緒さんも瀬名と同じように俺を説得する気なのかもしれない。

 理緒さんは俺を連れて街中にあるシティホテル内に入ってエレベーターに乗り込む。


「あれ? こんなところに飲み屋なんてあったっけ?」

「うん、ここの三〇階におしゃれなダイニングバーがあるんだよ。行ってみたいと思ってたんだけど、流石に一人で入るのは気が引けるから凡人くんに付き合ってもらおうかと思って」


 理緒さんとエレベーターで三〇階に上がり、通路を歩いてダイニングバーの入り口から入る。

 店内の雰囲気は、真井さんに連れて行ってもらういきつけのバーよりも落ち着いていて、ガラス張りの店の奥からは街の夜景が見える。

 俺がバーのカウンター席に歩き出そうとすると、理緒さんが俺の手首を掴んで引き留める。


「あっちに行こう。あっちの方が景色が綺麗だし」


 理緒さんはパーティションで左側と後ろを遮られた窓際の席に座る。その席は、二人掛けのソファーが窓を向くように置かれ、窓際には低めのテーブルが置かれていた。


「ご注文は何になさいますか?」

「ロングアイランド・アイスティーを。凡人くんは何にする?」

「ブラックルシアンをお願いします」

「かしこまりました」


 女性店員さんに注文をして、それぞれのカクテルが運ばれてきてから、理緒さんは自分のグラスを持って俺に視線を向ける。


「乾杯」

「乾杯」


 何に乾杯する訳ではないが、グラスを触れさせてから俺と理緒さんはカクテルに口を付ける。


「やっぱり地元が落ち着くな~」

「そうだな~。やっぱり長く住み慣れた土地だし」

「もう大学二年だし結構慣れたけど、やっぱり地元には勝てないよね。それに、地元に帰ってくると凡人くんにも会えるし」


 いたずらっぽく笑った理緒さんは、グラスを一度置いて視線を夜景に向けながら話を切り出した。


「聞いたよ? 凛恋と喧嘩しちゃったんだって?」

「やっぱりその話か」

「電話で里奈から聞いただけだから、凡人くんからも話を聞きたいなって思って」


 俺はブラックルシアンで一度喉を潤してから話し出す。


「理緒さんはロニー王子って知ってる?」

「うん。塔成大に留学してるフォリア王国の第一王子だよね。うちの大学でも留学してきたばかりの頃は話題になってたよ」

「そのロニー王子が成華女子と交流会をして、その後にパーティーをしたんだ。それに凛恋が参加したんだけど、俺は凛恋がそれに参加するなんて知らなかったから、てっきり交流会が終わったら帰ってくると思ってたんだ。それで交流会が終わってから迎えに行こうと思ってたんだけど連絡が付かなくて」

「そうなんだ」

「心配になって成華女子まで行ったんだけど、ロニー王子の警護のためかパーティー会場を教えてもらえなくて。それで、結局連絡が付かなかったんだ」

「え? でも、帰ってくるまで一度も連絡を出来ないってことはないんじゃない?」

「…………楽しくて忘れてたみたいなんだ。俺が、トイレに立った時にでも連絡をしてくれれば良かったのにって言ったら、思い付かなかったって言ってた」


 その言葉を口にして、俺は喉の奥にせり上がってきた嫌な感覚を押し流すためにブラックルシアンを流し込む。すると、理緒さんがグラスに口を付けながら呟いた。


「それ、凡人くんが可哀想」

「えっ?」


 俺は凛恋と同じ女性の理緒さんは凛恋の味方をすると思っていた。でも、理緒さんは凛恋の味方はしなかった。それどころか、俺の味方をするような言葉を言った。


「だってそうだよ。凡人くんは凛恋のことを本当に心配して連絡を取ろうとしたのに、凛恋の方は忘れてたんでしょ? それって凡人くんが可哀想。それに、彼氏彼女の関係以前に、同居してる人が居るなら帰りが遅くなるって分かった時点で連絡するのは最低限のマナーだよ。それをやらなかった凛恋が悪い」

「理緒さんもそう思う?」

「思う思う。多分、凡人くんが優しいから、凛恋も凡人くんの優しさに甘えてるんだよ」


 横から見える理緒さんの横顔は凛恋に怒っている訳でも呆れているわけでもなかった。単純に、自分の立場としての意見を言っているようだった。でも、それが嬉しかった。

 昼間に話した瀬名は、俺に呆れていたし、最後は頑固者だと吐き捨てて諦めて帰って行った。瀬名の方が、俺と同じ同じ男だから理緒さんより俺の気持ちは理解しやすいはずだ。でも、実際は瀬名より理緒さんの方が俺の気持ちを分かってくれている。


「私から凛恋に言っておくよ。凡人くんの優しさに甘え過ぎちゃダメだよって」

「良いよ、別に」

「良くないよ。だって、そのままだと凡人くんが一方的に怒ってるみたいじゃない。里奈に聞いた話からも、凛恋が連絡しなかったって話は聞いたけど、凡人くんが凛恋の大学にまで行ったことは聞いてなかったし。まあ、きっと凛恋も今は落ち着いて話が出来る精神状態じゃないだろうけど」


 そこで一旦会話が途切れ、窓の外を眺めながら俺と理緒さんはカクテルを飲む。

 話をしてスッキリすることがあるのは知っていた。でも、今の感覚は空条さんがロニー王子をあまり好きじゃないと知った安心感と同じだった。

 自分以外の誰かと自分が同じ思いを持っていると知れた安心感は大きい。それに、今回は理緒さんに俺が間違っていないと肯定してもらえた。だからより強い安心感があった。


「そういえば、凡人くんにお土産があったの」

「お土産?」


 クスッと笑った理緒さんは、鞄の中から俺の目の前に一冊の本を置く。その本の表紙は可愛らしい笑顔を浮かべた理緒さんのアップだった。


「うちの大学の歴代ミスコン優勝者は、その年の文化祭で写真集を発売するらしくて」

「写真集なんて作るのか。それにしても作りがしっかりしてるな」


 最近は印刷会社に頼めば個人でも造りの良い本を作ってもらえるのは知っている。しかし、この写真集は普通に店頭に並んでいるアイドルの写真集と遜色ないしっかりとした物だった。


「何部刷ったの?」

「話では五〇部って聞いたよ」

「いや、少な過ぎだろ。理緒さんの写真集なら二〇〇か三〇〇刷っても少ない方だと思うけど」


 出版業界で写真集は一万部売れればヒットと言われるらしい。それは知名度が圧倒的にある芸能人でもそうなのだが、理緒さんが芸能人じゃないにしても五〇部は低く見積もり過ぎだ。


「でも、男の人には販売禁止だから」

「そうなのか?」

「うん。そもそもうちの文化祭は男の人は入れないし」


 理緒さんの大学は由緒正しき名門女子校のノーブリリー女学院。だから、男子禁制であったとしても納得出来てしまう。それに、写真集を見て一ミリも邪な考えが浮かばない男の方が稀有なのだから、大学側の対応にも納得出来た。


「でも、五〇部しか刷らなかったうちの一冊を俺が貰っていいのか?」

「うん。運営に頼んで私の分と凡人くんの分を用意してもらったの。あっ、ごめんね。水着写真はないの」

「いや……謝られても困るんだけど」

「そう? 凡人くんも男の人だから、やっぱり水着写真があった方が喜ぶのかなって思ったけど」

「いや、俺は露出が多いより、可愛らしく服を着てる女性の方が魅力的だと思うよ」

「え? でも、ミニスカート好きなんだよね?」

「いや……それは……」

「あっ、凡人くんは太腿フェチなんだっけ? 太腿好きなら、この写真とかどう?」


 出した写真集を開いて理緒さんは俺に開いたページを見せる。

 理緒さんが俺に見せたのは、歩道橋の手すりに手を置いて振り返っている写真のページだった。服はミニ丈のワンピースでよく似合っている。その理緒さんの写真は笑顔ではなく、憂いの感じる表情を向けている。その表情には女性らしいか弱さを感じる。


「凡人くん、ジーッと見てくれて嬉しいけど、感想教えてくれない?」

「え? あっ、ごめんごめん。良い写真だと思うよ。笑顔じゃなくて物悲しげな表情が、いつもの明るい理緒さんとは違った魅力があると思う」

「そうじゃなくて、太腿の感想を聞きたかったんだけどな~」

「え? ま、まあ……理緒さんはスタイルも良いし綺麗な足をしてると思うよ」


 写真の表情について感想を言った後に太腿の感想を求められ、俺は隣に居る女友達の太腿について感想を述べるという大変恥ずかしいことをした。まあ、そもそも女友達の写真集について感想を言うことが大分恥ずかしいが。

 太腿の感想を求められた後、俺はつい視線を隣に座る理緒さんの太腿に落としてしまう。写真に写っている理緒さんの太腿も綺麗だが、真横から見る理緒さんの太腿も綺麗だった。細すぎず太すぎず、適度な肉付きのあるきめ細かな太腿。その太腿に視線を向けていると、理緒さんの手が太腿を半分以上晒しているミニスカートの裾を握って下げる。


「凡人くんのエッチ」

「ご、ごめん」


 隣でからかうように笑った理緒さんに言われ、俺は慌てて視線を窓の外に見える夜景に移してブラックルシアンをゴクッと飲む。


「顔真っ赤。凡人くんって、そういうのいつまで経っても苦手だよね~。結構からかわれることが多いはずなのに」

「それは――」

「でも、顔真っ赤にしてる凡人くん、凄く可愛い」


 手で口を隠してクスクス笑う理緒さんに、俺は感じていた気恥ずかしさを更に煽られ、それを隠すためにグラスを呷(あお)る。

 俺は理緒さんが俺を呼び出したのは、昼間に来た瀬名と同じ理由だと思っていた。でも、実際に凛恋のことについて話したのは最初の方だけで、あとはお互いの大学生活のことという他愛のない話だった。でも、その他愛のない話が出来たことが良かった。


 理緒さんと他愛のない話をしている間は、自分の心の中にある嫌な自分を考えずに済んだ。きっと、理緒さんに呼ばれず家に居たら、今頃俺は気持ち良く眠れる訳もなく、ベッドの上で落ち着かずに何度も何度も寝返りを繰り返し続けるだけだったと思う。

 シティホテルを出て、俺は理緒さんを送るために一緒に歩き出す。隣を歩く理緒さんの足取りはしっかりしているが、俺に向ける笑顔は赤ら顔で酒に程よく酔っているのが分かった。


「凡人くん、今日は付き合ってくれてありがとう。凄く楽しかった」

「俺の方こそありがとう。俺も理緒さんと飲みながら話せて楽しかったよ」

「凡人くんも楽しかったなら良かった」


 パッと明るい笑顔を浮かべた理緒さんは、両手を後ろに組んで前屈みになりなって俺を横から見る。

 街から住宅街に入り、理緒さんの家の前まで着くと、理緒さんの自宅は真っ暗で室内には誰も居ない様子だった。


「理緒さん、お父さんお母さんは?」

「二人水入らずで旅行中だよ。二泊三日で温泉に行くって言ってた」

「そうだったんだ」

「うん。本当はその旅行終わりの日に帰ってくる予定だったんだけど、私が勝手に早く帰って来たの」


 玄関の門に手を掛けた理緒さんは、門を抜けようとした体を止め、門から手を離して俺の方を振り返る。そして、俺の目の前に立って顔を上げた。


「――ッ!」


 上目遣いで見上げられた瞬間、俺の心臓がドクンと跳ね上がり、息を飲んで体が強張る。

 俺を見上げた理緒さんは、引き込まれるような綺麗な瞳をしていて、酒に酔って火照った顔や首元に女性の色気を感じる。


「凡人くん」

「え? はい?」

「無理してない?」

「へ? 俺、無理してるように見えた?」


 何度も激しく跳ねる鼓動を抑えることに意識を向け過ぎて、理緒さんの言葉に対する返事が上の空になってしまう。でも、無理してないという言葉に驚いて首を傾げる。


「ううん。でも、凛恋ってモテるでしょ? だから、凡人くんは無理して凛恋を守ろうとしてるんじゃないかなって。凛恋が行方不明になって連絡が付かないならまだしも、学校の行事に参加してるのにわざわざ大学にまで迎えに行って、凛恋がどこに居るか聞いたんでしょ? そうした凡人くんが悪いことをしたなんて全然思わないけど、そうすることは凡人くんの心には負担なんじゃないかなって思って」

「俺は負担になんて思ってないけど……」

「まあ、凡人くんが気付かず自分を追い込んでるのは今に始まったことじゃないけど、露木先生に言われたことの二の舞にならないかなって心配。心って消耗品だから、使い続けたらどんどん磨り減っていっちゃう。だから、ちゃんと修理やメンテナンスをしないといけないんだけど、凡人くんはそれをしないから。きっと、今日だって私が外に連れ出さなかったら、家の中でジーッと考え込んでどんどん心を磨り減らしてたと思うし」

「理緒さん、もしかして……早く帰ってきたのって……」


 俺がそう問い掛けると、理緒さんは家の門を開けて抜けて閉じ、門の上に両手を置いてクスッと笑った。


「当たり前だよ。好きな人が辛い思いをしてるって分かってるのに、放っておいたらどんどん辛いこと考えて自分を追い込んじゃうって分かってるのに、飛んで帰らない訳ないよ」

「…………」


 理緒さんの言葉に何も応えられずにいると、門の向こうで背中を向けた理緒さんは、俺を振り返って、写真集で見た憂いの帯びた表情を向けた。でも、その表情には憂い以外の感情が見えた。


「私が凡人くんの彼女なら、凡人くんに無理なんてさせないのに」


 そう呟いた理緒さんの表情には確かに、強い怒りを感じた。

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