【二三六《完全下位互換》】:二

 凛恋がパーティーに行っても、パーティーの二次会に参加しても、凛恋はきっと同じ大学の学生達と楽しく遊んできたのだ。それは確実に言える。でも……俺は、その和の中にロニー王子が居たということに拒否反応を起こしていた。いや、拒否反応なんて反射的なものではない。単純に、俺はロニー王子が――自分以外の男が、凛恋の『楽しい』の中に居るのが嫌だったのだ。

 それは恥ずかしく惨めで気色の悪いことだ。


 なぜ、凛恋の楽しいことに俺以外の男が関わっちゃいけない? 凛恋が楽しいと感じられることが一番だろう。そう、俺は素直に思える。だけど、俺の心にはそんな素直に思う俺を否定する俺が居る。


 俺はロニー王子と比べて勝っている部分なんて一つも存在しないのだ。それなのに、凛恋が楽しいと感じられる時間さえも他の男に――ロニー王子に取られたら、俺は本当に凛恋に必要なくなる。


 凛恋は俺を好きになってくれた。俺のことを本当に愛してくれた。でも、それに、凛恋の愛に見合うものを他の誰かが持っていたら、俺より凛恋の愛に見合う男が居れば、俺は要らない。


 今までは、凛恋は俺以外の男が怖くて、俺以外の男では安心出来なかった。男の中で、唯一俺と居る時が凛恋の安心出来る時間で、俺と一緒に居ることが凛恋の『楽しい』だった。その立場を、俺以外の誰かが担えるなら……本当に、俺の存在価値なんてない。


 存在価値が薄れた俺は、その存在価値を取り戻そうとした。でも、俺はどうしたか? …………俺は、ロニー王子を凛恋から遠ざけようとした。そうなれば良いと切に願った。

 だからだ。だから、俺は凛恋にロニー王子について話をすることが出来ない。恥ずかしくて、こんな惨めで卑劣な自分を見せたらダメだと思うから。俺は、偽り切れない自分を隠すために凛恋に話せない。


「じゃあ、まずは私に話をさせて。……凡人、ごめんなさい。凡人がいっぱいメールも電話もくれたのに、私は一度も返事が出来なかった」

「連絡をするのを忘れるくらい、楽しかったんだろ? 凛恋が楽しかったなら良かったよ」


 俺は笑った。笑って場を明るくしようとした。そんな偽りの笑顔なんて凛恋に通じないことを分かっているのに、場を明るくする技術なんて持ち合わせていないことは自分が一番分かっているのに……それでも、俺は場を明るくしようとした。

 でも、俺の言葉はそれだけのためじゃなかった。俺の心の、冷たく暗い心の奥に、欲望があった。

 心の中で思ったのだ。俺が言った言葉を凛恋に否定してほしいと。


 俺は凛恋に「そんなわけない」「ロニー王子と一緒に居ても少しも楽しくなかった」「凡人と一緒に居た方が全然楽しい」「本当は早く帰って凡人に会いたかった」そんな言葉を言わせたいと思った。そんな言葉を誘導して、自分のクソみたいに小さく薄汚れた心を安心させたかった。


「うん。楽しかったのは楽しかったよ。ロニー王子が二次会のお店を用意してくれて。そこでみんなと話してた」

「そう、か……」


 スッと、いや……ズサッと心に傷が入るのを感じた。切れ味の良い刃が心の中に突き刺さり、更に心をえぐって傷口を広げる。

 報いだと思った。心に受けたショックは、全部ロニー王子に嫉妬した俺が悪いし、凛恋にロニー王子を否定させるような言葉を言わせようとした汚い自分への報いなのだと。だけど、それと同じくらい悔しくて堪らなくて、ロニー王子への嫉妬心を煽られる。

 そして……いつの間にか心の芯まで染まっていた黒が、心の外へ溢れ出してきた。


「俺のことを忘れるくらい凛恋が楽しかったなら良かった」

「えっ……凡人……――凡人ッ!? 私、凡人のこと忘れてなんてないよ! 電話出来なかったのもメール出来なかったのも、ロニー王子がずっと隣で話し掛けててタイミングが無かったからで、だから――」

「なんでそんなに必死に謝ることがあるんだよ。凛恋はロニー王子の歓迎パーティーに参加して、その後の二次会にも参加した。パーティーも二次会も楽しかったんだろ? だったら、なんで謝る必要なんてあるんだよ」

「だって凡人が、凡人のことを忘れて楽しかったって言ったから……」

「…………トイレにでも行った時に、メールでも電話でもしてくれれば良かっただろ? 今、歓迎パーティーに参加してるって、二次会にも行くかもしれないけど心配しないで良いって」

「それは……」


 凛恋が口籠もったのを見て、また俺の心に深く大きな傷が走る。でも、それは一本ではなく、数え切れないくらい無数の傷だった。もう、心の原形が分からなくなるくらい、俺は自分自身で自分の心を滅多斬りにする。そして、必死に隠そうとしていた自分を、自分自身で剥き出しにしてしまった。


「俺は……俺は……連絡が付かなくて心配したんだ」


 言うべきではない言葉だ。そもそも、この会話自体が必要のないことだ。

 凛恋が連絡出来なかったことをちゃんと謝ってくれた。だから、俺はそれに「凛恋が無事だったら良かった」そう言えば良いだけの話だった。それで、今回のことは丸く収まって何もことが荒立つことはなかった。でも、小さい俺が、ロニー王子よりも自分が凛恋にとって優れていると感じたかった俺が、クソみたいな虚栄心を満たしたくて大人になれなかった俺が…………収まるはずだった状況を掻き乱した。


「俺は……凛恋と連絡が付かなくて心配して、成華女子にも行ったんだ。それでも、部外者だって追い払われて、何度も電話をした。でも、凛恋はずっとその間ロニー王子と楽しく話してたんだろ! 俺が心配してることなんて頭の片隅にも置かずに!」

「……違うっ、凡人」

「何が違うんだよッ! ロニー王子にパーティーに誘われて行ったんだろ!? それで楽しくて二次会にも行ったんだろ!? パーティーの間ずっと楽しくて、二次会に行ってもずっと楽しいままで! 彼氏の俺が心配して走り回ってる間もずっと楽しかったんだろ! 何が間違ってるんだよ! 何が違うんだよ!」

「私……凡人のことなんて忘れてない。ずっと凡人に連絡しなきゃって――」

「でも、トイレに行った時に連絡しなかった。何時間もパーティーで飲み食いしてて一度も席を立たなかったわけないだろ!」

「ごめん……それは思い付かなくて……」

「だったら、その程度だったってことだろ。俺のことなんて」


 そんなわけがないのは俺が一番分かっている。俺が凛恋を『その程度』だと思わないと同じように、凛恋も俺を『その程度』なんて思わない。それなのに、そんなことを分かり切っている俺は、黒ずんだ言葉を重ねてしまう。


「ごめん……今、二日酔いでイライラしてるんだ」


 俺は自分が吐き捨てた言葉に今更罪悪感を抱き、その自分の責任を酒に転嫁(てんか)した。酒のせいにしてはいけない。酒のせいじゃない。それなのに俺はまた、自分を隠すことを優先した。


「……ごめん、凡人……ごめんなさい」


 凛恋が両手で顔を覆って、すすり泣きながら何度も謝る。

 何も……凛恋が何も悪くないことで、勝手に俺が不安になったことで、俺は凛恋を泣かせたのに、それでも俺は…………。


「ごめん……少し寝かせてくれ……」


 そう言って、俺は凛恋から顔を背ける。

 俺は、自分が凛恋に対して酷い人間だと理解しているのに、それをきちんとした形で受け止められる度量もない。


 ロニー王子に比べて何もなかった俺に、どんどん『ない』が増えていく。そして、ないが増えていくに連れて……どんどん、俺は…………。

 凛恋に相応しい男でなくなっていく。


 ロニー王子なら、絶対に他人に嫉妬なんてしない。あれだけ、何もかも『ある』人が、何もかもが『ない』人間になんて、そんな粗末なことなんて考えるわけがない。きっと、他人のことなんて意識に入れず凛恋のことだけを考える。

 凛恋がどうすれば笑って過ごせるか。凛恋ならどんな料理やデートが好きか。凛恋を悲しませないために自分がどうすべきなのか。

 それなのに俺は、俺のことしか考えていない。


 俺は、凛恋にメールと電話をしたのも、凛恋から連絡が来なくて心配だったからじゃない。俺は、凛恋がロニー王子の居るパーティーに参加するのが嫌だったからだ。だから、ロニー王子の居るパーティーに凛恋を参加させないために、俺は凛恋に連絡を取ろうとした。そして、その連絡が繋がらなかったことじゃなくて、凛恋がロニー王子の居たパーティーを「楽しかった」と言ったことに頭へ血が上った。


 全部、俺だ。全部俺は自分のことしか考えていない。凛恋のことよりも、自分の心配ばっかりして、何も凛恋を顧みていない。


「明日、実家に帰ろう。アルバイトも休みになったし。夏休みの間はお互いの実家に居よう。泊まりも無しだ」

「…………凡人、お願い。許して」

「許すも何も凛恋は悪くないだろ。ただ、楽しくパーティーに参加してきただけだ」


 俺はそう否定する。でも、それはいつもの俺なら絶対に言うわけがない、酷く冷たい言葉だった。


「凡人……一人にしないで……」

「凛恋は一人じゃないだろ。実家に居ればお母さんもお父さんも居る。それに、優愛ちゃんも帰ってくれば家族四人だ」

「凡人が一緒じゃないと嫌だ……」

「夏休みの間だけだって。それに高校の頃だって別々に暮らしてたんだ。何の問題もない」

「いやっ! 絶対に嫌ッ!」


 凛恋は俺の体にしがみついて、必死に俺の体を離さないように抱き締める。


「お願い……私には凡人しか居ないの……」


 布団に入って来て、後ろからピッタリ体を付ける凛恋の言葉に、ほんの少し心が温かくなった。でも、その温かくなった反対側の心には、また傷が付く。

 凛恋が俺にすがり付き、俺と一緒に居ようとすることに凛恋が必死になっている。いや……俺が必死にさせたのだ。


 どんな突き放し方をしても凛恋が俺から離れられないと分かっているから……だから、俺はこんな男として醜く最低なことをやって心を温かくしてしまった。


「……凛恋」

「何!? 凡――……」


 振り返ると、真っ青な凛恋の顔が見える。不安と恐れに染まったその凛恋の顔が、俺の顔を見て希望が灯りほんのり明るくなる。

 きっと、パーティーに参加していた時の凛恋は笑っていたのだろう。俺は凛恋の大学の友達とはあまり話したことがない。でも、何度か会った時、友達と話している凛恋は楽しそうだった。だから、きっと凛恋が俺に言った『楽しかった』という言葉も、嘘偽り無い本音だったからこそ出たのだ。その楽しいを作ったのはロニー王子だ。


 今まで、凛恋に好意を持った男のほとんどが凛恋を傷付けてきた。みんながみんな、自分の凛恋に対する好意のことしか考えずに行動していた。それで、凛恋が悲しんで傷付いてもお構いなしに。みんながみんな、凛恋に楽しいなんて明るい感情を抱かせることなんてなかった。でも……ロニー王子は違う。


 好意を持ってから、用意周到に準備をしてから俺に宣戦布告をしてきた。それは、俺は今でも卑怯だと思う。それが自分勝手な俺の意見なのは分かっている。でも……ロニー王子は凛恋に対しては常に紳士であり続け、凛恋の心に真摯に接している。


「新幹線のチケット……取ってくる」

「凡人! 行かないで! 凡人! ごめんなさいっ! 凡人ッ!」


 二日酔いでグラグラする頭を片手で押さえながら、布団から出て適当に服を引っ張り出して着替え、鞄を持って立ち上がる。その俺を、床に座り込んだ凛恋はもう追いすがろうとしなかった。その俺に対する諦めを感じる行動にまた、俺の心に傷が付く。


 勝手なのだ、俺は。今まで、凛恋を傷付けてきた男達と何一つ変わらない、薄汚く最低の人間だ。

 俺は凛恋の楽しいにロニー王子が居ることが許せなかった。それは自分勝手だ。

 俺は何度も凛恋へした連絡が繋がらなかったことが許せなかった。それは独り善がりだ。

 俺は凛恋にトイレへ行った時に連絡すれば良かったと言った時の凛恋の言葉が許せなかった。


『ごめん……それは思い付かなくて……』


 その、本当に申し訳ないという思いが伝わる言葉を言う前、ほんの一瞬だけ凛恋はハッとしたのだ。それは、本当に俺に言われて思い付いたという印象を感じる表情だった。でも……それが許せなかった。本当に、怒りを感じた。


 凛恋は俺と連絡しようとしたと言っていた。俺のことは忘れてなんていなかったと言っていた。でも、もしそうだったら思い付かないはずがないのだ。もし俺だったら、思い付くに決まっている。むしろ、連絡を取るためにトイレに立とうとする。でも、そうしなかったということに俺は、自分勝手な想像が浮かぶ。


 俺のことなんて楽しさで忘れてしまったのだと。


 最初は俺を心配させるかもしれないから連絡しないと、と思っていたかも知れない。でも、パーティーの楽しさが続くに連れてそれが薄れていったのだ。

 凡人が心配してるかもしれない。早く連絡しないと。

 早く連絡しないといけないけど、今は失礼だから後で時間が空いた時に連絡しよう。

 この会話が終わった後にトイレに立てば連絡出来る。

 この料理を食べた後で席を立てば良い。

 まあ、連絡は後で良いか。

 楽しいにどんどん心配が希薄されて、俺よりもパーティーが――ロニー王子との時間が優先されてしまった状況が頭をよぎる。

 そうやって自分勝手で独り善がりな考えが浮かんだ俺の心は――。

 ズタズタに切り刻まれて、自分でも元に戻せないほど崩れ去った。

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