【二三三《小さい器》】:一
【小さい器】
大学構内を歩く俺は、正面から騒音が近付いてくるのを聞いて立ち止まる。その騒音は機械の出す音ではなく、人が寄り集まって出来上がる喧騒が騒音レベルに酷くなった音だ。そして、その音の先頭には爽やかに笑って周囲の学生と話しているロニー王子が居る。
もう、ロニー王子が留学してきてから結構時間が経ったのに、未だに女子学生達はロニー王子に黄色い騒音を響かせ続けている。そんな状況でも、爽やかさを失わないロニー王子に俺は感心する。俺が同じ状況に置かれるなんて絶対にあり得ないが、もし俺だったら気が狂うに決まっている。
「多野さん!」
隣を歩く女子学生と話していたロニー王子は、俺を見て手を挙げて駆け寄ってくる。ロニー王子に話し掛けられるのは全く嫌ではないが、そのロニー王子の後ろからゾロゾロ……いや、ドタドタと付いてくる集団には嫌悪を感じる。
「ロニー王子、こんにちは。大学生活はどうですか?」
「凄く楽しいよ。サッカーサークルにも時々参加させてもらってるんだ。本当は多野さんとも一緒にサッカーをやりたいんだけどね」
「私は運動が全然出来ないんで」
爽やかなロニー王子の笑顔に答えると、ロニー王子は一度後ろを振り返ってからまた俺の方を向き直す。
「多野さん、これから少し時間はありますか?」
「すみません。これからアルバイトがあるので」
今日、レディーナリー編集部でのアルバイトがある。だから、ゆっくりロニー王子と話せるような時間はない。
「では、多野さんのアルバイト先まで私の車で送らせて下さい。その移動中なら大丈夫ですよね?」
「ロニー王子にご迷惑を掛けるのは――」
「迷惑なんて! 私の方が多野さんに頼みがあるんですから。ぜひ送らせて下さい」
「そこまでおっしゃって下さるなら、お言葉に甘えさせてもらいます」
一国の王子を移動手段に使うのは気が引けるが、ロニー王子にも何か俺に頼みがあるらしい。しかし、ロニー王子の頼みが俺で応えられる頼みではないと思う。
ロニー王子は俺より圧倒的な権力と財力を持っている。だから、それらがあれば大抵の望みは叶うはずだ。そんなロニー王子の望みを、権力でも財力でも劣っている俺がどうにか出来るとは思えない。そう思うからこそ、ロニー王子の申し出を受けるのに躊躇があった。
ロニー王子の隣を歩いて校門まで歩いて来た俺は、既に停車していたロニー王子がいつも乗っているリムジンに乗り込む。
「行き先はどこですか?」
「月ノ輪出版の本社ビルをお願いします」
「分かりました」
ロニー王子が受話器で運転手に行き先を伝えると、俺の方を向き直し微笑む。
「早速ですが、多野さんに今度フォリア大使館で開かれるパーティーに出てほしいんです」
「大使館のパーティー、ですか?」
「はい。私がこっちに留学してきて、色んな方を招待したパーティーを開くんですが、参加者が日本政府の方が多くなってしまって。大学の友人にも参加してほしいなと思っていて。多野さんとは一緒に抹茶を飲んだ仲ですし」
俺はロニー王子の言葉を聞いて、抹茶を一緒に飲んだら友人になるのか? とは思うが、ロニー王子がそう思っているのならそうだろう。
「空条さんや宝田さんも誘って頂けると嬉しいです。それに、凛恋さんも誘ってもらえませんか? 以前、怖い思いをさせてしまったようで、そのお詫びをしたいんです」
「でも、本当に私で良いんですか? いつも一緒に居る人達から誘った方が良いと思いますけど?」
単純に思ったことを聞き返すと、ロニー王子は初めて困った笑顔を向けて肩をすくめた。
「本当は皆さん全員を誘いたいところなんですが、大使館には全員入りきらないので」
「まあ、それはそうですよね」
いつも、ロニー王子の後ろには数えるのも馬鹿らしいほどの女子学生が付いて来ている。その全員を招待するのは不可能だし、あの中の一部だけ招待したら揉め事が起きる可能性もある。
「じゃあ、ロニー王子から招待枠を三枠もらって、その枠を私が使って凛恋、空条さん、宝田さんを選んだことにしましょう。それなら、ロニー王子も面倒な揉め事に巻き込まれないでしょうし」
「多野さん! ありがとうございます。やっぱり多野さんに頼んで良かった!」
ロニー王子は俺の言葉を聞いて、俺の両手を握ってブンブンと上下に振る。その様子から喜んでくれているのは分かった。
「空条さん達も予定があると思うので、絶対に参加出来るとは断言出来ませんけど、少なくとも私は行けるように予定を調整します」
「ありがとうございます。空条さん達には、決して無理をなさらないようにと伝えておいて下さい」
「分かりました」
ホッと息を吐いたロニー王子は、シートの背もたれに背中を付けてから俺に爽やかな笑顔を向ける。
「そう言えば、多野さんはどんなアルバイトをされてるんですか?」
「月ノ輪出版で女性誌の編集補佐をしてます」
「女性誌というと、ファッション雑誌ですか?」
「女性向けの総合誌です。ファッションも取り扱ってますけど、女性が好みそうな情報を色々取り扱ってます」
「なるほど。あの、見学は出来るんでしょうか?」
「……え? 見学、ですか?」
「はい。日本の出版社を見てみたいと思って」
「私はアルバイトなんで見学の許可を出す権限は持ってませんけど、ちょっと編集長に聞いてみます」
「お願いします」
俺はロニー王子の突然の申し出に戸惑うが、スマートフォンを取り出してとりあえず古跡さんに電話を掛ける。レディーナリー編集部の最高責任者である編集長の古跡さんなら、見学が可能かどうかの判断は出来るだろう。
『もしもし、多野? どうしたの?』
「お疲れ様です。今レディーナリー編集部に向かってるんですけど、フォリア王国のロニー王子が編集部を見学したいっておっしゃってるんですけど、大丈夫ですか?」
『…………は?』
「いや、うちの大学に留学してるロニー王子、古跡さんも知ってますよね?」
『……多野、チャンスよ。ロニー王子にうちでインタビュー出来るように交渉して。それなら見学出来るって』
「……わ、分かりました。少し待って下さい」
俺は一旦スマートフォンから耳を離してロニー王子に視線を向ける。しかし、一国の王子に対して見学の交換条件として取材依頼を持ち掛けるなんて、流石古跡さんとしか言えない精神力の強さだ。
「編集長が、見学は大丈夫ですけどその代わりに雑誌でインタビューさせてほしいそうです」
「本当ですか!? インタビューは大丈夫です!」
「ありがとうございます。じゃあ、そう伝えますね」
ロニー王子に了解を取ってから、俺は再び電話の向こうの古跡さんと話し始める。
「古跡さん、ロニー王子がインタビューを受けて下さるそうです」
『多野、でかしたわ。 多野がロニー王子のインタビューを取り付けてきたわ! 家基! 至急カメラマンの手配! 帆仮! 平池と田畠に指示出して、会議室でインタビュー出来るようにレイアウト作って! あと、ロニー王子に出すお茶とお菓子の用意も!』
電話の向こうで古跡さんが指示を出すのを聞いていると、帆仮さんが慌てている声が遠くに聞こえた。
『多野、あとどれくらいで着きそう?』
「あと一〇分弱ですかね」
『分かった。下で待ってるわ』
「はい。では、後ほど」
俺は古跡さんとの電話を終えると、ロニー王子に頭を下げた。
「忙しいのにありがとうございます」
「いえ、多野さんにはパーティーの件も見学の件もお世話になってますし、私に出来ることならなんでもします」
ロニー王子は爽やかな笑顔を浮かべて、俺にそう快く言ってくれた。
俺はタクシーの後部座席に座り、締め慣れないネクタイに息苦しさを感じながら窓から夜の街を眺める。
今日は、以前ロニー王子から頼まれたフォリア王国大使館で行われるパーティーの日。俺は、そのパーティーに参加するため、凛恋と一緒にタクシーに乗ってフォリア王国大使館に向かっている。
「凡人って本当に凄いね。ロニー王子といつの間にか友達になってるなんて」
「いや、俺も知らないうちにそうなってたんだよ」
隣では黒いフォーマルドレスに身を包んだ凛恋が俺を見てニッコリ笑っていた。そのフォーマルドレスは、以前ステラが出演したインターナショナルミュージックコンクールのガラコンサートに参加した時に着ていたもので、今回のパーティーに合わせて凛恋の実家から送ってもらった。そして、美容院でパーティーメイクと髪のセットしてもらっている。
「フォリア王国の大使館とか、もう二度と入ることなさそうだよね」
「ああ、確実に最初で最後だろうな」
俺はクスクス笑う凛恋に笑顔を返して答える。本来俺は、大使館と呼ばれるような場所には全く無縁の人間だ。そんな俺が大使館に入ることになったのは、たまたまロニー王子と知り合いで、そのロニー王子に来てほしいと言われたからだ。
「空条さん達は大使館の前で合流だっけ?」
「ああ。空条さんと宝田さんは一緒に大使館に来るって言ってた」
空条さんと宝田さんは、当然だが大使館までは俺達と別行動になる。
空条さんは家がお金持ちということもあって、ドレスは持っていたらしい。しかし、宝田さんの方はドレスを持っておらず、空条さんのドレスを借りることにしたそうだ。そして、二人共、凛恋と同じように美容院でメイクとセットをしてもらってから来るそうだ。
男性でも芸能人の人達はメイクをするのだろうが、俺は別に髪を少しとかすだけで済ませられる。しかし、女性はこういう時、支度に手間が掛かって大変だ。
「凛恋、本当に良かったのか? パーティーは色んな人も来るし、外人の男性も居るだろうけど」
「凡人が一緒だから大丈夫よ。それに、大使館のパーティーに凡人と一緒に参加出来る機会を逃したくないし」
「そっか、それなら良かった」
凛恋の言葉を聞いて俺は一安心する。そして、大使館に行くこともデートとして捉えられて緊張していない凛恋のことを凄いと思った。
そんな凛恋とは違い、俺の方は結構緊張している。
ちゃんと凛恋をエスコート出来なければ、凛恋の彼氏は女性をエスコートすることも出来ないのかと、凛恋に恥をかかせてしまうことになる。そんな恥ずかしい思いを凛恋にさせたくはないと考えると、俺はどうしても緊張してしまう。
「凡人~緊張してる?」
「そりゃあ、まあ」
「大丈夫よ。絶対にパーティーに来た中で凡人が一番格好良いから」
「俺は凛恋に恥をかかせてしまわないかが心配なんだよ」
「何言ってるのよ。凡人と一緒に居て誇りに思うことはあっても、恥なんて思うわけないでしょ。一緒にパーティー楽しもう?」
「凛恋……そうだな。凛恋の言う通り、一緒に楽しむことを考えた方が良いよな」
きっと普通にしていれば酷く失礼になるようなことは起きないだろうし、ただの大学の友人が表に引っ張り出されることもないだろう。パーティーの端で楽しんでいれば良い。そう思うと一気に気が楽になった。
俺達を乗せたタクシーはフォリア王国大使館前に着き、俺は凛恋の手を取ってタクシーから降りた。
「大きいね」
「大きいな」
門の開かれたフォリア大使館前から、門の奥に見える石造りの建物を見る。遠目からでも視線を上に向けないといけないほど大きく、俺は凛恋と一緒にその大きさに驚いた。
「多野くん、八戸さん、こんばんは」
「空条さん、こんばんは。宝田さんもこんばんは」
「こんばんは」
パーティードレスを着た空条さんに大使館前で声を掛けられ、凛恋が空条さんと、空条さんの隣に居る宝田さんに声を掛ける。
「空条さん、こんばんは」
「多野くんこんばんは。どうかな? 変じゃない?」
控えめなフリルがあしらわれたスリムなシルエットのベージュ色のワンピースドレス。ドレスも良い物だろうが、空条さん自身に着慣れている感じがする。
「やっぱり、ドレスを持ってるだけあって着慣れてるね。凄く似合ってる」
「ありがとう。まあ、家の関連でパーティーに参加することが多かっただけだよ。そろそろ中に入ろうか」
「そうだね」
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