【二三二《見返り》】:二

「人気な場所だから人が多いかもしれないけど大丈夫か?」

「それは私の台詞よ! 凡人人混み苦手なのに……」

「俺は凛恋のためならどこへでも行けるぞ?」

「マジヤバイ……泣きそう」

「いやいや、大げさだろ……」

「だって、凡人が私のためにこんなに良くしてくれて……私、本当にめちゃくちゃ幸せ者だ……」

「喜んでもらえて良かった。でも、楽しいのはこれからだろ?」


 ショッピングモールの駐車場に車を停めて言うと、凛恋が助手席からすぐに降りて運転席に回ってドアを開いた。


「凡人! 行こう!」

「ああ」


 車から降りてロックを掛けると、凛恋は俺の手を引いてショッピングモールの建物に歩いていく。


「えへへ~みんなに自慢しよ~」


 凛恋は一度立ち止まってショッピングモールの外観を撮ってスマートフォンを操作する。どうやら、希さん達にショッピングモールに来たことをメールして自慢しているらしい。


「絶対羨ましがられる。ここにしかないショップめちゃくちゃあるし。それもこれも、チョー最高に格好良い凡人を彼氏に持ったからよね~」

「俺は運転しただけだけどな」


 あまりにも凛恋が俺のことを褒めてくれて、俺は照れながらスマートフォンを仕舞った凛恋と歩き出す。

 ショッピングモールは出来たばかりということで建物も綺麗で……そしてあり得ないくらいの大混雑だった。


「凛恋、絶対に俺から離れるなよ?」

「当たり前じゃん! 離れてって言われても離れませーん。あっ、ありがとうございます」


 俺の腕を抱きしめながら、女性店員さんが配っていたショッピングモールのパンフレットを受け取る。


「凛恋、時間はたっぷりあるからゆっくり見て回っていいぞ」

「ありがと! まずは洋服見て回る!」


 歩き出した凛恋について行きながら、俺は凛恋と一緒に凛恋が気になった店に次々と入っていく。

 洋服を見ている時の凛恋はいつも楽しそうで、本当におしゃれが好きなんだと分かる。

 ワンピースを手に取った凛恋が、自分の体に合わせて姿見を見た後に首を傾げて別のワンピースを合わせる。その真剣に悩む顔も堪らなく可愛い。


「凡人はこっちよりこっちの方が好きだよね? 丈が短いし」


 二着のワンピースを見比べていた凛恋が、ワンピースを持った右手を持ち上げて首を傾げる。確かに、左手に持った全体的なフォルムがスリムな大人っぽいワンピースより、右手に持った裾がフレアスカートのように広がったワンピースの方が可愛いと思う。しかし、丈が短いという短絡的な理由ではない。ただ、スカート丈は長いのが好きか短いのが好きかと問われれば、断然短い方が好きだ。


「丈の短いスカートが好きなのは否定しないけど、そっちの方が凛恋の可愛さが引き立つとと思う」

「凡人は清楚系好きだもんねー」

「凛恋は元々こういう服は好きじゃなかったんだろ?」

「好きじゃなかったってわけじゃないけど、着るタイミングがなかったっていうか」


 凛恋は話しながらワンピースを持って別の陳列ラックの前に歩いて行き、今度はスカートを見始める。

 さっきの大人っぽいのも似合わないわけじゃない。凛恋はどんな服を着ても似合う。でも、俺は可愛らしい服装の方が好きだ。それは、可愛らしい服装の方が凛恋の明るく無邪気な笑顔に合うという理由がある。

 スカートを見る凛恋が、俺の方を向いてニコッと笑う。その笑顔を見て、俺は凛恋の腰に手を回して抱き寄せる。それに、凛恋はクスッと笑って俺へもたれ掛かった。




 ショッピングモールでの買い物を終えて、俺は凛恋を連れて最後の目的地に行った。

 海辺にある海鮮料理が専門のレストラン。初めてくるレストランだったが、味の評判が良いのは事前に調べていたし、店内の雰囲気も良いというのも事前に画像を見て知っていた。でも、実際に凛恋と一緒に来たら、想像よりも雰囲気が良くロマンチックな店だった。


 俺が凛恋のために用意したシャンパンもレストランのディナーコースも、最高級品というわけではない。でも、凛恋は俺が用意したシャンパンもディナーも喜んでくれた。

 そして今は、俺はすっかりシャンパンを飲んでご機嫌になっている凛恋を背中に乗せて、俺達が今日寝泊まりする貸し別荘の前に立っている。


 貸し別荘は平屋だが白を基調とした西洋建築で、俺の目からはリゾートホテルと遜色(そんしょく)ないように見える。


「広い~」


 先に入った凛恋が、貸し別荘の中でグルリと周囲を見渡しながら声を上げる。俺は、その喜んでいる凛恋を眺めながら、ベッドルームに荷物を運んだ。

 荷物をベッドルームの端に置いた俺は、ベッドルームにある大きな窓から外を見る。

 高台にある貸し別荘からは、夜景の街を見下ろせて景色が良い。その夜景を見下ろして小さく息を吐く。


 ロマンチックと感じるよりも先に落ち着きを感じる。淡い光を眺めると心がホッと落ち着き、俺はただただボーッと夜景を眺め続ける。


「凡人、今日一日ありがとう」


 夜景を眺めていた俺の後ろから、凛恋がそう言いながら俺の腰に手を回す。その体の前に回ってきた凛恋の両手の甲に、俺は自分の両手を重ねた。


「今日一日、最高のデートだったよ」

「ありがとう。凛恋が喜んでくれて本当に良かった」


 凛恋の最高のデートだったという言葉に、俺はまたホッと心が落ち着く。その言葉を聞けて本当に良かった。


「凡人、お風呂入ろ」

「そうだな」


 今日一日、朝から運転しっぱなしだったし、色んな場所に行って疲れた。でも、それはしんどい疲れではなく、一日楽しいことばかり出来た心地の良い疲れだった。

 貸し別荘のシャワールームで一緒にシャワーを浴びてから、俺は凛恋に先に部屋へ行っててほしいと言われ、先にシャワールームから出る。そして、貸し別荘のダイニングではなくベッドルームにあるダブルベッドの上に座って、ベッドの正面にある大型テレビを点けた。


 テレビでバラエティー番組を垂れ流しながら、スマートフォンを見る。俺のスマートフォンには、萌夏さんから『私もショッピングモール行きたいな~』というメールが来ていて、俺はそれに『今度日本に帰ってきたら一緒に行こう』と返事する。


 萌夏さんは、専門学校時代のスタージェ先だったクロンヌ・ガトーに就職し、クロンヌ・ガトーの新店舗であるマルセイユ店でパティシエールとして働いている。元々フランスでもパリで指折りの洋菓子店として有名だったクロンヌ・ガトーの新店舗ということで、マルセイユ店は連日大行列が出来て大忙しらしい。でも、その話をする萌夏さんは本当に楽しそうで嬉しそうだった。

 いつかまたフランスに行って、今度はパリではなくマルセイユに行って萌夏さんがプロのパティシエールになって作るお菓子を食べてみたい。俺は、心からそう思った。


「凡人」

「――ッ!? り、凛恋? それ……」


 凛恋が呼ぶ声がして、俺はスマートフォンからベッドルームの入り口に視線を向ける。そして、入り口に立っていた凛恋の姿を見て、目を奪われた。

 太腿の半分以上が見え胸元も大きく開いた真っ白のネグリジェ。そのネグリジェ姿の凛恋は、俺を見て手で口を隠してクスッと笑う。


「凛恋……それ、どうしたんだ?」

「前、空条さんの家で借りてネグリジェ着た時、凡人がチョーギラギラした目で見てたから、凡人が喜ぶかなって。どう?」

「めちゃくちゃ似合ってる!」


 いじらしく小首を傾げる凛恋に、俺は胸が弾けそうに鼓動するのを感じながら答える。可愛いし綺麗だし魅力的で……ずっと見ていたいと思うほど視線と意識を釘付けにされる。

 ネグリジェ姿の凛恋が俺の隣に座って、俺の手をそっと握る。俺は、凛恋の隣でドキドキしながらも凛恋のネグリジェ姿を見続ける。


「ネグリジェ姿の空条さんを見て、凡人チョードキドキしてたよね?」

「し、してないって!」

「してた。空条さんの太腿見てチョー血走った目をしてた」


 ジトッとした目で俺に言う凛恋に、俺は必死に否定する。確かにネグリジェ姿の空条さんは見慣れなくてドキドキはしたが、血走った目なんてしていなかったはずだ。


「でも、私を見る時はもっと血走った目をして、今にも私のこと押し倒しそうな勢いだったから許してあげる」


 クスッと笑った凛恋は、ネグリジェという薄着のまま俺の腕を抱いて二の腕に胸を押し付ける。そして、斜め下から俺を上目遣いで見た。


「今日一日、私のために沢山色んな場所に連れて行ってくれて、私が喜ぶ色んな計画を立ててくれてありがとう」

「お礼なんていらないって。俺は、凛恋が喜ぶ姿が見たかっただけなんだから」

「ダメよ。でも私、凡人にお礼にあげられるもの何も持ってないんだよね」


 右手の人さし指をわざとらしく自分の唇に当てた凛恋が、首を傾げて俺を見てニヤッと笑う。


「あっ! お礼にあげられるものあった」

「えっ?」


 俺の両肩に手を置いた凛恋が、そっと優しく俺の両肩を押しながら体重を俺に預ける。俺は、その凛恋を受け止めながらベッドの上に背中から倒れ込んだ。

 俺の頭がベッドの上に付いた直後、上から優しく凛恋の唇が重なる。

 大人の色気たっぷりの凛恋は、ゆっくり唇を離すと、俺の頬を撫でながら首を傾げた。


「私で良い?」

「凛恋が良い」

「良かった」


 上から凛恋に尋ねられて答えると、凛恋がクスッと笑ってそう言いながら俺を上からギュッと抱き締める。

 凛恋が良いに決まっている。むしろ、凛恋以外は絶対に嫌だ。


 俺は何か見返りが欲しかったわけではない。見返りのために今日一日凛恋と一緒にデートしたわけではない。強いて言えば、俺は凛恋が幸福を感じることのために今日一日の計画を立てて、今日一日凛恋とデートをした。

 その目的を俺は達成出来て、そしたら凛恋がその俺にお礼をしてくれる。


 上から覆い被さっている凛恋の腰に手を回して抱き返し、俺は目を閉じて深く長い息を吐く。

 たった今、窓から見た夜景は凛恋に負けた。断然、凛恋と抱き合っている方が心が落ち着いてリラックス出来る。俺の癒やしには、凛恋以上の癒やしは存在しない。


「凛恋……少しこのまま抱きしめてて良いか?」

「凡人なら、いつまでも抱きしめてて良いよ」


 凛恋は布団を捲って俺と一緒に被り込み、俺の胸に耳を付けて小さく笑った。


「凡人、チョードキドキしてる」


 俺の鼓動を聞いた凛恋は、布団の中で指を組んで手を握る。


「私もチョードキドキしてるよ?」

「本当だ」


 俺が凛恋の胸に耳を当てて凛恋の鼓動を聞くと、大きく早く鳴る凛恋の鼓動が聞こえた。

 凛恋がゆっくりと俺の首筋に唇を付け、両手で俺の体を撫でる。俺も凛恋と同じように凛恋の体を優しく撫でる。


「毎日思うんだ。私、凡人に敵わないなって」

「俺に?」

「うん。凡人が私に触ってくれる手、凄く温かくて優しくて心地良くて、私も凡人の手みたいに凡人を温かく優しく心地良くさせたいって思うの」

「俺も凛恋に触れてもらうと温かいし優しいし気持ちが良い」

「ありがとう。じゃあ、いっぱい撫でる」


 凛恋は俺の頭を何度も撫でて耳元で呟く。


「凡人は格好良い、凡人は優しい、凡人は世界一の彼氏、凡人は私の運命の人、凡人は絶対に私だけの凡人…………」


 凛恋は俺に強い独占欲を向ける。その独占欲の原因は、きっと俺がネグリジェ姿の空条さんを見たということなんだろう。

 こう思っては凛恋が堪ったものではないのだろうが、凄く可愛い。俺を誰かに取られたくないと嫉妬して、必死に自分を俺に押し付けてくる凛恋が堪らなく愛おしい。


「凡人の誘惑完了。これで、凡人は私以が――」


 凛恋の首に手を回して抱き寄せ、今度は俺からキスをした。でも、さっきよりも熱くて長いキスを意識する。熱く長いキスをして、必死に凛恋の存在を俺に縛り付ける。


「どうしよう……私も、凡人に誘惑完了されちゃった…………」


 顔を真っ赤にした凛恋が照れ笑いを浮かべて言う。そう言った凛恋と俺は、無言で同時に互いの頬に手を添えてどちらからともなく再びキスをする。そして、ただただ一途に、俺達はお互いを温かく優しく心地良く包み込んだ。

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