【二三二《見返り》】:一

【見返り】


 久しぶりにレンタカーを借りて運転している俺は、助手席で足をパタパタ動かしながらご機嫌な様子の凛恋をルームミラー越しに見る。すると、ミラー越しに目の合った凛恋が俺の頬にキスをした。


「凡人、チョー大好きッ!」

「ありがとう」


 世の中はゴールデンウィークとやらで完全な行楽シーズンで、今はどこに行っても混んでいる。しかし、こういう時こそどこかへ行きたがるのが凛恋なのだ。そんなこと、長い付き合いになる俺なら分かり切ったことで、俺は凛恋に「どこかに行こう」と誘われる前に泊まり掛けの旅行を提案した。


 旅行と言っても、避暑地にある安い貸し別荘を数日借りるだけのもので、旅館やホテルに泊まるような旅行ではない。それでも、凛恋は俺が誘ったその日からテンションを上げて喜んでくれている。

 今は貸し別荘のある場所まで車で移動している途中で、移動中はドライブデートも兼ねている。


「凡人が私のためにって考えてくれて、本当にめちゃくちゃ嬉しい。めちゃくちゃ大切にされてるって分かる」

「大切にするに決まってるだろ? 世界一大切な彼女なんだから」

「ありがとー! 大大だーい好きっ!」


 テンション高く声を弾ませる凛恋は、チョコレート菓子を一つ手に取って俺に差し出す。


「はい、あーん」

「あーん」


 運転しながら口を開けると、凛恋が俺の口の中にチョコレート菓子を入れてくれた。

 春休み中に短期バイトをやったり、レディーナリーでのアルバイトも始まったりしたことで、俺には凛恋をちょっとした泊まり掛けの旅行に連れて行ける余裕がある。

 凛恋とは一緒に住んでるし、デートにも頻繁に行く。それでも、やっぱり泊まり掛けというのは感じ方が違う。


「私、凡人がレディーナリーの編集部に戻れてチョー嬉しい。凡人が前みたいに笑いながら疲れた~って帰って来て、私がおかえり~って抱きしめながらチューして。そういう楽しい日常が戻ってきてチョー嬉しい!」

「最近は遅くてごめんな」

「そりゃあ、凡人と一日中ずっと一緒に居られたら幸せだけど、結婚したら今の生活と似た生活になるんだし、今から慣れておかないと!」


 グッと両手の拳を握った凛恋は、俺を見てニッと笑う。


「凡人、今日はどこに連れて行ってくれるの?」

「言ったらつまらないだろ?」

「それはそうだけど、凡人とどこに行けるのか楽しみなんだもん!」


 俺はその凛恋の楽しそうな声を聞きながら、どこまでも続く高速道路をフロントガラス越しに見ながら車を走らせた。

 高速道路から下りて、車のカーナビを頼りに最初の目的地まで向かっていた俺は、目的地の看板を見付けて車を駐車場に停める。そして、サイドブレーキのペダルを踏むと、隣から俺の首に凛恋が抱き付いた。


「凡人!」

「凛恋、どうした?」

「看板に書いてるあれ!」


 俺は凛恋がめちゃくちゃ喜んでいるのを見て顔がにやけそうになるが、必死にそれを堪えて何食わぬ顔を向ける。

 凛恋が指さした先には『いちご狩り』と書かれた看板がある。それを見て、凛恋は声を弾ませて喜んでいるのだ。


 今の時期は丁度いちごの季節ということもあって、いちご狩りが出来るシーズンでもある。凛恋はいちごも好きだし、一緒にいちご狩りをしてまったりするのも良いと思って、いちご狩りデートをしようと思った。

 車から降りて受付を済ませ、食べ放題用のハウスに入る。まだ、朝早いということもあってか、ハウスの中にはゴールデンウィーク中であるのに俺と凛恋しか居なかった。


「貸し切り! そしてチョーいちごの香り!」


 手にいちごのへたを入れる入れ物を持った凛恋が、俺の手を引っ張ってハウスの中に入っていく。


「凄く綺麗な赤! 凡人? 食べて良いんだよね?」

「ああ。食べ放題だから、ハウスのいちご全部食べて良いぞ」

「やった! 頂きます!」


 凛恋はしゃがんでいちごを一つ摘むと、口を小さく開けてかじる。すると、凛恋は目をまん丸と開けて俺にかじり掛けのいちごを差し出す。


「凡人! チョー甘い! 食べてみて!」

「ありがとう。頂きます」


 凛恋が差し出してくれたいちごを食べると、酸味が弱く物凄く甘いいちごの味が口の中に広がる。流石、今が旬という味だった。


「凛恋、あーん」

「あーん! んんっ! 凡人が摘んでくれたいちご美味しい!」


 俺が摘んだいちごを食べた凛恋は、俺の腕をギュッと抱きながら顔を綻ばせる。


「はぁ~……凡人ってなんでこんなに格好良いんだろ。私の喜ぶこと何でも知ってる」

「女の子はいちご狩り好きかなって思ってさ」


 俺は前々から、今回の泊まり掛けのデートを計画していた。だから、いつも以上に気合いが入っている。最初のデート場所は凛恋に気に入ってもらえたみたいだ。

 いちごを摘んで美味しそうに頬張る凛恋を眺め、俺はホッと安心する。


 稲築飛鳥さんは不起訴処分になり、今も成華女子に通っている。凛恋からは稲築さんが凛恋に近付いたという話も聞いていないし、俺の周囲にも稲築さんの陰はない。だから、凛恋の楽しそうな横顔を見て、凛恋が悲しい思いをしていなくて本当に安心した。

 凛恋は悲しいことが続いていた。だから、ずっと凛恋に楽しいことだけの日を作りたかった。


 いつも凛恋に笑っていてほしいとは思っている。今回は、俺の力不足で凛恋の笑顔を保てなかった。いや、俺は何度も凛恋の笑顔を消してしまっている。

 自分が無力で何も出来る人間ではないのは分かっている。だけど、せめて凛恋だけは守りたいと思っている。でも……思っていても俺は肝心な時に凛恋を守れていない。


 何もしていないわけではない。やろうとしている、実際に守るために動いている。それに、それで被害を和らげられたことの実感もある。

 だけど…………完全に凛恋を守れているわけじゃない。

 それを思い悩むことを凛恋が求めていないことは分かっている。凛恋が俺と一緒に居ることを最重要視してくれていることも分かっている。でも、沢山の男の中で俺を選んでくれた凛恋のために、凛恋を守りたいと俺は思う。

 その思いに自分自身の行動が伴わないことに情けなく思う。


「――んっ!?」


 ボーッと考えふけっていた俺は、唇に凛恋の唇の感触を抱き目を見開く。その俺の目の前には、目を瞑って俺にキスをする凛恋の顔があった。


「せっかくのデートなのに、そんな悲しそうな顔して。ペケ、一つ付けたから」

「ごめん……」

「でも、いちご狩りに連れて来てくれたからチャラね」


 凛恋は俺の頭を優しく笑いながら撫でてくれる。凛恋の言う通り、デート中に考えるようなことではない。


「凡人のために私が摘んだいちご食べて?」

「ありがとう」


 可愛らしく小首を傾げた凛恋にいちごを食べさせてもらうと、凛恋が俺の手をギュッと握って微笑む。


「凡人には欠点なんてないからね?」

「凛恋?」

「さっきの顔は、あ~俺ってこういうところが悪いよな~とか考えてる時の顔でしょ? もう何回言ったか分かんないけど、凡人には悪いところあるけど無いから」


 ビシッと俺の眉間に人さし指を付けた凛恋が言う。


「凡人の悪いところはネガティブなところ。でも、私は凡人の全部を愛してるから、それは私にとって悪いことじゃないの。私は凡人の全部を受け入れられてる。凡人の全部が大好き」


 凛恋は俺の腕をグイグイ引っ張ってクスッと笑った。


「やっぱペケ消すのやーめた」

「えっ!?」


 凛恋の突然の言葉に戸惑って聞き返すと、凛恋はニヤッと笑ってから俺の耳元に唇を近付けて囁いた。


「夜の楽しみがなくなっちゃうでしょ?」




 いちご狩りを終えた俺達は、また車に乗ってドライブを始める。凛恋は助手席でラジオから流れる音楽に鼻歌を合わせながら、窓の外ではなく運転している俺を見続けている。


「凛恋、外の景色見なくて良いのか?」

「景色見るより凡人見てる方が良い。運転してる凡人、チョー格好良いんだもん」


 そう言った凛恋は、スマートフォンで俺の写真を撮る。

 俺も凛恋の写真を撮ることは頻繁にあるが、凛恋もよく俺の写真を撮る。ただ、凛恋は俺がスマートフォンを向けると可愛い表情を返してくれるが、俺はいつも上手く表情を返せない。


 いちご狩りを終えてから結構な時間、ドライブが続いてしまっている。だが、凛恋は全く飽きた様子がない。

 俺と凛恋は凄く仲が良いという自負があるし、会話も始まれば結構続く。しかし、全く無言の時がないわけではない。でも、俺と凛恋は無言で居ても自然に寄り添っていられる。


 俺は凛恋以外と居る時に無言が続くと不安になる。何か相手の機嫌を損ねてしまったのだろうか? 相手を退屈させてしまっているのだろうか? そういうことが頭に浮かんで落ち着かなくなる。だけど、凛恋と居る時は無言で居ることが心地良いと感じる。

 俺は凛恋の側では本当に心からリラックスして居られる。だから、俺は会話がなくても全く不安がない。それを感じられる度に、本当に俺と凛恋は相性が良いんだと嬉しくなる。

 車を走らせていると、山道に入ってぐねぐねとカーブが多くなってくる。


「凡人」

「ん?」


 カーブに合わせてハンドルを回していると、凛恋が唐突に名前を呼んでくる。


「凡人って、子供何人欲しい?」

「へっ?」


 俺は凛恋の唐突な質問に答えるよりも、その質問で動揺してハンドル操作を誤らないように全神経を集中する。そして、しばらく走って心が落ち着いてから、俺は小さく深呼吸をして答える。


「一つだけ言えるのは、一人っ子は嫌だなってことかな」

「だよね! やっぱり兄弟姉妹は居た方が寂しくないよね。私も優愛が居て良かったと思うし。うん、やっぱり最低二人は欲しいよね」

「ところで、なんで今のその質問だったんだ?」

「えっ? ボーッとしながら、結婚したら凡人の運転で家族旅行行きたいな~って思ってて、そしたら凡人との子供も当然一緒でしょ? それで、そう言えば凡人は子供何人欲しいのかな~って思って」

「運転中に聞かないでくれよ。めちゃくちゃ動揺した」

「なんでよ~。結婚するのも決まってるんだから、子供作るのも決まってるじゃん。今から慣れとかないと、実際にその時になったらパニックになっちゃうんじゃない?」

「いや……まあ、そうなんだけどさ」

「まあ、顔真っ赤にした凡人が見たかったんだけどね~」

「やっぱりからかったのか……」


 深く長いため息を吐くと、隣から凛恋がクスクス笑う声が聞こえる。


「凡人って、チョーエッチだけど恥ずかしがりだからさ~。こういう話をすると、頭の中でいろ~んな妄想膨らませちゃうもんね~、凡人は」

「そんなことないぞ」

「私に嘘吐いても無駄よ。私は凡人のことならなんでも分かるんだから」


 凛恋が横から俺の頬をツンツンと人さし指で突きながら笑う。

 途中で手打ち蕎麦の店での昼食を挟み、俺の運転する車は山を抜ける。すると、凛恋が窓際にかじり付いた。


「海だ~」


 窓から見える太陽の光を受けて煌めく海に、凛恋は感嘆の声を上げる。日頃あまり海を見る機会なんてほとんどないから、俺も海を見て思わずテンションが上がる。ただ、今回は海に海水浴に来たわけではない。


 山を下りて街中に入り、俺は海沿いにあるとある場所を目指す。そして、予想はしていたがかなり混んできた道路を見て苦笑いを浮かべる。その直後、凛恋が俺の方をジッと見るのを視界の端で感じた。


「凡人!?」

「この前テレビで見て行きたいって言ってただろ?」


 俺は凛恋にそう答えながら、凛恋の本当に嬉しそうな声に自分も嬉しくなる。

 目的地は、海沿いに出新しく出来たショッピングモール。そこには、日本初上陸のファッションブランドの店やお菓子の店もあるらしく、凛恋くらいの年齢の女性に大人気のスポットになっているらしい。

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