【二三三《小さい器》】:二
ニッコリ笑った空条さんが優雅に歩き出し、俺達は空条さんに続いて大使館の建物に向かって歩き出す。
パーティー経験の豊富な空条さんが居るというだけで安心感がある。心配だったパーティーマナーも空条さんのアドバイスに従っていれば、きっと大丈夫だろう。
俺は受付でロニー王子から貰った招待状を見せて中に入る。大使館の中はロイヤル調の内装に高そうな家具や美術品が並べられ、いかにも大使館という雰囲気があった。
大使館内のパーティー会場になる大広間に入ると、既に沢山の人達が大広間内で会話を楽しんでいた。
「なんか場違い感が凄いな……」
「大丈夫だよ。周りも私達みたいなただの学生には興味は向けないし、適当にしてれば」
そう気軽に空条さんは言うが、適当にと言ってもどの辺りで適当にしていれば良いかさえも分からない。だから、とりあえず人の邪魔にならなそうな壁際に突っ立つことにする。
少し壁際で立って待っていると、フォリア王国の外務大臣がスピーチを始める。
「フォリア王国と日本のこれからの友好に乾杯」
随分長々としたスピーチを外務大臣が乾杯で締めくくると、パーティーに参加していた全員が配られたグラスを持ち上げて乾杯した。
乾杯が終わると、立食形式の食事を取るために四人で食事が並べられたテーブルに歩いて行く。テーブルには洋食のメニューが並んでいるが、料理を上から見ただけではなんという名前の料理かは分からない。しかし、どの料理も綺麗に盛り付けられていて、見た目だけでも楽しめる。
「凄い料理ばかり……」
「うん、凄いね……」
凛恋と宝田さんが、並べられた料理を見ながら同じ感想を口にする。
「お飲み物はいかがですか?」
四人で料理を皿に取り、開場の端で食べていると、ドレスを着た女性が愛想の良い笑顔で話し掛けてくる。
「あ、あのシャンパンはありますか?」
「はい。そちらの方々は何かお好みのお飲み物はありますか?」
「私は赤ワインをお願いします」
「私も赤ワインをお願いします」
「私はシャンパンをお願いします」
「かしこまりました」
空条さんと宝田さんは赤ワインを頼み、俺は凛恋と同じシャンパンを頼む。すると、注文を受けた女性は少しその場を離れると、すぐにトレイを持って戻って来て俺達にそれぞれ頼んだ飲み物の入ったグラスを手渡して戻って行く。
さっきの女性はいわゆるパーティーコンパニオンと呼ばれる人なのだろう。しかし、女性に飲み物を持って来てもらうというのは、コンパニオンの仕事だとしても申し訳ない気持ちになる。
「凄く良いシャンパンなのかな? チョー飲みやすい」
食事を食べながら、凛恋がシャンパンを飲んで俺に笑って話し掛ける。その凛恋は子供のように可愛い笑顔を浮かべていて、俺はその凛恋の笑顔にさっきまで感じていた緊張が和らいだ。
「凛恋さんはシャンパンが好きなんですか?」
「え? あっ、ロニー王子。この度はお招きいただきありがとうございます」
シャンパンを飲んで喜んでいた凛恋に、横からロニー王子が声を掛ける。それに、凛恋は俺の腕に手を回しながら丁寧に挨拶をした。
「いえ、こちらが無理を言って来ていただいたので。空条さんも宝田さんもありがとうございます」
「い、いえ! こちらこそお招きいただきありがとうございます!」
「ありがとうございます。素敵なパーティーですね」
爽やかな笑顔で話し掛けたロニー王子に、ド緊張の宝田さんと余裕の笑みを浮かべる空条さん。その二人を見比べると、パーティーに慣れているかいないかが一目瞭然だった。
「多野さんもありがとうございます。本当に助かりました。これで、両親に報告されても格好が付きますよ」
俺の方を向いて、ロニー王子はニッコリ笑ってそう言いながらパーティー会場に来ている人達に視線を流す。どうやら、ロニー王子の両親が来るわけではなく、後ほどロニー王子の関係者から報告が行くだけのようだ。ほんの少し、フォリア王国の国王と挨拶しなければいけない状況を想定していただけに、俺はそうならずに済んで安心した。
「良かったです。でも、王子は私達と話してて良いんですが? 参加者の人達と挨拶しないといけないんじゃ?」
「全員と軽い挨拶は既に済ませているので、多野さん達とはゆっくり話をしたかったので最後に来ようと」
「そうですか」
「私の出番は、あとはこの後のダンスくらいですね」
「やっぱり、ダンスもあるんですか」
俺はロニー王子から不穏な単語を聞いて、背中に嫌な汗を掻く。
パーティーに参加することなんて無い俺だが、パーティーと言えば参加者が軽いダンスを踊るというイメージがある。そのイメージ通り、今回のパーティーにもダンスの時間が存在するらしい。しかし、俺はダンスなんて体育の授業であるような創作ダンスしか踊ったことがないし、パーティーで踊るような社交ダンスを踊れと言われても無理だ。きっとロニー王子も一般庶民がダンスの心得なんて持っていないのは分かっているだろうし、多分俺は踊らなくても良いだろう。
「私のダンスの相手をしていただきたいのですが? 踊ってくれませんか?」
「あ、あの……私、こういう場で踊るダンスは踊ったことがなくて……」
ロニー王子にダンスへ誘われた宝田さんは、目に見えて緊張が増した様子で答える。
「奈央。ロニー王子なら上手くフォローして下さるから大丈夫よ」
不安そうにロニー王子へ答えた宝田さんに、空条さんが肩に手を置きながらそう言う。空条さんの言う通り、ロニー王子なら女性をダンスでリードするくらい朝飯前に決まっているだろう。
「じゃあ、ぜひお願いします」
「ありがとうございます。でも、お誘いするのは私の方なので、宝田さんは私と踊ってあげるか、というくらいの気持ちで居て下さい」
「そ、そんな!」
ロニー王子が微笑みながら言った言葉に、宝田さん目を見開いて両手を振る。しかし、宝田さんの表情にはさっきまであった固さはない。ロニー王子が上手く宝田さんの緊張をほぐしたのだ。
「空条さんも凛恋さんも良いですか?」
「えっ?」
俺は思わずそう小さな声を漏らすが、その声はパーティー会場内の喧騒に掻き消された。
「はい。よろしくお願いします」
空条さんは自然な笑顔でロニー王子の誘いを受ける。そして、俺は黙って視線を凛恋の横顔に向けた。そして、内心で思った。
断ってほしい、と。
「よ、よろしくお願いします」
俺の気持ちとは裏腹に、凛恋はロニー王子の誘いを受けた。その凛恋の言葉は、喧騒に掻き消されることなくはっきりと聞こえた。そして、その声を聞いた瞬間、俺は自分の全ての意識と感覚が遠くなるような錯覚に陥った。
パーティーのダンスは、出来る限り受ける方が良いというのは聞いたことがある。でも、どんなことがあっても絶対に断ってはいけないわけではない。
凛恋は男性が苦手だ。だから、男と手を取り合って踊るというのは精神的に辛いに決まっている。ただ、それは断る理由としては使えない。でも、歩き慣れない靴で足を痛めているとでも言えば断る理由にはなった。だけど……凛恋は断らなかった。
きっと、凛恋は踊らなければロニー王子に失礼だと思ったのだろう。凛恋は優しい子だから、相手に失礼があったり傷付けたりすることをしない子だ。だから受けた。そうは思うのに、俺以外の男の誘いを受けたことに、俺は男らしくない気持ちに心が覆われる。
俺はこの気持ちを明確な言葉で言い表せられる。……単純にそれは嫉妬だった。俺は、ロニー王子に嫉妬したのだ。
凛恋は俺以外の男に対しては、一定の距離を取るし心の壁を作る。その状況は決していいことではない。今の、ロニー王子のダンスの誘いを凛恋が受けたことは、凛恋が俺以外の男性にも上手く接することが出来るようになったということだ。それを、俺は凛恋の彼氏として喜ばなくてはいけない。なのに俺は、凛恋が断らなかったことにハッとしてしまった。凛恋が俺以外の男と手を取り合うことを許容したことを、残念だと思ってしまった。
俺が自分の心に湧いた冷たい感情に苛まれていると、いつの間にかパーティー会場内に優雅なワルツが流れ始め、会場内では男女がペアを作ってダンスを始めていた。
「凛恋さん、私がリードしますので私の言う通りに付いて来て下さい」
「は、はい」
ロニー王子は凛恋の手を下から取って、凛恋を連れて会場の中央に向かって歩いていく。そして、ロニー王子が凛恋の腰に手を回した直後に、視線を逸してパーティー会場の外に出た。
トイレへ行く。そういう理由を自分の中に作って、俺は自分が視線を逸したことから意識を逸らそうとする。
ダンスを踊るために腰を抱くのは普通のことだ。そうしないと踊り辛い。そうは分かっているのに、目を逸したくなるほど嫌だった。
ロニー王子にいやらしい気持ちは全くないに決まっている。それなのに、俺以外の男が凛恋を抱き寄せていると思った瞬間、胸の奥から吐き気がせり上がってきた。今自分の胸の中にある吐き気を抑えるには、その場から離れるしかなかった。だから、俺は逃げるように会場から出てくるしかなかった。
俺は形だけトイレを済ませて、ほんの少し扉から漏れ出るワルツを聴きながら、通路にあったソファーに腰掛けた。
ついさっきまでは、パーティーの雰囲気にも慣れて凛恋達と楽しく話せていた。それなのに、今はその楽しかった気持ちはどこへ行ったのかと思うくらい気分が落ち込んでいる。その自分に、俺は自分がなんて器の小さい人間なんだろうと思い恥ずかしくなった。
たかだかダンス一曲。その間だけ、凛恋が自分以外の男と踊るのも許容出来ないのか? そう自分に問い掛けて、より自分の器の小ささを認識してしまい気分が落ち込む。
「戻らないと……」
パーティーでのダンスがどれくらい踊るのかは分からないが、ロニー王子は凛恋達三人と踊ると言っていた。だから、そんなに長い間踊ってはいないだろう。
踊り終えた凛恋が俺が居ないことを不審に思ったら、勘の良い凛恋は俺がロニー王子に嫉妬したことに勘付くかもしれない。そんな恥ずかしいことはなんとしても避けたかった。でも、一度座った俺の体は重い。
下へ視線を下げた俺は、自分の足と手が震えているのを見た。それを見て、俺は自分の体に血の気がサッと引くのを感じる。
「俺は……怖いのか?」
震える手と足を見ていた俺は、必死に乾いた笑いを浮かべて自分をあざ笑う。
馬鹿じゃないのか? 何を怖がる必要がある? 俺は何に怖がっている? もしかして、凛恋がロニー王子に取られると思ってるのか? そんなことあるわけないだろ?
怯える自分を笑い、俺はゆっくりと立ち上がる。
感じる感覚の薄い手足を動かしてパーティー会場に戻った俺は、会場の中央で踊っている空条さんとロニー王子を見る。すると、側に凛恋が並んで俺の腕をそっと抱いた。
「凡人、どこに行ってたの?」
「ごめん。ちょっとトイレに行ってた」
「もう。凡人が居なくて不安だったんだから……」
凛恋のその言葉を聞いて、俺は体の感覚が一気に戻る。そして、俺は心がすっと落ち着くのを感じた。しかし、それと同時に心に小さな傷が付くのも感じた。
凛恋が俺に頼ってくるのが心の底から嬉しかった。でも、心の底から嬉しく思う俺は同時に心の底からホッと安心していて、その安心する自分に対して軽蔑のような感情が浮かぶ。
「ロニー王子と踊ってる時に、男性が苦手なのにダンスに付き合わせてごめんなさいって謝られちゃった」
「え?」
俺は凛恋の言葉に戸惑う。ロニー王子は凛恋が男が苦手ということを分かっていた。だったら、なぜロニー王子はダンスに誘ったのだろう。
「一度踊れば、他の人に誘われても疲れたって言って断りやすくなるから、それで断れば良いですよって言ってくれたの」
「そう、なのか……」
ロニー王子は凛恋が男に誘われても断りやすくするために自分と少し踊らせた。それは、ロニー王子が凛恋に気を遣ってやったことだった。それなのに俺は、他の男と踊ったという現実だけで、ロニー王子に嫉妬した。
「ロニー王子、凄く優しい人だよね」
凛恋が、空条さんと踊り終えたロニー王子を見てそう言う。でも、その凛恋の言葉に同意する余裕は俺になかった。
ロニー王子は、地位、名誉、財力、権力も持っていながら人格も素晴らしい。それに、男としても女性に凄く気を使える。
「やっぱり、人が多いところは気疲れするな……」
「大丈夫?」
「ああ、何とか最後までいけそうだ」
俺は、凛恋に不審感を抱かれる前に自分が気疲れしていると口にして、凛恋に俺の様子が変な理由を誤認させる。そうして、自分の器の小ささを隠した。
「私もちょっと疲れちゃった。凡人、トイレ行きたいから付いてきて」
「分かった。トイレに行ったら少し休憩しようか」
腕を抱く凛恋を連れて俺はまたパーティー会場から出る。そして、俺は周りに悟られないように、凛恋に心の中を勘付かれないように、さり気なく凛恋の体を自分の側に引き寄せた。その自分の行動にもまた、俺は自分という人間に途方もなく深い劣等感を抱いた。
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