【二三一《利己は執拗に絡み合い利他を装い、利他を装った利己は自照しながら自傷することで、利他を装ったことに償い純粋であろうとする》】:一
【利己は執拗に絡み合い利他を装い、利他を装った利己は自照しながら自傷することで、利他を装ったことに償い純粋であろうとする】
「多野くん、同じ大学に通ってるフォリア王国の王子様って知ってる?」
アルバイトの休憩中コーヒーを飲んでいると、帆仮さんが何気なくそう尋ねる。
「有名人ですからもちろん知ってますよ」
「話したことある?」
「ええ、何度か話したことありますよ」
ロニー王子とは、隣に座ってサッカーを観ながら話したし、茶店では恐れ知らずにもほどがあるロニー王子を説教するという暴挙を俺は冒した。今になって冷静に考えれば、本当にロニー王子が人格者で良かったと思う。もし、空想の世界に存在するようなわがまま放題の王子だったら、ちょっと説教しただけでキレられて国際問題になりかねない話だった。
「やっぱり帆仮さんから見ても、ロニー王子って格好良いですか?」
「もちろん格好良いよ。身長は高いし顔立ちも整ってるし、それにニュースで見たけどサッカーも上手いし。笑顔も爽やかだよね」
「ですよね。大学でも大人気ですよ。留学初日ほどではないですけど、今でも大名行列みたいに女子学生が群がってます」
「でも、仕方ないよ。だって、王子様だからね~」
「玉の輿とか狙ってる子も多そうですよね」
ニコッと笑った帆仮さんに、正面から平池さんがチョコレート菓子を食べながら話す。確かに、あれだけイケメンで金も持っているなら、そういう理由で近付いてくる女性が居てもおかしくない。
「一国の王子様なら将来も安泰だし、安泰どころか贅沢三昧出来そう。多野くん、王子様紹介してよ」
「いや、無理ですよ」
俺は手を横に振って否定する。もちろん平池さんは冗談で言っていて本気で言っているわけではない。
どこの世界に一国の王子様を個人的に呼び出し、アルバイト先の女性社員を紹介する庶民が居るのだ。そもそも俺はロニー王子と連絡先の交換さえしていないから、連絡の取りようがない。
「絵里香。私達には完全に雲の上の人だよ」
「美優に言われなくても分かってるわよ。上手く結婚出来たとしても、お金はあっても自由がなくて大変そうだしね」
田畠さんに横から笑われた平池さんは、唇を尖らせながら椅子に背中を持たれ掛けて答える。
確かに、ロニー王子くらいの家柄の人と結婚する人は、結婚すること自体もだが、結婚した先の人生も大変だろう。
ロニー王子は第一王子だ。第一王子ということは、将来は国王になるのだろうし、そういう家柄に嫁ぐということは生半可なことじゃない。生活に自由は利かないし、行動一つ一つにも常に周囲から視線を向けられる。そんな生活、想像しただけでも息が詰まる。
ただ、俺の場合はそんな息の詰まるような家柄でもないし、凛恋の家も俺と同じ一般庶民だ。それに、凛恋の両親も妹の優愛ちゃんとも仲良く出来て、将来結婚した後も楽しい生活しか想像出来ない。
「帆仮さんはどう思います?」
「私? 私は王子様と結婚には憧れるけど、現実はそんなこと無理だって分かってるからね」
「そうですか? 大人の魅力で意外にコロッと行けるかも知れませんよ?」
一国の王子に対してコロッとなんて話をするのは失礼な話だが、休憩時間の雑談だし王子にも聞かれない話だ。ただ、きっとロニー王子の動き方から察するに、明らかに女性慣れしているのは見て取れる。自然と女性をエスコートするのも自然な笑顔で話すのも、上流階級の男性に必要な能力だから身に付けているだけなのかもしれない。だが、それでも確実に言えるのは、俺よりは間違いなく女性の扱いが上手いということだ。
住む世界が違うというのは、ロニー王子と会った時から感じている。どんなに気さくに話し掛けてくれたとしても、その意識を拭うことは出来ない。
大学の送り迎えはリムジンで、大学の中でも外でも護衛の人が身辺警護をしている。そんな大学生はそうは居ない。それに、やっぱりロニー王子の体から出るオーラが一般人のものではない。
幼い頃から一国の王子として育ってきたからこそ持っているそのオーラは、ロニー王子の立場と気品を守るバリアでもある。でも見方を変えれば、他者を寄せ付けない高い城壁のようなものだ。安易に越えられる壁ではないし、越えた瞬間に衛兵に捕らえられる恐れがある。だから、大学でもロニー王子に群がる女子生徒は沢山居るが、まだそのロニー王子の前に立ち塞がっている意識の城壁を越えた人は居ない。
そう思って、俺はふとロニー王子には腹を割って話せる人が居るのだろうか? そう思った。
多分、ロニー王子の家族はそういう存在だと思う。でも、家族以外にそういう人は居たんだろうか? 俺にとっての親友達や、俺にとっての凛恋のような存在が。
もし、そういう存在が家族以外に居なかったとしたら……ロニー王子は、家から一歩出ればどこにも心が安まる場所がないということだ。常に、フォリア王国の第一王子として恥ずかしくない行動を心掛けて、国の名前に、王族の家名に傷を付けないように心掛け続けていたのかもしれない。それは、どれだけ心に負担が大きいか想像も出来ない。だけど、ロニー王子は常に笑顔を絶やさない。
「さて、続きやろ~」
隣で帆仮さんがそう言いながら背伸びをするのを見て、俺は頭の中に浮かんだ思考をすぐに仕事に切り替える。そして、小さく気合いを入れるように息を吐いてから、目の前のパソコンのキーボードを両手で叩き始めた。
休日、俺は夏美ちゃんが居る児童養護施設を訪れた。
俺は長い間、夏美ちゃんと距離を取っていた。でも、それは、夏美ちゃんがもう一歩大人に向かって成長するためには必要なことだった。だけど、心の中で心配という気持ちはあった。
俺が出会った時の夏美ちゃんは、寂しさから出会い系サイトで男性を探していた。今はそういうことをすることはないとしても、孤独感に追い込まれた時には二度とないとは言い切れない。実際、前に俺の気を引くためか、出会い系サイトで男性と会おうとしたことがあった。だから、俺はまだ夏美ちゃんの心が不安定なことが心配だった。
施設のロビーで待っていると、夏美ちゃんが施設の奥から駆けて出てくる。そして、俺に明るい笑顔を向けて手を振った。
「凡人さん!」
「夏美ちゃん、久しぶり」
夏美ちゃんは前に来た時と変わらずスウェット姿だったが、表情は明るく顔色も良かった。
「夏美ちゃんにお土産買ってきたんだ」
「ありがとうございます! わあ! シュークリーム!」
持ってきた箱の隙間から中身を見た夏美ちゃんは、明るく弾んだ声を上げる。今年で高校二年になるが、夏美ちゃんの反応を見ていると、高二にしては反応が少し幼く見えた。
「凡人さん、部屋で一緒に食べましょう」
「ありがとう」
両手で大事そうにシュークリームの入った箱を抱えてくれた夏美ちゃんの後をついて部屋へ行く。
「あっ! お皿持ってくるので待ってて下さい」
「ありがとう。急がなくて良いからゆっくりね」
部屋に入った瞬間、夏美ちゃんは皿を取りに部屋を出て行く。
俺は、夏美ちゃんの居ない部屋でカーテンの掛かった窓を見詰めながら小さく息を吐いた。
今日、ここに来る前に俺は凛恋に「夏美ちゃんの様子を見てくる」と言った。それに凛恋は「いってらっしゃい」とは言ってくれた。でも、凛恋が俺を快く送り出してくれたわけではないのは分かった。
凛恋は夏美ちゃんのことが好きじゃない。それは、俺が凛恋を好きだと言う男達に抱いてきた感情と同じものだ。それは単に嫉妬とも呼べる感情だが、それよりももっと複雑で冷たくない感情だ。
自分が好きな相手だから、自分以外の誰かが好きになる可能性は大いにある。だから、好かれることは仕方ない。そう思えるのに、仕方ないからと言って許容出来ない気持ち。そういう気持ちを俺も抱いたことがあるからこそ、凛恋の気持ちが痛いほど分かった。
「お待たせしました!」
皿を取ってきた夏美ちゃんは、箱の中からシュークリームを取り出してテーブルの前に座る。
「頂きます!」
「頂きます」
俺は夏美ちゃんと向かい合って座り、正面で美味しそうにシュークリームにかじり付く夏美ちゃんを見てホッとする。本当に元気そうで良かった。
「夏美ちゃん、学校はどう?」
「新学期になってクラスが変わりましたけど、あんまり学校生活は変わらないです」
「そっか」
「でも、凡人さんが来てくれたんで凄く嬉しいです」
ニコッと笑った夏美ちゃんは俺をジッと見る。そして、小さく小首を傾げ頬を赤らめて言った。
「やっぱり、凡人さんは格好良いです」
「ありがとう。お世辞でも嬉しいよ」
「お世辞じゃありませんよ。高校の男子はみんな子供みたいで、凡人さんみたいに格好良くないです。ううん、街で見る人みんな凡人さんよりぜんぜんを格好良くないです」
夏美ちゃんは立ち上がって俺の隣に座り、俺にもたれ掛かってくる。それを俺が手で制すると、夏美ちゃんは俺の顔を横からジッと見上げる。
「凡人さん、好きです」
「夏美ちゃん、ごめんね。俺には彼女が居るから」
「凛恋さんよりも私の方が凡人さんを大切にします」
「ごめん。俺は夏美ちゃんを友達だと思えるけど、好きな人とは思えないんだ」
「今はそうでも、いつか好きになってもらえるように努力します。凡人さんはどんな女の子が好きですか? 可愛い系? 綺麗系? 服の好みとかあったら教えて下さい。凡人さんが好きな服に合わせます」
「夏美ちゃん……」
真剣な表情で俺を見詰めて聞く夏美ちゃんは、尋ねるというよりも俺を問い詰めているかと思うほど、気持ちが急いているように見えた。
「凡人さん、私をここから連れ去って下さい。ここの人達は信用出来ないんです」
「施設の人はみんな良い人達だと思ったけど、何かあったの?」
「私、聞いたんです。施設の職員の人とカウンセラーの人が話してるのを。施設の人達は、私から凡人さんを遠ざけようとしてるんです」
真剣な表情の夏美ちゃんを見て、俺は心の中で植草さん達の迂闊さを嘆いた。
きっと、夏美ちゃんの分離不安障害の治療方針として、俺と会わせる回数を徐々に減らそうと話していたのを夏美ちゃんに聞かれたのだろう。それを夏美ちゃんは、植草さん達が悪意を持って夏美ちゃんと俺を引き離そうとしていると思ったのだ。
「夏美ちゃん、植草さん達は夏美ちゃんを助けようとしてるんだ」
「私を助ける気があるなら凡人さんを私から引き離そうとしません。私は凡人さんが居ないとダメなんです」
ギュッと俺の手を握った夏美ちゃんは、涙目になっていながら俺にしがみついた。
「凡人さんが居なくなったら、私……生きていけません」
「俺はずっと夏美ちゃんの友達だよ。それに、夏美ちゃんはそんなに弱い子じゃないよ。俺なんかに頼らなくても、ちゃんと生きていける」
「あの人達に何か言われたんですか?」
「何も言われてないよ。でも、みんなで夏美ちゃんを助けようって話してる。みんな夏美ちゃんのことを真剣に考えてる。だから、心配しないで」
「でも……凛恋さんは私から凡人さんを盗ろうとしてる」
夏美ちゃんに言い聞かせるように話していた俺は、矛先の変わった夏美ちゃんの言葉に心の中でどう答えようか迷った。
「凛恋さんは私なんて死ねば良いと思ってます」
「夏美ちゃん、凛恋はそんなこと絶対に思ってない」
「思ってますよ。凡人さんと一緒に来る時、私のこと睨んで消えろって念じてます」
「夏美ちゃん、凛恋のことを悪く言うのは止めてくれ。凛恋は俺の大切な彼女なんだ」
夏美ちゃんの両肩に手を置いて言うと、夏美ちゃんは俺の目をジッと見てから唇をギュッと噛んで目から涙を零した。
「凛恋さん可愛いから絶対にモテます。だからきっと、彼氏は凡人さんじゃなくても誰でも良いんです。でも、私には凡人さんしか居ないから、凡人さんを独り占めしながら、私のことを見て笑ってるんです」
「夏美ちゃん、凛恋はそんな子じゃない。凛恋だって――」
『高校生が私の彼氏を狙ってんの。分離不安障害だかなんだか知らないけど、チョーウザい』
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