【二三〇《分け隔てなく》】:二
ロニー王子が移動すると、俺の周囲に座って居た女子学生達は当然のように移動していく。ただ、俺はそれに寂しさは感じずホッとした。周囲に沢山の人が居るという状況はやっぱり苦手だからだ。
「多野くんってロニー王子と友達だったの?」
「空条さん。いや、友達ってわけじゃなくて知り合いかな? 少し前に大学の外で声を掛けられたことがあるだけだよ」
後ろから声を掛けてきて隣に座った空条さんに答えると、その隣に宝田さんも座る。俺はその二人に首を傾げた。
「二人もロニー王子の追っかけ?」
「ううん。私は奈央の付き添い」
クスッと笑った空条さんが視線を宝田さんに流しながら言うと、言われた本人の宝田さんは少し恥ずかしそうにはにかむ。宝田さんにそんなミーハーな一面があったなんて知らなかった。
空条さんと話をしていると、グラウンドにスポーツウェア姿のロニー王子が戻って来て、その姿にグラウンドがより色めき立つ。しかし、その色めき立ったグランドは、ロニー王子がプレイを始めた瞬間に、より色めき立って黄色い歓声に溢れた。
ボールを扱うロニー王子の技術は、素人目にも上手いと言える。現に、試合に参加しているサッカーサークルのメンバー達は面白いように躱されていた。
顔も良くて頭も良くて運動も出来て財力も名誉もある。それに、あまり面識のない学生にもフレンドリーに接する気の良い性格。それを頭の中で考えて、天は二物を与えずということわざが嘘としか思えない。
「うちに留学してきてから、ずっと人気者だよね、ロニー王子」
「まあ、一国の王子様だからね。注目を浴びて当然だと思うよ」
「そう? 私はそこまでキャーキャー言うほどじゃないと思うけど?」
「いや、男の俺でもロニー王子はイケメンだと思うし、気さくだから人に慕われる良い人だと思うけど?」
サッカーをするロニー王子を観ながら、俺は空条さんとそんな話をする。その空条さんの横顔に視線を向けると、空条さんは首を傾げた。
「う~ん……なんか、ときめかないんだよね、私は」
「そうなんだ。まあ、人の好みは人それぞれだし、空条さんの好みではないだけなのかもね」
ロニー王子にときめかない女子が居る。それをにわかには信じられないが、実際に空条さんは他の女子学生のように色めき立った様子はないし、ロニー王子に向ける視線も落ち着いたものだった。
サッカーの試合が終わると、ロニー王子はサッカーサークルのメンバーに手を振って俺の方向に歩いてくる。すると、ロニー王子は俺の隣に居る空条さんと宝田さんを見てニッコリ笑った。
「宝田さん、空条さん、こんにちは」
「ロニー王子、こんにちは」
「こ、こんにちは」
話し掛けてきたロニー王子に、自然と返事をする空条さんと、緊張した様子で返事をする宝田さんを見て、俺は向かい合う三人を交互に見る。
「宝田さんと空条さんは、この前講義終わりに少し話をしたんだよ。挨拶程度だったけどね」
俺の様子を見て察したのか、ロニー王子がそう説明をする。しかし、挨拶程度の会話しかしていない二人の顔と名前を覚えているなんて凄い。
「二人が多野さんと知り合いだというのは知らなかったけど」
「二人は一年の頃からの友人なんですよ」
「そうなんだ。こういうのが縁って言うのかな?」
ニッコリ笑ったロニー王子は、そう言った後にハッとした表情をする。
「そうだ。この後三人は何か用事がある? 良かったら一緒にカフェで話をしない?」
「えっ!?」
ロニー王子に尋ねられて、宝田さんはビクッと体を跳ねさせながら驚いた声を上げる。そりゃあ、追っかけてきた相手からお茶に誘われればびっくりして当然だ。
「私は大丈夫ですよ」
「わ、私も大丈夫です!」
空条さんと宝田さんがそう返事をして、俺はどうしようか悩む。
今日はレディーナリー編集部でのアルバイトがない日だ。だから、学校終わりに時間があるのはある。しかし、俺はロニー王子と一緒にお茶して何を話せば良いか分からない。だが、視界の端で宝田さんがウルウルとした視線を俺に向けてくる。それはきっと、誘いを受けてくれという意思からの視線だ。
多分、ロニー王子は俺が断っても空条さんと宝田さんの三人でカフェへ行くと思う。それだけの、それが自然で下心のない交流だと周囲に思わせられる気さくさをロニー王子は持っている。ただ、男の俺が居ればより周囲に対する見え方は良くなる。
「私も良いですよ」
俺は宝田さんの期待に応えて、ロニー王子にそう返事をする。友達が憧れの人と過ごせる時間を作れるなら、俺は友達として多少の苦手を我慢するだけの気持ちは持っている。
「良かった! すぐに車を回させるから待ってて」
俺達に一言そう言ったロニー王子は、スマートフォンを取り出して電話を掛け始める。俺はロニー王子の電話を待ちながら、視界の端で真っ赤な顔のまま固まっている宝田さんを見て微笑んだ。
「みんな、校門前に車を回してもらったから行こう」
電話を終えたロニー王子が歩き出し、俺達も後ろに続いて歩き出した。
周囲では、変わらず主に女子学生がぞろぞろと付いて来て、ロニー王子と一緒に校門まで歩いて行く。
校門前に止まっている白いリムジンに近付くと、護衛の男性達がロニー王子に群がる女子学生を近付けさせないように制する。その手際の良さから、やっぱりプロの護衛だと思うし、フォリア王国本国でも同じような様子なのだろうかと思う。
「空条さん、宝田さん、どうぞ」
「ありがとうございます」
「し、失礼します」
ロニー王子は手慣れた様子で空条さんと宝田さんをリムジンの中にエスコートする。
「多野さんもどうぞ」
「失礼します」
空条さんと宝田さんが乗り込んでから、俺もロニー王子に勧められて中に乗り込む。パリで空条さんの家のリムジンに乗ったことはあるが、一度乗ったからと言ってリムジンに乗り慣れるわけもなく、高級感溢れるシートの上に座っても全く落ち着かなかった。
「出してくれ」
リムジン内に備わった受話器にそう言って元に戻したロニー王子はニッコリ微笑む。
「沢山の人と話すのも良いけど、少ない人数の方がゆっくり話せるから、多野さん達が付き合ってくれて嬉しいよ」
「私も、誘って頂いて嬉しいです! それに、名前も覚えてもらえて」
「人の顔と名前を覚えるのは得意なんです」
宝田さんにそう答えるロニー王子を見て、王子の生活を知っているわけではないが、きっと小さい頃から王子として色んな人と顔を合わせることが多かったんだろうと思う。今の宝田さんのように、一度話しただけの相手の名前も覚えているというのは、周囲から見て印象が良い。そういうのもあって、もしかしたら名前を覚える努力をしてきたのかもしれない。
「日本に来た時に、内閣総理大臣と会食をしてね。それで、この辺りでおすすめのカフェやレストランを教えてもらったんだ。でも、行きたいとは思ってたんだけど今までタイミングがなくて」
「ロニー王子のような立場のある人になれば、私達みたいに自由に出歩くのは難しいでしょうね」
空条さんはロニー王子とも自然な笑顔を交えて会話をし、なんだか慣れているような感じもする。しかし、冷静に考えれば空条さんは良いところのお嬢様なんだし、上流階級の人と接する機会は明らかに俺のような庶民よりは多いだろう。
「日本の人達は凄く丁寧だからね。護衛も本国より手厚いよ」
ニコッと笑ったロニー王子は、少し肩をすくめる。きっと、留学初日に見た白バイの護衛に付いて話しているのだろう。確かに、あれは異様な光景だったし過剰に見えた。
「そういえば、ロニー王子はなぜ留学先を日本に?」
「日本が好きなんだ。日本の文化は本当に素晴らしい。日本のお城や庭園も素晴らしく綺麗だし、日本食も味も当然だけど見ても繊細で楽しい。あとは、日本の女性がとても美しいからかな?」
俺の質問に真面目に答えながら、軽いジョークで締めくくったロニー王子は自然なウインクをする。それに、宝田さんは真っ赤な顔になって、空条さんはニッコリと笑みを返した。
今の言葉を、俺が言ったら確実にキザっぽく聞こえて人を不快にするだろう。しかし、ロニー王子が言うと、自然な会話の中の軽いジョークくらいに聞こえる。それもやっぱり、ロニー王子の容姿と王子という立場がそうさせているのかもしれない。
王子と付くだけで、完全に庶民の俺とは意識の境界線が出来る。その境界線が、住む世界が違うという意識を俺に持たせ、王子の言葉がその意識のフィルターに通されるようになる。だから、ロニー王子の言葉には変な臭さを感じない。
俺達を乗せたリムジンは結構な距離を走り、街中ではあるが、いわゆるコーヒーをたしなむ喫茶店ではなく、抹茶をたしなむ日本らしい茶店の敷地内に入る。
「ここは、苦くて飲みづらい抹茶をアレンジして飲みやすく提供してるそうなんだ。だから、抹茶に飲み慣れない私にもお勧めだって言われたんだよ」
「抹茶は日本人でも苦味が苦手な人は居ますしね」
俺はロニー王子の次に下りて、俺は空条さんを、ロニー王子は宝田さんをエスコートする。俺にはエスコートする文化はないが、ロニー王子一人に二人もエスコートさせるわけにもいかないし、何より同じ男としてボーッとしてるなんてしたくはなかった。
茶店は茅葺(かやぶ)き屋根をした日本の伝統家屋風の建物で、建物の前には赤い布の掛けられた縁台と、縁台に陰を作るように設置された赤い野点傘(のだてがさ)という、いかにも茶店という光景だった。
「素晴らしい。やっぱり趣があって良いね」
ニコニコと笑ってご機嫌の様子のロニー王子が茶店の外観をスマートフォンで熱心に撮影する。俺がその間に店員さんに声を掛けようとしたら、サッと俺の横から護衛の男性が前に出て茶店の店員さんに声を掛けに言った。
「多野くんの出番、今日はなさそうだね」
「そうだな。護衛の人の仕事かは分からないけど、あまり出過ぎたことはしない方がいいね」
護衛の人が、入店の許可まで取るものなのか分からないが、確実にロニー王子にはそういう世話役の人は一人は存在するはずだ。だから、俺が勝手に動くよりも、ロニー王子のことを分かっている人が動いた方が無難なのは間違いない。
「みんな、好きな物を頼んで」
「ありがとうございます」
「あ、ありがとうございます!」
「ご馳走になります」
俺はあまりおごられるということが好きではないが、断ったら誘った側のロニー王子の立場がない。だから、ここは空条さん達と一緒に大人しくおごられておくのが良い。
ロニー王子は店員さんに、熱心な様子でメニューに書かれている飲み物と和菓子について質問をする。それを見ている宝田さんはボーッとしていて、完全に恋する乙女という感じの眼差しだった。
「そういえば、あんまり日本に住んでてもこういう茶店って来ないな~」
「そうだね。私も茶店に来るのは凄く久しぶり。前に海外から来た父親の“お知り合い”と同席した以来」
「なるほど、空条さんも色んな“お知り合い”が居て大変だね」
お知り合いという言葉を強調して言った空条さんの言葉を聞いて、何となくその時の状況を察する。
「多野さんと空条さんは仲が良いんだね」
「凄く仲が良いですよ。友人を交えて良くお酒を飲みます」
注文するメニューが決まったロニー王子が、俺と空条さんを交互に見て微笑みながら言う。それに空条さんも微笑んだ。
「もしかして、多野さんはオープンリレーションシップの考え方を持ってるの?」
「オープンリレーションシップ?」
「ロニー王子。多野くんはモノガミーのはずですよ」
俺はロニー王子に尋ねられても答えられず、代わりに空条さんが答えてくれる。しかし、俺はどっちの話も理解出来ずに戸惑った。
「そうなんだ。失礼なことを聞いてごめんなさい」
空条さんの言葉を聞いたロニー王子は、本当に申し訳ないという様子で俺に頭を下げて謝る。その様子を見れば、俺がロニー王子が頭を下げるほど失礼なことを言われたようだ。だが、未だに状況が理解出来ていない。
「多野くん、オープンリレーションシップについては自分で調べてもらえない? ちょっと、私から言うのは……」
「え? あ、うん」
空条さんが顔を真っ赤にして俯いたのを見て、俺は更に状況が分からない。ロニー王子が頭を下げて謝って、空条さんが顔を真っ赤にして説明出来ないことなんて全く想像出来ない。
俺はロニー王子が宝田さんと話し始めた隙に、スマートフォンで『オープンリレーションシップ』という単語を調べる。
「――ッ!?」
スマートフォンでインターネットのサイトに載ったオープンリレーションシップの説明を読んで、俺はびっくりしながら眉をひそめる。なるほど、これはロニー王子も謝るし、空条さんも顔を真っ赤にして説明出来ないわけだ。
オープンリレーションシップは、恋愛関係や婚姻関係であっても、相手が他の異性とセックスをしても構わないという考え方を持っている関係の状態を指す言葉らしい。確かに、これは失礼な話だ。
オープンリレーションシップの関係を築いている人達にとっては普通のことでも、俺はそういう関係も考え方も持っていない。
ただ、いきなり相手にオープンリレーションシップかなんて尋ねるということは、その相手にとっては「あなたは、誰とでもエッチ出来る人なの?」と聞かれたようなものだ。だから、ロニー王子は俺に平謝りしたのだ。それに、それは俺だけではなく空条さんにも失礼な話だ。
ロニー王子は、俺と空条さんが仲良く話している様子を見て、俺はオープンリレーションシップなのかと聞いた。つまり、俺だけじゃなくて空条さんに対しても、空条さんが軽い女性だと言ったのだ。
「ロニー王子、俺だけではなく空条さんにも謝って下さい」
「「え?」」
宝田さんと話していたロニー王子にそう言うと、宝田さんと空条さんが同時に声を上げる。しかし、いくら一国の王子だからと言ってもこのままではダメだ。
「さっき俺には謝ってくれましたが、空条さんには謝ってませんよね?」
「あっ、申し訳ない。つい気が動転していて! 空条さん、本当に失礼なことを言ってごめんなさい」
俺の指摘に、ロニー王子は真っ青な顔をして俺にしたよりも深く頭を下げて空条さんに謝る。すると、空条さんは両手を振ってロニー王子に首を振った。
「大丈夫です。もう気にしてませんから頭を上げて下さい」
ロニー王子に空条さんがそう声を掛けると、恐る恐る顔を上げたロニー王子が空条さんの顔色を窺う。その空条さんがニッコリ微笑むと、ロニー王子は本当にホッとした様子で息を吐いた。
「多野さんに言われた通り、多野さんだけじゃなく空条さんにも失礼な話だった。多野さんと空条さんが優しい人で良かった。多野さんは本当に良い人だね」
そう言ったロニー王子は俺を見て口元をクスッと笑わせてから慌てて口を手で隠す。そして、優しく微笑みながら軽くウインクした。
「僕に本気で怒りを向けたのは、父と母と家庭教師と多野さんで四人目だったよ。でも、その中で一番目が怖かった。友達のために本気で怒れる人なんて、世の中にはそうは居ないよ」
「え? いや……俺の方こそすみませんでした。ちょっと言い方がキツかったかもしれません」
「良いんだ。それくらい言ってくれないと、柔らかく怒られただけじゃきっと、私は多野さんにも空条さんにもしっかり謝罪の気持ちを抱けなかったかもしれない。だから、きちんと叱ってくれた多野さんには凄く感謝してるよ。ありがとう」
俺は今度は感謝の意味でロニー王子から頭を下げられ、なんだか気まずくなって頭を掻く。すると、タイミング良く注文した飲み物と和菓子が運ばれてきた。
「さあ、気を取り直して抹茶と和菓子を楽しもう。私が言うのも、おかしいけどね」
笑って肩をすくめたロニー王子のその言葉に、俺達は自然と笑みを溢す。すると、ロニー王子はいきなり和菓子を食べる用の黒文字(くろもじ)を手に取って、運ばれてきた飲み物に付けてかき混ぜ始めた。
「ロニー王子?」
「はい?」
「黒文字はドリンクをかき混ぜる道具じゃなくて、和菓子を切り分けて刺して食べる道具ですよ?」
「ああ。フォリア王国では食事をする際に使うフォークやナイフを飲み物で一度洗ってから使うのがマナーなんです。そういえば、日本でこれはマナー違反でしたよね」
ロニー王子は俺の指摘に少し顔を赤らめ、慌てて黒文字を和菓子の載った皿の箸に戻す。そして、赤い顔のまま両手を合わせた。
「では、改めて。頂きます」
赤ら顔のままそう言ったロニー王子を見て、俺達は小さくほほ笑み合いながら自分達の飲み物にそれぞれ口を付けた。
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