【二三〇《分け隔てなく》】:一
【分け隔てなく】
最近、日本中はとあるニュースで持ちきりになっている。それは、日本に王子様が来るというニュースだ。
その日本に来る王子様というのは、ヨーロッパにあるフォリア王国の第一王子、ロニー・コーフィー・ラジャンという王子らしく、その王子が日本へ留学してくるという話で持ちきりだ。
テレビのニュース番組で紹介されていた映像では、金色のミディアムヘアを爽やかに揺らす白人のイケメンが、集まった外国人の女性達に笑顔で手を振っている様子が映っていた。見た目は申し分ないどころか、モデルやタレントだと言われても不思議ではないくらい整っている。それに、やっぱり王子というだけあって金持ちらしく、容姿だけではなく財力もある。それに加えて『王子様』という肩書きもあるのだから、女性から注目されても仕方ない。
そのフォリア王国の王子様は、日本の新年度に合わせて留学して来て、その留学の日は今日になる。そして……その王子様は、俺の通う塔成大に留学してきた。
日本には、旺峰大という日本最高峰の大学が存在するし、海外の人なら日本外国語大学という選択肢もあったはずだ。なのに、なんで塔成大だったのだろうという疑問は残る。
王子様の留学ということで、朝から塔成大の構内も構外も明らかに慌ただしく色めき立っていた。特に、女子学生は王子様が登校するのを出迎えようと、敷地の入り口付近に待ち構えていた。
そんな中、俺はというと、王子様の移動ルートになる道は安全確保のために封鎖するという理由で、いつもより登校する時間が遅くなった上に遠回りをせざるを得なくなったことで体力も余計に消耗した。それは、王子様が悪いわけではないが、王子様優先で自国民を顧みない日本のおもてなしの心に面倒さを感じた。
大学では王子様の留学という一大イベントのお陰で、どこに行っても騒がしく講義中も落ち着いた雰囲気は皆無だった。そして、いつもより遥かに疲れた講義を終えて、俺が食堂に歩いて行こうとすると、通路にすし詰めになった学生達の姿が見える。その光景に、俺は今日一日で何度吐いたか分からないため息を吐く。
おそらく、俺の視線の先にある人混みの向こう側に王子様が居るのだろう。だから、その王子様を一目見ようと人が群がっているのだ。そう思うと、なんだか王子様が不憫に思えた。
俺と王子様は生まれも育ちも全く違う。だから、王子様にとってどこへ行っても人に付け回され、その一挙手一投足(いっきょしゅいっとうそく)にも注目を浴びせられるのに慣れているのかもしれない。でも、王子様と生まれも育ちも全く違う俺の立場からしたら、その状況は想像しただけでも耐えがたいものだ。ただ、俺がそれを心配しても仕方がないというのも現実だ。
一国の王子様なのだから当然護衛の人は付いているだろうし、日本政府だって王子様に何かあったら国際問題になりかねないことは十分分かっている。だから、朝からずっと王子様に不審者を近付けないように気を遣って、自国民を遠回りさせ続けているのだ。それだけ手厚い待遇がされてるなら、よっぽどのことがない限り王子様に危害なんて加えられる人物が現れるとは思わない。
「多野、今日は食堂で時間を潰すのは無理だぞ」
「食堂?」
「王子様が、学生会長達と食堂でお茶してるそうだからな」
「そうか、だから食堂に続く通路は人が詰まってるのか」
「みんな、王子様を一目見たくて仕方ないらしい」
いつの間にか俺の隣に並んでいた飾磨は、顔をしかめてすし詰めになっている通路を見ながら言う。その表情からは、飾磨があまり良い気分でないのは確かだ。
「飾磨、何か嫌なことがあったのか?」
「もう朝からありまくりだぜ。今日、女の子みんなから遊びに行くのを断られたんだぞ? みーんな、イケメン王子を見たいんだとさ」
「……飾磨、お前があの王子様に嫉妬しても惨めなだけだぞ」
「そんなこと分かってるっての。顔も良くて金も持ってて頭も良くて、そんでどっかのお国の王子様? そんな相手に、俺が嫉妬するわけないだろ。俺はただ、女の子と遊べなくて機嫌が悪いだけだ」
そうは言うが、王子様を見たいと断られたことに腹を立てている様子だから、王子様に嫉妬しているようにしか思えない。でも、飾磨にとっては嫉妬していないと言い張るのが、男としてのプライドなのだろう。
「多野、俺とやけコーヒーを飲みに行こうぜ」
「生憎だが、俺はこの後は凛恋と希さんと用事がある」
「なぁにぃ~?」
俺の言葉に、飾磨は目を吊り上げて俺を睨む。そして、俺の両肩を痛いくらい掴んだ。
「この裏切り者!」
「いきなりなんだ」
「俺が女の子と遊べないって悲しんでる時に、多野だけ両手に花でウハウハなんて許せるか! お前も不幸になれ!」
「……随分な言い分だな。俺は彼女と親友と過ごすだけだ」
人に対して不幸になれとは随分な言い草だ。しかし、何となくだが、目に涙に滲ませている飾磨を見ると不憫に感じてしまった。もちろん、俺が飾磨に八つ当たりされるいわれは全く無いが。
「もういい! 俺は一人でやけコーヒーを飲む! じゃあな!」
「またな」
一度人混みの向こうを睨み付けた飾磨は、振り返らずに手を挙げて歩き去る。その飾磨を見送って、俺も一度人混みの向こう側を見てから歩き出した。
構内は学生のほとんどが食堂周辺に集中していることもあって、いつも以上に校門までの道のりは静かだった。
いつも通り、大学を出て凛恋の通う成華女子の方向に向かう。その途中で、俺はいつもよりも多くの女性達とすれ違う。みんな俺と同年代くらいで、歩いてくる方向的に成華女子の学生かも知れない。もしかしたら、すれ違う女性達も王子様を見に行っているのだろうか?
周りの趣味や流行に流されやすい人をミーハーなんて言ったりする。そういう意味では、王子様に興味を示しているみんながミーハーな人だと言えるのだろう。でも、騒がしかったり遠回りをさせられたりすることを除けば、王子様に色めき立つということは別に悪いことではないと思う。
王子様本人の気持ちは置いておいて、王子様を見て色めき立つ人達は今の状況を悲しんでいるわけではなく楽しんでいる。楽しいならそれに越したことはないし、悲しいより楽しい雰囲気の方が良いに決まっている。
ただ、男の俺にはあまり関係のない話ではある。男の俺は王子様なんて見てもキャーキャー言わないし、王子様に憧れなんてものも感じはしない。
塔成大から歩いて近い成華女子の前まで歩いて行くと、校門前で待っていた凛恋が俺を見付けて駆け寄ってくるのが見えた。
「凡人、お疲れ」
「凛恋、お疲れ」
手を振って近付いてきた凛恋は、俺の手を握ってニッコリ微笑む。そして、ニヤッと笑った。
「フォリア王国の王子様、生で見たら格好良いんだろうな~」
その凛恋の言葉に、俺は内心「また始まった」という気持ちがあった。
凛恋がなぜニヤニヤ笑いながら王子様のことを話題に出すのか。それは、俺と凛恋が初めて王子様の留学のニュースを見た時に、凛恋が王子様を見てふと発した「チョーイケメン」という言葉に、俺が「そうでもない」とつい言ってしまったことが原因だ。
王子様に嫉妬しても惨めなだけなのは分かっている。しかし、大好きな彼女が他の男を見てイケメンなんて言ったら反応しない訳がない。
そんなことがあってから、凛恋はことある毎に王子様の話題を出して俺をからかうようになった。だから、今日も面白がって俺をからかっているのだ。
「大人気だったぞ。今は食堂に居るらしくて、食堂に続く通路がすし詰めになってた」
「あ~、凡人が全然拗ねない!」
「もうそのネタでからかうの何度目だと思ってるんだ」
「王子様に嫉妬して拗ねてる凡人、チョー可愛いのに~」
俺の腕を抱きながら唇を尖らせて不満そうに呟く凛恋は、すぐにニッコリ笑って俺の耳元で囁く。
「でも、凡人の方がチョーイケメンよ?」
「それは流石にない」
凛恋の言葉に、単純にも嬉しくなりながら、その自分の単純さを隠すために言葉を返す。しかし、凛恋がクスクスと笑っているのを見ると、そんな俺の照れ隠しは全くの無意味だということが分かる。
「希さん、まだ終わってないのかな?」
「ちょっと連絡してみるね」
まだ来ていない希さんと連絡を取るため、凛恋が俺の腕を抱きながらスマートフォンを操作し始める。その凛恋から視線を外して、成華女子前の通りを見る。すると、白バイ隊がゆっくりと通りを走るのが見えた。その後ろに黒塗りのセダンが走り、そのセダンの後ろには真っ白いリムジンが走っていた。リムジンの後ろにもセダンと白バイが続き、明らかにリムジンにはVIPが乗っているのが分かる。
リムジンの窓は真っ黒いフィルムが貼ってあり、外からは誰が乗っているかは分からない。だが、この辺で白バイの護衛が付くVIPは一人しか思い当たらない。
「凡人。希、少し遅くなるから喫茶店で待っててって」
「そうか。じゃあ、いつもの喫茶店に行くか」
「うん」
凛恋と一緒に歩き出すと、通りの先で真っ白いリムジンが停車する。そして、リムジンからテレビのニュースで見た金髪の王子様が降りてくる。
遠目で見ても存在感のある王子様は、リムジンから降りてきた護衛の男性二人を手で制するような仕草をする。
王子様は再び歩き出す。しかし、その後ろからは少し距離を取って護衛の男性二人が付いて来た。
「えっ?」
俺の隣に居た凛恋が王子様が目の前に来て声を漏らし、そっと俺の後ろに隠れた。俺はその凛恋の様子を確認しながら、目の前に立つ王子様に視線を向けた。
「ごめんなさい。私は怪しい者ではありません」
白人男性で日本人離れした顔立ちの王子様は、その見た目からは想像出来ないくらい流ちょうな日本語でそう言う。その言葉は、俺ではなく俺の後ろに隠れている凛恋に向けられているのは分かった。
「あの、何か俺達に用ですか?」
凛恋を見て困った表情をしている王子様に尋ねると、王子様は爽やかな笑顔を俺に浮かべた。
「私はロニー・コーフィー・ラジャン。フォリア王国から来ました」
「私は多野凡人。塔成大学の三年です」
「塔成大学? 私も、今日から塔成大学にお世話になっているんです。それなら、私とあなたは学友ですね」
ロニー王子から求められた握手に応えながら俺は自己紹介をする。それに、ロニー王子は一瞬驚いた表情をして、すぐに明るい笑顔を浮かべた。
「多野さん、そちらの女性は?」
「俺の彼女です」
「そうなんですか。初めまして、ロニー・コーフィー・ラジャンです。お名前を教えて頂けませんか?」
ロニー王子は爽やかな笑顔を崩さなかったが、心なしか声のトーンを抑えてより丁寧に凛恋に話し掛けた。その行動を、俺は凛恋がロニー王子に向けた恐怖を察してのことではないかと思った。
「……八戸凛恋です」
「凛恋さんですか。見た目にぴったりな凄く可愛らしい名前ですね」
小さく答えた凛恋に、ロニー王子はまた明るい笑顔を浮かべる。そして、時計を見て目を丸くした。
「もうこんな時間。急に話し掛けてごめんなさい。多野さん、学校で会ったら気軽に話し掛けて下さい。凛恋さんもまた」
去り際まで爽やかな笑顔だったロニー王子は、護衛の男性二人と一緒にリムジンに乗り込み、ロニー王子を乗せたリムジンは走り去る。
「凛恋、大丈――」
俺は振り返って凛恋の様子を確かめようとした。凛恋は男性が苦手で、急に知らない男から話し掛けられたら恐怖を抱く。だから、凛恋は俺の後ろに隠れたのだ。しかし、俺が後ろに顔を向けた時の凛恋は、いつもの凛恋とは少し違った。
いつもなら恐怖で顔は青ざめて体は震えている。だが、今は頬はほんのり赤くて体は全く震えていない。俺は、その恐怖を抱いているように見えない凛恋を見て、ホッと安心した。でも、なぜだろう……ほんの少しだけ、残念な気持ちが心にチクリと刺した。
ロニー王子が塔成大に留学してから時間が経つに連れて、留学当初のような過剰なほどの騒ぎにはならなくなった。ただ、それでもロニー王子が移動すると女子学生も移動すると言われるほどの人気は健在だ。
「多野さん!」
「ロニー王子、こんにちは」
「こんにちは」
講義を終えて講義室の外に出ようとすると、俺はロニー王子に声を掛けられる。そのロニー王子から求められた握手に応えながら、俺は周囲に出来ている人集りに思わず体を縮込ませる。でも、目の前に居るロニー王子は全くその状況には動じていない。これも、今まで生きてきた人生の違いからなのだろう。
「これからサッカーを観に行くんだけど、多野さんも一緒に行かない?」
「いや、私はスポーツにあまり詳しくないので」
「ルールが分からなくても大丈夫だよ。サッカーは観るだけでも楽しいスポーツなんだ。遠慮せずに行こう」
「ちょっ――……」
俺に明るく爽やかな声で言ったロニー王子は、俺の手を引いて講義室を出て通路を歩き出す。俺は別に遠慮しているわけではないのだが、どうやらそれが全く伝わらないらしい。
廊下を歩きながら、俺はふと後ろを振り返ってため息を吐く。まるで江戸時代の大名行列が現代に復活したような、そんな大行列が後ろに出来ていた。
大行列を率いても平然とした様子のロニー王子は、塔成大の敷地内にあるサッカーグラウンドに歩いて行く。そこでは、既に準備をしていたサッカーサークルのメンバー達が試合を始めようとしているところだった。
「ロニー王子! 席を取ってあります! どうぞ」
「ありがとう」
女子学生が弾んだ声でロニー王子に話し掛け、それにロニー王子は気さくに返事をして勧められた観戦席に座る。そして、俺も当然のように隣に座らされた。
「右チームのシステムは四ー四ー二のフラットで、左チームは四ー三ー二ー一のシステムだね」
なんかよく分からないことを隣で呟くロニー王子は実に楽しそうに開始された試合を見詰めている。俺は、そのロニー王子から目を離してサッカーの試合を観ながら、どうして俺は今、ロニー王子とサッカーの試合を観ているのだろうと思う。
別にサッカーを馬鹿にするわけではないが、俺はサッカーを観ても楽しさは感じない。それは、サッカーが楽しくないスポーツというわけではなく、単に俺がスポーツ自体に興味がないという理由だけだ。きっと、この場に居る俺以外の人間のほとんどは、サッカーをちゃんと楽しんで観られているはずだ。
「多野さんはスポーツはやらないの?」
「いや、私はスポーツが苦手なんで」
「そうなの? 身長が高いからサッカーだけじゃなくて、バスケットボールやバレーボールでも活躍出来そうなのに」
ニコッと笑ったロニー王子はまたサッカーの試合に視線を戻す。
身長が高いというだけでスポーツをやれば良いというのは、音楽が苦手な人に指が長いからピアノやギターをやれと言ったり、翼が付いてるからと言ってペンギンに空を飛べと言ったりするのと同じだ。だが、多分ロニー王子は悪気はなく、そこまで深く考えて物を言ってない。単に、俺と世間話をするための話題として話しただけだ。
「私はフォリア王国でサッカーをしてたんだ。それで、こっちに来てもサッカーがやりたくて。今日は塔成大学のサッカーチームの見学をお願いしたんだよ」
「そうなんですか」
「多野さんも一緒にどう?」
「いや、私はスポーツすると死んじゃう生き物なので」
「そんな生き物が居るなんて私は初めて知ったよ」
小さくロニー王子が微笑んだ瞬間、周囲から黄色い声が上がる。爽やかな笑顔とは違うロニー王子の顔に周囲の女子学生がときめきでもしたのだろう。
「凛恋さんはスポーツはするのかい?」
「凛恋ですか? 凛恋は私よりは出来ると思いますけど、あまりスポーツは得意ではないですよ」
「そうなんだ。凛恋さんはラクロスとか似合いそうだね」
試合を見詰めながらそんな話をしていたロニー王子の前に、サッカーサークルの一人が近付いてくる。
「ロニー王子、一緒にやりませんか?」
「良いんですか!? 実は、こんなこともあろうかと着替えを持って来ていて」
「もちろんです。一緒にやりましょう」
ロニー王子とは違った爽やかさを持つサッカーサークルの人が笑顔で答えると、ロニー王子は意気揚々と観客席から離れてグラウンドに併設された更衣室に駈けていく。そして、一人取り残された俺は、この場の居心地の悪さにため息を吐いた。
正直に言うと、今すぐ帰りたい。しかし、ロニー王子に黙って帰るのは失礼な気がした。だから、ロニー王子が帰ってくるまでこの場を離れる訳にもいかない。
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