【二二九《雨の後には虹が出る》】:一
【雨の後には虹が出る】
飾磨主催の飲み会に参加した後、俺は凛恋と一緒に空条さんのマンションに来た。いつもならマンションの前で別れるのだが、今日はよっぽど楽しかったのか、空条さんは少し飲み過ぎていた。そういう理由もあって、空条さんを部屋の前まで送り届けることにした。
「またみんなで飲み会しよーね!」
「うん! チョー楽しかったー!」
俺は空条さんの肩を支えながら、俺の腕にぶら下がる凛恋を支え、俺を挟んで明るく話す二人を交互に見る。よっぽど楽しかったのか、酒が進みに進んだ二人は完全に酔っ払ってしまっている。
酔うと人の体は温かくなる。元々女の子の体は温かいのに余計その熱を両側から感じる。
凛恋も空条さんもお酒に強い方ではない。だから、いつもなら自分でもセーブをするし、俺もあまり飲み過ぎないように気を付けている。しかし、今日は「女子だけで話をする」と言われ、俺と飾磨が蚊帳の外になった時があった。どうやら、その女子だけで話をしている時に飲み過ぎてしまったようだ。
「今度は赤城さんも呼ぼーよ」
「そうだね! 希も一緒だともっと楽しく飲めそう!」
まともに歩けない二人を支えながら、俺はなんとかマンションのエレベーター前にたどり着き、パネルのボタンを押してエレベーターを待つ。
左右の二の腕に柔らかい感触があるが、俺は心頭滅却(しんとうめっきゃく)という言葉を頭の中で繰り返す。しかし、全く心頭滅却出来る気配はない。
二人共、酔っているせいか無防備なのだ。特に、空条さんは無防備過ぎる。凛恋にとって俺は彼氏なのだから無防備でも良い。しかし、空条さんにとって俺は男友達なのだから、もう少し警戒心があってもいいと思う。多分、俺には凛恋という彼女が居るし、男友達としても信頼してもらっているのだろうとは思う。しかし、それにしてもここまで警戒心がないのは心配だ。
「エレベーター到着っ!」
チンッとエレベーターの到着音が鳴ると、凛恋が可愛く弾んだ声でそう言う。凛恋がやると可愛くて仕方がないが、きっと俺がやったらただ人をいらつかせるだけでしかないだろう。
開いたエレベーターのドアを抜け、空条さんの部屋がある階のボタンを押してドアを閉めるボタンを押す。
「凡人~」
「どうした?」
「えへへ~何でもな~い」
俺の頬を指でツンツン突きながら凛恋が笑う。全くもう……なんてこの可愛い生き物なんだ、凛恋は。
「多野くんと八戸さんって、ホントに仲良いよねー。羨ましいなー」
「空条さんは彼氏欲しくないの?」
「うーん、多野くんみたいに優しい彼氏ならほしいかなー」
「凡人はあげません!」
「冗談だよー」
二人はケラケラ笑いながら冗談を言い合う。
凛恋と空条さんは初めて会った時から気が合うようだったが、今ではかなり仲良くなっている。二人が仲良くなるのは嬉しいことなんだが、流石に女の子の全体重を両手で支えることになるとは思わなかった。
「キャッ!」「ひゃっ!」「うおっ!」
エレベーターが動くふわりとした感覚が急に消え、代わりにエレベーターが激しく揺れる。その揺れにバランスを崩して尻もちをつくと、俺はエレベーターの動きが止まったのを感じて立ち上がる。
「止まったな」
俺はそんなことを呟きながら、目の前にある呼び出しボタンを押してみる。低いブザー音が鳴って誰かを呼び出しているのは分かるが、俺の方には誰からの応答もない。そして、スマートフォンを出して眉をひそめた。
「今の時代に圏外の場所って存在するんだな~」
スマートフォンを見て、そんな他人事のような感想が浮かぶ俺は、後ろに居る空条さんと凛恋に視線を向ける。そして、俺はすぐに視線をパネルに戻した。
パステルピンクとパステルブルーという単語が頭に浮かび、必死にその単語と一緒に目に焼き付いている光景から意識を逸らそうとする。しかし、エレベーターの床に尻もちを突いてミニスカートの中が見えていた空条さんと凛恋の姿が頭から離れない。
「凡人、エレベーター止まったの?」
「ああ、故障だな。呼び出しボタンは押してるから、管理会社の人が来てくれるのを待つしかないな」
俺はボタンを押してからその場に座り込みながら、小さくため息を吐いた。
空条さんの住んでいるマンションはいわゆる高級マンションと呼ばれるようなマンションだ。だから、ただエレベーターの外に呼び出し音が鳴るような安物ではなく、きっと管理会社のコールセンターに直接繋がるタイプの呼び出しボタンのはずだ。しかし、応答がなかった。そうなると、呼び出しボタンのシステム自体も故障しているか、コールセンターの担当が眠りこけているか不在かだろう。どっちにしても今すぐに動き出すことはなさそうだ。
「呼び出しボタンは押したし、異常に気付いてくれるのを待つしかないな」
「え~」
凛恋を振り返ると、頬を膨らませてむくれる凛恋の顔が見える。俺は小さくため息を吐きながら凛恋の隣に戻る。
「え~って言われても、俺にはどうしようもない」
「そーだけどさー」
凛恋はエレベーターの壁に背中を付けて膝を抱え体育座りをする。きっと、正面から見たらパステルブルーのパンツがまた見えているだろう。本当に、エレベーターが密室で外から見えなくて良かった。
「ごめんね。明日、管理会社に抗議しておく」
すぐに対応されないことに不満があるのか、空条さんも頬を膨らませてそう言う。まあ、きっと高くない家賃が掛かっているだろうし、不満が出ても仕方ないとは思う。
三人並んで座りながら、ボーッと閉ざされたドアを見続ける。すると、プツンという音が聞こえ、エレベーター内の照明まで消えてしまった。
「キャァッ!」「イヤッ!」
照明が消えた瞬間、凛恋と空条さんが甲高い悲鳴を上げる。俺は両側から聞こえる悲鳴に耳鳴りがして顔をしかめるが、その直後に両腕をギュッと両側から二人に抱きしめられた。
「止めてよ~こういうの苦手なんだってば~……」
ホラー系が大の苦手な凛恋が震えた声で不満を漏らす。まあ、そう言われても仕方ない。エレベーターが止まった上に電気も消えるなんて、俺もかなりビックリしたし。
「空条さん、大丈夫?」
「えっ? う、うん……大丈夫……」
空条さんは大丈夫と答えるが、俺の腕を強く抱きしめている空条さんの体は小刻みに震えている。空条さんがホラーが苦手かどうかは分からないが、ホラーが得意だとしても今の状況は女の子なら誰でも怖いだろう。
「大丈夫。このマンションは大きなマンションだし、エレベーターが動かないと困る人も多い。その人達もきっと管理会社に連絡する。だから、すぐに担当者が来て修理してくれるよ」
「うん……」
真っ暗で空条さんの顔は見えないが、空条さんの元気のない返事から、落ち込んでいる空条さんの顔が想像出来てしまう。それが、俺の心の奥をキュッと締め付けた。
「ごめん……」
空条さんが抱きしめていた俺の手を両手で強く握る。その空条さんの手が強く震えていて、俺はその震えを抑えるために空条さんに話し掛けた。
「そういえば、今日食べたあの肉料理なんだっけ? え~と……串焼き……串焼き……串焼きケビバ?」
俺が何か気を紛らわす話をしようと、今日食べた料理の話をしようとした。しかし、料理名をど忘れしてどうしても思い出せず、とりあえず頭に残った響きだけで適当に言ってみた。すると、両側から噴き出す声が聞こえた。
「アハハハッ! 凡人~ケバブだって。何よ、ケビバって。プッ!」
「多野くん、絶対に音の響きだけで適当に言ったよね」
凛恋と一緒に笑う空条さんの震えが止まり、俺は少しだけ安心してから自分でも笑った。
「ケバブ美味しかったよな~」
「だよね。空条さんがご馳走してくれたシャンパンもチョー美味しかった! 空条さん、ありがとう」
「ううん! 私も好きなやつで、多野くんから八戸さんがシャンパン好きって聞いてたから、絶対に一緒に飲みたいって思ってたの」
エレベーターの中は真っ暗なままだったが、俺を挟んで左右から聞こえる二人の会話は明るいものに戻っていた。
『大丈夫ですか~?』
凛恋と空条さんの会話を聞いていると、パネルの方からやる気のない男性の声が聞こえた。
「すみません! エレベーターが止まって閉じ込められてるんです! すぐに来て下さい!」
『今、担当の人間に連絡するんで、一時間くらい待ってもらえますか?』
「一時間!? そんなに待てるわけないでしょ! 女性が二人閉じ込められてるんです!」
『準備して現場まで行くのに時間が掛かるので。出来るだけ早く向かわせますので、しばらくお待ち下さい』
「ちょっ! ……切れた」
対応した男性が一方的に切ったことに腹が立ったが、切られてしまった以上怒っても仕方ない。それに、凛恋と空条さんが不安になるから、俺が取り乱すような反応をするべきでもなかった。
「二人共、一時間くらい待つことになるけど、管理会社の人が来てくれるみたいだ」
「凡人、ありがとう」
暗くて顔は見えないが、優しい声で凛恋がそう言うのが聞こえた。
「でも、一時間も掛かると、終電過ぎちゃうよね?」
「「あっ……」」
ふと空条さんが言った言葉に、俺と凛恋は同時に同じトーンで同じ声を発した。
俺はマンションの入り口からエレベーターではなく階段を上り始めながら、深く大きなため息を吐く。
結局、管理会社の人間が到着してエレベーターが動くようになったのは、管理会社と連絡がついてからきっちり二時間後だった。だから、とっくに終電の時間を過ぎてしまっていた。
俺は空条さんを送ったら、凛恋とラブホテルにでも泊まろうと思っていた。もちろん、下心があったわけでは――いや、下心がないわけではないが、エッチしたいからラブホテルに行くというよりも、酔って足元がふらついている凛恋を家まで歩かせたくなかったというだけだ。だから下心は二の次だった。
ただ、空条さんが終電がなくて帰れないなら泊まっていけば良いと言ってくれたのだ。しかし、俺は当然遠慮した。
凛恋が一緒と言っても、女性の一人暮らしをしている部屋に男が泊まるのは良くない。そう思ったのだが、空条さんの部屋に連れてきた時には、既に凛恋が「泊まる~」と泊まる気満々で、俺は空条さんのお言葉に甘えるしかなかった。
今は、近くのコンビニで凛恋と俺の分の下着やら歯ブラシやらを買って戻ってきたところだ。マンション下のインターンホンを鳴らすと、空条さんが今、シャワーを浴びているということで、凛恋が代わりにロックを解除してくれた。
「お邪魔します」
空条さんの部屋に戻ると、脱衣室から丁度出てきた空条さんと目が合う。空条さんは、裾が股下ギリギリと短いネグリジェを着ていて、シャワー終わりだからか露出した肌が火照っている。
「多野くん、おかえり」
「ご、ごめん!」
「えっ? なんで?」
つい太腿を見てしまった罪悪感から謝ると、空条さんは不思議そうに首を傾げる。
「い、いや、俺までお世話になるから、それで」
「多野くんだけ帰すなんて出来るわけないよ。私達ほどじゃなくても、多野くんも飲んでるのに。ただ、多野くんにはソファーを使ってもらわないといけないんだけど」
「それはもちろん! 何だったら床で寝かせてもらう」
「多野くんが良ければ、ベッドで私と八戸さんの間に寝る?」
「そ、それは遠慮させてもらうよ」
俺をからかって笑う空条さんに苦笑いを返していると、部屋の奥から凛恋が出て来た。
「凡人~、ありがとー」
「凛恋、先にシャワー貸してもらえよ」
「うん! 空条さん、シャワー借りるね?」
「ゆっくり浴びてきて。バスタオルはラックの上に置いてあるからそれを使って」
「ありがとー!」
俺が買った下着を受け取ると、凛恋は空条さんにお礼を言って脱衣室に入っていく。
「多野くん、コーヒー淹れてるから飲まない?」
「ありがとう。ご馳走になるよ」
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