【二二八《消えない傷跡》】:二

 事前に何も説明がなかった。インターンをテレビ番組にするとか、撮影しても良いかという承諾は何もなかったのだ。世の中にはドッキリ番組とかで事前に知らせない番組もあるのかもしれない。そうだと思っても、俺は隠し撮りされているのが嫌だった。


 俺は、今日まで生きてきて、隠し撮りをされて傷付く人達を沢山見てきた。その隠し撮りをしたやつらは、悪意があったりなかったりしたが、総じて人に対しての敬意は何もなかった。


 テレビ局には元々良いイメージはない。でも、良いイメージがないというだけで、そういう拒否反応だけで選択肢を絞るのは良くないと思った。だから俺は、テレビ局のインターンに参加した。

 もしかしたら、他のテレビ局はまともなのかもしれない。でも、これで俺はもう、就職先にテレビ局という選択肢は完全になくなった。


「この中へ入って下さい」


 ドアを開けた男性に促されて中に入ると、部屋の奥に置かれたモニターに、トランプの二、三、四、五、六が表示されている。どれも、トランプのスート――マークはクローバーだ。


「ありゃ、また閉じ込められた」


 ここまで案内してきた男性が居なくなった部屋で、飾磨がドアノブを捻ってそんな声を出す。


「多野くん、ここにトランプがある。きっと、これでロイヤルフラッシュを作れば良いんだよ」


 空条さんはトランプの封を開け、束ねられたトランプから四枚取り出す。

 同じスートでエース、キング、クイーン、ジャック、一〇と揃う組み合わせは、トランプゲームのポーカーで最も強い役のロイヤルフラッシュになる。モニターに表示されているのはストレートフラッシュの役で、空条さんが言う通りロイヤルフラッシュなら勝てる役だ。


 空条さんがスペードのエース、キング、クイーン、ジャックを俺に手渡す。俺は持っていたスペードの一〇と合わせてモニターの前にかざすと部屋が一気に明るくなって、モニターに『ドアを抜けろ』という文字が出る。


「おお! なんか本格的だな~」

「多野くん? どうしたの?」


 今の状況を楽しんでいる飾磨を見ていると、鷹島さんが俺の顔を覗き込む。


「俺はインターンに来たつもりだったのに、変なテレビ番組に巻き込まれたんだなって思ったら、なんか嫌だなって思って」

「それは私も嫌だな」


 希さんが俺に同意してくれて、空条さんと宝田さんも俺の雰囲気を察してか表情が曇る。


「おーい、みんな何してるんだ? 次の問題あるぞ?」

「飾磨、気付いてると思うが、テレビ番組の収録か何かで隠し撮りされてる」

「ああ、でもテレビに出られる機会なんて――……そっか。なるほどな」


 飾磨は俺を見た後に、希さん達四人を見渡して納得したように頷く。


「さっさとクリアして放送拒否するか! その代わり、今日は凛恋ちゃんも呼んで七人で飲み会だからな!」

「飾磨、ありがとう」


 女性に関することには察しが良い飾磨は俺の話を分かってくれて、俺の肩を軽く叩いて笑ってくれた。そして、ニヤニヤ笑ったまま強く俺の背中を叩いて言った。


「多野のそういうところがズルくて羨ましいぜ」




『どうも初めまして! ポケットマーチの藤木(ふじき)と申します』

『ポケットマーチの甲斐(かい)です。突然すみません。今回、私達の考えたゲームに就職活動中の大学生の方にチャレンジしてもらうという企画をしていて!』


 テレビの中でハイテンションで話すお笑い芸人の話を聞きながら、俺は隣で俺の腕を抱く凛恋の温もりを感じながら息を吐く。


「これでしょ? 凡人と希が巻き込まれたってテレビ番組の収録」

「ああ」


 テレビの中では、一位でゴールした岡宮達が旺峰大生ということもあり、お笑い芸人は驚きながらも流石だと褒めていた。


「私の凡人の方が凄いし!」

「別に凄さは必要ないんだけどな」

「でも、凡人達が本当は一位だったんでしょ?」

「まあそうだけど、放送しないでくれって言ったからな。流石に番組で一位が映せなくて仕方なく二位にインタビューなんて格好が付かないだろ」

「でも、これってやらせでしょ?」

「誰も不幸せになってないから良いんじゃないか?」

「まあ、テレビ番組作ってる人達は嬉しくて、テレビに出てる人達も嬉しそうだしね。それにしても、やだよね。いくら後で許可を取るって言っても隠し撮りなんて」


 凛恋は嫌悪を顔に浮かべながら俺の腕を抱く。その凛恋の横顔を見て、俺は背筋にスッと寒気が走った。

 小竹の家は警察が調べてパソコンのデータも押さえてくれた。それに、小竹のパソコンにあったインターネットの利用履歴から俺達の部屋を盗撮した犯人達も芋づる式に捕まった。その犯人達のデータも押さえられている。でも……俺は怖くて不安でたまらなかった。


 もし、凛恋の盗撮された映像がインターネット上に出回ったら……そう考えただけで怖くて体が震える。

 警察はデータがどこかに流れた痕跡はないと言っていた。でも、言葉だけでは安心出来ない。だけど、俺は安心するための確証を得られる知識と技術がない。

 警察の言葉を信じるしかないのだ。それしか、俺に出来ることはない。


「凡人はさ、レディーナリーの編集部でまた働きたいんじゃない?」

「えっ?」

「なんかさ、短期のインターンとか短期のバイトとかそういうのいっぱいやって帰ってくる凡人、毎回楽しそうじゃないの。レディーナリーの編集部で働いてる時は、毎日楽しそうだった。残業して帰ってきても、疲れた~って言いながら笑ってた。でも、今はずっと寂しそう。なんか違うって顔してる」

「そりゃあ、レディーナリーの時みたいな感覚はまだないよ。でも、もしかしたら他に同じ感覚を持てる仕事があるかもしれない」


 俺は凛恋にそう言いながら、自分にそう言い聞かせる。

 レディーナリー編集部が全てじゃない。レディーナリー編集部以外にも世の中には、雑誌の編集部は沢山ある。雑誌に限らず他の出版物にまでその範囲を広げればもっと数が増える。


 俺に合ってる、俺がやりがいを感じられる仕事が編集の仕事ならそれで良い。

 きっとレディーナリーにはもう戻れない。月ノ輪出版の常務取締役まで出て来て、俺のインターン終了を告げたんだ。それが覆るとは思えない。

 もう俺のインターン終了が告げられて数ヶ月経つ。そして、帆仮さんからみんなが頑張ってくれているという話を聞いてから何も音沙汰がない。つまりは、そういうことだ。


 俺はそれで良かったと思う。編集部の人達は毎日忙しい。いくら、一緒に頑張ってきた仲間だとしても、締め切りに関わるような時間のロスは出来ない。そう思ってくれた方が良い。

 俺は視線を、本棚に立てたレディーナリーに向ける。すると、横から凛恋が俺の頬にキスをした。


「ごめんね。嫌なこと思い出させて」

「凛恋は俺のことを心配してくれたんだ。謝る必要なんてない。心配してくれてありがとう」


 凛恋を抱き返しながら、俺はまたレディーナリーに視線を戻す。

 俺が女性誌を毎月買うのは、俺が関わったことがある雑誌だとか、お世話になった人達が作っているからという理由もある。でも、一番はきっと俺の中に未練があるのだ。


 レディーナリー編集部で働いていた楽しい時間があった。その時間は、俺の記憶に良い記憶として残っている。多分、色んなインターンや短期のバイトをやってもしっくり来ない、レディーナリーに居た時と同じ感覚になれないのは、そのせいなのかもしれない。


「凡人、私が思い出させちゃったけど、もう悲しいこと考えないで」

「凛恋……」


 凛恋が両手で俺の頬を挟み、目を瞑って俺の額に自分の額を付ける。

 きっと、凛恋から見たら凄く俺が気落ちしているように見えるのかもしれない。実際、レディーナリーのインターン終了を告げられて気落ちはしたし、未練がましく毎月レディーナリーを買っているのだから、そう見えて当然だ。


 俺の両頬を挟んだ手を離し、凛恋は俺の唇を親指でなぞって微笑む。それに俺も凛恋と同じように凛恋の頬に触れながら、親指で凛恋の唇をなぞる。張りと弾力と柔らかさのある魅惑の感触。ただ指で触れているだけなのに体が火照ってくる。

 凛恋と居ると、心が凛恋で満たされる。もちろん、俺の心の中にある冷たい悩みや悲しみ、苦しみが消えてなくなるわけじゃない。でも、凛恋が俺の心を温かく満たしてくれたら、心の冷たさは薄くなる。


「凛恋、キスしたい」

「良いよ。凡人なら」


 許可が要らないのは分かっている。いきなりキスしたって凛恋は俺を受け止めて受け入れてくれると知っている。でも、俺はそう凛恋に言いたくなった。

 ゆっくり唇を近付けてキスをすると、凛恋が俺の首に手を回して俺を自分に引き寄せる。

 耳に聞こえるテレビの音が小さくなる。そして、すぐ目の前に居る凛恋の唇の隙間から漏れる吐息の音が大きくなった。


 毎日していて、やらない日の無い日常的なキス。だけど、何度繰り返しても俺は凛恋とのキスに心が震える。凛恋とキス出来ていることに特別を感じて、凛恋とキス出来ていることがこの上ない幸福だと毎日噛みしめている。


 当たり前だけど当たり前だと思ってはいけない。凛恋とキス出来ていることも、そもそも凛恋が俺の側に居てくれることも。きっと、頭の中で完全に当たり前だと思った瞬間に、俺は当たり前におごってしまうと思う。そして、当たり前におごった俺は、凛恋に感謝をしなくなってしまう。


「凛恋……ありがとう」


 唇を離して、体の火照りを感じながら凛恋にお礼を言う。でも、もっと具体的な感謝を言いたかったのに、凛恋でのぼせた頭では、ただ『ありがとう』と言うだけで精一杯だった。


「チューだけで良いの?」


 俺と同じように体を火照らせ顔を赤く上気させた凛恋が、クスッといたずらっぽく笑いながら首を傾げて言う。その凛恋の背中に手を回した俺は、凛恋の首筋にキスをした。


「あっ……」


 凛恋の可愛らしい吐息を聞いて、俺は躍った心にほんの少しのゾクッといういたずら心が湧くのを感じた。そして、そのいたずら心に従って、俺は凛恋の首筋をついばむようにキスをする。


「あっ……ちょっ、凡人っ……んんっ、ひゃっ! く、くすぐったいって――やんっ!」


 くすぐったさから笑い声を上げながらも、凛恋は可愛くて綺麗で艶やかな息と声を漏らす。


「もー、凡人はそういうエッチなことばっかり覚えて!」

「別に、今日初めてやったことじゃないだろ?」

「そーだけどさ、凡人ってそういうことどんどん上手くなっていくし」


 ジトッとした目を向けた凛恋は、勢い良く俺の首をギュッと抱き寄せる。その勢いに引き寄せられた俺は、柔らかい凛恋の胸に顔を埋めた。少し息苦しいけど、幸せな息苦しさだった。


「んぐっ!」


 胸に埋もれたままの俺は、耳に感じた生温かく湿った感触に声を漏らす。俺の耳を自分で見ることは出来ないが何が起こったかは分かる。凛恋が俺の耳を舐めたんだ。


「凡人、耳がピクピク動いてて可愛い。それに、チョー真っ赤になってるよ。ふぅ~……」


 耳元で凛恋がそう囁きながら、優しく俺の耳に息を吹きかける。それに背中にゾクゾクとした感覚が走り、思わず体がブルッと震える。


「あ~ヤバっ……チョーエッチしたい」

「凛恋、体調が悪いのか……」

「プッ!」


 凛恋の呟きに俺が声を漏らすと、それを聞いた凛恋が目の前で吹き出す。そして、首を傾げて俺の鼻に自分の鼻先を当てた。


「そこで、エッチ出来ないの? って聞かないで、私のこと心配してくれるところが凡人らしいところだよね」

「そりゃあ、何よりも凛恋が大切だから、凛恋に無理強いなんてしたくないし」

「もう何年一緒に居ると思ってるのよ。さっきのはただ思ったことを言っただけ。エッチ出来なかったら凡人を誘うわけないじゃん。こっちは準備万端、やる気満々よ」

「……凛恋、やる気満々っていうのは流石にどうかと思うぞ?」

「私以上にやる気満々で、ブラのホック外しに掛かってる凡人に言われたくないけど?」


 凛恋は、流れに乗って凛恋のシャツの裾から手を入れてブラのホックに手を掛けた俺に笑いながら言う。


「ちょっと、どうして手を引っ込めるのよ」


 俺が凛恋の背中から手を抜こうとすると、その手を凛恋が掴んで止める。そして、クスッと笑ってから耳元で囁いた。


「凡人に外してほしいな」


 しっとりとして艶めかしい声で凛恋は俺を挑発する。その挑発に、俺は自分でもびっくりするくらい簡単に乗った。

 まったく俺って生き物は単純だな。凛恋の挑発に乗った俺はそう心から思う。でも、自分を馬鹿にしながらも、凄く嬉しく楽しい気持ちに心が満たされた。


 やっぱり俺と凛恋は相性が良いんだ。俺はそんな自分にとって都合の良い解釈をする。凛恋と恋人同士の人間だけが過ごせる時間を、俺は自然に過ごすことが出来る。それが出来るのは、世界でたった一人、凛恋が自分の恋人だと認めてくれた人間だけが出来ることだ。その恋人には、凛恋と最も相性が良い人間が選ばれるのだから、俺が凛恋と最も相性が良いということになる。


 毎日俺は、こんなに恋人といちゃいちゃする恋人達なんてきっと少ないんだろうと思っている。でも、俺は自分達が異常だとか恥ずかしいなんて思わない。むしろ、他の恋人達には出来ないことを俺と凛恋は出来ている。だから、他の恋人達よりもお互いの相性がピッタリで特別な関係なのだと考えられる。大体のことをネガティブに考える俺が、そんなことを考えられるのも、凛恋との相性が良くて、凛恋が俺との相性が良いからなのだ。


 心の中にはまだ、確かに冷たい何かがある。でも俺は、凛恋との時間を過ごしている時は凛恋のことを考えて、凛恋に気持ちを向け続けることが出来る。

 消えない傷跡が心にあっても、凛恋はそれを覆い隠して温かく癒やしてくれる。

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