【二二六《区切る》】:二
思わずその言葉を漏らすと、真弥さんが俺に視線を向けてクスッと笑う。そして、真弥さんはピアノから透き通った綺麗な音を奏で続けた。
「行こっか」
「そうですね」
演奏を終えた真弥さんは、自分に注がれている沢山の視線に頬を赤らめて俺にはにかむ。
楽器店を出て真弥さんの隣を歩いていると、真弥さんが俺の方を向いてニッコリ笑った。
「凡人くんが家で寂しくしてないか心配で誘ったけど、全然寂しそうじゃないね」
「寂しい、ですか?」
「うん。自分だけ成人式に出ないことを気にしてるんじゃないかって思ってたけど」
「いや、成人式は自分で出ないって決めたことですし」
「それは初詣の時に聞いたけど、それでも凡人くんのこと心配になっちゃうよ。凡人くんは、本当に心の内を見せない人だからね。慎重に目を凝らしてみてないと」
そう言った真弥さんは、悲しそうな表情をしてから慌てて顔を正面に向けた。
俺は、初詣が終わって、みんなで萌夏さんの家に集まった時、正直にみんなに話した。俺が、小竹に監禁されていたことを。
話す必要の無いことだった。でも、黙っていて怒る人や悲しむ人が居ることを俺は知っている。だから、俺はみんなに話した。
みんな、俺の話を聞いて悲しんで傷付いてくれた。そして、涙を流してくれた。それを申し訳ないと思ったが、それと同じくらいありがとうと思えた。
「あの後、女子会を開いたの」
「え?」
俺はぼそりと真弥さんが言った言葉に驚いた。別に俺に女子会を開く報告をしなければいけないという決まりはないが、女子会があったことを凛恋からも聞いていなかったから戸惑って聞き返してしまった。
「八戸さんに謝られた。私と筑摩さんと、切山さん、それから田丸さんが。凡人くんを傷付けてごめんなさい、凡人くんのことを守れなくてごめんなさいって」
「なんで凛恋が……謝ることなんて……」
「私達が凡人くんのことを本気で好きだって八戸さんが理解してくれてるからだよ。八戸さんにとって凡人くんは凄く大切な人。でも、それは凡人くんを好きな人にとっても同じくらい凡人くんのことを大切に思ってるから。もちろん、私も八戸さんに負けないくらい――ううん、八戸さん以上に凡人くんを大切にしてる。そういう私達の気持ちを八戸さんが分かってくれたから、謝ってくれたんだと思う。私も、八戸さんが謝るようなことじゃないって思ったけどね。でも、多分、それが八戸さんのけじめの付け方だったんじゃないかな」
「けじめの付け方……」
真弥さんの言った言葉は、俺には分からない場所にある話だと思った。
俺は、今まで出会ってきた凛恋のことを好きになった男に対して、凛恋が抱いたような同じ好きな人が傷付いたことを謝るという感覚を抱いたことはない。大抵の男達が、凛恋を傷付ける側の人間でしかなかったからかもしれないが、それよりも根本的な話で、俺にとって凛恋を好きな男は敵だったのだ。だから、親近感なんて湧くわけがなかった。湧いたのは、いつだって敵意ばかりだった。
「八戸さんは、自分が一生掛けて凡人くんの傷を癒やすって言ってたよ。きっと八戸さんならそれを本当に一生掛けてやり遂げると思う。だけど、その役割を自分がって気持ちは、他の子達にあるかは分からないけど、私はまだあるかな」
「もう俺は大丈夫ですよ」
「私達は知ってるんだよ? 凡人くんが自分について語る言葉は大抵信用出来ないって」
「ひ、酷いですね。それ……」
「今まで前科の多い凡人くんが悪い」
「いふぇふぇ!」
真弥さんは、横から俺の頬を摘まんで軽く引っ張る。そして、頬を放すと軽く人さし指の先で弾いた。
「前にも言った気がするけど、ちょっとは女の人に対しても警戒心持たないとダメだよ。今日だって簡単に付いて来て、私が悪い人だったらどうするの?」
「真弥さんには信頼がありますから。絶対に、俺のことを傷付けるようなことをしないって」
「……はぁ~。本当、凡人くんのそういうところがダメだよ」
頬を擦りながら素直に思ったことを言ったら、真弥さんに呆れたため息を吐かれてしまった。しかし、ニッコリ笑って左手の小指を立てて俺に向ける。その小指には、俺が真弥さんにお世話になったお礼にプレゼントしたピンキーリングがはまっていた。
「まあ、そういうところが凡人くんの良いところでもあるから怒れないね。あ、これ切山さんと筑摩さんに羨ましがられちゃった」
「それは、真弥さんにお世話になったお礼ですからね。それ以外に全く他意はありません」
「分かってるよ。でも、物に意味を持たせるのは持ち主だから」
またからかうように笑った真弥さんは、ファッションビルの入り口の前に立って軽く背伸びをする。そして振り返って、軽くウインクをした。
「凡人くんが明るく笑えてて良かった」
俺は真弥さんの買い物に付き合い、真弥さんの家まで買った荷物を運んだ後、凛恋から呼び出しを受けて一度真弥さんと別れた。
時間としては、もう成人式は終わったであろう時間で、俺は半日以上凛恋に会えなかった寂しさから走る足の動きが自然と速くなる。
走って八戸家の前に行くと、俺は深呼吸をして息を整える。そして、八戸家のインターホンを鳴らした。
「凡人くん、いらっしゃい。入って」
「こんにちは。お邪魔します」
お母さんに出迎えられて中に入ると、凛恋のお父さんが丁度二階から下りてきていた。
「こんにちは。お邪魔しています」
「凡人くん、こんにちは。凛恋が上で待ってるよ」
「ありがとうございます」
俺はお父さんと入れ違いで階段を上り凛恋の部屋の前に行く。そして、ドアをノックした。しかし、凛恋の部屋から返事が聞こえない。
「凛恋? 入るぞ?」
少し不審に思いながら、中に居るはずの凛恋に声を掛けてドアを恐る恐る開く。だが、俺はドアを開いて部屋の中を見た瞬間戸惑った。部屋の中に、誰も居なかったのだ。
「えい!」
「うわっ! びっくりした!」
突然後ろから凛恋に抱き締められ、俺は声を上げて驚く。すると、後ろから凛恋がクスクス笑う声が聞こえた。
「大成功!」
「驚かせないでくれよ。心臓が止ま――」
俺は笑いながら顔を後ろに向けた瞬間、心臓どころか時を止められた。
白地を基本としているが、ピンクや黄色、オレンジと言った様々な色と様々な花の形をした花柄の振り袖を着た凛恋が立っていた。凛恋の着物姿は夏祭りの時に何度も見ているが、浴衣と振り袖は全く印象が違う。
凛恋の振り袖姿は清楚さもあるのに、主張が大人しいわけではなかった。俺に真正面から凛恋の可愛さと美しさが惜しげも無くぶつけられる。その圧倒的な凛恋の魅力のせいで、俺はつい言葉を発するのも息をすることさえも忘れてしまう。
「本当は、凡人に一番に見せたかったんだけど、着付けの後に時間が取れなくて……ごめんね?」
見上げた凛恋は、少しシュンとした表情で申し訳なさそうに言う。でも、その物悲しい表情に凛恋の艶やかさがより引き立てられる。
「凛恋……抱き締めていいか?」
俺は今すぐに凛恋の体を抱き締めたかった。でも、綺麗に着付けられた振り袖を崩してしまわないか不安で、俺は凛恋に尋ねる。すると、凛恋はクスッと笑って小首を傾げた。
「私を抱き締めるのに許可が必要ない人が世界でたった一人だけ居ます。さあ、誰でしょう?」
「凛恋っ! めちゃくちゃ可愛い。凄く似合ってる!」
俺は凛恋の問題に答える余裕もなく、凛恋の体を抱き締める。すると、凛恋が俺の背中に手を回して抱き返してくれた。
「ありがとう。成人式の間、ずっと凡人に振り袖姿を見せたかったの」
「り、凛恋! 写真撮らせてくれ!」
「いいよ」
ニッコリ笑った凛恋と一緒に凛恋の部屋に入ると、俺は凛恋の写真をスマートフォンで撮る。それも一枚二枚どころではない。俺が考えられる全てのアングルから振り袖姿の凛恋を収める。
「凡人、撮り過ぎ」
少し頬を赤くした凛恋がそう言うが、一枚でも多く凛恋の姿を収めたいのだから仕方ない。
「はぁ~……可愛過ぎる」
何一〇枚撮ったか分からない枚数撮って一段落した俺は、凛恋を見て改めて感嘆の声を漏らす。化粧もいつものナチュラルメイクよりも振り袖に合わせた化粧になっていて、大人の色気が増している。
「はっ! 凛恋! 変な男に声を掛けられなかったか!?」
つい凛恋の魅力に酔いしれていた俺は、凛恋の可愛さと綺麗さを心で噛みしめている途中で我に返る。いつもの凛恋も当然めちゃくちゃ可愛くて綺麗だが、振り袖姿の凛恋はいつもよりもその可愛さと綺麗さが強く分かりやすくなっている。その凛恋が外を歩いていたら、凛恋にちょっかいを掛けてくる男が何一〇人何一〇〇人居てもおかしくない。
「声掛けてきた男子は何人か居たけど、これ私の左手見てみんな逃げていったよ?」
凛恋が左手の薬指にはめたペアリングを見せてクスクス笑う。
「安心して、凡人がちゃんと守ってくれたから。でも、しつこく同窓会に誘われてさ~。断るのチョーめんどうだったし、そのせいで凡人に会うの遅くなっちゃったしチョー最悪」
唇を尖らせて不満を言う凛恋は、ゆっくり目を閉じて顔を俺に突き上げる。
「凡人がチューしてくれないと機嫌直らな――んっ……」
凛恋の唇を強引に奪い取り、凛恋とのキスに没頭する。
「凡人のお陰で機嫌直った! ありがと!」
ニィーっと笑った凛恋は俺に抱きついたまま俺の胸に頬を当てる。
「凛恋に半日会えなかったのは寂しかった」
「私は凡人よりも凡人に会えなくて寂しかった」
凛恋はそう言いながら、ギュウギュウと俺の体を両手で締め付ける。
「凛恋の振り袖姿を見られないって思ってたから見られて良かった」
俺は成人式に出なかったし、そもそも出たとしても凛恋と成人式の会場が別だった。だから、凛恋の振り袖姿を見られる機会がないと思っていた。
「凡人に見せないわけないじゃん。早く凡人に見せて、凡人に可愛いって言ってほしいってずっと考えてたんだから」
凛恋は背伸びをして俺の頬にキスをする。そして、俺の左手の薬指を右手で丁寧に触る。
「そう言えば、さっき露木先生からメール来てた。露木先生のパンツ選んだんだって?」
「仕事で使う綿パンを選んでって言われただけだって」
ジトッとした目で見上げる凛恋に、俺はちゃんと弁解をする。弁解をしながら、後で凛恋が誤解するようなメールを送った真弥さんに文句の一つや二つでも言ってやろうと思った。
「まあ、そんなことだろうとは思ったけど。一人で家に居る凡人を連れ出してくれただけだろうし。でも、露木先生のことだから、もっと凡人と仲良くなろうくらいは思ってただろうけど」
「真弥さんに、俺が明るく笑えてて良かったって言われたよ。俺、明るく笑えてなかったかな?」
「露木先生達に小竹のことを話した時、凡人は無理に笑ってたよ。でも、それは自分の辛さを隠すためじゃなくて、露木先生達が悲しい思いをしないようにって気遣ってる笑顔だってみんなも分かってたと思う。でも、みんな、辛い時でも自分以外の人のことを考える凡人のことを心配だったんだよ。凡人はずっと自分より周りを優先してばかりだから。最近は私にちゃんと弱さ見せてくれるようになったから、私は少し安心してるけどね」
下から凛恋が俺の頬に手を添えながら親指で頬を撫でる。
「振り袖をほどかないと」
「残念だな。凄く綺麗なのに」
これからみんなで成人祝いという口実でまた集まる。だから、振り袖を着たままは動き辛いし、凛恋は振り袖は脱いで私服に着替えなくてはいけない。でも、こんなに綺麗な凛恋がもう実物で見られなくなるのは残念だ。
「凡人、脱がして」
「ああ、分かった」
いつも風呂に入る時に、ふざけて服を脱がし合っている。その流れで凛恋の振り袖を脱がそうとして、振り袖の脱がし方が分からず手を止める。だが、そのお陰で俺は我に返った。
「いやいや、お父さん達も下に居るのにそれはダメだろ」
「冗談よ~。私の方は凡人に着替え手伝ってほしいけどね」
そうからかった凛恋が体を離そうとして、俺はその凛恋の体を抱きしめる。
「凛恋、成人おめでとう」
「凡人もおめでとう」
やっぱり振り袖姿の凛恋が名残惜しくて、俺は凛恋の体を離せずに居る。でも、凛恋はそんな俺が自分から体を離すまで、ずっと俺の腰に手を回し続けてくれた。
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