【二二六《区切る》】:一
【区切る】
俺達の地区では、成人式は出身中学校で行うことになる。そのせいで、俺は一人で中学校に行かないといけない。
俺は小中といじめを受けていて、当然中学校に全く良い思い出はない。だから、俺は中学校になんて行きたくもないのだ。しかし、幸いなことに成人式は自由参加だ。調べたら、成人式に行かなかった二〇歳以上の人は五割近くも居るらしい。だから、俺だって出なくても何の問題も無いのだ。ただ、凛恋達は成人式に出るらしい。
成人式は昼過ぎから夕方近くまであるらしく、俺はその間凛恋と会えない。
午後は、凛恋達と合流して夕飯を食べに行くことになっているが、それまで俺はボーッとしていなくてはいけない。
刻雨でやれば、みんなと一緒に成人式が出来たのに……そういう、残念な想いが浮かぶ。
もし、成人式が刻雨高校で開かれていたら、俺は迷わず参加しただろう。刻雨高校でなら凛恋達と一緒なのだから不参加を選ぶ理由がない。
きっと、人生でたった一度きりの成人式なのだから行った方が良いと言う人が居るのかもしれない。でも、成人式に行っても楽しい思いが出来るわけがないのだから、行くだけ無駄だ。きっと、中学の同級生達も俺に来てほしいなんて思っていないだろう。
ベッドに座ってゲームをやりながら、凛恋達との合流時間まで待つ。その待っている俺のスマートフォンが、テーブルの上でブルブルと震え始めた。
「はい、もしも――」
『凡人くん。デートしない?』
「真弥さん、いきなりなんですか?」
『凡人くんも夕方まで暇でしょ? だから、デートしないかなって』
電話口から真弥さんのからかう声が聞こえ、俺はゲームを止めてスマートフォンをきちんと握ってベッドに転がる。
「何か用事があるんですか?」
『うん。今年は福袋を買わなかったから、洋服を見たいな~って思ってて』
「なるほど、それで荷物持ちが必要なんですね」
『荷物持ちが必要なほど買わないよ。ただ、凡人くんとデートしたいなって思って。今、凡人くんのお家の前に居るから』
「え?」
クスクス笑っている真弥さんの声が聞こえた後、家のインターホンが鳴った。
真弥さんってこんなに強引な人だったけ? という疑問が浮かぶが、確かに家でゲームをやること以外暇なのは合っている。それにどうせ真弥さんもみんなと一緒に夕飯を食べに行くんだから、それまで一緒に居るというのも悪いことではない。ただ、女性の買い物に付き合うというのは、かなり重労働だ。しかし、もう真弥さんは家まで来ているのだから仕方が無い。
俺は電話を繋げたまま玄関まで歩いて行きドアを開ける。すると、スマートフォンを片手にニコニコ笑って手を振る真弥さんが見えた。
「凡人くん、こんにちは」
「こんにちは。準備出来るまで少し中で待っててください」
「ありがとう。お邪魔します」
俺は真弥さんをダイニングに待たせて、部屋でとりあえず部屋着のスウェットから着替える。いつも出掛ける時は凛恋が服を選んでくれるが、今回は俺が選ばなくてはいけない。服の判別なんて、サイズが合っているか破れていないかくらいの判断でしか選べない俺が、似合っている似合っていないかなんて分かりようがない。しかし、適当な服で出て行くというのは、真弥さんに失礼な気がする。
凛恋がいつも見立ててくれる服を参考に選んでダイニングに戻ると、振り返った真弥さんが俺を見てニッコリ笑った。
「じゃあ行こうか」
「はい。でも、俺がついて行ってもおしゃれなんて全く分かりませんから何も出来ませんよ?」
「良いよ。私が欲しい服だったり、凡人くんが良いって言う服を買ったりしたいだけだから」
「いや、だから俺の感性は当てにならな――」
「好きな人の好きな服を参考にするのは合ってるよ」
俺が、その真弥さんの言葉にどう答えるか困っていると、真弥さんはクスッと笑った。
「困ってる困ってる」
「からかわないでくださいよ」
「からかってないよ。私が凡人くんのことを好きなのは知ってるでしょ?」
それにもどう答えて良いか迷っていると、また真弥さんはクスクスと面白可笑しそうに笑う。
「真弥さんってそんな感じの人でしたっけ?」
「そりゃあ、教師と生徒から友達同士に変わったんだし、接し方も変わるよ。それに、もう告白も済ませてるしね」
「…………」
「あっ、告白だけじゃなくてキスもしてたねっ!」
「出掛けますよ」
「あ! 置いていかないでよ~」
俺をからかい倒そうという気満々の真弥さんを置いて歩き出すと、真弥さんは後ろから笑いながら付いてくる。
家の外に出ると、俺は歩く方向を真弥さんに任せて隣を歩く。
真弥さんは駅の方向に向かって歩き、駅周辺の洋服屋を目指しているのは分かる。
「この前は運転ありがとう」
「いいえ、毎年恒例のことなので」
「本当に凡人くんが免許持っててくれて良かった。私も免許取ろうかな。車があると凄く便利だし」
「良いと思いますよ。まあ電車とバスで移動はどうにでもなりますけど、やっぱり自由度は車の方が断然ありますし」
「そうだよね~。でも、父親が真弥が運転するなんて怖いって言うんだよ? 私も、ちゃんと教習場で勉強すれば運転出来るようになれるのに」
「まあ、娘だから心配なのかもしれないですね」
不満そうに唇を尖らせる真弥さんを見て俺はクスッと笑う。真弥さんも、真弥さんのお父さんからすれば何歳になっても子供だ。でも、いい大人の真弥さんは子供扱いされるのが嫌なのだろう。そんな、良い親子のエピソードを聞いて俺は心がホッコリと和む。
「今頃、凛恋達は成人式を楽しんでるんですかね」
「う~ん。中学時代の同級生って日頃会うことはないから、久しぶりに会って盛り上がることはあるんじゃないかな? でも、成人式って言ってもずっと座って色んな人のお祝いの言葉を聞いてるだけだから、式自体は退屈かも」
「まあ、式と付くものは大抵そんなものですよね」
「凡人くん、高校の時も式は嫌いだったよね」
「意味のある式なら別に良いんですけど、式自体にあんまり意味が感じられなくて」
卒業する。そのこと自体に意味はある。でも、卒業式というものに、俺は全く意味を感じられなかった。
実際は、式というのは意味があるのだ。その意味は、みんなで卒業し、その卒業をみんなで祝福する、というものだ。だから、卒業式は卒業する側にも卒業を見送る側にも意味のある式なのだと思う。でも、俺はそれは式として形式化しなくて良いものだと思った。形式化して、式をすることを、式をして誰かを祝うことを強制する必要を感じなかった。
確実に、真弥さんは卒業式というものがなくても俺達の卒業を祝ってくれた。そう思うからこそ、参加することを強いられる式というものに意味を感じられなかった。ただ、その意味も俺が感じられないだけで、他の人には感じられる意味もあるだろうから、俺が意味が無いと思うから他の人も意味が無いと思えとは思わない。
強制に人に何かの感情を抱かせようとするのは、どうなんだろうと思う。それが、俺があまり式という行事が好きではない理由の一つだ。まあ、一番大きいのが式は大抵面倒だという理由だが。
「私は入学式は嬉しいな。新しい生徒が入ってくるってだけで、どんな子達だろうってワクワクするし。でも、卒業式は嫌かな。特に、凡人くん達が卒業した時は凄く寂しかった」
「泣いてましたよね」
「仕方ないよ。だって、あの時が、凡人くん達と過ごした時間が一番楽しかったんだから」
「俺も高校時代が一番楽しかったですね~。もちろん今が全く楽しくないわけじゃないんですけど」
「良い思い出がいっぱいあるからかな?」
「思い出補正はあるかも知れませんね」
そんな話をしながら歩く俺は、住宅街から駅周辺の商業街に入って周囲を見渡す。
正月三が日の初売りセール時期が過ぎ、商業街に並ぶ店々は平常営業に戻っている。だからか、街の雰囲気が少し落ち着いているように思えた。
「凡人くん、楽器見ていい?」
「良いですよ」
真弥さんがふらふらと楽器店に入って行くのを追うと、真弥さんはすぐにピアノのコーナーに歩いて行く。
ピアノコーナーには、グランドピアノ以外にも沢山のピアノがある。
「真弥さん。これ、なんて言う名前のピアノですか? グランドピアノじゃないですよね?」
俺は、小学校の音楽室で見たことがあるグランドピアノより小さい四角いピアノを指さしながら真弥さんに尋ねる。
「それは、アップライトピアノって言うの」
「アップライトピアノですか~」
「私も家で練習する時に使ってたよ。今も家に置いてある」
「そうなんですか」
俺がアップライトピアノを見ていると、真弥さんが椅子に座って軽く弾き始める。音楽教師なのだから当たり前だが、サラッと弾けるのがやっぱり凄い。
「最近のはやっぱり性能が良いのかな。昔より弾きやすいし音も良い気がする」
「でも、やっぱりグランドピアノの音とは違いますね」
「凡人くんもピアノの音が分かるの?」
「高校時代に真弥さんのピアノをしょっちゅう聴いてましたし」
「よく昼休みに弾いてたからね。学校にあるのも凄く良いグランドピアノではなかったけど、アップライトピアノとは違うからね」
「真弥さん、あっちのグランドピアノ弾いてみて下さい」
俺はアップライトピアノの前から立ち上がった真弥さんに、ピアノコーナーで一際目立つディスプレイのされ方をしているグランドピアノを指さす。すると、真弥さんは微笑みながらそのグランドピアノの前に座った。
「さ、三五〇万……」
近付いてグランドピアノの前に置かれた値札を見た俺は、思わずそう声が漏れる。楽器が高価な物だという知識はあるが、実際に値段を見ると改めて自分の金銭感覚では判断出来ない世界の物だと認識する。
「何を弾こうかな~」
そんな声を発していた真弥さんは、少し音を奏でた後、すぐに曲の演奏に入る。その曲を聴いて、俺は店内に控えめに響いていたクラシックの音が耳から消えた。
優しく撫でるように真弥さんの手が鍵盤を叩く。その真弥さんの手で叩かれたピアノからは、優しいメロディーが流れる。
真弥さんの演奏が響き始めると、店内で楽器や楽譜を見ていた他の買い物客達が視線を真弥さんに向ける。みんな、真弥さんの演奏に魅せられて惹き付けられているのだ。
真弥さんは、自分は才能が無かったからプロのピアニストになれなかったと言っていた。でも、俺は高校時代からそれを不思議に思っている。
こんなに綺麗な音が奏でられるのに、なぜ才能がないなんて思うのだろうと。
俺は芸術の世界はよく分からない世界だと思っている。それは、音楽でも美術でもなんでもそうだ。
人の感性に訴えかける分野のものは全て、人の感性のみにしか判断されない。自分が良いと思ったものでも、自分以外の大勢が良くないと思ったら良くないものとされてしまう。だから、俺は芸術の世界はよく分からない。
真弥さんのピアノは雑味がなく心地よくて聴きやすい。でも、真弥さんは音大でピアノを評価されなかった。真弥さん以外の他のピアニストの方が上だと判断されたのだ。
芸術の分野で生きていこうと考えている人は、芸術の分野で評価されなければ生きてはいけない。それは、当然のことだが、あまりにも残酷だ。
俺は、真弥さんが音大時代に、真弥さんのピアノを聴いて下手だと判断した全ての人間が無能だと思う。
世の中に、ピアノを弾いて人を立ち止まらせられる人がどれだけ居るだろう。ピアノを弾いて人を惹き付けられる人がどれだけ居るだろう。ピアノを弾いて人を魅せられる人がどれだけ居るだろう。
人を立ち止まらせるということは、その人の人生の貴重な時間の一部を自分に使わせるということだ。人を惹き付けるということは、その人の関心を自分に固定させるということだ。人を魅せるということは、その人の心を奪うということだ。それが出来る人は、世の中にそうは居ない。
真弥さんはそれが出来る希有な人だ。だから、その真弥さんを見落とした人達はやっぱり無能だと思う。でも、今俺はその無能だった人達に感謝した。
無能だった人達のせいで真弥さんはコンサートをするようなプロのピアニストになるという夢は叶わなかった。でも、誰も真弥さんの才能を見付けられなかったことで、俺は今真弥さんのピアノが聴けて、その真弥さんと友達になれている。真弥さんには申し訳ないが、それが嬉しい。
「やっぱり真弥さんのピアノは良いな~」
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