【二二一《レディーキラー》】:三

「どっちも美味しかったけど、どちらかを選ぶとしたら多野くんのシードルかな」

「うわ~ん、負けた~」


 鷹島さんの言葉を聞いて、全く敗北感の感じられない軽い口調で嘆きながら飾磨が突っ伏す。しかし、飾磨はすぐに頭を上げて鷹島さんに首を傾げた。


「俺の敗因は?」

「味は凄く甲乙付け難かった。でも、少し赤ワインの酸味が苦手で。多野くんのシードルは飲みやすかったから」

「なるほどな~。由衣ちゃんはあまり飲む方じゃなかったしね~。まあ、今回の勝ちは多野に譲る」


 俺は体を起こして言った飾磨の言葉を聞いて改めて、勝負なんてただの余興でしかなく飾磨は楽しく飲み会をしたかっただけなんだと思った。そうなると、俺は飾磨の手の上で踊らされていただけだったのだろう。

 その証拠に、鷹島さんは本当に楽しそう笑っていた。




 ステーキ屋の前で飾磨と別れ、俺は形式上、勝負で勝ち取った鷹島さんを送る権利で、鷹島さんを家まで送ることになった。しかし、飾磨が主催する飲み会の帰りに空条さんや宝田さんを含めて鷹島さんも送っていたから、特に勝負で勝ち取ったという感じはなかった。


「多野くん、今日はありがとう」

「店を選んだのは飾磨だけどな」

「多野くんにはシードルを飲ませてもらったから」

「良いよ。鷹島さんは高校からの友達だし、お酒の一本くらい。それに、今回のことで凛恋も喜んでくれたし」

「八戸さんも?」

「ああ。凛恋はスパークリングワインが好きで、鷹島さんのお酒を探しに行った時に、イチゴのスパークリングワインがあったんだ。それを買って帰ったら喜んでくれて」


 俺は鷹島さんにそう話しながら、イチゴのスパークリングワインを見て子供のようにテンションを上げて喜んだ凛恋の姿を思い出す。


「そう。多野くんと八戸さんはずっと仲良しで羨ましいわ」


 ニッコリ微笑んだ鷹島さんは、ほんのり頬が赤くなっていて酒に酔っているのが分かる。しかし、足取りはしっかりしていて酒に酔って歩けないというわけではない。


「多野くん、少し時間はある?」

「大丈夫だけど?」

「少し、そこに寄って行かない?」


 鷹島さんが指さした先には、ビルの外に設置されている看板が見える。筆記体で書かれた文字に『BAR』という単語があった。


「鷹島さん、まだ飲んでも大丈夫なの?」

「大丈夫よ。もう少し多野くんと飲みたいの」


 鷹島さんが俺の手を掴んでバーのあるビルの入り口に入る。酒に酔っているからかいつもの鷹島さんらしくない。

 ビルの階段を上ってバーに入ると、薄暗く落ち着いた雰囲気のバーで、店内には落ち着いたクラシックが流れている。

 鷹島さんはバーの一番奥のカウンター席に座り、俺は鷹島さんの隣に座った。


「俺、バーとか行かないけどカクテルってどれ頼めば良いんだろう」

「多野くんはコーヒーを飲むでしょ? コーヒーリキュールを使ったカクテルにしましょう。すみません、コーヒーリキュールを使った飲みやすいカクテルはありますか?」

 鷹島さんがバーテンダーに尋ねると、バーテンダーの男性は笑顔ではないが柔らかい表情で丁寧に答える。

「ホワイトルシアンがおすすめです」

「では、ホワイトルシアンを二つお願いします」

「かしこまりました」


 注文を終えると、鷹島さんは小さく息を吐いて話し始めた。


「私、少し前に同級生の人に告白されたの」


 鷹島さんが言っているのは、俺が今日絡まれた男子学生のことだろう。その話を飾磨から聞いて知ってはいたが、俺は知っていることは言わなかった。


「何度か多野くんと一緒になった飲み会に居ただけの人でまともに話したことはなかったわ。それで、私は告白を断ったの。でも私に告白した後、空条さんと宝田さんも同じ人から告白されたらしいの。……凄く嫌な気持ちになったわ」


 同時期に複数の女性に告白する男。男の俺からも良い気はしない。だから、女性であり告白された本人の鷹島さんが不快に思うのは当然だ。


「私、男の人に女性なら誰でも良いってイメージがあるの。私、初めて告白されたのが高校二年生の頃だった。……多野くんのお友達の小鳥くんよ」

「そう、だったんだ」


 その話も知っていた。でも、俺はそのことも知っていると言えなかった。ただ、今回は、そのことについて話す鷹島さんの表情に嫌悪が見えたからだ。


「多野くんのお友達を悪くは言いたくないけど、私が小鳥くんの告白を断って、小鳥くんは溝辺さんと付き合い始めたでしょう? 小鳥くんは真面目な人だと思っていたから、余計にショックだった」

「小鳥は軽く決めたわけじゃないよ。溝辺さんに告白された時も悩んでた」


 高二の頃に小鳥が鷹島さんに告白して振られ、それから間もなくして溝辺さんの告白を受けて付き合い始めた。その一連の流れを知っている俺は、小鳥が決して軽い気持ちで溝辺さんと付き合ったわけではないと思っているし、鷹島さんが好きだった気持ちも嘘じゃないと思っている。しかし、事実だけを並べれば小鳥が軽く見えても仕方なかった。


「そうなのかも知れないけど、私は男の人は軽々しい生き物だと思った。でも、それと同時に男の人の誠実さと一途さも感じていたの。それは、八戸さんと付き合っている多野くんを見ていたからよ。多野くんはずっと八戸さんを好きで居続けて、八戸さんを一番大切にしているから」


 黒と白の二色に分かれたカクテルの入ったグラスが目の前に置かれ、鷹島さんはそれを手に取って静かに持ち上げる。俺はそれに合わせて自分のグラスを持ち上げる。

 乾杯は言わずに軽くグラスをぶつけると、鷹島さんはホワイトルシアンを一口飲んだ。


「でも……大学に入ってお酒に睡眠薬を盛られて危ない目に遭った。そのことから、尚更、男の人が嫌な生き物にしか見えなくなったわ。それで、よく知らない人の――男の人の前では絶対にお酒は飲まないと思った」


 男の前では絶対にお酒を飲まないと思ったことは当然だと思う。実際、鷹島さんも自分の言葉で語った通り、鷹島さんは酒に睡眠薬を混ぜられて危ない目に遭っている。だから、それを教訓として男の前で酒を飲むのを避けようとするのは自然の流れだと思う。だけど、鷹島さんの言葉には矛盾がある。

 鷹島さんは、酒に睡眠薬を盛られた後も飲み会に参加していた。そして、今日だって俺と飾磨という男が居る中で酒を飲んでいる。


「空条さんとも女子会で話してるの。多野くんは安心だって」

「俺は安心?」

「そう。飾磨くんからは下心を感じるけど、多野くんからは全く下心を感じないって。だから、素直に楽しくお酒が飲めるし、多野くんはきちんと女性に対して配慮が出来るから安心してお酒が飲めるとも話したわ。多野くんには、八戸さんという大切な彼女が居るから、八戸さん以外の女性に下心を持たないでしょ?」

「まあ、凛恋以外の人を好きになることは絶対にないよ」


 言っていることは正しい。ただ、それを全面的に肯定し辛いこともあった。

 下心を凛恋以外の女性と付き合いたいと思うことや、飾磨のように出来る限り色んな女性と仲良くなりたいと思うようなことだとしたら、俺はそんな下心は持っていない。ただ、それを凛恋以外の女性に女性的な魅力を感じることだとするなら、俺は下心は持っている。


 凛恋という彼女がいるとしても俺だって男だ。綺麗な女性は綺麗だと思うし可愛い女性は可愛いと思う。だから、鷹島さんの言っている下心の括りが分からなかったから、全面的な肯定の意識は持てない。


「多野くんはうちの大学に恋愛学の講義があるのは知ってる?」

「恋愛学? そういえば、そんな単語を見たことはあるけど実際に受けたことはないな」

「受けているのは女子学生ばかりだから、多野くんが知らなくても当然だと思うわ。単位に関係ない授業だし」

「鷹島さんはその恋愛学の講義を受けてるの?」

「ええ。恥ずかしいけれど、私はそういうことが苦手だから」


 酒に酔った赤みで分かりづらいが、鷹島さんは恥ずかしそうにはにかんでグラスからホワイトルシアンをグッと飲む。


「その講義でね、男性は多くの女性に興味を持つって言っていたわ。それを聞いて納得した部分も沢山あるけど、多野くんはそうじゃないと思った」

「まあ、興味を持つほどじゃないけど、俺だって男だから綺麗な人を見れば綺麗だと思うし、可愛い人を見れば可愛いって思うよ。もちろん、凛恋が一番可愛いと思うけど」

「そうなの? ……多野くんから見て、私はどんな女性に見える?」

「鷹島さん? 鷹島さんは美人だと思うよ。綺麗で落ち着いてるから、きっと男にモテると思う」

「そう? 告白されたのは片手で数えられるほどだけど?」

「好きだと思ってても告白出来なかった男は多いんじゃない? 大抵の男は、鷹島さんを見て高嶺の花って思うと思うよ」

「高嶺の……花?」


 鷹島さんは目を見開いて聞き返す。自分が高嶺の花と言われたことが信じられないという様子だった。


「だから、小鳥が鷹島さんに告白したって聞いた時は、あの引っ込み思案の小鳥が思い切ったなって思ったよ。実際、飾磨が鷹島さんは人気があるって言ってたし」

「そう……。じゃあ、これからはもう少し気を付けないと」


 俺は鷹島さんの「気を付けないと」という言葉に少し寂しさを感じた。気を付けるということは、鷹島さんは男からの好意に対して良い感情を持っていないということだ。それに寂しさを感じた。

 俺は人を好きになるということは素晴らしいと思う。それは、俺が初めて恋した凛恋と付き合えて、今まで沢山の困難はあったが幸せに来られたから、つまりは俺が恋愛で失敗したことがないからなのかもしれない。でも、そうだとしても俺は鷹島さんが恋愛から自分を切り離すような行動が寂しく思った。もっと、鷹島さんに恋愛の、人を好きになることの楽しさや幸せを感じてほしいと思った。


「すみません、もう一杯もらえますか?」


 鷹島さんはホワイトルシアンを飲み干し、二杯目を注文する。その横顔は酒に酔って赤くなっていたが、ほんの少し冷たい憂いを感じた。




 バーで少し飲んだ後、俺は改めて鷹島さんを鷹島さんの住んでいるアパートまで送る。

 鷹島さんはバーを出ても顔は赤いが変わらず足取りもしっかりしていて、二軒回った後とは思えなかった。もしかしたら、鷹島さんは酒に強い体質の人なのかも知れない。


「久しぶりに多野くんと話せて楽しかった」

「俺も楽しかったよ。飾磨は騒がしかったけどな」


 俺の飾磨に対する憎まれ口に鷹島さんはクスッと微笑む。そして、アパートの前まで歩いて来た時、鷹島さんは地面の段差に足を引っ掛けてバランスを崩した。


「危ないッ!」


 鷹島さんが倒れる前に体を支えると、鷹島さんは俺の体を支えにして立ち上がりながら恥ずかしそうにはにかんだ。


「ご、ごめんなさい」

「少し飲み過ぎたのかもしれないな」

「そうね……」


 さっきまで足取りはしっかりしていると思っていたが、今になって、そうもいかなくなったらしい。鷹島さんは俺を支えにして立ち上がったが、俺の腕を掴んで常に俺を支えにして立っている。おそらく、自分一人で立てないのだ。


「大丈夫?」

「…………ごめんなさい、一人で上がるのは無理かもしれないわ」


 急に酔いが回った鷹島さんを支えながらエレベーターに乗ると、鷹島さんはゆっくりした動きでエレベーターのパネルを操作する。

 鷹島さんの部屋のある階まで着いて部屋のドアの前まで行くと、鷹島さんは鍵を取り出して玄関のドアを開けようとするが、鍵穴に上手く鍵が刺さらない。


「鷹島さん、俺が代わりに開けるよ」

「ごめんなさい……」

「大丈夫」


 俺に鍵を手渡した鷹島さんは本当に申し訳なさそうな顔をして謝る。それに俺は何も気にしていないことを伝えるために笑顔を返した。

 鍵を開けて玄関ドアを開くと、部屋の中から甘い香りが漂ってくる。

 俺は鷹島さんの部屋の中に入るのを躊躇った。しかし、まともに立てない鷹島さんを玄関先で放置するのはもっと躊躇われた。鷹島さんは一人暮らしで、もし酔って足下がふらつくだけではなく体調を崩した場合に介抱出来る人が誰も居ない。


 俺は鷹島さんを支えながらベッドの上に座らせて、勝手に漁るのは申し訳なかったがマグカップに一杯の水を入れる。本当は水よりもオレンジジュースの方が酔いが覚めやすいらしいが、冷蔵庫まで勝手に開けるわけにいかないから仕方ない。


「鷹島さん、大丈夫?」

「ありがとう……さっきまでは大丈夫だったんだけど……」


 マグカップを受け取った鷹島さんは、水を一気に飲んで空になったマグカップを両手で持って太腿の上に置く。そのマグカップの動きを視線で追っていた俺は、つい流れで鷹島さんの太腿に視線を向けてしまう。

 短めのスカートから伸びる白く細い足は、凛恋ほど細いわけではない。しかし、色白さは鷹島さんの方が白くあまり活動的ではない女性の儚さを感じた。


 俺も酒に酔っているからか、体が熱く背中に嫌な汗を掻く。まあ、ステーキ屋では三人で二本のボトルを飲んだし、その後はバーで一杯カクテルを飲んだ。特に、鷹島さんはステーキ屋でもシードルを美味しいと何杯も飲んでいたし、バーのカクテルも気に入ったのか二杯目を飲んでいた。だから、俺よりも酔いが回っていても当然だ。


「鷹島さん、体調はどう?」

「……胸が少しドキドキする」

「動悸がするのか。気分が悪いとか頭が痛いと――ッ!?」


 鷹島さんの顔色を確認しようと俺は鷹島さんの顔を横から覗き込んだ。その俺の視線には、完全に真っ赤になった鷹島さんの顔が見えた。しかし、その顔がはっきり見えたのは一瞬だった。


 一瞬、何が起こったか分からなくなって全てを認識出来なくなった俺が再び状況を認識出来るようになった時、俺の視界には、今まで見たことがない至近距離に鷹島さんの顔があり、俺は鷹島さんに強く抱きしめられていた。

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