【二〇九《心にも あらでうき世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな》】:一

【心にも あらでうき世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな】


 夏と言えば海。そんな単純な考えを否定するわけじゃない。でも、よくよく考えれば夏に行くところと言っても、海か川か山と場所は限られている。だから、その限られている選択肢で夏と言えばという場所を選んで海と思うのは、きっと仕方のないことなのだ。

 車のハンドルを握りながら、フロントガラス越しに見えるまだ薄暗い空を見てため息を吐く。すると、隣から凛恋の心配そうな声が聞こえた。


「凡人、眠くない?」

「大丈夫。今日は早くから運転するって知ってたし、それに合わせて早めに寝て早めに起きたから。ただ、運転すると気を遣うから」


 助手席に座る凛恋が差し出してくれたチョコレート菓子を口で受け取ると、凛恋が優しく頭を撫でてくれた。


「いつもありがとう」

「まあ、レンタカー代はみんなが出してくれるし、運転くらいはな」


 今回は、高速を使って少し遠出になる。しかし、遠出のために早く出てきたせいか、後ろに座るみんなは完全に寝てしまっている。


「凡人は運転が上手いからみんな寝ちゃうのかもね」


 後ろを振り返った凛恋がクスッと笑いながら俺に顔を向ける。


「でも、私は凡人と二人きりになれるから嬉しいかな」

「凛恋も眠かったら寝ていいんだぞ?」

「私は眠くないから大丈夫。それに、凡人とのドライブを楽しまないと損でしょ?」


 助手席のシートに背中を預けた凛恋は、チョコレート菓子を食べながらフロントガラス越しの高速道路を見る。


「凡人は、夏美ちゃんみたいな子達の現状をみんなに知ってもらうにはどうしたら良いと思う?」

「やっぱりネットは使うべきだと思う。ホームページを作る、SNSで情報を発信する、動画サイトに動画を上げる。ネットだけで色んな形で情報を発信出来るし。でも、それには見てもらえるかって不安がある」


 インターネットを利用している人は、全世界に何一〇億人と居る。その中で、俺達の発信する情報を見てもらえる可能性は限りなく低い。


 たとえば、真井さんのようなトップアイドルで熱狂的なファンの居る人なら、真井さんの発する情報を注視している人は沢山居る。だから、真井さんの発する情報は沢山の人に見てもらえるだろうし、その情報を見た人が共有したり拡散したりしてくれるはずだ。でも、俺は真井さんのように知名度のある人間じゃない。だから、俺が発信した情報なんて、沢山あるネット情報の一部としてすぐに埋もれてしまう可能性がある。誰でも情報を発信出来るからこそ情報量が多い。それが、ネットの欠点でもある。


「レディーナリーに特集を組んでもらうとかは?」

「いや、レディーナリーは女性向けの娯楽情報誌だ。そういう社会的な記事を扱う雑誌じゃない。そういうところは一番レディーナリーの編集部の人達が分かってる」

「そっか……」


 凛恋の案を否定するのは心苦しかったが、レディーナリーの編集部で働いているからこそ俺はレディーナリーで取り上げるのは不可能だと判断した。

 レディーナリーの編集さん達はプロ意識の塊で出来ている人達だ。自分達が作り上げているレディーナリーという雑誌に誇りを持っているし拘りも強い。レディーナリーの毛色に合った記事でも面白くなければ企画は問答無用で却下するし、面白いと思って作った記事も出来上がりがいまいちなら一から作り直す。そんな雑誌に素人の俺の記事を割り込ませるなんて頼めるわけがない。仮に頼めたとしても、絶対に却下される。


「でも、情報を纏めた何かは必要だよね。それがホームページなのか雑誌なのかは別としても」

「ああ。ちゃんと分かりやすく組み立てられた情報の塊は必要だと思う。適当に情報を発信するだけじゃ意味が分からなくなるし、情報を見た人にもその情報を見てどうしてほしいのか分からないだろうし」


 凛恋の言うとおり、情報を纏めた何かは必要だ。でも、あまりにも膨大な情報を詰め込まないようにしなければいけない。まずは、俺達がその情報を伝えて、情報を伝えた人達にどうしてほしいという目的が必要だ。でも、もう俺の中にはその目的は存在する。


 児童養護施設や里親の元に行かなければいけない子供達の置かれている現状の不十分さ。それを伝えて、そこから現状の不十分さを批判してもらわなければいけない。だから、その目的に沿った情報を集めて整理して、適切で最大限効果が出せる形で発信しなければならない。


「夜にみんなで話し合おう。そのためにみんな集まったんだし」


 凛恋はクスッと笑ってルームミラーを見ながら言う。俺もルームミラーを見て、ぐっすりと眠っているみんなの顔を見る。そして、凛恋の笑顔に釣られて俺も微笑みながら答える。


「そうだな」




 予約した海辺のコテージに着くと、荷物を置くためと着替えのために女性陣は二階へ上がっていく。そして、俺を含む男三人は一回で荷物を置いて座り込んだ。


「カズ、お疲れ様」

「凡人、ありがとう」

「全くだ。栄次も瀬名も気持ち良さそうに寝やがって」


 俺が栄次と瀬名に恨み節を返してやると、栄次と瀬名は明るく笑う。


「まあ、栄次と瀬名も巻き込むことになったし、恨み節もこれくらいにしとくか」

「水臭いこと言うなよ。むしろ、真っ先に相談しなかったことを怒ってる」

「そうだよ。僕達は凡人の親友なんだから、凡人に協力するに決まってるのに」

「二人共、ありがとう。俺に力を貸してくれ」


 栄次と瀬名に頭を下げて俺はそう礼を言いながら改めて頼む。それに二人は快く頷いてくれた。

 女性陣の着替えが終わり、早速みんなは海へ飛び出していく。もう一九や二〇の良い年齢には達しているが、海という開放的な場所と友達と一緒という状況がみんなを無邪気にさせるのだと思う。そんな中、冷静に走り出したみんなを見ている俺は、やっぱり心がみんなより擦れてしまっているのかもしれない。


 周囲には俺達以外にも海水浴を楽しんでいる人達は沢山居る。家族連れや恋人同士、そして、男女それぞれの友達グループらしき人達と、その年齢層も男女構成もバラバラだ。でも、それが海という場所なのだろう。

 夏という季節に年齢と性別を問わず無邪気にさせる場所。それが海なのだ。まあ、やっぱり俺はみんなのように無邪気に気持ちをシフト出来ないが。


「凡人」

「瀬名?」


 みんなが走り出したと思ったら、一人だけ瀬名が俺の隣に残っていた。そして、俺の顔を見てはにかむ。


「凡人はやっぱり凡人だね」

「え?」

「凡人は高校の時からずっとみんなを見守ってくれてた。クラスで何かをやる時でも、中心に連れて来られなかったら、ずっとみんなが見てないところでクラスのために頑張ってくれてた。それを直接的に気付いてるのは凡人と仲の良い人ばかりだったけど、クラスメイトのほとんどは、自分達の全く知らないところで凡人に助けられてる。今も、凡人は全力で楽しんでるみんなの後ろから見守ってる。僕は結構高校の頃から何度も思うことがあったんだ。うちのクラスには先生が二人居るなって」

「先生が二人?」

「そう。みんなの先頭に立ってみんなを引っ張ってくれる担任の露木先生。そして、みんなを後ろから温かく見守ってくれる副担任の凡人」

「俺はクラスの行事が面倒で後ろに引っ込んでただけだぞ?」


 明らかな瀬名の過大評価に、俺は眉をひそめて首を傾げて否定する。でも、瀬名はニコニコと笑いながら横へ首を振って、俺の否定を否定した。


「違うよ」


 そう言った瀬名はクスクス笑って走り出す。否定した理由を言わなかったが、それを聞いたらどうせまた俺は瀬名の過大評価に晒されてしまうだろうし聞かずに済んで良かった。

 空には真っ白い雲が浮かんでいて、その真っ白い雲を眩しく照らす太陽ももちろん浮かんでいる。その夏らしい空を見上げながら、俺は物思いに耽(ふける)る。それをこの明るい空の下で考えるのは野暮なのは分かる。でも、そのために来たという大義名分があるのだから許されるだろう。


「ねえねえ、そこのチョー格好良い人、私と一緒に遊ばない?」

「凛恋、それ絶対に他の男にするなよ」

「凡人以外にするわけないっていっつも言ってるじゃん」


 凛恋の声が聞こえて、空を見上げていた顔を下に下げると、目の前に凛恋が立っていた。可愛いビキニ姿の凛恋は、両手を後ろに組んで前屈みになりながら上目遣いで小首を傾げている。


「彼女の目の前で他の女の子のこと考えない」

「いや、今日はそのために来たって――」

「さっき車の中で言ったでしょ? 夜にみんなで一緒に考えようって。凡人もそれにそうだなって言ったじゃん」

「ああ」

「だったら、昼間は彼女のことを構ってくれても良くない?」

「もちろん」


 ギュッと凛恋に手を握られていじらしく引かれる。そんなことをされて断ることが出来る男なんて居ない。まあ、そんな男なんて絶対に俺が俺以外凛恋に近付けさせないが。

 凛恋が言ったように俺は凛恋と夜にみんなで話そうと約束をした。だから、今は凛恋との、みんなとの楽しい時間を楽しむべきだ。


「忘れないでよね。凡人は私の彼氏なんだから」

「忘れるわけないだろ」


 俺の手を引いた凛恋が海際に近付くと、足で海水を蹴って散らしながら海へ入る。凛恋が海へ入った直後に俺も少し冷たく感じる海の中へ入った。


「凡人食らえ!」

「冷たっ!」


 凛恋が蹴り上げた海水が俺に掛かり、それを見ながら凛恋は楽しそうに笑う。


「可愛い……」


 無邪気に笑う凛恋が可愛過ぎて、思わずそう声が漏れてしまう。


「ありがとうっ! 凡人もチョー格好良いよ!」


 俺の腕を抱きしめた凛恋が更に俺を海に引き込む。俺の腕を抱いた凛恋は俺の顔を見てニヤッと笑う。その反応を見て、俺は腰まで浸かった海の中で凛恋の腰を抱き寄せる。

 周りには沢山の海水浴客が居て、俺と凛恋の存在はその中に紛れている。


「やっぱり凡人が居ると大丈夫だ。周りの男の人なんて全然目に入って来ない」


 甘えるような声で俺を誘う凛恋。その声に思わず腰を抱き寄せる手に力が籠もる。

 凛恋とキスしたい。そんな短絡的な欲求が浮かぶ。水着姿の凛恋はいつも以上に魅力的で、夏の暑さのせいか体の火照りも早い。


「凡人?」


 凛恋の手を引いて海から出ようとすると、目の前に人が立ち塞がる。


「二人共、どこ行くの?」

「もしかして、二人で抜け出していちゃいちゃする気?」


 理緒さんと里奈さんが俺と凛恋の前に立ち塞がる。


「ち、違うし!」

「どーだか?」


 必死に里奈さんへ否定する凛恋は、俺の手を握ったままギュッと俺の腕を抱く。


「いや、俺が凛恋と少し二人きりになりたかったんだ」

「そうなの? 凡人くんがそう言うなら邪魔しちゃ悪いわね~」


 ニタニタ笑う里奈さんが道を空けると、俺は凛恋を強引に引っ張ってコテージに戻る。まあ、戻ると言っても海とは目と鼻の先ではあるが。

 凛恋をバンガローの裏に連れて行くと、俺はすかさず凛恋の体を強く抱きしめる。すると、耳元で凛恋が小さく笑った。


「もー、凡人がっつき過ぎ」

「凛恋だって胸を押し付けただろ?」

「何のこと?」


 しらばっくれる凛恋は俺の背中に手を回して俺を抱き寄せ、更に胸を押し付けながらゆっくりと目を閉じる。

 そっと凛恋の唇に俺の唇を触れさせると、凛恋の唇が優しく俺の下唇を挟んでついばむ。

 心地の良い凛恋の唇の感触を確かめながら、俺も凛恋と同じように目を閉じる。

 バンガローの陰に流れる風は少しだけ冷たい。でも、その少し冷たい風で体を冷やされないくらい、俺から熱が沸き立ち、凛恋から熱く熱が伝わる。


「凡人、まだ海に入ったばかりだったのに、今からそんな感じでこの後、大丈夫?」

「常に大丈夫じゃない。凛恋は毎日どんどん可愛くなってるし、我慢するのが精一杯だ」

「全然我慢出来てないし」


 クスクス笑った凛恋は、俺からゆっくり体を離してから軽く俺の頬にキスをする。そして、俺の手をしっかり握って隣に寄り添って立つ。


「凡人、さっきも海で言ったけど、凡人が居れば周りの人なんて気にならないから大丈夫だよ」


 凛恋は俺が、男性が苦手な凛恋のことを気にして連れ出したと思っているのかそう言った。でも、俺は首を横へ振ってそれを否定する。


「俺は純粋に凛恋とキスしたかったんだ。でも、あんな他の男が沢山居る場所で凛恋のキス顔なんて見せたくないし。そうなると、ここしかないかなって」

「そかそか。凡人は私とチューしたくて仕方なかったんだ」

「凛恋はしたくなかった?」

「したくなかったら、おっぱい押し付けないし甘えないわよ?」

「だったら、凛恋だって全然我慢出来てなかったんだろ?」

「そうよ~? だって、こんなに格好良い凡人に抱き寄せられちゃったら、誰だってイチコロに決まってるじゃん」


 指を組んで握った凛恋は、小さく悩ましい吐息を漏らしながら俺の腕に頭を預ける。


「そろそろ戻るか」

「うん。あんまり長くここに居ると里奈達に何言われるか分からないし」


 頬を赤らめながらクスッと笑った凛恋は、俺の手を引っ張って海の方に歩き出す。その凛恋の明るい笑顔を斜め後ろから見ながら、俺は凛恋の隣に追い付こうと歩き出した足を走らせた。




 俺は両腕を組んで、深く大きなため息を吐く。そして、隣に並んだ理緒さんが手で口を隠しながらも隠しきれない笑いを漏らしていた。

 昼間は海で遊び、夕飯はバーベキューをして栄養を蓄え、そして夜にみんなに知恵を貸してもらおうと思っていた。しかし、目の前では栄次と瀬名が布団の中で寝ているし、それから上には理緒さんを除く女性陣以外が全員寝ている。


「凡人くん、みんなを寝かせるの任せちゃってごめんね。私じゃ運べなくて」

「気にしなくて良いって。それにしても、凛恋まで寝ちゃうとはな……凛恋は飲んでないのに」

「昼間はしゃいでたし仕方ないんじゃない?」


 凛恋は未成年だからもちろん酒を飲んでいない。でも、他に飲んでいたみんな同様に昼間は海で大はしゃぎしていたし、理緒さんの言うとおりその疲れが来たのかも知れない。


「まあ、今日じゃなくてもまだ夏休みは長いし、みんなの力を借りる機会はあるからいいか」

「凡人くん、栄次くんと瀬名くんを起こしちゃ悪いし、外を歩きながら話さない?」

「そうだな。でも、理緒さんは大丈夫?」

「うん。私はあまり飲んでないから大丈夫。行こっか」


 俺と理緒さんはコテージの戸締まりをして外に出る。

 空には満天の星空が広がっていて、コテージ周辺にはその星空を霞ませない程度の外灯の明かりが灯っていた。


 外に居るのは俺と理緒さんだけではなく、他のコテージに泊まっている宿泊客がちらほらと夜の散歩を楽しんでいる。ただ、みんな恋人同士に見える男女二人組だった。そして……男の方が理緒さんを見て、彼女の方に怒られていた。

 確かに理緒さんは可愛い。それこそ、下手なアイドルよりも整った顔をしているし華がある。しかし、薄暗い外でもそれは届くものなのかと、俺は一人で驚いていた。


「凡人くん」

「ん?」

「私は反対」

「え?」


 海に向かって遊歩道を歩いていると、話し出した理緒さんの言葉に戸惑う。反対というのは、俺がみんなに相談した、施設や里親の不十分な点をみんなに知ってもらおうと思っていることを言っているのだろう。でも、理緒さんは頭ごなしに否定するような人ではない。なにか理由があるのだ。

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