【二〇三《オペラ・ゴーストはhihiEを愛する》】:一
【オペラ・ゴーストはhihiEを愛する】
宿泊しているホテルから離れた俺は、すぐにスマートフォンで近くの警察署を調べる。そして、GPSを使って警察署までの道をスマートフォンに案内させて歩き出した。
昨日の夜は入り口で止められなかった。でも、今日は止められて立ち入りを拒否された。昨日の夜から今までで、俺はホテル側に立ち入りを拒否されるような迷惑行為はしていない。俺側に問題が無いのだから、立ち入りを拒否するのはホテル側の都合なのだろう。
もし、萌夏さんに言い寄ったホテル経営者の息子が俺に恨みを持ったとすれば、今のホテルの立ち入り拒否も無理矢理だが筋が通る。
経営者の親族という立場を使って、気に食わない俺だけを立ち入り拒否にしたのだ。
その想像は馬鹿馬鹿しい。でも、それくらい飛躍した想像でないと、俺が立ち入りを拒否される理由が全く浮かばなかった。
投げ飛ばされて地面に体を打ち付けたせいで、背中や腕にジンジンとした痛みが走る。その痛みに耐えながら歩く俺は、すっかり真っ暗になった空を見上げる。
せっかくのフランス旅行なのに不幸だな……。そんな他人事のような軽い感想しか浮かばなかった。それくらい、唐突過ぎる出来事だったのだ。
凛恋も希さんもフランス旅行を楽しみにしていた。それと同じくらい俺も楽しみにしていたのだ。萌夏さんに会えるし、何より凛恋と海外というだけでテンションが上がっていた。それなのに、どこの誰かも分からないやつのせいで台無しだ。
スマートフォンの表示に従って歩いていた俺は、大通りを曲がって薄暗い道に入る。細い路地というわけではないが、通り沿いの店は閉まっているし街灯の数も少なかった。
「ん?」
俺がスマートフォンを片手に警察署を目指していると、目の前に五人組の白人男性のグループが近寄ってくる。年齢は俺と同じくらいだが、なんだか雰囲気からして不良少年という感じしかしない。
流ちょうなフランス語で何か仲間内で会話をしている。そのフランス人達は、時折、俺の方に視線を向けていた。
俺は歩きながらスマートフォンをゆっくりとポケットに仕舞い、向かいから近付いてくるフランス人全員の視線が俺から外れた瞬間、一気に反対方向へ走り出した。
後ろから男達の怒鳴り声と複数人の走る足音が聞こえてくるのを聞きながら、俺は必死に走りながら心の中でため息を吐く。
まさか海外でこんなにも立て続けにトラブルに遭うとは思わなかった。おそらく、あいつらは見るからに観光客の俺から金品を巻き上げようとして近づいてきたのだろう。しかし、そう簡単に渡してやるつもりはない。
「イッテッ!」
曲がり角を曲がればすぐに警察署というところで、俺は追ってきたフランス人に追い付かれ、服の裾を掴まれて地面に引き倒された。
また思い切り体を打ち付けた俺は手の平と膝を擦りむいた痛みに耐えながら、俺の服を掴んでいる男を蹴り飛ばす。
必死に俺が振り抜いた足は、服を掴んでいた男の顔面に直撃し、俺の蹴りを食らった男は悲鳴をあげながら倒れ込む。
「ちょっ! マジかよ……」
俺が走り出そうとすると、蹴りを受けていない残りの四人が、それぞれ手にバタフライナイフを持って俺に向ける。
警察署はもうすぐ。しかし、相手は複数だしナイフを持っている。このままだと警察署にたどり着けるまでに無事で居られる保証はない。
俺がとりあえず財布を放り投げてその隙に……と考えていると、背後からフランス語の怒鳴り声が聞こえた。
「えっ!?」
すると、俺の後ろから体格の良い男性二人が飛び出した。その男性二人の手には、黒光りする拳銃が握られていた。
流石に拳銃相手にナイフで立ち向かうのは分が悪いと判断したのか、俺を襲ってきた男達はすぐに踵を返して逃げていく。
「はぁ~。あっ、えっと……」
男達が逃げていくのを見てから一息吐いて、助けてくれた男性二人にお礼を言おうとすると、俺の背後から聞き覚えのある声が聞こえた。
「もしかして……多野くん?」
「えっ? く、空条さん!? どうしてここに!?」
俺が振り返った先には、光沢のあるピンク色のフォーマルワンピースを着ている空条さんが目をまん丸に見開いて俺を見ていた。
「それは、こっちのセリ――大変! 怪我してる! とにかく手当てしないと!」
近付いてきた空条さんは、俺の手を見て血相を変える。しかし、ここで空条さんに出会えたことは幸運だった。
「空条さん、もしかしてフランス語出来る?」
「えっ? まあ、挨拶程度は。でも、通訳の人が居るからほとんど任せてるけど」
「お願いがあるんだ。ちょっとトラブルに巻き込まれてて! 警察に事情を説明するのを手伝ってほしい」
「トラブル!? 分かった。そこにうちの車があるから乗って。警察署はすぐ近くだけど危ないから」
「あ、ありが――」
俺は空条さんにお礼を言って歩き出そうとした。しかし、俺は空条さんが歩いて行った先に停まっている車を見て固まる。
白く光るボディーに黒いスモークガラスの窓。そして、普通の乗用車からは考えられないくらい不自然に長い車体。
「多野くん?」
その車の近くで空条さんは首を傾げて俺を振り返る。
空条さんが乗り込もうとしていた車は、リムジンだった。
警察署から出て、俺は視線を入り口の地面に落とす。
俺は空条さんに助けてもらって警察に事情を説明して相談した。フランスの警察は親切で、ホテルに対して問い合わせまでしてくれた。しかし、ホテルから返ってきた言葉は冷たかった。
多野凡人という人物は泊まっていません。ご問い合わせのお部屋は、八戸凛恋様がお一人で取られたお部屋です。そう言われたらしい。
問い合わせてくれたフランスの警察もそこまでしか力になれず、手紙についてもただのいたずらだろうと丁寧に答えてくれた。全く……本当に最初から最後まで丁寧に事務的な対応をしてくれた。
「多野くん、大丈夫?」
「とりあえず凛恋に電話しないと。それから、どこか二四時間開いてるファストフード店とかで明日まで待つよ。ホテルは入れてくれそうにないし」
「多野くん、怪我もしてるし酷く疲れてる。ちゃんとベッドで寝た方が良いよ。それに、外で一晩過ごすのは店の中でも危ないよ」
「ありがとう。でも、とりあえず今すぐにホテルは見付けられそうにないし、通りをうろつくよりは安全だから」
流石に、さっき襲われたばかりだから通りで一晩過ごすなんて気にはなれない。でも、二四時間営業の店なら一晩くらいは過ごせる。まあ、現状のことを考えると、今晩を凌いだからと言って、明日ホテルに泊まれるという保証もないが。
「うちの別荘にゲストルームがあるからそこに泊まって」
「えっ? 良いの? ……いや、空条さんには迷惑を掛けたし、これ以上迷惑は掛けられないよ」
空条さんの提案に、思わず食い付いてしまう。しかし、すぐに首を振って否定する。
今はもう夜中だ。それに、空条さんの格好を見れば、何かのパーティーに参加した帰りだろう。きっと、空条さんもかなり疲れているはずだ。それなのに、更に泊まる場所まで用意させるわけにはいかない。
「絶対にダメだから」
首を振った俺に、空条さんは真っ直ぐ視線を向けて言う。その視線は鋭く、空条さんが怒っているように見えた。
「多野くんは暴漢に襲われて、運が悪かったら殺されてたかもしれないんだよ? そんな状況で友達を放り出せるわけないよ。車に乗って。八戸さんには車に乗りながら電話してあげて」
俺の腕を掴んで歩き出す有無を言わせない態度の空条さんの背中に、俺は頭を下げた。
「ありがとう……」
「ううん。この前、着替えを買ってもらったお礼もしたいし」
「ありがとう、本当に助かる」
「お礼は良いから乗って乗って」
さっきの鋭く怒った雰囲気を消して、明るく言ってくれる空条さんの言葉に甘え、俺はリムジンの中に乗り込む。
さっき暴漢に襲われたばかりだ。いくら俺が男だとしても外に居るのは怖い。だから、空条さんが泊めてくれるという話は本当に助かった。
俺はすぐにスマートフォンで電話を掛ける。すると、呼び出し音が鳴るか鳴らないかというスピードで電話が繋がった。
『凡人!?』
「凛恋、今警察に行ってきたんだけど、警察では何も出来ないって言われた」
『そんな……なんで……』
「でも、警察署に行く途中に空条さんに会って。泊まる場所が無いって話をしたら、空条さんの家が持ってる別荘のゲストルームを貸してくれるって」
『空条さんが!? 少し替わって!』
「ああ。空条さん、凛恋が替わってほしいって」
「うん。もしもし、空条です」
俺は空条さんが凛恋と電話するのを聞きながら、小さく息を吐いてリムジンの車内を見る。
シャンパンゴールドに統一された内装を見渡し、シートの向かいに並べられた高そうなシャンパンやワインのボトルから視線を窓に向ける。マジックミラーになっているようで、車に乗り込む前に車内は見えなかったが、車内からは外の景色がよく見えた。
リムジンなんてお金持ちの持ち物らしい物を見ると、空条さんがかなりのお金持ちだというのが分かる。それに、今から向かうのも別荘なのだから、お金持ちなのは当たり前だろう。いったい、パリに別荘を持つと年間いくら維持費が掛かるのだろう。そんな、庶民らしい考えが浮かぶ。
「多野くん」
「ありがとう」
空条さんから電話を受け取ると、凛恋のしっかりした声が聞こえた。
『明日、空条さんがホテルまで迎えに来てくれるって言ってくれたから、希と萌夏と一緒に行くから。凡人は空条さんの厚意に甘えてゆっくり休んで』
「凛恋ありがとう。心配掛けてごめん」
『ううん! さっきホテルのフロントに電話して文句言ったから。聞き流されたかもしれないけど、二度と泊まるかって怒鳴ったから』
「ああ、ありがとう……」
凛恋は俺を励ますために、わざと明るく軽い口調で言う。でも、ほんの少し震えている声から、凛恋を酷く不安にさせてしまっているのが痛いほど分かった。
『じゃあ……ちゃんとゆっくり休んでよ?』
「分かってる」
『愛してる』
凛恋が電話を切って、俺は小さくため息を吐く。すると、近くに座っていた空条さんは俺にグラスを差し出した。
「何か飲む?」
「いや、大丈夫」
「そっか……何があったか聞いていい?」
空条さんは恐る恐るそう尋ねる。俺は、何も説明せずに空条さんのお世話になることは出来ないと思い、俺が今朝変な手紙を貰ったことから始まり、俺の憶測まで全て話した。
全てを聞き終えた空条さんは、俺に視線を向けて口を開いた。
「多野くんが貰った手紙に出てくる人達、オペラ座の怪人の登場人物の名前と同じだよ。ついさっき、オペラ座の怪人のミュージカルを見てきたから間違いない」
「オペラ座の怪人って、あのシルクハット被って仮面を付けた?」
「うん。劇中でオペラ座の怪人はエリックって名前を名乗るの。それで、エリックが歪んだ愛を向けるのがソプラノ歌手のクリスティーヌなの」
「じゃあ、ラウル・シャニュイって言うのは?」
「クリスティーヌの幼馴染みで、クリスティーヌと互いに愛し合っている間柄の子爵」
オペラ座の怪人という作品があるのは知っていたが、内容もほぼ知らなかったし、登場人物の名前なんて聞いたこともなかった。でも、オペラ座の怪人の舞台がパリだということはなんとなく聞いたことがある。
「オペラ座の怪人、か……。オペラ座の怪人の結末はどうなるんだ?」
「オペラ座の怪人は作品によってストーリーが変わるらしいけど、私が見たミュージカルは、オペラ座にクリスティーヌをさらったエリックが、オペラ座のお客さんとラウルを人質にクリスティーヌに結婚を迫るの。でも、クリスティーヌの綺麗な心がエリックの心を入れ替えさせたの。それ以降、怪人はみんなの前から姿を消して、ラウルとクリスティーヌは結婚して幸せに過ごした。って話」
「そうか。結末は、ラウルとクリスティーヌは幸せになるんだな」
結末を聞いて、俺がオペラ座の怪人のエリックに見立てられた理由が分かった。
十中八九、俺に手紙を差し出した人物は萌夏さんに言い寄ったホテル経営者の息子だろう。それで、自分を萌夏さんに見立てたクリスティーヌと結ばれる結末のラウルに見立てた。そして、そのクリスティーヌと結ばれないエリック――オペラ座の怪人は俺ということだ。手紙の差出人はよっぽど俺のことがお嫌いらしい。
「多野くんに手紙を送った人が、そのパリのお友達に振られた人だとしたら、女としては気持ち悪い。でも……多野くんの予想は当たってるかもしれない。警察署で待ってる間にちょっと調べたんだけど、多野くん達が宿泊してるホテル、多野くんのお友達が勤めてるホテルと同じ系列のホテルなの。だから、経営者が何か言ったとしたら、いきなりホテルから出された理由も説明出来る。でも、本当にそんな酷いことをする人が居るとは信じたくないけど」
確かに、いくら好きな女の子とキスをした男が現れたからと言って、権力にものを言わせてその男の住む場所を取り上げて追い払おうとするなんて馬鹿げている。ただ、空条さんと違い、俺はそういう馬鹿げた行動を取る男達に何人も出会っている。だから、空条さんのようににわかには信じられない、という感じではない。
リムジンがパリの中心部から離れ、パリ郊外の閑静な住宅街に入る。小高い丘を登るリムジンはスピードを落とす。そして、高い塀にある門を抜けた。
「空条さん……もしかして、さっきの門から空条さんの別荘?」
「うん。父が買ったんだけど、父自身はあまり使ってないの。だから、私が今回は借りてる」
「…………ソ、ソウナンダー」
空条さんがこともなげに答える様子を見て、俺はあまりにも自然に答えられて上手く言葉を発せなくなる。
リムジンは敷地内の道路をしばらく走ると停車する。その停車したリムジンの窓越しに、俺は大豪邸を見た。
その大豪邸は真っ白い三階建ての建物で、正面には大きな扉が見える。その扉の前には数段の階段があり、リムジンはその階段の前に停まった。
「多野くん、付いてきて」
「は、はい」
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