【一九八《終熄(しゅうそく)して、人知れぬ成熟》】:二

 優愛ちゃんは肩をすくめて心底疲れたようにため息を吐く。

 案の定というか、優愛ちゃんはアルバイト先のカフェでお客さんに人気らしく、ほとんど毎日誰かから連絡先を書かれた紙を渡されたと話している。姉の凛恋もそれを心配しているが、俺もそれは心配だ。


 連絡先を渡してくる人間が全員怪しい人間というわけではない。しかし、初対面の女性に連絡先を渡せる男は、それだけでも他の男と変わっていると言える。そして、数が多いとなると、必然的に優愛ちゃんが悪い男に遭遇してしまう数も増える。


「優愛、その指輪どうしたの?」

「へっ!?」


 一緒に歩き出すと、凛恋が優愛ちゃんの右手を見て目を細める。その凛恋の声に釣られて俺も優愛ちゃんの右手を見ると、確かに優愛ちゃんの右手の小指に指輪がはまっていた。それは、俺が真弥さんに強請られたピンキーリングというやつだった。


「…………じゃ、じゃあ私先に」

「ちょっと待ちなさい」


 凛恋は合流したばかりなのに歩き去ろうとした優愛ちゃんの首根っこを掴み、自分の真横に引っ張り戻して睨む。


「誰から貰ったのよ」


 凛恋はそう尋ねる。しかし、凛恋も俺も優愛ちゃんが顔を真っ赤にしていることから大体は予想が付いている。


「か……彼氏?」

「いつから付き合ってるのよ」


 凛恋に優愛ちゃんが白状すると、凛恋は鋭い目を緩めずに追及する。


「バイト始めて少し経ってから」

「ってことは、付き合って二ヶ月と少しってことね。二ヶ月で指輪ってどうなの?」


 凛恋は怪訝な様子で優愛ちゃんを見る。その凛恋の様子を見ている俺は、内心で「俺達は付き合って一ヶ月経ってないのにペアリングを作った」と思った。しかし、それを今ここで口にするのは野暮だということが確信出来たし、凛恋が優愛ちゃんに向けている目が俺に向きそうだったから止めた。


「私の記憶が正しいと、お姉ちゃんは凡人さんと付き合い始めて一ヶ月も経たないうちにペアリング作ってたよね? 家の中でずーっとはめてニヤニヤしてたじゃん」

「えっ!? わ、私は私よ! 第一、それってペアリングじゃなくてプレゼントの方でしょ? 私と凡人はお互いにペアリングをしたいって思って買ったの。だから、期間なんて――」

「凛恋落ち着け、動揺しすぎだって」


 俺は、俺が思っていることと同じことを優愛ちゃんから言われ、動揺しすぎて話が支離滅裂になっている凛恋を一旦なだめて、視線を優愛ちゃんに向けた。


「優愛ちゃんおめでとう」

「凡人さん?」

「なんか、妹に彼氏が出来たみたいで嬉しいよ」

「やっぱ凡人さんは良いお兄ちゃんだ!」

「あ! 優愛っ!」


 優愛ちゃんが凛恋との間に俺を挟み、俺の陰に隠れて凛恋にあっかんべーをする。今までは俺の腕に抱き付いてきていたが、それをしなくなったということは彼氏のことを気にしてる証拠だ。


「凛恋。凛恋が一番分かってるだろ。優愛ちゃんが適当な男と付き合わないことくらい」

「そ、そりゃそうだけどさ……」

「凛恋の心配する気持ちももちろん分かる。だけど、まずは言うことがあるだろ?」

「うん。……優愛、さっきはごめんね。おめでとう」


 凛恋はシュンとして反省をしながら、優愛ちゃんに祝福の言葉を言う。すると、優愛ちゃんは恥ずかしそうにはにかんだ。


「ありがとう。お姉ちゃん」


 俺は左右に居る凛恋と優愛ちゃんを交互に見ながら、二人が恥ずかしそうに笑い合っているのを見て小さく息を吐いて落ち着く。

 凛恋は男が怖い。だから、昔に比べて男に対する反応が過敏になっている。そして、今回は優愛ちゃんのことだからより過敏な反応をしてしまったのだ。それの根本には、優愛ちゃんを大切に思う姉妹愛しかない。


 凛恋はただ純粋に、優愛ちゃんが傷付いて悲しい思いをするのが嫌だったのだ。だから、男と付き合うという事実だけで反応してしまった。それは凛恋が悪いわけではない。凛恋に、男というだけで真っ先に嫌悪や恐怖を抱かせるようにした男全てが悪い。そして、それを防ぐことが出来なかった俺も。


「いつか紹介してよ」

「うん。忙しい人でなかなか会えないんだけど、今度あったら話しておく」

「で? 年上? 年下?」

「年上。年齢で言えば、お姉ちゃんの一個上かな」

「二歳差なら許容範囲ね」


 両腕を組んでうんうんと頷く凛恋は、俺を挟んで更に優愛ちゃんへ質問を重ねる。それに優愛ちゃんは恥ずかしそうに、でも凄く嬉しそうに言葉を返す。

 俺はそんな嬉し恥ずかしで温かい二人の会話に挟まれ、思わず小さく笑った。




 急な呼び出しは困るものだ。だが、俺はインターン終わりにその急な呼び出しを受けて、指定された駅前に行く。

 今日は凛恋が希さんの家にお泊まりをする日で、家で凛恋を待たせることが無いから良いが、それにしても急だった。


 駅前でボーッと突っ立って居ると、真っ白いスポーツカーが低い排気音を響かせながら俺の前に停まる。すると、助手席の窓が開いて運転席から顔を覗かせる真井さんが見えた。おしゃれなサングラスを掛けていて目は見えないが、サングラスを掛けていてもトップアイドルのオーラは消えていない。


「多野くん久しぶり」

「お久しぶりです」

「とりあえず乗って乗って」

「失礼します」


 俺が助手席のドアを開けて中へ乗り込みシートベルトを締めると、真井さんはアクセルペダルを踏んで車を発車させる。


「ごめんね、急に呼び出して。今日、ドラマの撮影を二時間巻けたんだよ。凄くない?」


 ドラマの撮影で二時間巻いたというのがどれだけ凄いかは分からないが、話を聞く限り急に時間が空いたということだろう。


「それで、多野くんとゲームしようと思って」

「ゲームですか?」

「そうそう。この前もメールで話したけど、俺の周りにはゲームする人があまり居なくてさ~」

「そうなんだ」

「それに、こんな時間に呼び出せる友達も少ないし」


 ニヤッと笑った真井さんは心なしか嬉しそうに見えた。

 随分前に真井さんと連絡先を交換してから、メールや電話で時々連絡は取っていた。それで、俺も真井さんもゲームをやるという話で盛り上がり、そしたら今日俺は真井さんにゲームをやるために呼ばれたということだ。


「ということは、真井さんの家ですか?」

「もちろん」

「なんか悪い気がしますね。真井さんの家に行くのが」

「え? 何で?」

「ほら、真井さんってアイドルですし」

「ああ。でも、女の人じゃあるまいし、男友達を入れるくらい全然問題ないよ」

「まあ、それもそうですよね」


 アイドルという立場上、恋愛関係の話は御法度かもしれないが、俺は男だしそういう話にはならない。たとえ写真週刊誌の記者が真井さんを追っていたとしても、俺と真井さんを撮っても真井さんファンが発狂するような記事にはならない。


「まずは多野くんの腕を確かめないとな~」

「最近はあんまりやれてないんですよね~。インターンが忙しくて」

「それって、負けた時の予防線じゃないだろうな~」


 ニヤニヤ笑って少し俺をからかった真井さんは、からかった笑みを優しい笑みに変える。


「ところで、インターンて何?」

「プッ! 知らないで話してたんですか」

「笑わないでくれよ。俺は高卒で、多野くんみたいに良い大学なんて行ってないんだから」


 真井さんの返しに思わず笑うと、真井さんは苦笑いを浮かべる。


「すみません。インターンシップの略で、職場体験学習みたいなものです。大抵は無給でやるんですけど、俺の行ってるところは有給のインターンシップなんです」

「そうなんだ。どんなところでやってるの?」

「女性誌の編集部で編集補佐をやってます」

「なんて雑誌?」

「レディーナリーって雑誌なんですけど」

「へぇ~レディーナリーって有名雑誌じゃん! すげえ!」

「やってるのは雑用ですよ」


 真井さんが素直に驚いて褒めるものだから、俺はつい恥ずかしくなってしまう。

 俺を乗せた真井さんの車は、幹線道路をスイスイとすり抜けて都心部にある高層マンションの地下駐車場に入る。

 電子アナウンスの鳴るゲートを抜けると、明るい照明に照らされた通路を走り奥まった場所にある駐車場に真井さんが車を停車させた。

 真井さんに続いて車を降りると、一緒に地下から続くエレベーターに乗って上へ上がる。


「夕飯食べた?」

「いえ、まだですけど」

「良かった。部屋に着いたら何かデリバリー取ろう。俺、朝から何も食べてないんだよ」

「朝からですか?」

「色々忙しくてね」


 明るく笑う真井さんだったが、朝から昼飯を食べる余裕がないほど忙しいというのは大変だ。

 エレベーターのドアが開いて先に出る真井さんの後に付いて行き、真井さんが部屋のドアを開いて振り返る。


「入って入って」

「お邪魔します」


 部屋の中に入ると、良いマンションだからか俺と凛恋が住んでいるアパートよりも遥かに広いダイニングが広がる。ダイニングキッチンという形式だが、カウンターの向こうにあるキッチンも一目で分かるくらい高そうなシステムキッチンだった。


「真井さんって綺麗好きなんですね」


 俺はキッチンを見ながら思ったことを口にする。実家で暮らしている時は分からなかったが、キッチンはかなり汚れるのだ。凛恋と一緒に定期的に掃除はするものの、それでも油断すると汚くなってしまう。真井さんの家のキッチンがIHタイプで掃除がしやすいと言っても、まるで未使用のような綺麗さ――。


「いや、キッチン使ったことないからな~。カップラーメンとかコーヒー飲む時に水道は使うけど」

「なるほど。そりゃあ綺麗で当然ですね」

「男の一人暮らしってそういうものだろ? 多野くんだって料理はしないだろ?」

「俺はしますよ。凛恋と同棲してるんで一緒に」

「そうなんだ。良いね、彼女の手料理って。ああ、多野くん、遠慮しないで好きなの選んで」


 真井さんがタブレット端末を差し出して、デリバリー店のホームページが表示されている。俺は、その表示されている注文数に目を丸くする。

 Lサイズのピザ二枚、寿司の盛り合わせ三人前、餃子二人前、そしてパーティー仕様のフライドチキン……。


「真井さん、頼みすぎじゃないですか?」

「え? 徹夜でゲームしたら腹減るだろ? あ、そうだそうだ。あそこのステーキ丼も頼まないと!」


 横からタブレット端末を操作した真井さんは、更にステーキ丼を二つ追加する。俺はそれを見て、そっと真井さんにタブレット端末を返した。


「これだけあれば十分ですよ」

「そう? まあ、足りなくなったら追加で頼めば良いしね」


 真井さんがタブレット端末で注文を確定させると、カウンターに置かれたコーヒーメーカーでコーヒーを淹れてくれた。


「さて、さっそくやろうか!」


 ダイニングのソファーに腰掛けた真井さんは、コントローラーを二つローテーブルの上に出して巨大なモニターの電源とゲーム機の電源を入れる。モニターが置かれているボードの下には、国内販売されている全据え置き型家庭用ゲーム機が並んでいる。ゲームを少しでも知っている人間からすれば憧れる光景だ。


「多野くんって得意ジャンルは?」

「得意ってあまりないですけど、アクション系は良くやりますね」

「じゃあ、最初は格ゲーで肩慣らししよう。俺、格ゲーは自信あるんだ」


 俺の得意ジャンルの話はどこに行ったのか分からないが、真井さんは壁に立てられた本棚に近寄る。俺はその本棚を見てまた驚いた。本棚に並べられているのは本ではなく、全てゲームソフトだったのだ。


「あ、格ゲーやるならアーケードコントローラー出さないと!」


 突然思い付いたように真井さんが格闘ゲーム専用のコントローラーを二つ取り出してテーブルの上に置く。


「いや~良かった。いつか友達が出来た時のために二つ買っておいて」


 モニターにゲームの起動画面が映るのを見ながら、真井さんは背伸びをして体のストレッチをする。かなり真剣モードでやる気らしい。


「本気で掛かって来てみなさい」

「分かりました」


 得意げに胸を張る真井さんの許可を得て、俺はキャラクターを選択肢ながら返事をする。

 対戦が始まると、真井さんは無言になって真井さんが操作するキャラクターが速攻を仕掛けてくる。俺の操作するキャラクターはそれを難なく避けて真井さんの猛攻を捌く。


「なっ!?」

「真井さんって結構対人やってますね。戦い方が慣れてます」


 俺は空中コンボで真井さんのキャラクターのヒットポイントを大きく削りながら笑う。


「ネットでっ! 結構っ! やってるんだけ――うわっ! なんだよそれ!」


 自分のキャラクターが戦闘不能になった瞬間、真井さんが体を後ろに反って悔しそうな声を発する。


「真井さんの戦い方ってかなり好戦的ですね」

「最初にガッと削っておきたいからね。まだ後二ラウンド残ってるから絶対に取る!」


 気合いを入れた様子でコーヒーを一口飲んだ真井さんは、コントローラーを構えて真剣な表情でモニターを見詰める。その表情は、なんだか俺より年上には見えないくらい無邪気な子供の顔だった。

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