【一九六《自分売りの少女》】:二

「俺もミカちゃんの気持ちが分かるんです。俺も父親が居なくて、母親も酷い人で。それで、ミカちゃんが言われた言葉と同じ言葉を掛けられました」

「…………」


 男性警察官は言葉を発しなかったが、しっかり俺の方を見ていた。男性警察官にとっても聞きたくは無い言葉だっただろう。それでも、視線を逸らさずに俺を真っ直ぐ見てくれることに、俺は男性警察官の誠実さを感じた。


「それで……ミカちゃんは笑ってたんですよ。必死に笑って、その辛くて悲しい言葉を笑い飛ばそうとしてたんです。笑い飛ばせるはずなんてないのに……」

「……あの子は本当に運が良い。多野さんのように素晴らしい方に見付けてもらえて。もし多野さんに出会えてなかったら、あの子はもっと傷付いていました」

「いえ、俺は何も。……俺が聞いたのは以上です」

「分かりました。こちらからもいくつか質問をして良いでしょうか?」


 俺はその後、男性警察官にミカちゃんと出会うまでの経緯を話し、一応待ち合わせ場所に使われた駅前のベンチで見掛けた怪しい中年男性の人相も伝えた。

 俺が取り調べを終えて男性警察官と一緒に取調室の外へ出ると、取り調べ中を示すランプが消えた。そして、ミカちゃん達が入った取調室を見ると、既にランプは消えていた。


「あの、ミカちゃんはどうなるんですか?」

「保護者の方に連絡をして迎えに来てもらいます」

「……もし、来ない場合はどうなりますか?」


 俺は男性警察官にそう恐る恐る尋ねた。俺はどうしても、ミカちゃんの母親がミカちゃんを迎えに来るとは思えなかった。


「親族の方々に連絡します。それもダメなら、学校の先生に来ていただくことになります」

「そうですか……」


 母親が悪いから親戚全員が悪いとも限らない。でも、ミカちゃんが援助交際に走ろうとするほど追い込まれるまで、ミカちゃんの親族の人達は誰もミカちゃんに手を差し伸べなかった。それに、ミカちゃんは学校でもいじめられていると言っていた。それで、学校の先生が来てどう思うだろう。ミカちゃんが何歳かは分からない。でも、ミカちゃんは学校に行っていないと言っていた。ということは、学校の先生に対する信頼もないだろう。


 ミカちゃんは誰も味方をしてくれないし、誰も自分を必要としてくれなかったから、騙されているとしても自分の味方で自分を必要とした男にすがった。そんな状態のミカちゃんを悪い環境に戻しても、またミカちゃんは傷付く。そしたら……またミカちゃんは援助交際に走ってしまうかもしれない。


「あの、ミカちゃんと話は出来ませんか?」

「それは大丈夫です。ですが、多野さん正式な手続きを踏まずに彼女を保護した場合は――」

「ミカちゃんの母親から誘拐罪で被害届を出されるかもしれないんですよね? 今すぐにミカちゃんを保護しようとは思ってません。でも、ミカちゃんが相談出来る相手が必要だと思うんです。付け焼き刃でも、出会い系サイトで見付けた知らない男に頼るよりは、自分に頼ってくれた方がずっとマシです」


 俺は放っておけなかった。このままでは必ず悲しむということが分かっているのに、このままミカちゃんを放ってその悲しむ場所へ戻すなんて出来なかった。


「分かりました。きっと少年課の方に行ってます。付いて来て下さい」

「はい。ありがとうございます」


 男性警察官に頭を下げてお礼を言って、俺は一緒に階段を上って少年課のあるフロアに行く。

 少年課に着くと、ミカちゃんが椅子に座って電話を掛ける女性警察官を見ていた。


「ちょっと良い?」


 男性警察官が女性警察官にそう声を掛けると、男性警察官はそっと俺の肩を押してくれた。

 俺は女性警察官とすれ違い、椅子に座るミカちゃんに近付いた。すると、ミカちゃんは俺を見た瞬間に立ち上がって両手を体の前で握った。


「騙すようなことをしてごめん」

「い、いえ! ……でも、良かったです。本当は知らない男の人と……そういうことするの怖くて……。女性の警察官さんにも怒られました。危ないことをしちゃダメだって」

「ああ。俺も女性警察官さんと同じ意見だよ。絶対に援助交際なんて危ないことをしちゃダメだ」

「本当にありがとうございました」


 ミカちゃんは、本当に申し訳なさそうに俺に謝る。もちろん、危ないことをしたのは間違いない。でも、謝らなければいけないのはミカちゃんだけじゃない。ミカちゃんの弱みにつけ込んだマコトという男と、ミカちゃんの周りに居た大人達だ。そういう大人達がしっかりした考えを持っていれば、ミカちゃんが危ないことをするようなことはなかった。


「ミカちゃん、良かったら俺と友達にならない?」

「友達、ですか?」

「そう」


 俺はポケットからスマートフォンを取り出して笑顔で見せる。すると、ミカちゃんも慌てた様子で自分のスマートフォンを取り出して両手で握った。


「俺は多野凡人って言うんだ。今は二〇歳で大学に行ってる」

「私は川崎夏美(かわさきなつみ)と言います。一五歳で、一応高校生です」

「そっか。な――川崎さん、俺と友達になってください」


 俺がそう言うと、川崎さんは小さく笑って首を振る。


「夏美ちゃんで良いですよ。凡人さん、こちらこそよろしくお願いします」


 夏美ちゃんは明るく笑っていた。俺からはその笑みが作り物には思えなかった。自然と心から笑えた笑顔だと思った。でも、それは本当に一時的に作れたものでしかない。

 夏美ちゃんを本当にずっと自然に笑わせるためには、根本にある問題を解決しなければならない。




 警察署で夏美ちゃんの担任の先生が迎えに来て連れて帰るのを見送ってから、俺は警察署を出て家に帰った。そして、家で風呂に入った後、俺は凛恋へ今日あった出来事を全て話した。すると、凛恋は俺の手を握って視線を落とす。


「その夏美ちゃんって子……大丈夫かな?」

「少なくとも、今の夏美ちゃんが置かれてる状況は大丈夫なわけがない。このまま放置すれば、また夏美ちゃんは援助交際に走るかもしれないし、もっと最悪な事態になるかもしれない」

「そうだよね。それで、凡人は夏美ちゃんをどうにかして助けてあげたいんだよね?」

「ああ。どうしても、夏美ちゃんのことを他人事なんて思えなくて……」


 凛恋にそう言って、俺は夏美ちゃんのことを考えた。今日はどうしたのだろうと。

 担任の先生が迎えに来てくれたが、自分の家に連れて帰る訳がない。きっと、夏美ちゃんの母親に連絡したはずだ。

 俺は連絡先を交換した夏美ちゃんにメールを送ってみる。すると、すぐに返信が返ってきた。


『凡人さん、ごめんなさい。家に帰ろうって思ったんですけど、やっぱり帰りたくなくて。今はカプセルホテルに行きます。ネカフェは夜中使えないから』


 明るく絵文字や顔文字で装飾されたメールを見て、スマートフォンを握る。そして『カプセルホテルなんて男の人も寝泊まりするのに危ないよ』と返信した。


「凡人?」

「……夏美ちゃん、カプセルホテルに寝泊まりするみたいだ」

「えっ!? 高校生なのに?」


 凛恋が驚いて声を上げたと同時に『女性専用フロアのあるところですから大丈夫です』と返信がきた。

 女性フロアがあるなしの問題じゃない。夏美ちゃんはまだ一五歳の高校一年生。そんな子が、家に帰りたくないと言ってカプセルホテルに行こうとしている。


「凛恋……」

「凡人。私、大学でNPO法人のポスターを見たんだけど、そのNPO法人に女性に対する支援をしてくれてるNPO法人があって、そこが家出をしてる未成年の子を一時的に預かってくれるシェルターがあるって書いてた」

「そこの名前分かるか?」

「うん。私が連絡先を探して連絡してみるから、凡人は夏美ちゃんを迎えに行ってあげて」

「凛恋、ありがとう」


 俺は凛恋を抱きしめながらキスをして、慌てて着替えて家を飛び出す。そして、アパートの階段を下りながら電話を掛けた。


「夏美ちゃん!? 今どこ?」

『凡人さん? 今はコンビニに居ます』

「今から行くから場所を教えて!」

『えっ!?』


「俺の彼女が夏美ちゃんみたいに困ってる人を支援してくれる団体を知ってたんだ! そこにお願いすれば、家に帰らなくても良い。カプセルホテルなんかよりずっと安全な場所に居られるんだ」

『凡人さん……ありが――』

「お礼なんて良いから場所! もう駅に着いちゃうから場所が分からないとどっちの路線に乗れば良いか分からない!」

『伊崎元町(いざきもとまち)駅の、ひっ……ううっ……正面にあるコンビニですっ……』

「伊崎元町だな? 分かった! すぐに行くからそのコンビニから動かないで! 絶対に外に出ちゃダメだからな」

『……はいっ!』


 涙声でしっかり返事をした夏美ちゃんと電話を切って、俺は丁度着いた電車に飛び乗る。

 俺は電車のドアに背を付けながら凛恋に感謝した。やっぱり、俺が困っている時に助けてくれるのは凛恋だ。


 女性を支援してくれるNPO法人なら、今の状態よりも絶対に良い。それに、何の知識もない俺が闇雲に動くより、経験のあるNPO法人の人に任せた方が夏美ちゃんにとって安全だ。


 電車に乗っている間、凛恋からメールがきて、凛恋がNPO法人と連絡を取ってくれて、一人分の部屋を確保してくれていた。そして、NPO法人の人も近くまで来てくれるらしい。

 電車が目的の駅に着くと、俺はすぐに電車を降りて改札を抜ける。


 駅舎を出て正面にあるコンビニを目で捉えた俺は、赤信号のスクランブル交差点に苛立ちを覚える。

 やっと信号が変わって交差点を走って渡り、俺はコンビニの前に行く。すると、コンビニの前から少し外れたところで、男に腕を掴まれる夏美ちゃんの姿が見えた。


「何してんだ!」


 慌てて男の腕を叩き落とすと、男は俺が叩いた腕を擦りながら俺を睨む。服装はスーツを着ていて身なりの良い三〇代くらいの男性。その男性を睨み返していると、夏美ちゃんが俺の後ろに隠れた。


「ごめんなさい。お店の中で泣くのが恥ずかしくて……」

「大丈夫。この人は?」

「外に居たら、危ないから保護してあげるって言われて腕を引っ張られて……」


 夏美ちゃんの話を聞いて、俺は小さくため息を吐いて男性を睨む目に力を込める。


「この子は今から安全な人達が保護してくれます。だから、心配せずに帰って下さい」

「チッ」


 俺の言葉を聞いた男性は小さく舌打ちをして、俺と夏美ちゃんに背中を向けて歩き去っていく。


「凡人さん……ごめんなさい。店の中に居てって言われたのに……」

「それに関しては怒りたいけど、とりあえず無事で良かった。じゃあ、行こうか」

「あの……凡人さん。どうして私を心配してくれるんですか?」

「友達だからだよ」

「え?」

「友達だから心配するんだ」

「……でも学校の先生は、私を警察署から連れ出したら、家に帰れって言って置いて帰ったのに。学校の先生がそうなのに、なんで――」

「悲しいことを言うようだけど、学校の先生なんて期待しない方がいい」

「へ?」


 俺が発した言葉に、夏美ちゃんはキョトンとした顔で首を傾げる。その夏美ちゃんに、俺は真面目に話した。


「俺は生まれた時から両親が居なかったから、小学生の頃からいじめられてきた。それで最初は俺も学校の先生に頼った。でも、みんなやることは同じだよ。クラス会を開いて、誰が凡人くんをいじめたのか名乗り出なさいって。そんなんじゃ――」

「いじめがエスカレートするだけ」

「そう」


 視線を落とした夏美ちゃんが答えた言葉に同意しながら、俺は肩をすくめた。


「それから、俺は学校の先生なんて期待してなかった。だから、いじめを見ても見て見ぬ振りをする先生が居ても何も思わなかった。大人でも子供でも、面倒なことはやりたがらないのは同じなんだなって思ってた。でも、俺の人生でたった一人だけだけど、信頼出来る先生が居る」

「どんな先生ですか?」

「高校時代の二、三年の担任をしてくれてた先生だ。専門は音楽でピアノが上手くて、先生っていうよりも生徒と友達みたいな感じで接してくれて、いつでも生徒に対して真剣に考えて積極的になってくれる先生だ」

「良い先生ですね」

「ああ。だから、その先生以外はクソだと思って良い。まあ、それは俺の偏見だってことは付け加えておくけど」


 俺は笑いながら夏美ちゃんの頭を撫でる。


「先生だって金のためにやってるんだ。先生全員が聖人君子なわけじゃない。損得だけで動く合理的な人間だって腐るほど居る。だから、そういう先生からは勉強だけ教わればいい。人との繋がりは友達から学べ――友達と経験すれば良いだろ?」

「凡人さん……」

「今日は、困ってたら友達が駆け付けてくれるって経験をしただろ? だから、次はその経験を活かして困ったらすぐに友達に知らせるんだ」

「はいっ……ありがとうございますっ……」


 コンビニの正面から少し外れた場所。コンビニの明るさで暗さが際立ち人の気配を隠すその場所で、夏美ちゃんはポトポトと涙を地面に落とす。


 暗さは人の気分を不安にさせて心まで暗くする。だけど、今の暗さは夏美ちゃんの恥ずかしさを綺麗に隠してくれて、夏美ちゃんが涙を我慢することを防いでくれた。

 だけど、それも一時凌ぎでしかない。それでも今だけは、夏美ちゃんを守ってくれた夜の暗闇に感謝した。

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