【一九六《自分売りの少女》】:一

【自分売りの少女】


 飾磨が企画した飲み会の席で、俺は周囲を取り囲まれる。そして、正面に座る名前も学部も知らない男子学生が俺に話し掛けてきた。


「お前ってレディーナリーで働いてんだろ~?」


 すっかり酒が回っているのか、その男子学生は初対面の俺にそう呂律が回っていない声で言う。しかも、めちゃくちゃ馴れ馴れしい。


「おい! 話聞いてんのかよっ!」


 俺が何か答える前に、男子学生はテーブルを拳で叩いた。この男子学生は酒に酔うと絡んできて怒りっぽくなるらしい。


「レディーナリーで働いてんなら、あのモデルの子知ってんだろ? 今ここに呼べよ」


 テーブルを人さし指で突きながら、男子学生は俺にそう言ってくる。あのモデルの子というのは、やっぱり凛恋と希さんのことなんだろう。

 俺は男子学生の話を聞き流しながら、視線を横に流して飾磨の姿を探す。見付けた先に居た飾磨は、ニコニコ笑いながら名前も学部も知らない女子学生と楽しそうに話していた。


「そうだぞ! もしかして、お前だけあの子達と良い思いしてるんじゃないだろうな~」


 他の男子学生が怒っている男子学生の話に乗って詰め寄ってくる。希さんは置いておいて、凛恋に関して言えば毎日良い思いはさせてもらっている。毎日凛恋の手料理を食べて、毎日凛恋と一緒にお風呂に入って、毎日凛恋と寝る。だから、俺は毎日贅沢すぎるくらい良い思いを凛恋にさせてもらっている。それは否定はしないが、それを言う必要はないし、目の前に居る男子学生からそのことについてとやかく言われる筋合いもない。


「おい!」


 俺は怒鳴った男子学生を無視して立ち上がり、女子生徒と話している飾磨の近くに行く。そして、財布から飾磨に二五〇〇円を差し出した。


「多野?」

「悪い、用事が出来たから帰る」

「おう? 何かあ――」

「飾磨! そいつ態度悪いぞ!」


 飾磨が首を傾げた瞬間、声を荒らげた男子学生が俺の腕を掴んで無理矢理振り返らせる。それを見て、俺は小さくため息を吐く。


「飾磨、こいつがさっきから酔いが回って絡んでくる。面倒だから帰って良いか?」


 俺が腕を掴んだまま飾磨を振り返って言うと、飾磨は小さくため息を吐いて立ち上がった後に俺に両手を合わせて謝る。


「すまん。こいつらは俺に任せて帰ってもらって良い。参加費は俺が――」

「飲んで食ったんだから出す。ただし、次からは参加するか分からないからな」

「悪い」


 飾磨に参加費を押し付けて、俺は飲み会が行われていた店から出る。

 俺は飾磨に頼まれて今日の飲み会に来ていた。なんで頼むほど来てほしかったのかは分からない。それで、俺は飲み会に誘われた時に飾磨へ「凛恋も希さんも、他の女性も俺は連れて来ないぞ?」と確認をした。それでも飾磨が「それでも良いから来てくれ」と頼むものだから仕方なく来た。それは、今思えば俺らしくない行動だと思った。前までの俺だったら、頑なに断ったに決まっている。きっと飾磨の誘いで飲み会に参加する機会が増えて、俺の感覚が鈍っていたのだろう。


 俺は若干の酔いを感じて、人通りの多い駅前にあったベンチに腰掛ける。植え込みを囲むように円形に作られたベンチには、俺以外に数人の男女が座っていた。

 少し酔いを覚ましてから帰ろうと思った。しかし、その俺の前に影が差す。


「あ、あの……」

「ん?」


 影が差した正面から声を掛けられて顔を上げると、目の前に制服を着た大人しそうな高校生の女の子が立っていた。


「……書き込みしてくれたマコトさんですか?」


 俺はその言葉を聞いて、視線だけを動かして周囲を見る。そして、女の子に視線を向けて笑顔で答えた。


「えっと、名前なんだったっけ?」

「ミカです」

「ああ、そうそうミカちゃん。ホテル行く前にお腹空いてない? どっかでご飯食べようか?」

「あ、はい! ありがとうございます!」

「行こうか」


 俺は立ち上がってミカと名乗った女の子を連れて歩き出す。その後、俺が座っていた場所に俺と同じような格好をした中年男性が座った。そして、落ち着きのない様子で周囲を見渡し、誰かを探している様子だった。


 俺はミカちゃんを連れて近くのレストランに入り、ミカちゃんがメニューを見て悩んでいるのを眺める。


「好きなの頼んで良いよ。遠慮せずに一番高いの頼んで」

「は、はい! ありがとうございます!」


 ミカちゃんは明るく……でも、ホッとしたような顔をしていた。その顔を見て俺は視線をテーブルに落として立ち上がる。


「ごめん、ちょっとお手洗いに行ってくるね。その間、頼んで勝手に食べてて良いから」


 俺はそう言って席から立ち上がり、レストランのトイレへ向かって歩き出す。そして、トイレ前の通路に入ると、スマートフォンを取り出して電話を掛けた。


「すみません。駅前で高校生の女の子に声を掛けられまして。もしかしたら援助交際の誘いかもしれないので、警察の方で保護しに来てくれませんか?」


 俺はそう電話を掛けた先に居る警察官に事情を説明する。


 ミカちゃんは俺に『書き込みしてくれたマコトさんですか?』という言葉を掛けた。それで不審に思った俺が『ホテル』という単語を出して探ってみたが、ミカちゃんは何も不審に思ったような言葉を返さなかった。つまり、ミカちゃんは出会い系サイトかなにかでマコトという男性と援助交際の約束をして会いに来たということだ。そして、俺をそのマコトという男性と勘違いした。もしかしたら、俺の後に座った俺と似たような格好の中年男性が、本来ミカちゃんが会うはずだったマコトだったのかもしれない。


「それと……高校生の女の子ですし、あまり目立たないように来てもらえますか?」

『了解しました。すぐに二名向かわせます』

「よろしくお願いします」


 俺は電話を終えて、トイレに入らず席に戻る。そこでは、ミカちゃんは注文をせずにメニューをテーブルに置いて俺を待っていた。


「頼んでて良かったのに。……じゃあ、俺はハンバーグ定食にしようかな」

「じゃあ、私は唐揚げ定食をお願いします」

「分かった」


 俺は店員さんの呼び出しボタンを押しながらミカちゃんの顔を見る。その顔は、少しだけ緊張しているように見えた。

 俺は店のメニューの中で丁度中間の値段設定をされているメニューを頼んだ。でも、ミカちゃんが頼んだのは俺のメニューよりも安い唐揚げ定食だった。俺は、それをミカちゃんが俺に気を遣ったのだと思った。それに、俺が好きに頼んでて良いと言ったのに俺が戻ってくるまで待っていた。それで、ミカちゃんが人に気を遣えて優しく真面目な性格だと分かる。


 援助交際の確証があるわけじゃない。でも、なんでこんなに良い子がそんなことを、そう俺は思う。


「すみません。ハンバーグ定食一つと唐揚げ定食一つ。それから、苺とベリーのスペシャルパンケーキを一つお願いします」

「ご注文を繰り返します。ハンバーグ定食をお一つ、唐揚げ定食をお一つ、苺とベリーのスペシャルパンケーキをお一つ。以上でお間違いはないでしょうか?」

「はい」

「かしこまりました。少々お待ち下さい」


 店員さんが歩き去って行くのを見送ると、俺はミカちゃんに視線を向けて尋ねた。


「ミカちゃんはこういうこと良くするの?」

「え!? いえ……初めてで……」

「そっか。稼いだお金の使い道は? 何か欲しい物とかあるの?」

「いえ……特には……」


 援助交際を前提に話してもかみ合わない点はない。これは、俺の予測は当たっていたのだろう。でも、ミカちゃんは援助交際は初めてで、特に欲しい物があるわけじゃないようだ。


「じゃあどうして?」

「……マコトさんが、私を必要としてくれたから」

「……なるほどね。でも、ミカちゃんを必要としてくれる人とか居るんじゃない? 家族とか友達とか」


 俺がメニューをメニュー立てに戻しながら言うと、ミカちゃんは乾いた笑いを浮かべた。


「私は誰にも必要なんてされてませんよ」


 ミカちゃんはその乾いた笑みから、無理に明るい笑顔を作った。


「私、親が母親しか居なくて。それで、母親にも産まなきゃ良かったって言われちゃって」


 ミカちゃんが笑いながら言う言葉に、俺は笑えるはずがないと確信する。でも、そんな辛いことは無理に絞り出した笑いと一緒にしか口に出せないのだとも思った。


 俺も、母親から産まなければ良かったと言われた。それは、酷くショックなことで、初めて会った母親に言われても失声症になってしまうくらい心に鋭く突き刺さった言葉だった。それと同じ言葉をミカちゃんも言われている。だから、ミカちゃんの心がどれだけ傷付いたのか分かってしまう。その分かったミカちゃんの心の傷を思うと胸が詰まった。


「それに、学校でもいじめられてて。だから、もう学校にも行ってないんです。だから、この制服もあまり着慣れてなくて」


 クスッと笑うミカちゃんは自分の制服を見てはにかんだ。


「だから……マコトさんが私を必要としてくれて嬉しかったです」


 ミカちゃんは本当に嬉しそうに言う。でも、俺は心の中で首を振って否定した。そのマコトという男はミカちゃんを必要になんてしていない。そいつは、若い女の子だったら誰でも良かったんだ。


 店員さんが頼んだメニューを運んできて、俺はミカちゃんの前にパンケーキの皿を置く。すると、ミカちゃんは目を丸くして俺を見た。


「食べなよ。甘い物を食べると元気が出るって言うし」

「は、はい……ありがとうございます」


 俺の言葉を聞いたミカちゃんは、少し目を潤ませて両手を合わせて言った。


「いただきます」




 俺とミカちゃんが食事を終えた頃、俺とミカちゃんが座る席の横にスーツ姿の男女二人組が立った。


「多野凡人さんですか?」

「はい。この子がそうです」


 俺が男性にそう言うと、女性がポケットから手帳をミカちゃんに向ける。


「こんばんは。私は警察の者です。ちょっとお話を聞いても良い?」


 それを聞くと、ミカちゃんは真っ青な顔をして俯く。しかし、女性警察官は優しい笑顔を浮かべてミカちゃんの背中を擦って優しく声を掛けた。


「心配しないで。私達はあなたを逮捕しに来たわけじゃないの。あなたを助けに来たのよ」

「あ、あの! この人は悪くないんです! 私が無理矢理頼んで」

「大丈夫。警察に知らせてくれたのはこのお兄さんなのよ。凄くあなたのことを心配してて助けてほしいって言ってくれたの。店の中じゃ目立っちゃうから外に行こうか。車があるからそれで署まで送ってあげる」


 女性がミカちゃんの肩を支えて歩き出すと、俺は残った男性警察官に話し掛ける。


「あの、俺も一緒に行っても大丈夫ですか?」

「はい。こちらも事情をお伺いしたいので付いて来て下さい」


 会計を済ませてから男性警察官と一緒に外へ出ると、店から少し離れた場所にシルバーのセダン車が停まっていた。既に、ミカちゃんを連れた女性警察官がミカちゃんをセダン車の後部座席に乗せる。どうやら、セダン車は覆面パトカーらしい。


「多野さんは助手席にお願いします」

「はい。お世話になります」


 俺がそう言うと、男性警察官がニッコリ笑う。


「多野さんはあの子を助けてくれたんですから堂々としててください」

「は、はい」


 男性警察官の言葉に恐縮しながら、俺は助手席に乗り込んで小さく息を吐く。何度か乗ったことがあると言っても、やっぱりパトカーに乗るのは居心地の良いものじゃない。


 ミカちゃんと一緒にパトカーに乗った俺は、男性警察官の運転で警察署へ向かう。酒を飲んでいるのに警察署になんて行って良いのかは分からないが、沢山飲んでいる訳でもないし運転をしている訳でもないから問題ないだろう。


 後部座席では、女性警察官が優しくミカちゃんに事情を聞き始めている。それに、ミカちゃんは弱っていながらもしっかり答えられているようで、俺は安心してバックミラーに映るミカちゃんからフロントガラスの向こうに見える幹線道路へ視線を移した。


 警察署に着いて、俺は男性警察官と一緒に取調室に入った。そして、俺は椅子に座りながらミカちゃんが入った取調室がある方の壁を見る。


「あの子が気になりますか?」

「はい。すみません、皆さんが来られる前にミカちゃんから少し事情を聞いてしまって。勝手なことをしてすみませんでした」

「いえ。あの子はどんな話を?」


 机を挟んで俺の正面に座った男性警察官は首を傾げて尋ねる。


「援助交際をしようとしたのは今回が初めてで、特にお金が欲しかったわけではないみたいです。話では、出会い系サイトで連絡を取っていたマコトという男性が自分を必要としてくれていたからだと言っていました」

「援助交際はもちろん金銭を目的としてやってしまう子も多いです。ですが、それと同じくらい精神的な安息を求めてやってしまう子も居るんです」

「精神的な安息、ですか……」

「家庭環境に問題があって寂しさを感じている子が、援助交際で相手を見付けて寂しさを埋めるという理由でしてしまう子も居るんです。私は今まで何人もそういう子を見てきました」


 男性警察官はやるせないという顔で視線を落とす。

 俺が通報して来てくれた男性警察官と女性警察官は間違いなく少年課の警察官だ。少年課の警察官は少年――二〇歳未満の男女を対象とした事件を取り扱っている。その中に援助交際も入っているのだ。それで、俺の目の前に居る男性警察官は、ミカちゃんのような心に傷を負った女の子を何人も見てきたんだろう。


「あの子は家庭のことについて何か言ってましたか?」

「親が母親しか居ないそうで、父親の話は聞いていません。それで……その母親に産まなければ良かったと言われたそうで」

「そう、ですか……」


 俺は自分の発した言葉で声を落とし、男性警察官は俺の言葉で声を落とした。やっぱり何度思い返しても変わらない。……酷すぎる。

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