【一九五《独りじゃない。みんなが居る》】:一
【独りじゃない。みんなが居る】
ビジネスホテルの前に立っていると、ショルダーバッグを掛けた真弥さんが傘を差しながらホテルの正面入り口を抜けて外へ出てくる。そして、俺の姿を目に捉えると、歩いていた足を速めて駆け寄って来た。
「お待たせ」
「いえ、今来たところです。おはようございます」
「おはよう」
ニッコリ笑った真弥さんは俺の左首に視線を向けると、少し唇を尖らせて不満そうな顔をした。しかし、すぐに差していた傘を畳んで、人の悪そうな笑みを浮かべながら俺の腕に自分の腕を回して腕を組んだ。
「真弥さん、あの――」
「凡人くんは八戸さんとデートする時は腕を組まないの?」
「いや、組む時もありますけど――」
「じゃあ良いよね。だって今日、私と凡人くんはデートするんだから」
「いや、観光案内じゃ?」
「私、昨日凡人くんにデートしようって言ったし、八戸さんにも凡人くんとデートさせてって言ったよ?」
「……分かりました。でも、凛恋に勘違いされるようなことはあまり――」
「それは約束出来ないかな? じゃあ、時間がもったいないし行こうか」
俺の話の大部分を、いや全部聞き入れてもらえず、俺は真弥さんに腕を引かれて歩き出す。
昨日真弥さんに迷惑を掛けてしまったお詫びに、今日真弥さんの観光に一日付き合うことになった。のだが、のっけから予想していた観光と違う。しかし、久し振りに会ったし、わざわざ来てくれたのだから楽しんでほしいとは思う。
「まずは、中心街に出てショッピングね」
ヒールが高めのパンプスに膝上のタイトスカート、上は七分袖のリネンシャツと大人の女性らしい服装をしている。しかし、気のせいかもしれないが腕が胸に当たっているようで落ち着かない。
今の状況が嬉しいか嬉しくないかで言えば…………嫌じゃない、という答えしか出せない。
真弥さんはお世辞抜きで可愛らしい女性だし、大抵の男が真弥さんと並んで歩くことに拒否感は抱かない。それに、胸が当たってると感じれば、男はドキドキするに決まっている。
「デートって何年振りだろ。それこそ、学生以来かな」
「それは結構時間が――痛いです」
雑談の途中で、真弥さんは俺の頬を満面の笑みのままつねる。俺がそれに抗議すると、真弥さんは笑顔のまま明るい声で言った。
「ペナルティー、一ね」
「ペナルティーって……」
凛恋のペケ並みに不穏な単語が出る。凛恋のペケの場合は結果的に俺にとってご褒美になることが多いが、真弥さんのはどんなものが飛び出すか分からない。
「意外と社会人になると出会いの場って、自分から飲み会とかに行かないと減っちゃうんだよね。それに私の場合は学生時代に失敗してるから、男性選びは慎重な方なの」
「でも、真弥さんは突っ立ってても男の方から寄ってくるでしょ」
「実際に声を掛けられたり職場でも二人で飲みに行こうとか誘われたりすることがあるから否定はしないけど、そういう人に限って私の好みには合わなくて。私、好きになって追い掛けるタイプの恋愛をするから、相手からガツガツ来られると苦手なんだよね」
真弥さんは眉をへの字に曲げて肩をすくめる。それが、なんとなくだけど納得出来た。
俺が高校の時、真弥さんが高校時代の写真を見せてもらったことがあった。その頃から真弥さんは可愛いかったし、昔からモテていたというのはなんとなく理解出来た。その頃から色んな男に言い寄られていれば、言い寄られることにうんざりして自分から好きになって追い掛ける方が良いと思うのは当然なのかもしれない。
「俺は追い掛けられたことがないんで分かりませんけ――真弥さん、痛いですって」
また真弥さんに話の途中で頬をつねられた。
「凡人くん、私はずっと追い掛けてるけど? それに、私が知ってるだけでも神之木さんも居るし筑摩さんも切山さんも居る」
「いや、萌夏さんは親友になっ――イデデッ! 痛いッ! 痛いですって!」
さっきよりも容赦のない力でつねられ、俺はつねられた頬を擦る。
「凡人くんって優しくて気が利いて頼りになるけど、そういうところはダメだよね」
「そういうところってどういうところですか?」
「そういうところってどういうところですか? って聞き返しちゃうところ」
ニコーっと笑われて言われるが、結局、俺はよく分からない理由で頬をつねられたということだ。
真弥さんにガッチリ腕を組まれた上に指を組まれた手は、簡単に抜けそうもなく若干の諦めを感じる。ただ、真弥さんのことを知っている凛恋と希さん以外の知り合いに見られたら、この状況を説明するのが大変だ。
「凡人くん、大学はどう?」
「課題とかが多いと大変ですね。定期試験の時も大変は大変ですけど、同じ学部の友達と勉強会をして、お互いの不足部分を教え合ってるのでなんとかいってます」
「勉強は順調みたいだね。大学は楽しい?」
「まあ……正直に言うと、高校より楽しくないです」
「それは、凡人くんの担任だった私は嬉しいけど……大学で何か嫌なことがあるの?」
「いや、何もないから楽しくないって感じるんだと思います。高校の頃は悪いこともありましたけど、それ以上に楽しいことが沢山ありましたから」
心配そうに俺の顔を覗き込む真弥さんに、俺は笑顔で答える。
大学が決して楽しくないわけではない。うるさい飾磨はさておき、一番心配だった大学で友人が出来ないということはなくなった。俺はコミュニケーション能力の塊のような飾磨には到底及ばないが、仲良くなれた人の人柄は凄く良い人達ばかりだ。でも、考えて出てくる良かったことはそれくらいしかない。
それに対して、高校時代は楽しいことがあった。
一番大切な凛恋との出会いと凛恋と付き合うまで。その期間に、悔やんだり悩んだりした良くないこともあった。でも、俺は一番大切で大好きな凛恋と出会えて付き合うことが出来た。
凛恋と付き合ってからは、凛恋の持っている交友関係から俺の交友関係も広がった。もちろん、良い人ばかりと知り合ったわけじゃない。俺と凛恋の仲を良く思っていない、引き裂こうとする悪い人にも出会った。でも、出会った良い人達と過ごした全ての時間が悪い人達との時間よりも上回っている。だから、大学と高校を比べると、それは高校の方が楽しいと感じている。
「でも、それはそうかも。私も今でも交流がある友達のほとんどが高校の友達だから」
「俺達は、長期休暇に帰ったら必ず会ってますしね」
「夏も帰ってくるよね?」
「もちろん」
「今から楽しみ」
嬉しそうに笑った真弥さんは、駅が見えてくると俺の腕に絡めて握った自分の手を解く。そして、クスッと笑った。
「名残惜しいけどそろそろ離れないと凡人くんが困っちゃうからね」
「ありがとうございます」
「ううん。でも、一度凡人くんと腕を組んでみたかったから嬉しかった」
手を後ろで組んで数歩前に出た真弥さんは、顔だけ振り返ってパチッと明るいウインクをして言った。
「でもデートは容赦しないから。とことん付き合ってもらうからね」
高校の頃、真弥さんと真弥さんの友達の緒方さんに、正月の福袋争奪戦に付き合わされた記憶を思い出す。あの時よりも荷物は格段に少ないし、店を移動するスケジュールもタイトじゃない。しかし、ハードであるのは間違いなかった。
やっていることはウィンドウショッピングだが、真弥さんはひっきりなしに色んな店に入る。時折、スマートフォンを確認しているのを見るから、おそらく予め回りたい店にある程度目星を付けているのだろう。
今は、ファッションビルの中にある女性向けの店に入っていた。
真弥さんは、ラックに掛けられたスカートを手にとって真剣な表情で俺を見る。
「凡人くんってミニスカート好きだよね」
「ええ、まあ……――ッ!? いや! 別にそういうわけではないですけど!?」
「凡人くん、顔真っ赤だよ~?」
「俺、ミニスカート好きなんて言いましたっけ?」
「ううん。でも、八戸さんが凡人くんと居るときはよくミニスカートを穿いてるし、それとなく八戸さんから聞いたことがあるから」
「…………」
「でも、流石に私はもうミニ穿く自信はないかな~」
「真弥さんなら似合うんじゃないですか?」
俺の言葉を聞いた真弥さんは、手に持っているミニスカートをジッと見詰めると、一度黙って頷いてから試着室の方に歩き出す。俺がそれをボーッと眺めていると、真弥さんは俺を振り返って首を傾げた。
「凡人くん、試着するから付いてきて」
「え?」
「え? って、凡人くんに感想聞かないで誰に聞けば良いの?」
「いや、まあ……そうですね」
真弥さんの言葉に「そうですね」と同意はしたものの、ファッションって自分の好みで選ぶものではないかと思う。確かに流行り廃(すた)りはあるだろうが、それでもファッションセンスが皆無の俺に尋ねるより真弥さん自身の感性に頼った方が正解に決まっている。だが、俺がそんなことを考えている間に真弥さんは試着室に入ってしまい、試着室の中からは衣擦れの音が聞こえてくる。
俺はその音から耳と意識を逸らすために店内を見渡す。
凛恋とのデートで服屋に入ることは多々ある。その多々ある中でいつも試着時間が俺にとって気まずい時間だ。凛恋と一緒に服を見ている時なら、周囲に居る買い物客や店員さんも俺を普通の買い物客だと思ってくれるが、凛恋が試着室に入っている間は俺が一人になる。そうなると、今みたいに女性物の服屋に男がポツンと突っ立つ状況が発生し居たたまれなくなる。
「凡人くん、どう?」
右を見ても左を見ても居心地が悪い俺が床を見ていると、正面から真弥さんが尋ねる声が聞こえる。
試着室のカーテンを開けた真弥さんは、太腿が半分以上見えているミニスカートを穿いている。さっきまで穿いていたタイトスカートも膝上でミニの部類に入るのだろうが、これは……。
「凡人くんって太腿フェチ?」
「へっ!? そういうわけじゃないですよ」
「でも、凡人くんさっきよりも顔真っ赤だよ?」
「そ、そりゃあ……」
「八戸さんが怒っちゃうよ~? 私は嬉しいけどね」
からかうように笑った真弥さんは、試着室のカーテンを閉めた。
俺の彼女は凛恋だし、俺が一番好きで大切な人は凛恋だ。しかし、真弥さんを可愛いと思う男としての普通の感覚も持ち合わせている。だから、真弥さんのミニスカート姿を見て魅力的だとも思う。もちろん、真弥さんが言った通り、凛恋に言ったらペケ一や一〇どころの話ではない。
「買わないんですか?」
試着室から出て来て試着したスカートをラックに戻す真弥さんに尋ねる。すると、真弥さんは少し頬を赤くしてはにかんだ。
「久しぶりにあの丈のスカートを穿いたら落ち着かなくて。やっぱり、私は頑張っても膝上までだね。じゃあ、次行くよ~」
歩き出す真弥さんについて行き、俺は凛恋と来慣れたファッションビルの通路を歩く。
「真弥さん」
「ん?」
「今回はありがとうございました。わざわざ来てくれて」
「ううん。凡人くんのことが心配だったから来たけど、心の底にあるのは自分のためって気持ちだからね。凡人くんのことを心配したまま放っておくなんて私がしたくなかったから来たの。だから気にしないで」
「でも、真弥さんのお陰でかなり気持ちが楽になりましたから」
「私はこれからもずっと我慢しないでって言うし、我慢してるって思ったら絶対に我慢してることを吐き出してもらって、凡人くんの心がパンクしないようにするよ。凡人くんは教え子でもあるし大好きな人でもあるし、大切な友達だから。あっ!」
話していた真弥さんは、突然通路沿いにあった店に近付く。その店は、内装も外装も全体的に真っ白というか、白すぎて眩しかった。
白を基調とした店内にはガラス製のショーケースが並び、そのショーケースの中には上品さを感じるレイアウトで並べられた指輪やネックレスがあった。
吸い寄せられる様にそのジュエリーショップに入った真弥さんは、陳列されているアクセサリー達を眺めている。
「真弥さんってこういうの好きなんですか?」
「う~ん、普段は身に付けないけど憧れはあるよ。それにね~」
それにね~っと言ってから、真弥さんは店内を歩き回る。すると、真弥さんの背後からジュエリーショップの女性店員さんがにこやかな営業スマイルを浮かべて近付く。そして、俺の方をチラリと見た。もしかしたら、恋人同士だと勘違いされているのかもしれない。
「どんな物をお探しですか?」
「えっ? ちょっとピンキーリングを」
音も無く近付き声を掛けた女性店員さんに、真弥さんは体を小さく跳ね上げて驚きながら答える。
「ピンキーリングですか。もしかして、彼氏さんからの贈り物ですか?」
全くにこやかな営業スマイルが乱れない女性店員さんは再び俺を見る。その視線を受けて、俺は苦笑いを浮かべる。やっぱり、女性店員さんに真弥さんの彼氏と勘違いされたらしい。まあ、ジュエリーショップに男女が二人だけで入って来て、友達や姉弟だと思う人の方が珍しいだろう。
「そうなんですよ~」
「えっ?」
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