【一九〇《卑小な憂いと壮大な栄光》】:二

 グレー色のキャスケットを目深に被る凛恋を見ながら、俺は凛恋が真剣に見つめている先に視線を戻す。そこには中折れ帽が数点陳列されていて、その中の赤茶色をした中折れ帽を手にとった凛恋は俺にその中折れ帽を被せる。


「う~ん、これじゃ目立つ」

「いや、別に帽子は要らないだろ」

「要るに決まってるでしょ。凡人はただでさえイケメンで目立つのに、その上身長まで高くてスタイルも良いんだから。絶対に変装していかないとバレる」

「バレるって……優愛ちゃんのバイト先に行くだけなのに……」


 真剣な表情で俺に被せる帽子を選ぶ凛恋を横目に見ながら、俺は鏡に映るいかにも怪しい大学二年の男性を見てため息を吐く。

 優愛ちゃんが喫茶店でアルバイトをしているという話を俺から凛恋に話した。そうしたら凛恋が様子を見に行くと言い出し、更にバレないように行きたいと言い出したのだ。


 凛恋としては優愛ちゃんのことは心配だが、自分が優愛ちゃんのことを心配していると優愛ちゃんに知られたくないらしい。俺は別に堂々と行って、様子を見に来たと言えば良いと思う。でも、そういう問題ではないらしい。姉妹というのは、俺の単純な頭では理解出来ない複雑なものなのかもしれない。


「よし、この黒のハットなら凡人の魅力をなんとか隠せそうね!」

「凛恋、別に帽子は――」

「ほら、さっさと買って優愛のバイト先に行くよ!」


 凛恋にグイグイ手を引っ張られ、俺はレジカウンターに向かって歩いていく。

 中折れ帽を買い終えると、俺は買った中折れ帽を凛恋に被されて手を引かれ店を出る。


「とにかく、ちゃんと優愛がバイト出来てるか確かめないと!」

「心配しなくてもちゃんとやってたぞ?」

「凡人の言葉は信じてるけど、やっぱりちゃんと自分の目で見ないと安心出来ないし。それにさ、優愛が変な男に付きまとわれてないか心配なの」

「まあ、優愛ちゃんだからな。誰からも見向きもされないなんてことはあり得ないと思うけど」

「だから心配なのよ。男って下心でしか動かない生き物だし。あっ! でも、凡人は他の男とは違うからね! 凡人はエッチだけど真面目で誠実だから!」

「あ、ありがとう」


 褒められているし素直に喜んで良いのだと思う。だが、気恥ずかしくて素直に喜びを表せない。


「私は絶対に優愛が傷付くところなんて見たくないから。だから、ちゃんと優愛が安心してバイト出来るところか見ておきたい」

「優愛ちゃんは大切な妹だもんな。凛恋が心配になる気持ちは分かるよ」

「ありがと」


 キャスケットの上から優しく凛恋の頭を撫でて、俺は恥ずかしそうにはにかんだ凛恋の顔を見て微笑む。

 凛恋は男性に対して真っ先に不信感を抱く。それは凛恋自身が男性という存在に傷付けられた過去が間違いなく影響している。ただ、根本にあるのは大切な妹を守りたいと思う姉の心だ。


 凛恋は男性を嫌っている。でも、凛恋は、優愛ちゃんが好きな人だと言って彼氏を連れて来たら、心の底から祝福するに決まってる。凛恋の優愛ちゃんに対する気持ちは、単に優愛ちゃんに対する過保護ではなく姉妹愛だ。その姉妹愛には、優愛ちゃんに対する信頼も含まれている。


 そんなことを考えながら凛恋と一緒に街を歩いていると、凛恋が手を握ったまま俺の腕を抱いて体を密着させる。そして、チラッと俺を見てはにかんで呟いた。


「凡人ハット似合いすぎ。チョー格好良い」

「ありがとう。でも、帽子なんて小学生の赤白帽以来だから違和感があるな」

「そんなに久しぶりなの? でも、凡人が帽子被ってるところってそう言えば記憶ないかも」


 いつも通りの他愛もない会話を楽しみ、俺と凛恋は優愛ちゃんがアルバイトをしている喫茶店の前に行く。すると、尋常じゃない人集りが出来ていた。

 店の前の歩道を埋め尽くしたその人集りを見て、俺と凛恋は何事かと立ち尽くす。俺はその人集りを見渡し、喫茶店の前に出来ている人集りにはほとんど女性しか居ないことに気付いた。


「epic gloryの真井くんが来てたって本当ですか?」

「そうらしいです。中でロケ番組の撮影してたって」

「うわー、中に入ってれば良かった~」


 周囲から聞こえる女性達の歓声というか嘆きを聞けば、中にアイドルが来ているらしい。それを聞けば、店の前にほとんど女性の人集りが出来ている理由も納得出来る。


「タイミング悪……入れないじゃん」


 この場に集まった女性のほとんどがアイドルを見られないことを嘆いている中、俺の隣に居る凛恋はアイドルが来て店に入れないことを嘆いている。この場では異質な発言だが、彼氏の俺としてはアイドルなんて見向きもしない凛恋に嬉しさを感じた。


「まあ、残念だけど今日のところは諦めよう。この状況だと、しばらく入れそうにないし」

「そう――」

「「「キャーッ!」」」


 入店を断念して喫茶店の前から離れようとした瞬間、喫茶店の前に集まっていた女性達が一斉にその甲高い歓声を上げる。俺と凛恋は、思わずその声にビクッと体を跳ね上げて両手で耳を塞いだ。


「キャーッ! 真井くんッ! 真井くんッ!」

「カッコイイーッ!」

「サイン下さいッ!」


 ほんの少し前までは少しざわついているだけだった喫茶店前が、甲高い歓声を境に騒然とする。どうやら、テレビ番組の撮影に来ていたアイドルが店から出てきたらしい。

 多分、裏口からひっそりと出ずに正面から出てきたのは集まってきたファンの人へのサービスなのだろうが、熱狂した女性達の声で耳鳴りがする。


「道を空けて下さいッ!」


 甲高い女性達の声の隙間から、張り上げた男性の声が聞こえる。そして、数人の男性が女性達が作りだした人集りを二つに分断して道を作った。その道の中央を、喫茶店から出てきた身長の高い細身の男性が歩いてくる。


 その時俺は「本当に人からオーラって出るんだ」そんなありふれた感想しか浮かばなかった。そして、俺は男だし周囲に集まるアイドルのファンではないのに、全身に鳥肌が立った。


 視線の先に居る人の持つ格好良さが、栄次という俺の身近に居るイケメンでは全く太刀打ち出来ないのが分かる。格好良さの次元が違った。本当に格好良い人は、性別の垣根を越えて人の目を惹き付けた。

 俺はその感覚に囚われて、急に全身に鳥肌を立てていた興奮が寒気に変わる。それは紛れもない焦りだった。


 凛恋の心が目の前の人に奪われてしまっていないだろうか。その焦りで、俺はすぐに隣に居る凛恋を見る。すると、凛恋はアイドルではなく俺を見て首を傾げていた。そして、俺の服の腕を軽く引っ張る。


「凡人行こ。優愛のバイト姿は今度見に来るとして、とりあえず他の喫茶店に行こう。周りが騒がしすぎてちょっと疲れたから休憩したい」

「り、凛恋? あのアイドル見て何も思わないのか?」


 予想外に凛恋が平常通りの様子で、俺は凛恋の両肩を掴んで聞き返す。すると、凛恋はアイドルの方に一度視線を向けて俺に視線を戻して肩をすくめた。


「まあ、男の人の中じゃイケメンの方じゃない? 凡人の方が格好良いけど」

「いや! 流石にそれはおかしいだろ!」


 凛恋の言葉は物凄く嬉しい。ただ物凄く嬉しいのだが、流石にそれは俺も突っ込まざるを得なかった。

 相手は日本でもトップクラスに人気が高いというアイドルなのだ。現に、単にテレビ番組の撮影をするというだけで街の一画を騒然とさせるほどの人気があるのだ。そんな人相手に俺の方が格好良いと言うのは、流石に俺に彼氏補正があったとしても凛恋の感覚を疑うべきだと思った。


「はぁ~……ほら、行くよ」


 凛恋は呆れた様子でため息を吐いて、俺の手を引っ張って人混みから離れる。

 騒然としている喫茶店の前から離れると、凛恋が俺に視線を向けてまたため息を吐いた。


「はぁ~……凡人? 確かにさっきのアイドルは格好良いわよ? そりゃあアイドルだもん、それを商売にしてるんだから当然でしょ。でもね、アイドルとして格好良いとしても、あの人は凡人には絶対に勝てないの。だって、凡人は男としてチョー格好良いんだから」

「男として、格好良い?」

「そう。凡人とあのアイドルのアイドルとしての格好良さは紙一重であっちの方が勝ってる。それは、あっちがプロだからよ。凡人もちゃんとアイドルとしての格好良さを身に付ければ余裕で勝てる」

「いや、それはない」


 真剣な表情で断言する凛恋に、俺は真顔で反論する。いくら彼女補正が入っているとしても紙一重な訳がない。俺と真井さんの格好良さは天と地、月とすっぽんの差がある。同じ土俵に立たせて比べることすらおこがましい話だ。


「まあ、その話は置いといて。あのアイドルにはアイドルとしての格好良さしかないのよ。凡人は今まで私にどんだけ格好良いところを見せてくれた? 何度男らしく私を守って、私を導いてくれた? それを知ってたら、あのアイドルなんてその辺に転がってる石ころよ」

「まさか、石ころって言われる日が来るとは思わなかったな」


 聞いてる俺が心配になる熱弁を凛恋が締めくくった瞬間、後ろから笑い混じりの男性の声が聞こえた。その声に振り返ると、さっき喫茶店から出てきたepic gloryの真井さんが立っていた。真井さんの後ろでは、テレビ局のスタッフか真井さんの事務所のスタッフかは分からないが、押し寄せる女性ファン達を必死に抑えているのが見えた。


「多野凡人くんだよね?」

「え? あ、はい。そうですけど」

「ごめんね、驚いて当然だよね。知らない人から自分の名前を言われるなんて。マスコミの報道で一方的に名前を知っていたから」

「いえ、その件ではありがとうございました。真井さんがテレビで擁護してくれて助かりました」


 申し訳なさそうな表情をする真井さんに、俺は頭を下げてお礼を言った。

 俺は、俺の母親と、母親が俺が生まれる前に関係があった男性――今は辞任した元文部科学大臣のスキャンダル報道で真井さんに助けられた。ワイドショーでの真井さんのコメントで、俺に対する世間の騒がしさが落ち着いたのだ。


 俺と真井さんは面識も全くないし、俺と真井さんは一般人と芸能人で生きている世界が全く違う。だから、直接話せる機会なんて来るはずがなかったし、お礼を言える機会はないと思っていた。


「いや、擁護したっていうわけじゃなくて、本当に疑問に思ったことを言っただけだからね」


 真井さんは爽やかな笑顔で答えた後、チラッと俺の陰に隠れる凛恋に視線を向ける。その視線は、不審に思うというよりも凛恋のことを気遣うような視線だった。


「さっき喫茶店の前に居るのを見て追い掛けて来たんだ」

「追い掛けて来た? 俺達をですか?」


 俺は真井さんの言葉に戸惑う。助けられた側の俺には、真井さんにお礼を言いたいという気持ちはあった。だからと言って街で見掛けて追い掛けることはしないが、話をしたいという理由はある。でも、真井さんの方には俺達を追い掛ける理由も話す理由もないはずだ。真井さんに話し掛ける理由があるとすれば…………。


 俺はとっさに凛恋の前に腕を出して真井さんに視線を向ける。しかし、それは警戒心を剥き出しにした視線だ。

 男の真井さんが俺に話があるわけがない。十中八九、男が用があるのは俺ではなく凛恋の方だ。凛恋が可愛くて、大抵その可愛い凛恋と深い関係になりたいと思う男が寄ってくる。だから、きっと真井さんも――。


「一度話をしてみたいと思ってたんだ。君と」

「……へ? 俺?」


 警戒心を剥き出しにして真井さんに睨みを返す俺に、真井さんは明るく笑って言った。その真井さんの笑顔は、アイドルというよりも好奇心旺盛な子供のような笑顔だった。

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