【一八九《変化》】:二

「はっきり言えることは、飾磨は絶対にあり得ないってことね」

「えぇ~……ちなみにどこら辺が無し?」


 スッパリと切れ味の良い言葉で言った空条さんに、飾磨はうな垂れながら声を漏らす。だが、自分から質問を続けるのを見る限り、そこまでショックは受けていないのだろう。


「もちろん飾磨にも良いところもあるわよ? 仕切りは上手いし食事会でも空気を読んで色々立ち回ってる。でも、男としては最低じゃない」

「ふぇ~多野~。俺って、男として最低なんだってぇ~」

「俺に泣きつくな、気持ち悪い」


 最低という明確な言葉を受けて、飾磨は明らかに嘘泣きの様子で俺にすがり付いてくる。俺は手に持ったグラスからカシスオレンジを溢さないようにテーブルに置いて、すがり付いてきた飾磨を押し退けた。


「飾磨は女の子に対して軽すぎるの。私に知られてるのを分かってるか分かってないかを私は知らないけど、飾磨って付き合ってないのに女の子とエッチし過ぎ。上級生も同級生も、しかも下級生にも手を出して見境がない。私はそういう軽い男とは絶対に付き合わない」

「でも、相手も良いって言うし……」


 俺は上級生の話は知っていたが、同級生と下級生の話は全く知らなかった。ただ、飾磨本人はやっぱり悪いことをしているという様子ではない。


「自分がした質問を思い出しなさいよ。多野くんと飾磨、付き合うならどっちかって聞いたのは私にでしょ? 飾磨の遊んでる女の子達が別にそれでも良いって子達だとしても、私は無しよ」


 人によって感覚の違いはある。それこそ、飾磨のように付き合っていなくても体の関係を許容する人も居る。でも、俺や空条さんのようにそうだとは考えられない人も居る。統計をとった訳ではないが、おそらく大多数の人間が俺や空条さんと同じ意見のはずだ。


「ちなみに、多野についての評価を教えてほしいんだけど?」

「多野くんは凄く良い男性だと思うわよ? もちろん、完璧な男性なんて居ないから、多野君にも良くないところはある」

「よーし! その多野の良くないところを中心に話してくれ」


 自分が散々貶されたせいか、飾磨は空条さんに俺を貶せと要求する。俺は内心「何を言われるのだろうか?」という不安を抱きながらも、カシスオレンジを口にして無言を決め込んだ。


「多野くんは自分に自信がなさ過ぎる上にネガティブ過ぎる」

「うっ……ゲホッゲホッ!」


 軽くお猪口からマッコリを飲んだ後の空条さんの第一声がそれで、俺は思わず飲みかけのカシスオレンジが気管に入りかけてむせる。


「私達の前でそういうことを言葉にすることは少ないけど、時々ふとした時にネガティブな言葉とか自虐的な言葉が出るでしょ? それってフォローする側は気を遣うしめんどくさい。私達にそうなんだから、きっと気心が知れてる八戸さんにはいっぱいそういうことを言ってるはず。そうなると、八戸さんは大変だろうなって思うわ」

「だよな~だよな~、やっぱりネガティブな男はないよな~」


 俺が貶されるのを聞いて上機嫌の飾磨は、俺の背中を何度もバシバシと叩きながら満面の笑みでハイボールを飲む。まあ、空条さんの言うことはもっともだし反論する余地はないと思う。でもただ一つ言えることがあるとすれば、飾磨は本当に嫌なやつだということだ。


「でも、私が知る限り多野くんの欠点らしい欠点はそれだけ。人って一つは欠点があるものだし、多分八戸さんはその多野くんの欠点も可愛いって思えてるんじゃない? そうじゃないと、高一から今まであんなに仲良く付き合えてないと思うし。むしろ、多野くんにはもっと欠点があった方が八戸さんも安心出来るんじゃない? 多野くんって総合的に男性としては魅力的な人だし」

「……ちなみに、多野の良いところは?」

「まず外見的には背が高くてスラッとしててスタイルが良いでしょ? それに、顔も整ってるし人の良さが出てる。まあ、見た目は人それぞれ好みにもよるけど、私は飾磨みたいにいかにもチャラチャラしてそうな男よりも、多野くんみたいに真面目な印象の人の方が好み」

「うぐっ!」


「次に性格だけど、外見で感じた印象通り真面目で誠実。さっき言ったネガティブで自虐的な言葉が出てくる時以外は、圧倒的に男性として頼り甲斐がある。後は凄く優しくて気が利くところ。飾磨も女の子にはかなり気を遣えるけど、飾磨のは下心が分かるの。でも、多野くんは全く下心がないし細かいところにも気が利く。だから、飾磨の質問に答えるとしたら、多野くんね」

「く、くそう! 多野がべた褒めされてる! よ、よ~し! 由衣ちゃん! 由衣ちゃんはどっちが好み?」

「えっ? 私?」


 空条さんの隣で空条さんと飾磨の話を聞いていた鷹島さんは、自分に話題が振られて首を傾げる。そして、俺の方をチラッと見た後に答えた。


「私も多野くん」

「はいはい、なんとなく分かってましたよぉ~。真面目な由衣ちゃんが好みそうなのは多野の方だって」


 鷹島さんの答えを聞いた瞬間に随分投げやりになった飾磨は、目の前にある料理をやけ食いし始める。


「飾磨~、鷹島さんにも理由聞いとく?」

「俺をオーバーキルしないでください。お願いします」


 いたずらっぽく笑いながら空条さんが首を傾げると、飾磨は頭を下げて会話を終わらせた。


「飾磨も女遊びはほどほどにしておいた方が良いわよ? 本当に好きな子が出来た時に相手にしてもらえないかもしれないし」

「でもな~、据え膳食わぬは男の恥とも言うし」

「まあ、飾磨は彼女が居ないし、相手の子も飾磨と同じ考えの子だろうし。もしそうじゃなかったら、飾磨はうちの大学に居られないくらい評判が悪くなってるわ」

「遊ぶ相手をちゃんと選んでるしね!」

「そこは胸を張るところじゃないわよ。そういえば、鷹島さんって好きな人でも出来たの?」


 飾磨と話をしていた空条さんが、急に鷹島さんへ話題を振る。それに、鷹島さんは目を見開いて驚いた。


「えっ? 私?」

「その雰囲気の変わり様は恋かなって」

「あ、それ俺も気になった! やっぱり恋?」


 飾磨の話から今度は鷹島さんの話に変わり、飾磨はさっきよりも明らかに興味津々の様子で身を乗り出す。その飾磨がグラスを倒さないように、俺はそっと飾磨の前からグラスをずらした。

 鷹島さんは微笑みながらグラスを傾ける。その顔は少し赤くなっていて恥ずかしそうだった。


「じゃあ、私達から一問ずつ質問してそれに、はいかいいえで答えてもらおうよ。具体的な話は恥ずかしいだろうし。まずは飾磨」

「はいはーい! 相手は男ですか?」

「はい」


 飾磨のふざけた質問に、鷹島さんはクスクス笑いながら頷く。


「ちょっと、そんなの当たり前に決まってるでしょー。でも、好きな人はやっぱり居るんだ」

「あっ!」


 俺はニヤッと笑って視線を交わした空条さんと飾磨を見て、上手いな~と思った。特に打ち合わせをしたわけでもないのに、ものの数秒で鷹島さんに好きな人が居ると二人は聞き出したのだ。


「鷹島さん可愛い! 顔真っ赤じゃん! はい、次は多野くん!」


 ケタケタ笑いながらマッコリを飲んだ空条さんは、次に俺を指名する。しかし、俺は心底困った。こういう時に、どんな質問をすれば良いかなんて見当も付かない。無難すぎる質問でも場をしらけさせるだけだし、攻めすぎても鷹島さんに不快な思いをさせるだけだ。しらけさせず不快にもさせないギリギリのラインを突ける質問でなければならない。


「うーん、じゃあ年上の人? 年下の人?」

「多野~、それじゃ、同い年だった時にはいかいいえじゃ答えられないだろ」

「そ、そうか」


 絶妙な質問だと思ったが、はいといいえのどちらかで答えられる問題でなければいけない。


「じゃあ――」

「同い……年、の人」


 別の質問をしようとした時、鷹島さんは消え入りそうな声で顔の赤みを増しながら答えた。どうやら、鷹島さんに大分気を遣わせた上に無理をさせてしまったらしい。


「もー、鷹島さんは人が良すぎだよね~。じゃあ、最後は私ね。その人って、うちの大学?」

「はい」


 特に考える間もなく発した空条さんの質問に、鷹島さんは頷いて答える。


「同い年でうちの大学の男子学生か~。由衣ちゃんのことを好きなやつはテンション上がるだろうな~」

「でも、よくよく考えると、飾磨が食事会に連れて来るのって同い年の人ばかりだし、あんまり絞れないわね」

「ぐぬぬ! 俺の知り合いの多さがこんなところで仇になるとは!」

「あんまり詮索するなよ。鷹島さんもそっとしてほしいだろうし」


 酒に酔ってテンションMAXになっている飾磨をたしなめる。

 鷹島さんは基本的に大人しい人で、女性だけで居る時の顔は分からないが、少なくとも男が居る席ではしゃぐような人ではない。好きな人の話も、きっと場をしらけさせないように付き合ってくれたのだ。だから、この辺で飾磨を引かせた方が良い。


「多野くん、ありがとう」


 手近にあった料理を飾磨の前に置いて食わせていると、鷹島さんが赤らめた顔のまま微笑んで言った。


「そういえば、この前の食事会の時に連絡先交換させられたやつがさ~」


 すぐに空条さんが切り出した話題で、個室に漂っていた甘酸っぱい雰囲気は明るい和やかな雰囲気に戻る。その雰囲気の中、笑顔で空条さんの話を聞く鷹島さんを見て、俺は少しだけ安心した気持ちがあった。

 凛恋も萌夏さんも、男の悪意に晒されて男を嫌うようになった。でも、鷹島さんには好きな人が居るということは、男を嫌うほどの深い心の傷にならなかった。それが、本当に良かったと思う。


 世の中には悪いやつが腐るほど居る。でも、それ以上に良いやつも居るのだ。

 自分の欲望に従順で相手のことを考えないクズも居れば、ちゃんと相手の気持ちを思いやれる良いやつも居る。

 鷹島さんに好きな人が居るということは、それを鷹島さんがちゃんと分かっているということだ。それが分かって安心した。


 俺はずっと自分以外の人間を見下している時期があった。そうしないと、自分の心の安定を保てなかったという理由もある。だけど、凛恋という大切な存在が出来て、親友や友達と呼べる人達が出来て俺は考え方が変わった。


 確かに他人は最低だ。でも、自分にとって他人ではない人は、自分にとって人生を豊かにしてくれる。それを俺は凛恋のお陰で知ることだ出来た。

 人を見下していた経験がある俺だから、人を見下している時の孤独感が分かる。人を信じる経験をした俺だから、人を信じている時に強い心の支えになることが分かる。だから、鷹島さんにとって心の支えになる人が出来たことは安心したし嬉しかった。


 人と人とのことなんてどうなるか分からない。それこそ、当人同士じゃないとどうにもすることが出来ない。いくら外野があの手この手で仲を取り持とうとしたって、結局は本人達の気持ちが通じ合わなければ結ばれない。

 だけど、そんな何も出来ない外野の俺だけど、純粋に鷹島さんの恋が上手く行けばいいと思った。




 飲み会を終えて、俺の背中に残った重みを振り払うために背中を反って腕を回す。


「多野くん、ごめんね。流石に私と鷹島さんじゃ飾磨を負ぶるのは無理だから」

「いや、空条さんも鷹島さんも誰も悪くない。悪いのは自分の許容量を考えずに飲んだ飾磨だ」


 隣を歩きながら謝る空条さんに首を振って笑う。

 飲み会中、ハイペースで飲んでいるなと思ったら、気が付くと飾磨は酔い潰れて眠っていた。それで、眠っている飾磨を放置して帰るわけにもいかず、俺は飾磨を背負って飾磨の家まで運んだのだ。背中に残る重みは、飾磨を背負ったせいだ。


「ごめん、二人にも付き合ってもらって。でも、夜に女の子だけで帰すのが不安で」

「ううん。私は大丈夫」

「多野くん、私も大丈夫だから気にしないで」

「ありがとう、空条さん、鷹島さん」


 本当は空条さんと鷹島さんを送って帰るつもりだったのだが、飾磨が酔い潰れて予定が変わってしまった。

 飾磨を送った後に空条さんの住むアパートに向かいながら三人で歩いていると、視線の先に空条さんが見えてきて、俺達は住んでいるマンションの前に着く。


「多野くん、鷹島さん、ありがとう。今日は楽しかった。またみんなで飲み会しようね」

「ええ、こちらこそありがとう」

「空条さん、ありがとう。おやすみ」

「おやすみなさい」


 ニコニコと笑って手を振った空条さんは、マンションのオートロックを開いて中へ入って行った。


「じゃあ行こうか」

「よろしくお願いします」


 駅に向かって引き返し始めると、隣を歩く鷹島さんがクスクス笑う。どうやら、鷹島さんはお酒を飲むと機嫌が良くなるらしい。


「やっぱり、私は人が多い飲み会よりも仲が良い人、数人の方が楽しいわ」

「まあ、人が多すぎると俺も落ち着かないし、今日くらいの小規模な飲み会は良いと思う」


 空条さんのマンションは駅から近くすぐに駅までたどり着き、改札を抜けてたまたま停車していた電車に乗る。


「この時間帯は多いんだな」


 満員電車の中に乗り込むと、鷹島さんを壁際に立たせて俺は背中を車内に向けて立つ。

 帰宅ラッシュにぶつかってしまったようで、電車の中は混み合い、俺は後ろからグイグイと鷹島さんの方に体を押される。


「きゃっ!」

「ご、ごめん」

「だ、大丈夫」


 後ろから人の壁に強く押し退けられ、俺は鷹島さんに体を当ててしまう。

 壁に両手を突っ張って体を離そうとするが、大人数の重みが掛かっているせいかビクともしない。


「腕を突っ張ってるのは辛いでしょ? 私は大丈夫だから力を抜いて」

「で、でも……」


 今の状態で俺の胸に鷹島さんの胸が触れている。この状況で力を抜けば、俺は鷹島さんの胸に自分の胸を押し付けてしまう。

 落ち着かないよりも申し訳なさを感じ、俺は突っ張る腕の力を緩めなかった。でも、どんどん腕が痺れて込めた力が弱くなっていく。


 腕の痺れが限界ギリギリまで来た時、鷹島さんが俺の肘に手を置いて腕を曲げさせ、俺の体は後ろからの圧迫に耐えきれず前のめりになる。


 ガタンゴトン、ガタンゴトンと等間隔に音の音がなる車内で、俺は鼻先に甘い香りを嗅ぐ。

 綺麗な黒髪をした鷹島さんの髪から香るその香りと共に、俺の鎖骨には密着した鷹島さんの口から漏れる温かな吐息が触れた。息が当たるくすぐったさも感じるが、鼓動が早くなるのも感じた。


「多野くんがこの前のことで気を遣ってくれているのは分かるから」


 触れる吐息と共に鷹島さんのその声が聞こえ、俺は視線を下げる。すると、鷹島さんは車内の熱気で酔いが回ったのか、顔を真っ赤に染めて微笑む。


「だから気にしないで。私は、多野くんが居たから今日安心して飲めたの。だから、多野くんなら嫌じゃないわ」


 しっとりとした声色の声が、艶やかな光沢を放つ唇の隙間から漏れる。

 今日、鷹島さんは服装の印象が変わった。でも何かもっと、鷹島さんの本質的な何かが前と変わった気がした。だけど、俺にはそれが何かと説明する知識も語彙も、何も持ち合わせていなかった。

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