【一八九《変化》】:一
【変化】
「タノタノ~」
「…………」
「飲み会はいつあるタノ?」
「…………」
「タノタノが決めないなら俺が決めちゃうタノ」
「タノタノうるさい」
「ひ、酷いタノ~」
話し掛けてきてからずっとふざけ倒す飾磨を睨み付けると、飾磨は悪びれた様子もなく俺を見て肩をすくめる。
「二人共、こんにちは。どうかしたの?」
「あっ! 由衣ちゃん! タノタノが全然飲み会の予定を立てないんだよ!」
騒がしい飾磨を適当にあしらっていると、俺の後ろから鷹島さんが顔を出して俺と飾磨を交互に見る。飾磨には罪はない。しかし俺は、鷹島さんが巻き込まれたインカレサークルの騒動のことを思い出し、飲み会の話を出した飾磨にほんの少しだけムッとした。
「飲み会?」
「そうそう。タノタノがもう飲めるようになったから飲み会しようって千紗ちゃんとこの前話してて。でも、それから全然音沙汰がないから、タノタノにどうなってるのかって催促してたところなんだ」
「そうなんだ。私もその飲み会参加したいな」
ニッコリと笑い俺の隣に座りながら言った鷹島さんの言葉に、俺は心配して鷹島さんの顔色を窺う。だが、鷹島さんは変わらず柔らかい笑顔を浮かべたままだった。
飲み会の席で嫌な思いをして怖い思いもした。だから、飲み会というものに嫌悪感を抱いていると思っていた。しかし、鷹島さんの表情からは嫌悪感は見えない。いつも通りの、落ち着いた鷹島さんにしか見えなかった。
「由衣ちゃんなら大歓迎だよ! むしろ、由衣ちゃんが居るならタノタノは来なくて良い!」
「多野くんが来ないなら、私は遠慮しようかな」
「じゃあタノタノも参加させよう!」
テーブルを挟んでいる飾磨と鷹島さんの会話を聞きながら、俺はまた鷹島さんの様子を窺う。
あの日、鷹島さんが救急搬送された病院から鷹島さんの住むアパートまで帰った時、俺は日が昇って鷹島さんが眠るまでアパートの部屋の前で電話を続けた。それが、俺に出来るギリギリのラインだった。
あの時、鷹島さんは眠る直前まで、ずっと「迷惑を掛けてごめんなさい」そう会話の合間に何度も繰り返していた。そのことから、俺は自分が鷹島さんを不用意に傷付けてしまったと思った。
完全に受け止めきれないと分かっているのに、俺は鷹島さんを支えようとした。そして、自分の持っている境界線に従って、自分が頼らせた鷹島さんを突き放したのだ。それで俺は鷹島さんに対して余計な傷を作ってしまった。
随分前に、本蔵さんのことで飾磨から『突き放すのも優しさ』と言われた。今回の件は本蔵さんの件とは違う。でも、優しさの質は同じだ。
突き通せないと分かっている優しさほど無責任で惨いものはない。それを、俺は鷹島さんに掛けてしまった。
「でも困ったことがあってさ~。俺が仕切るのはダメだって千紗ちゃんに言われちゃって」
「どうして?」
「俺が参加者を増やすのがダメだって」
「ああ、そういうこと」
納得した様子の鷹島さんを見て、飾磨はこれ見よがしに肩を落としてショボンと落ち込んだ動きをする。
「人が増えた方が楽しいって思ってやってるだけなんだけどな~」
「確かに大人数の方が賑やかにはなるけれど、時には少人数で落ち着いて食事をしたいと思う時もあるし。飾磨くんは賑やかな方が良いのかもしれないけれど」
「そっか~。まあ、そういう理由もあって、今回の飲み会は俺の仕切りじゃ出来ないんだよ。だからタノタノに早く予定を立ててくれって言ってるんだけど」
両腕を組んでムッとした表情を俺に向ける飾磨に、俺はコーヒーを飲みながら視線を黙って返す。さっきからムッとした表情を向けたいのは俺の方だ。
確か、あの時は空条さんが予定を立ててくれるという話になっていたはずだ。しかし、いつの間にか俺が主催になっている。別に頼まれればやっても良いとは思うが、こうも俺が悪いと飾磨に言われ続けているとそれに反抗したくなる。
「その飲み会、私が計画を立てようか?」
「ふぇ!? 由衣ちゃんがやってくれるの!?」
俺は驚いて、また鷹島さんの顔を見て顔色を窺う。しかし、不審に思っているのは俺ではないらしい。
「由衣ちゃんが仕切りって珍しいね」
「意外?」
「だって、由衣ちゃんって前にどんどん出て行くって言うよりも、一歩退いて微笑んでるって感じの子だと思ってたから」
「これでも高校の頃は学級委員長をやってたの。だから、色々な行事のまとめ役は経験あるのよ?」
「そうなんだ! おっと! これから女の子とカフェに行く予定があるんだ! じゃあ、俺はこれで! 由衣ちゃん、くれぐれも飲み会のことよろしくね!」
「分かったわ。空条さんの都合も聞いてから連絡する」
椅子から立ち上がった飾磨は慌ただしく食堂を出て行く。その騒がしい飾磨の姿が見えなくなった後、俺は鷹島さんに視線を向けた。その鷹島さんは、手に持った紙コップから紅茶を飲みながら微笑んだ。
「心配してくれてありがとう。でも、飲み会で嫌な思いをしたからといって、一生飲み会に参加しないわけにもいかないから」
「でも、まだ時間を置いてからでも俺は良いと思う」
「ありがとう。そう言ってくれる多野くんが居るから、飲み会に参加しようと思ったの。多野くんの前なら安心してお酒が飲めるから」
「無理に飲む必要は――」
「無理じゃないわ。私は多野くんと楽しく飲みたいと思ったの」
「……鷹島さんが良いなら俺は良いけど」
俺は微笑む鷹島さんにそれ以上何も言わなかった。
納得したわけじゃない。だけど、嫌な思いをして怖い思いをした鷹島さんが自ら克服しようとしていることを、他人の俺が俺個人の考えで否定することなんて出来ないし、否定して良い権利はない。
だけどやっぱりまだ……時間で傷を癒やしてからでも良いとは思った。
鷹島さんの計画する飲み会は案外早く開催された。
予定は俺のインターンが休みの日を考慮してくれて、みんながその日に予定を合わせてくれるという感じだった。
今日参加するのは俺と飾磨、空条さん、鷹島さんの四人。ただ、空条さんは宝田さんを誘ったが、宝田さんは予定が合わなかったらしい。
俺は、いつもの飾磨が主催する食事会に比べると、今回の食事会は気が楽だった。人数も少ないし、参加するメンバーもよく知っている顔ばかりだからだ。
待ち合わせ場所に指定された駅前で、スマートフォンを見ながら時間を確認する。
食事会で待ち合わせが必要になる場合、飾磨は真っ先に待ち合わせ場所に居る。もちろん、前の予定の関係で予定時間の五分前になることもあるが、大抵は二〇分前には待ち合わせ場所でうろちょろしている。だが、辺りを見渡しても飾磨の姿が見えないということは、どうやら前に予定があるらしい。
「多野くん、こんばんは」
「鷹島さん、こん――」
鷹島さんに横から声を掛けられて、俺はスマートフォンをポケットに仕舞いながら鷹島さんに視線を向けた。そして、俺に笑顔を向けている鷹島さんを見て言葉を失う。
鷹島さんは、上に白と水色の細かい縦のストライプ柄をしたクレリックシャツを着て、下は黒に近い紺色のタイトなミニスカートと黒のタイツを穿いている。そして足元は、黒のショートブーツを履いていた。
全体的に落ち着いた雰囲気で鷹島さんに合っているから、その服装が似合っていないわけではない。むしろ凄く似合っていると思う。だけど、何だか鷹島さんらしくない服装に見えた。一番そう思った理由は、ミニスカートだ。鷹島さんがスカートを穿かない人ではないが、スカートを穿くにしても丈の短いスカートを穿いているのを見たことがない。
「少し雰囲気を変えてみようと思ったんだけど、どうかしら?」
少し頬を赤くして照れ笑いを浮かべた鷹島さんは、綺麗な黒髪を手で耳に掛けながら俺にそう尋ねる。
「凄く似合ってるよ。日頃見ない感じのファッションだから驚いたけど」
「レディーナリーの編集者さんに似合っているって言われると自信が出るわ。ありがとう」
「編集者じゃなくて、編集補佐だけど」
クスッと笑いながら茶化す鷹島さんに笑って答えていると、後ろからトントンと肩を叩かれる。
「多野くん、鷹島さん、こんばんは」
上は白のブラウスの上に青いデニムジャケット、下は爽やかな花柄の白いミニスカートとピンクのパンプスを履いた空条さんは、ニコニコ笑って挨拶をした後に鷹島さんに視線を向ける。
「鷹島さん、なんか雰囲気変わったね。凄く大人っぽい」
「もう大学二年だし、少しイメージを変えてみようと思って」
「凄く似合ってる」
「ありがとう」
「うお! とんでもない美人が二人も居る!」
笑顔で話す鷹島さんと空条さんを見ていると、視界に入ってくるなり目をキラキラと輝かせて二人を見る飾磨が現れた。
「こんばんは、飾磨くん」
「由衣ちゃんどうしたの!? 由衣ちゃんがミニスカートなんて初めて見たよ!」
「少しイメージを変えてみようと思って。でも、生足は恥ずかしいからタイツを穿いたの」
「うんうん。生足も良いけどタイツも良いよ! 大人の色気が増した感じがする。千紗ちゃんは今日は明るく爽やかな可愛い系ファッションで良いね!」
「女の子なら誰でも可愛いとか綺麗とか言ってる飾磨に褒められても嬉しくないわよ」
飾磨に苦笑いを浮かべてそう言った空条さんは、視線を俺達に流して微笑む。
「立ち話じゃなくて、お店に行って座って話そう」
「ええ。案内するから付いてきて」
空条さんは適当に飾磨をあしらい、鷹島さんと並んで歩き出す。その二人を後ろから追い掛けるように歩き出すと、飾磨が俺の腕を引いて少し二人から距離を取らせた。
「多野。由衣ちゃん、何かあったのか?」
「鷹島さん? いや、知らないけど?」
「何もなかったらいきなりミニスカートなんて穿かないだろ。スカートさえあまり穿かない子だったのに」
「鷹島さんも年頃の女性だし、服装を気にしても不思議じゃないだろ」
「由衣ちゃんは前までも十分気にしてただろ。落ち着いたコーディネートで由衣ちゃんに似合ってたし、その時のファッションは由衣ちゃんらしかった。でも今日は由衣ちゃんに似合ってるけど由衣ちゃんらしくない」
そう言った飾磨は、一瞬だけ俺に向けた視線を鋭く睨むような視線に変えた。しかし、その視線の鋭さはすぐに消え、飾磨は視線を鷹島さんの背中に向ける。
「ありゃあ、前以上にモテるぞ。ちょっと見ない間に一気に色気が増した。んでも、勝機はないだろうな~」
「飾磨って鷹島さんのことが好きだったのか?」
勝機がないという言葉を聞いて、俺はてっきり飾磨が鷹島さんを好きになったのかと思った。しかし、再び俺へ向けてきた飾磨の視線は、酷く呆れたような冷たい視線だった。
「そりゃあ、由衣ちゃんみたいな美人と良いお付き合いが出来たら嬉しいけど、俺の話じゃない。由衣ちゃんに気があるやつとか、これから由衣ちゃんを好きになるやつのことを言ってるんだよ。由衣ちゃんの雰囲気に出てるだろ? 話し掛けるなって雰囲気が。あれで話し掛けられる男は、よっぽど自分に自信がある男か……多野みたいな何も考えてない馬鹿くらいだ」
俺を馬鹿呼ばわりした飾磨にはムッとしたが、仮に「なんでそこで俺が出てくるんだよ」と言っても飾磨に適当に流されそうだと思い、俺は言葉は返さずに視線を鷹島さんの背中に向けた。
俺は鷹島さんに話し掛け辛い雰囲気なんて感じなかった。でも、飾磨には鷹島さんに話し掛け辛い雰囲気を感じたらしい。
飾磨が声を掛けられない女の人なんて、おそらく稲築さんくらいしか居ないと思う。だから、話し掛け辛い雰囲気を感じても飾磨くらいのコミュニケーション能力の持ち主なら上手くはやれるだろう。
ただ、俺は少し引っ掛かることがあった。
飾磨の言った鷹島さんが話し掛け辛いという話は、別に悪口ではない。でも、そういう話を飾磨が他人に話しているところなんて見たことも聞いたこともない。それくらい、女性に対しては優しい飾磨が、鷹島さんの印象が悪くなるような話を俺にしたことが気になった。
鷹島さんが連れてきてくれた店は、野菜料理と魚料理を主としたヘルシーメニューが売りの店で、落ち着いて食事が出来る個室もあった。
店内に入って個室に通された俺達は、四人でシェア出来そうな料理を頼んで飲み物も注文する。
俺と鷹島さんはカシスオレンジ、飾磨はハイボール、そして、空条さんはマッコリというお酒を頼んだ。
「いやー、誰かにお店に連れて来てもらうのってなかなかないから新鮮だな~」
乾杯を終えてからキョロキョロと個室を見渡す飾磨は機嫌が良さそうに言う。既に飾磨が持っているグラスの中身は半分くらい無くなっていた。
「料理も美味しいし、やっぱりテーブル席っていうのが良いよね」
「そうだよなー。座敷だとスカートの中が見えちゃ――アイテ!」
「飾磨、まだ飲み始めたばかりだろうが」
早々に下ネタをぶちかまそうとする飾磨を叩いてたしなめると、お猪口(ちょこ)に口を付けてマッコリを飲んだ空条さんが小さくため息を吐く。
「飾磨みたいな男が居るから、座敷よりテーブルの方が好きなのよ。それにやっぱり靴を脱がなくても良いから楽だし」
「俺だってテーブル席の店くらい知ってるし、テーブル席の店でも食事会やったんだけどなぁ~。すみませ~ん、ハイボールお代わりお願いしまーす」
ハイボールの一杯目を飲み切った飾磨は、嘆きながら流れるように二杯目を注文する。
飾磨の飲むペースは気になるが、俺はちびちびとカシスオレンジに口を付けて正面に居る鷹島さんに視線を向ける。
上品な箸使いで料理を食べる鷹島さんは俺の視線に気付いてニッコリと微笑む。その鷹島さんを見て、やっぱり話し掛けるなという雰囲気なんて感じられない。でも、その雰囲気を飾磨が感じた理由が俺は分かる気がした。
睡眠導入剤入りの酒を飲まされて昏睡状態に陥らされた。実際は何かをする前に男達は逃げて、鷹島さん達は眠らされただけだった。でも、それだけでも十分、男に対する拒否反応を示すようになる理由になる。いや、そんな恐ろしい目に遭ったのだから、男に対して拒否反応を示して当然だ。
ただ、俺や飾磨と普通に話せているということは、凛恋のように視線を感じたり近くを通られたりするだけで体を強張らせるほどの恐怖は抱いていないということだ。
鷹島さんの雰囲気を変える出来事は起こってしまった。だから、服装の印象が変わったのもそれだからなのかもしれない。しかし、俺は自分で抱いたその考えに矛盾を感じた。
服装の印象が変わった鷹島さんは、前よりも大人っぽさが増した。前から美人ではあったが、服装を変えたことでそれがより際立つ感じになった。でもそれは、男を回避するのには逆効果だ。多分、俺が女性で男に近寄って欲しくなかったら、露出を少なくして目立たない服装になる。今の鷹島さんは露出が特段多いという訳ではないが、以前の服装よりも露出が多くなっている。それでは男を回避する服装としては逆効果だ。飾磨が言ったように、前以上にモテる――男の視線を集めてしまう服装になっている。
「そういえばさ~、前々から気になってたんだけど、千紗ちゃんと由衣ちゃんは、付き合うなら俺と多野のどっちが良い?」
既に酔いが回って来たのか、赤ら顔でニヤニヤ笑う飾磨が追加のハイボールを飲みながら自分の顔を指さし、鷹島さんと空条さんに尋ねる。すると、空条さんは目を細めて淡々とした口調で言った。
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