【一八八《責任の境界線》】:一

【責任の境界線】


 インターカレッジサークル、通称インカレサークル。それは異なる複数大学の学生から構成されるサークルを指す言葉だ。俺は大学生ではあるが、サークルには入っていないしサークルに入る気もないから特に関係のある言葉でもない。きっと同じ大学生同士交流を深めよう、なんてコミュニケーション能力の高い人達らしい考えの持ち主が集まるサークルなのだろう。

 そんなサークルとは無縁の俺が今更サークルについて考えるのは、食堂でボケっとしていたら鷹島さんに出会い、鷹島さんにそのインカレサークルに誘われたからだ。


「多野くんも今夜一緒に行ってみない?」

「俺は興味ないから遠慮しとくよ」

「そう。でも、無理に誘ってるわけじゃないから気にしないで。良かったらと思っただけだから」

「ありがとう。でも、鷹島さんは別のサークルに入ってるんでしょ? 他のサークルに入っても良いの?」

「正式所属じゃなくて、そのインカレサークルのパーティーが今日あるの。それは正式メンバーじゃなくても参加出来るらしくて。私も所属してるサークルの子に誘われたの。マスコミ関連の人が来るから、今からコネを作る良いチャンスだとか何とか」


 鷹島さんは困った様子で苦笑いを浮かべながら肩をすくめる。別にコネ――コネクションが悪いことではない。でも、なんだろう、コネと聞くとあまり良い印象を感じない。


「あまり乗り気はしないのだけど、無下に断ることも出来なくて。多野くんも来てくれると気が楽だと思ったのだけど」

「そっか、予定はないから付いて行くことは出来るけど?」


 そう言った鷹島さんの表情は険しい。やっぱり初めて行くサークルのパーティーというのは緊張するものなのだろう。


「無理矢理来てほしいわけじゃないから大丈夫よ。それに、多野くんはこういう集まりが好きじゃないのは知っていたし」


 コーヒーを一口飲んだ鷹島さんは腕時計を確認して立ち上がる。


「今から正式所属の方のサークルがあるから私はこれで」

「うん。せっかく誘ってくれたのにごめん」

「気にしないで。また今度みんなで食事に行きましょう。もう多野くんも飲めるようになったんだし」

「その時はよろしく」


 鷹島さんは笑顔で軽く手を振って食堂を後にする。

 サークルに所属した上に更に別のサークルのパーティーに出て交友を広めようとする。高校の頃の鷹島さんからはそんな活動的なイメージはなかったが、大学に入ってから色んな人と出会って変わったのかもしれない。それを考えると、俺は全く高校の頃から進歩していないように思える。少なくとも、対人関連のことに限っては。


「多野くん」

「空条さん。……あれ? 宝田さんは一緒じゃないの?」


 声を掛けてきた空条さんの後ろや隣を見て、空条さんが一人ということに首を傾げる。すると、空条さんが困った様な笑顔を浮かべた。


「奈央は用事があって帰ったよ。多野くん、もしかして私と奈央が常に一緒に居ると思ってない?」

「よく一緒に居るイメージがあるから」

「確かに奈央は仲が良いけど、別々に行動することもあるよ」


 クスクス笑って隣に座った空条さんは、俺の目の前に小さな箱を置く。


「遅れたけど誕生日おめでとう」

「ありがとう。わざわざプレゼントまで」

「大したものじゃないから気にしないで。もう多野くんも二〇歳になったしみんなで飲み会出来そうだね」

「さっき鷹島さんにもその話をされたよ。そのうち飾磨が仕切って開くんじゃない?」

「ダメよ。飾磨が開くと大規模になり過ぎるから。仲間内の少人数の方が落ち着くし」

「じゃあ、今度は飾磨に任せない方が良さそうだな」

「あっ、聞いてよ。この前飾磨がどうしても来てって言うから行った飲み会で、スクリュードライバーとカルーアミルクをずっと飲ませようとする人が居て」

「スクリュードライバー? カルーアミルク?」


 聞き慣れない単語に首を傾げると、そんな俺を見た空条さんも首を傾げる。


「知らない? どっちもカクテルの名前なんだけど?」

「いや、つい最近飲めるようになったばかりだから、カシスオレンジは初心者でも飲みやすくて、芋焼酎のお湯割りはロクヨンが美味しいって上司から教えてもらったくらいの知識しかないよ。それで、そのスクリュードライバーとカルーアミルクって不味いカクテルなの?」


 素直に疑問に思って聞き返すと、空条さんは肩をすくめて眉をひそめる。


「味は美味しいけど、その二つのカクテルはレディーキラーって呼ばれてるの」

「レディーキラー……」


 レディーキラーという響きに何か不穏なものを感じて俺も眉をひそめる。


「レディーキラーって凄く飲みやすいカクテルだけど、どれもアルコール度数が高いドリンクのことを言うの。スクリュードライバーとカルーアミルク以外にも、ロングアイランドアイスティーとかルシアンとか他にもあるけど」

「じゃあ、そのレディーキラーって呼ばれるカクテルを飲ませようって勧めてきた人は――」

「そう、その人は私を酔わせたかったみたい」

「飾磨に会ったら言っとく。そんなやつを参加させるなって」


 空条さんの話を聞いて素直に腹が立った。

 女の人を酒に酔わせてどうにかしようなんて最低だ。そういうことを考えるやつも考えるやつだが、そういうやつを友達に近付けた飾磨にも落ち度がある。


「大丈夫大丈夫。その日は一滴も飲まないようにしたから。でも、紳士的な多野くんの前なら安心して飲めそう」

「でもよく知ってたね。レディーキラーのカクテルなんて」

「自己防衛のためには必要な知識だから」

「まあ、空条さんの言う通りだ」


 世の中、どこに悪い人間が紛れ込んでいるか分からない。それに、周りの人がいつでも助けてくれるなんて限らない。だから、自分の身は自分で守るという気持ちは大切だ。特に、男からの悪意に晒されやすい女性なら尚更だ。


「分かりやすくスクリュードライバー美味しいよ、カルーアミルク美味しいよってずっと言ってるから笑いを堪えるのが辛かった。必死だな~って思うと面白くて」


 クスクス笑う空条さんは、その男のことを怖いと思っているというより滑稽(こっけい)と思っている様子だった。きっと、そういう男性については慣れてしまっているのだろう。

 俺が他人の悪口や陰口に慣れてしまったように、空条さんもそういう経験が多いから、嫌悪感を抱く前に呆れが出るのかもしれない。だから、俺からすれば酷く嫌悪感を抱くような出来事も、空条さんは軽い笑い話に出来ている。


「別に私は必死になるような女じゃないと思うけどなー」

「空条さんは美人だし話しやすい人だから好かれると思うよ。実際、飾磨も空条さんはモテるって言ってたし」

「え?」

「ん?」


 空条さんに聞き返された俺は、なぜ聞き返されたのか分からず、思わず聞き返してしまう。


「ご、ごめん。多野くんに美人だって思われてると思わなくて」

「あっ、ごめん。面と向かって言われると恥ずかしいよね」


 顔を真っ赤にして恥ずかしそうに俯いた空条さんを見て俺はそう察した。でも、今更察しても遅い。


「ううん、ありがとう。でも、飲み会でその気がない人ばかりに好かれても迷惑しかないよ。話してた人、察しが悪くて引き際を知らない人だったから面倒だったし」


 紙コップに入った紅茶を飲む空条さんは、げんなりした表情を浮かべる。


「いっそのこと告白してくれると、その気はないってはっきり断れるから楽なんだけどね」

「まあ、告白する根性がある人は最初から酒に頼ろうとしないと思うけど」

「それもそうだよねー。そういえば、多野くん今日は暇?」

「まあ、予定はないかな」

「じゃあ、八戸さんも誘ってご飯食べない?」

「いや、凛恋は今日は希さんと二人でお泊まり会だから」

「そうなんだ。流石に多野くんと二人きりだと八戸さんに心配掛けそうだし無理だね」

「ごめん。空条さんがご飯に行こうって話してたことは、凛恋にも話しておくよ」


 俺は残念そうな顔をした空条さんに申し訳なくなって謝る。

 希さんとは二人で出掛けたことは何度かある。でもそれは、やっぱり希さんと俺達が親友で長い付き合いがあり、信頼関係が出来上がっているからこそ出来たことだ。

 俺は空条さんが悪い人だとは思わないが、やっぱり凛恋から希さんほどの絶対的な信頼があるわけではない。そうなると、空条さんが言ったように凛恋に心配を掛けるだけだ。


「お! 千紗ちゃん! と、多野か。はぁ~……」

「飾磨、俺の顔を見て残念そうな顔をするな。俺に対して失礼だぞ」


 食堂に入ってくるなり空条さんに明るく挨拶をした飾磨は、俺に視線を向けてこれみよがしにため息を吐いた。


「この前の新年度会、男子陣から大不評だったんだぞ。多野にばっかり千紗ちゃん達が話し掛けるから。しかも、一次会で千紗ちゃんも奈央ちゃんも由衣ちゃんも佳純ちゃんも、みーんな帰っちゃうし」

「そりゃあ、あんなにお持ち帰りしてやろうって息巻いてガツガツ来られたら誰だって引くでしょ。多野くんはそんなことしないから楽しくお喋り出来て楽しかっただけよ。そう思った四人が多野くんとばっかり話してて当然でしょ? それに、一次会は付き合ってあげたんだから感謝してもらうことはあっても、不満を言われるようなことはないと思うけど?」


 正面に座った飾磨に遠慮なく言う空条さん。その空条さんの言葉を受けて、飾磨は両腕を組んで小さく息を吐く。


「まあ、あいつらも若干俺に頼り切ってるところはあるからな~。とりあえず、女の子紹介してとは言うけど、自分だけじゃ会話保たないし」

「それに、仲良くなりたいって思ってるのは向こうでしょ? なんでこっちが努力しないといけないわけ? こっちは別に仲良くなりたいと思ってないのに」


 空条さんは若干の憤りを表すように口調を鋭くする。しかし、それも当然だ。流石に飾磨の言っていることはお門違いも良いところだ。空条さんが言ったように、仲良くなりたいと思っているのは男側なのに、その男側にどうして女性側が歩み寄らなければいけないのか俺も分からない。それに、空条さんはついさっきまで、飾磨主催の飲み会で出会った面倒な男について話していたばかりだ。


「意外とあいつら良いところのお坊ちゃんだぞ?」

「別に私、お金には困ってないから」

「アイタタタ……そういえば千紗ちゃんもお嬢様だった……」


 痛いところを突かれて頭を抱える飾磨に、空条さんは心底嫌そうな顔をしながらため息を吐く。


「別に私はお嬢様なんかじゃないわよ。人より少し裕福な家庭に育っただけ。私は私でそういう家に生まれたことで苦労してるのよ。それに、お金持ちの人と仲良くなりたいって思う人は私以外に居るんじゃない?」

「まあ、そりゃあ~お金大好きな子も居るけど、あいつらピュアだからそういう子と一緒になったら多分女性恐怖症になる」


 真剣な表情になった飾磨は、少し憂いを帯びた目でテーブルを見た。だが、少なくとも酒に頼ってどうこうしようと考えるやつがピュアだと俺は思わない。

 自分から普通に仲良くなろうとする前に、とりあえず性欲に走るなんて理性がなさ過ぎる。それでも良いと言う女性が居ないとも限らないが、大抵の人は嫌悪するのは当たり前だ。


「去年、俺が女の子を紹介したやつが居てさ。そいつ、結構なお金持ちだったんだけどそれをアピールして合コンしたら、結構な子を引っ掛けちゃってさ……」

「結構な子?」


 神妙な面持ちで、なんだか話し辛そうにする飾磨が話しやすいように聞き返すと、飾磨は俺に乾いた笑顔を向けた。


「俺も知らなかったんだけど、俺が紹介した女の子がその金持ち男子を財布に使ってた。そんでもって男からあの手この手で金を巻き上げるだけ巻き上げて、本人は別の男と付き合ってたんだ。色んな伝手で調べて回ったら、俺が紹介した男と知り合ってから、本命の彼氏と三回海外旅行に行ってる。その彼氏も彼女もそんなに実家は金持ちじゃない。確実に、俺が紹介した男から巻き上げた金で行ってたんだ」

「金を巻き上げるって脅して盗られたのか?」

「いいや。何か色々、家の修理費とか何かを壊した賠償費とか、そんな口実だったらしい」

「そんな、いかにも嘘っぽい話を信じたのか……。おかしいとその本人は思わなかったのか?」

「その女の子が黒髪のナチュラルメイクで見た目がかなり清楚系だったわけ。キスとエッチもして安心しちゃったらしい、その子が自分のことを本当に好きだって。それに、本当に困ってるって泣き疲れて信じ込んじゃったみたいだ。だから、俺に言われるまで全く疑いもしなかったって」

「そうか……」


 恋は盲目と言うが、そういう状況に陥るまで曇っていた視界は晴れないものだろうか?


「確かに出会った女は最低だったけど、私はその男子も世間知らずで自分におごってたと思うけど」


 飾磨の話を全部聞き終えた後、少しの間を置いて紅茶を飲みながら空条さんが呟く。


「お金で釣って釣られるような女って、その程度の女って分からなかったって話」


 その空条さんの言葉はかなり棘のある言葉だったが、俺の中にはすんなりと理解出来た。

 魚を釣る時、その魚に合った餌を釣り針に掛ける。ミミズを食べる魚も居れば、昆虫を食べる魚も居る。だから、釣りは釣ろうとしている魚に合わせて餌を変えるものだ。


 飾磨の知り合いの男は、自分が他人より裕福な家庭に育ち金銭的に余裕があることを自分のアピール材料にした。それなら、空条さんの言うように男本人よりも金に興味のある女性が多く寄ってくるに決まってる。


「私の知り合いにそういう自分の親のお金をひけらかしてる男が居たけど、そっちの方がまだマシな男だと思うわ。そいつはちゃんと分かってたからね、自分に寄ってくる女がお金目的だって。もっと言えば、そいつは愛をお金で買ってたの。そういう割り切りが出来ないなら、最初からそんなことやらなければ良かったのよ。その男は、自分の身の丈に合ったお金の使い方を知らなかっただけ。良い勉強になったと思うけど?」


 身の丈に合ったお金の使い方。その言葉も俺はなんとなく理解出来た。

 前にテレビ番組で、宝くじで大金を手にした人が、宝くじが当たる前より貧乏になってしまうという話を聞いた。その人は、今まで手にしたことがない大金をいきなり手に入れて、色んな物を買い漁ったりお金を貸したりして、次第にその生活を維持することが出来なくなって破産したのだ。


 普通の大学生が稼いで使うお金には限度がある。きっと、飾磨の話に出てきた男は家が裕福なのだからアルバイトさえしていなかっただろう。そうなると、一般的な大学生の生活レベルも分からない。それに、飾磨の話した嘘っぽい話を信じたというエピソードを聞く限り、やっぱり話に出た男が世間知らずだとしか思えない。


 俺だって金を餌に人を釣れば金しか見ていない人しか集まらないことは分かる。でも、その男はそうは思わなかったのだ。きっと、お金も自分の魅力の一つだと勘違いしていたのかもしれない。実際、そんなことはない。お金を見ている人はお金にしか興味が無い。お金にしか興味が無い人は、お金が無くなったら見向きもしなくなる。


「それで、飾磨は男に女の子を紹介するのに慎重になってるわけね。でも、奥手な男と奥手な女の子を集めてもダメなことくらい飾磨が一番分かってるでしょ? あと、ああいう男女を出会わせようとする会に多野くんを巻き込んじゃダメよ。多野くんには八戸さんって彼女が居るんだから」

「ごめんなさい……」


 小さくなった飾磨はチラチラと俺を見る。何かフォローをしてほしいのだろうが、そんなことを俺に頼られても困る。


「そんなことより、多野くんもお酒飲めるようになったから今度飲み会しようと思うの。飾磨に任せると人が増えるから任せないけど、参加はする?」

「する! するするする! するよ!」

「分かった。店とか日程とか決まったら連絡する」


 凹んでいたが一気にテンションを上げて立ち上がった飾磨を見て、空条さんは小さく口を歪めて笑う。その笑顔を見て、俺は空条さんはやっぱり優しい人だと改めて思った。

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