【一八七《ココロエッセンス》】:一

【ココロエッセンス】


 誕生日は昔から特別感は薄かった。ただ、凛恋と付き合ってから、凛恋や友達から祝われるようになって特別な日であると感じるようになった。しかし、今年は二〇歳――成人になる誕生日であるからか、朝から特別感は例年よりも強かったと思う。


『凡人くん、お誕生日おめでとう!』

「萌夏さん、ありがとう」


 凛恋が夕飯の準備をしてくれている間、俺はノートパソコンの画面に映った萌夏さんに誕生日を祝ってもらった。


『フランスに居てケーキは贈れないけど、頑張って作ってみたんだ!』

「す、すげぇ……」


 萌夏さんはパソコンの前に綺麗なデコレーションがされたケーキを持って来た。ケーキの上には『ハッピーバースデー凡人くん』と書かれたチョコプレートが載っている。その萌夏さんの手作りバースデーケーキは、その辺の店で売っているものよりもデコレーションが綺麗でフルーツが沢山トッピングされていた。


「美味しそうだなー」

『この後、何日かに分けて一人で食べるつもり』

「萌夏さん、忙しいのにありがとう」

『ううん。ホールのケーキを自分で作ることなんてあまりないし、凡人くんがくれたパレットナイフの使い心地が良くて、ホールケーキみたいなクリームをコーティングする大きなケーキが作りたかったの』


 俺がプレゼントしたパレットナイフは気に入ってもらっているようで改めて安心した。


『それで? 凛恋からプレゼントは貰った?』

「いや、まだ何も」

『じゃあプレゼントは凛恋の誕生日ディナーの後だね』

「まあ、凛恋がおめでとうって言ってくれれば、特にプレゼントは必要ないけど」

『またまた~期待してるくせに~』


 相変わらずのからかい笑顔を浮かべる萌夏さんに、俺は照れ笑いを返す。


『あんまり長く話してると凛恋が妬いちゃうから、この辺で切るね』

「ああ。ケーキありがとう」

『ううん。今度会った時にまた凡人くんのために作らせて。じゃあ、またね』


 萌夏さんとのテレビ電話を終えて、俺はパソコンの電源を落とした。

 本心から、凛恋からおめでとうと言ってもらえたらそれで良いと思っている。毎年そうだ。でも、凛恋は毎年それだけじゃない。プレゼントという物自体というよりも、俺に向けてくれる気持ちが、毎年俺の想像を超えてくるのだ。


 凛恋が俺に向けてくれる気持ちは、俺の想像よりも分厚くて熱い。俺は、もう少し薄くして冷ました方が凛恋の負担にならなくて良いと思う。だけどやっぱり凛恋は全力の気持ちを俺にぶつけてくれる。

 俺と凛恋の間にも、少なくない時間が流れた。長い時間を経た恋人達は、やがてそれが普通になって倦怠期というものが訪れるらしい。しかし、俺達は――。


「隙ありっ!」


 隣に膝をついて座った凛恋が頬にチュッと軽くキスをする。そして、人さし指を唇に当てながら微笑んだ。


「もう出来たのか?」

「うん、朝からちょこっとずつ準備してたから」

「運ぶの手伝う」

「ありがとっ!」


 たった数歩。テーブルから台所までの距離。それでも俺と凛恋は指を組んで手を繋ぐ。当の本人である俺から見ても、倦怠期というやつが来ている雰囲気は微塵も無い。


「すご……」


 台所のカウンターに並んだ料理を見て俺は思わず声を漏らす。メインは俺の大好きな凛恋特製のオムライスで、俺の分のオムライスにはケチャップでハートマークと『大スキ』という文字が書かれている。他にも唐揚げやハンバーグ、サラダ、スープも付いていてどこかのレストランのフルコースを頼んだかのような感覚になる。


「凛恋、大変だっただろ?」

「全然! だって、今日は凡人の大切な日じゃん! チョー楽しく作ったよ!」

「ありがとう。凛恋のお陰で最高の日になった」


 凛恋と一緒に買ってきたバースデーケーキもテーブルに置き、テーブルに並んだ豪華な夕食の数々を前にして、俺と凛恋は同時に合掌する。


「「いただきます」」


 俺がどれから手を付けようか迷っていると、凛恋が横からニコニコと明るい笑顔で見詰めているのが見えた。


「今日は出来る限り凡人が喜ぶメニューだけにしてみました!」

「いつもの凛恋の料理も好きだけど、本当に特に好きなやつばかりだなー」

「凡人が好きなメニューにした日の凡人って子供みたいな笑顔になるから、いつもチョー可愛いって見てる。凡人、あーんしてあげるから選んで」

「じゃ、じゃあ、唐揚げを」

「唐揚げね! フーフー、はいあーん!」


 熱々の唐揚げに息を吹きかけて冷ましてくれた凛恋は手を下に添えて俺に食べさせる。


「あーん。んんっ! 美味い!」

「今日はちょっと良いお肉使ったの」


 嬉しそうに微笑んだ凛恋は、俺に向かって軽く口を開く。


「凡人にもあーんしてほしいなー」


 俺は凛恋が食べやすいように小さめの唐揚げを箸で摘み、凛恋の口にゆっくり持っていく。


「あーん! 美味しい! やっぱり凡人にあーんしてもらうとチョー美味しくなる!」

「凛恋の料理が元々美味しいんだよ」

「ありがと。頑張って作って良かった。次はオムライスをあーんしてあげる!」


 いつも以上にサービスしてくれる凛恋がスプーンですくってくれたオムライスを食べながら、俺はさり気なく視線を下に下げる。

 俺が視線を落とした先には、ミニスカートの裾から半分以上さらけ出された凛恋の綺麗な太腿がある。今日は買い物に行った時はロングスカートだったが、部屋に戻って来てからスカートだけミニスカートに凛恋が着替えたのだ。なぜ着替えたのか気にはなるが、それよりもミニスカート姿の凛恋の方が気になってしまう。


「見てる見てる」

「凛恋、もしかして……」

「凡人が喜ぶと思ったけど? 料理してる時もチョー見てたよね」

「や、やっぱり俺を挑発するためだったのか」


 胸の鼓動が早くなるのを感じながら、凛恋の挑発にまんまと引っ掛かってしまった自分の単純さに恥ずかしくなる。しかし、バレてしまったなら仕方ない。


「凛恋の太腿ってなんでこんなにスベスベしてて柔らかいんだろうな」


 開き直って凛恋の太腿に触れながら言うと、凛恋が首を傾げる。


「そう? 凡人が毎日触るからかな?」

「毎日は――触ってるか」

「素直でよろしい。ほらほら、後が支(つか)えてるんだからどんどん食べて」

「後? 何かあるのか?」

「それは、後のお・た・の・し・みっ!」


 なにやら企んでいる様子の凛恋はニコニコ笑いながら自分の分のオムライスをスプーンで口へ運ぶ。俺はその凛恋の横顔を眺めながら、更に胸がドキドキと早く強く鼓動するのを感じた。




 夕食を終えて凛恋と一緒に風呂に入ったが凛恋が先に上がると言いだし、若干の寂しさを感じながら一人で風呂から上がると、香ばしいバターとバニラの香りが漂ってきた。


「凛恋?」

「えへへ。お昼に焼いたら匂いでバレちゃうでしょ? だから、凡人がお風呂に入ってる間に焼こうと思って昼に準備だけしてたの」

「凛恋の手作りクッキーだ! やった!」


 台所で焼き上がりを待つ凛恋の側に行くと、凛恋が俺の腰に手を回して見上げる。


「私と凡人の思い出のクッキーだから」

「凛恋が告白してくれた時に大量にくれたやつだよな」

「そうそう。泣きながら必死に焼いたクッキー」


 クスッと笑いながら凛恋は俺の頭を撫でる。


「今でも思い出すと泣いちゃいそう。凡人ともう話せなくなるってことを思い出すとさ」

「あの時はごめんな」

「本当よ。鈍感凡人がチョー勘違いしたせいなんだからねっ!」


 背伸びをして頬にチュッと軽くキスをした凛恋は微笑む。


「本当にさー、私は最初っから凡人のこと好き好きってアピールしてんのに、全く気付いてくれなくて困ったんだから~」

「だって、凛恋が俺のことを好きになるなんて思いもしなかったんだから仕方ないだろ?」


 相当なポジティブシンキングの人間でない限り、他人から蔑まれ続けてきた自分が、男なら誰しも好意を持つような可愛くて優しい凛恋に好かれるなんて思うわけがない。


「でも、本当にあの時、勇気を出してクッキーを作って凡人の家まで持って行って良かった。それがなかったら、こうやって同棲なんてしてなかったんだし」

「ああ。俺は凛恋の勇気に本当に感謝してる」


 凛恋は告白してくれた当時、俺が凛恋のことを好きだという確信は全くなかったらしい。つまりは、凛恋に対する気持ちを諦めようと決めた俺と同じ状況だったということだ。だから、その状況で告白するというのは相当な勇気が必要だったということは、凛恋と同じことが出来なかった俺が一番分かる。


「粗熱を取ったら出来上がり」


 クッキーが焼き上がり粗熱を取るために凛恋がカウンターの端に出来上がったばかりのクッキーを置く。


「クッキーの前にプレゼントがあるから」

「プレゼント? クッキーじゃないのか?」

「クッキーもプレゼントだけど、まだあるの! そこに座って」

「お、おう」


 戸惑いながら凛恋に言われた通りにテーブルの側に座ると、凛恋が正面に正座してポケットから一枚の封筒を取り出した。それは、俺がよく見る茶封筒ではなく、綺麗な模様の施された手紙を入れる用の封筒だった。


「凡人の性格だと、物をあげると気にしそうだったから、今年は手紙にしてみました!」


 凛恋はゆっくりと封筒の口を開いて中から便せんを取り出す。そして、真っ赤にした顔で照れ笑いを浮かべた後、三回深呼吸をして便せんを開いた。


「凡人、二〇歳の誕生日おめでとう。私達が出会ったのは高一だからもう付き合って四年になるね。私は、この四年間が凄く早かったなって思ったよ」


 凛恋は緊張した様子でゆっくりと手紙を読む。俺はその凛恋の顔を真剣に見詰めて、凛恋の声に意識を集中させる。


「今日まで色んなことがあったね。楽しいことばかりだったけど、お互いに気持ちがすれ違って、それで……別れちゃった時もあった」


 そう声を震わせると、凛恋はポトポトと涙を流した。


「でも、私は凡人に何度も助けてもらって、沢山のピンチを凡人のお陰で乗り越えられてきた。凄く凄く感謝してる。絶対に凡人と一緒じゃなかったら、凡人が居なかったら乗り越えられなかったことばかりだった。私はその凡人への感謝を忘れずに、凡人の彼女として、将来はお嫁さんとして凡人の側に絶対居るから。だから凡人も、これからもずっと私と一緒に居てね。大好き!」


 手の甲で目を拭った凛恋は便せんから目を離して、俺の隣に駆け寄って来て……力強く俺を抱き締めた。


「凡人っ! ずっとずっと一緒だよ?」

「……当たり前だろ」

「絶対だよ? 絶対に絶対、ずっと一緒!」


 抱き締め合う俺達は、自然に体を一瞬離してすぐに近付ける。

 重ねた唇から凛恋の温かさを貰って、更に体の熱を上げ合うように、俺達は互いの熱を伝え合う。

 鼻に嗅ぐっていたバニラとバターの香りが、もっと甘く濃厚な香りに隠される。その香りを放つ目の前に居る綺麗な凛恋の誘惑に、俺はまんまと魅了されて冷静さを失わされる。


「きゃっ!」

「ご、ごめん」


 つい凛恋の肩を押してしまい、床の上に凛恋を押し倒してしまう。すると、真っ赤な顔の凛恋が口を手で隠してクスクス笑いながら、上着のボタンをゆっくりと三つ外す。はだけたルームウェアの胸元からは、真っ白いブラがチラリと見えた。

 俺を下から見上げる凛恋は、俺のシャツの裾を掴んで捲り上げながら微笑む。


「もう一つのプレゼントは、私でも良い?」




 仕事を終えてタイムカードを押すと、古跡さんが手を叩く音が編集部に響いた。


「全員今日は定時よ」

「「「はい」」」


 古跡さんの声に編集部の人達がすぐに片付けを始める。その動きに合わせて、俺もパソコンの電源を切ってデスクの上を片付け始めた。

 隣に座っていた御堂さんは、視線を俺に向けてからタイムカードを押しに行く。それをボーッと見て居ると、反対側から肩に手を置かれた。


「多野くん! ボーッとしてないで行くよ」

「すみません」


 帆仮さんに声を掛けられて、俺は椅子から立ち上がって集合している編集さん達の集まりに加わった。

 月ノ輪出版のビルを出て、幹事である家基さんの先導でまだ明るい街を歩く。


「多野くん、お酒が飲めるようになったからって、最初は加減しないとダメだよ?」

「分かってますよ。初めは軽いやつにします」

「帆仮と平池が飲ませない限り多野は大丈夫よ」

「「なんで私達なんですか?」」


 古跡さんが帆仮さんと平池さんの肩に手を置いてニヤリと笑いながら言う。それに、帆仮さんと平池さんは同時に聞き返した。


「帆仮はテンション上がると飲む手を止めないでしょ? それに他人にも飲ませたがるようになるし」

「うぐっ!」

「平池はこの前の飲み会で酔って多野に男を紹介しろって絡んでたでしょ? 多野が困惑しながらウーロンハイとウーロン茶すり替えてるのも気付いてなかったし」

「はうっ!」


 痛いところを突かれた二人は身を縮ませて俺を見る。いや、俺に助けを求められても困るのですが……。


「今日の主賓(しゅひん)は多野だってことを忘れないようにしなさいよ」

「「はい」」

「俺は皆さんが楽しく飲んでくれれば良いと思うんですけど?」


 飲む前に釘を刺された二人を気遣いながら言うと、古跡さんがニコッと笑って俺の肩に手を置いた。


「そう言うってことは、二人が泥酔したら多野が責任を持って送ってくれるのね?」

「…………帆仮さん、平池さん、ほどほどにお願いします」


 古跡さんに確認されて、それは無理だと判断して帆仮さんと平池さんに頭を下げた。一人なら何とかなるかもしれないが、二人というのは流石に無理だ。

 ビルから離れてしばらく歩くと、食事会でよく使われる店に入る。そして、いつも通りの宴会用の個室に通されると、俺は古跡さんに首根っこを掴まれて上座の方に引っ張られる。


「主賓が下座に座ろうとしない」

「いや、真ん中ってなんか落ち着かなくて……」

「そういう問題じゃないのよ」


 上座に座らされた俺は、左右を副編集長と編集長に挟まれるという大分落ち着かない席順にされる。


「全員座ったわね。全員グラス持って」


 俺は目の前に置かれたオレンジジュースの入ったグラスを持ち上げる。


「今日は多野凡人くんが二〇歳になった祝いの会です。多野がやっと一緒に飲めるようになったことを祝って、みんなで盛り上がりましょう! 乾杯!」

「「「乾杯!」」」


 家基さんの音頭で乾杯をして、みんなとグラスをぶつけ合った後にグッとオレンジジュースを飲む。


「カシスオレンジなら飲みやすいでしょ?」

「これ、カシスオレンジなんですか? 普通のオレンジジュースみたいです」

「カシスオレンジはほとんどオレンジジュースみたいなものだから、初めてお酒を飲む人には丁度良いのよ」


 隣で湯呑みを傾けながら古跡さんが微笑む。


「古跡さんは何を飲んでるんですか?」

「私は芋焼酎のお湯割りよ」

「なんか大人って感じですね」


 焼酎というと爺ちゃんもよく飲んでいた。でも、それと同じくらい日本酒を飲んでいたイメージもある。特に爺ちゃんは熱燗(あつかん)にして飲むのが好きだ。


「芋は独特な癖があるしお湯割りは香りと風味が出やすいから、飲んでみたいなら初めはヨンロクの水割りがおすすめよ」

「ヨンロクの、水割りですか?」

「そう。芋焼酎を四、水を六の割合で割るからヨンロクよ」

「なるほど。ちなみに古跡さんのお湯割りの割合ってどのくらいですか?」

「私のは芋焼酎六、お湯四のロクヨンよ。ロクヨンは芋の香りも味もバランスが良い割り方だと言われてるの」

「そうなんですか。お酒って奥が深いですね」

「まあ、結局は自分の好みよ。家基みたいに日本酒をロックで飲むのが好きなのも居るし」

「家基さんはお酒強いですからねー」


 氷の入ったグラスを傾ける家基さんに視線を向けていると、横から料理がてんこ盛りにされた皿を置かれる。

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