【一八四《オレンジ色のありがとう》】:二

『ヒィーッヒッヒー! ようこそっ! クエスチョンキャッスルへ!』

「ちょっ、ちょっと……なんなのよぉ~……」


 室内に響く音声を怖がる凛恋は、しっかり俺の体に腕を回して抱きつきながら、しきりに周囲を見渡す。


『このクエスチョンキャッスルから脱出したければ、クイズに正解して正しい道を見つけるのだ。ワァーッハッハッハーッ!』


 若干涙目の凛恋をよそに、音声はお気楽にクエスチョンキャッスルの説明をして、室内が一気に明るくなる。すると、しがみついていた凛恋が俺から体を離した。しかし、ちゃんと手は握ったままだし、俺のすぐ側にピッタリ張り付いている。


「ジェットコースターの休憩に全然ならなかった……」

「凄い悲鳴上げてたしな。大丈夫か?」

「チョービックリした……」


 唇を尖らせる凛恋の頭を撫でてやると、凛恋が俺の胸にコトンと頭を付けて小さく息を吐く。


「さっ、気を取り直して行こ。私のために、クエスチョンキャッスルのクイズを全部正解してやり返して」

「分かった。でも、凛恋も協力してくれよ?」

「もちろん! 恋び――未来の夫婦の絆を見せてやるわ!」


 瞳に涙は残っているものの、凛恋は気合いを入れてクエスチョンキャッスルの中を進んでいく。

 クエスチョンキャッスルの通路は一本道で特に迷う要素はない。その一本道の通路を進んですぐに、二つのドアが見えた。


『クエスチョン、ワン。乗っても自分で歩かないといけない馬はなーんだ?』


 スピーカーから聞こえるその音声に問われて俺が答えようとすると、隣に居る凛恋がスピーカーを見上げて指さしながら答えた。


「竹馬!」

『ピンポンピンポン大正解! 右のドアが正解の道だよ!』


 入り口とは違うテンションの音声に従い右のドアを開けて進むと、凛恋が余裕そうに鼻歌を歌い始める。


「ふっふふーん。案外簡単ね」

「最初から難問なわけないだろ? 簡単ななぞなぞから始まって、少しずつ難しくなっていくんじゃないか?」


 話しながら歩いていると、すぐにまた二つのドアが見える。


『クエスチョン、ツー! ミカン、スイカ、イチゴ。この三つの中でみんながどうしても気になってしまう果物はなーんだ?』

「ミカンだ」

『ピンポンピンポン大正解! 正解のドアは左だよ』


 俺がクイズに答えて左のドアを開けると、凛恋が握った手をクイクイっと引っ張って首を傾げる。


「凡人、なんでミカンなの?」

「スイカもイチゴも蔓(つる)になるだろ? でもミカンは木になる」

「ああ! 木になるから、気になるってことね。凡人頭良い!」

「何か凛恋からご褒美がほしいな」


 俺が凛恋に冗談めかして言うと、凛恋は俺の頬にキスをしてニコッと笑う。


「全問正解出来たら、もっと凄いご褒美あげる!」

「よ、よーし。本気で頑張るぞ!」


 もっと凄いご褒美に期待し胸を膨らませていると、また二つのドアが立ち塞がった。


『クエスチョン、スリー! Hになればなるほど硬くなっちゃう棒ってなーんだ?』


 俺はその音声を聞き、その音声が発せられたスピーカーの隣にあるカメラを見る。

 このクエスチョンキャッスルは、こちら側の返答を聞いて正解不正解を判断し道を案内している。ということは、スピーカーの向こう側に居るのは録音された音声ではなく、本物の人間、遊園地の職員ということになる。そして、出題するクイズの問題も職員が決めているのだろう。


 俺に対しては別に構わないが、凛恋に今回の問題を出した職員に不快感があった。しかしまあ、ちょっとした悪ふざけであるだろうと判断して怒りの矛を収めるのが正しい対応だろう。それに、バカバカしいくらいに勘違いさせたいという気しか感じない問題だ。こんな問題で詰まるなんてあり得な――。


「ちょっ、なんて問題出すのよ……答えられるわけないじゃん……」

「…………えっ!?」


 隣から聞こえる恥ずかしそうな凛恋の声に、俺は一瞬固まって我に返り凛恋を見る。すると、横には真っ赤な顔をして俺を見る凛恋が見えた。その凛恋は、俺の顔から視線を俺の下に下げた。


「凛恋、もしかして分からないのか?」

「わ、分かるけどさ! 答えられないし! ほら! 凡人には言えるけど、他の人には言えないことだから……」


 先入観によって柔軟な思考をする余裕がなくなった凛恋から視線を外し、俺はカメラを睨み上げて答えた。


「答えは鉛筆だ」

「へっ? ……――ッ!」

『ピンポンピンポン大正解! 正解のドアは右だよ!』


 俺の答えを聞いた凛恋は、一瞬キョトンとした顔をした後に、一気に顔の赤みを増して俯いた。やっぱり、凛恋は勘違いさせられていたらしい。

 歳を重ねれば純粋な考えではない邪な考えも出る。それは人なら当然のことなのだが、凛恋のそれを顔も知らんやつに弄ばれたのが腹が立った。


「か、凡人?」


 俺が正解のドアを開けて進みながらカメラに視線を向けて、凛恋の腰をグッと抱き寄せる。


「凛恋に恥ずかしい思いをさせたやつに睨みを返したんだ。全く、俺の凛恋になんてこと聞くんだ」

「凡人、そんな本気で怒らなくても良いって」

「怒るに決まってるだろ。凛恋が嫌な思いをしたんだぞ?」

「嫌な思いっていうか恥ずかしいだけなんだけどさ」

「それでも、凛恋に恥ずかしい思いをさせたことは許せない。本当、俺の大事な凛恋に何してくれてんだよ」

「私は凡人がそう言ってくれるだけで十分スッキリするし嬉しい」


 凛恋の言葉と共に、凛恋の腕の温かさと胸の柔らかさに腕が包まれる。そして、凛恋は強く俺の腕を抱き締めた。

 俺と凛恋はその後いくつかのクイズをクリアし、クエスチョンキャッスルの出口を目指して進む。最初はなぞなぞ的なクイズが多かったが、問題が進むに連れて雑学とか時事的なクイズが多くなってきた。


「やっぱ凡人は凄い。電車のドアの引き手が低い位置にある理由なんて知らなかった。確かに、言われてみれば線路側から開ける時は低い位置から開けることになるから、下の方に付いてないと開けづらいよね」

「非常時に外から開けようとしても高い位置にあると開けづらいしな」

「それって知ってたの?」

「いや、実は知らなかったんだけど、多分そうじゃないかって」

「凡人チョー凄い!」


 嬉しそうにはにかむ凛恋は、上機嫌の様子で軽く鼻歌を歌い始める。


「凛恋は時事的なクイズに強かったよな。特に芸能関係とかファッション関係とか」

「ファッションは好きなことだしね。でも、アイドルの方は友達がよく話すしテレビでも良く出てくるから知ってるだけ。そこら辺のアイドルなんかよりも凡人の方が断然格好良いから!」

「別に男性グループのメンバー名を全員答えられたからって嫉妬しないって。俺も三人までは分かるくらいの人達だったし」

「でも、ちょっとは嫉妬したでしょ?」

「ま、まあ……少しは、な?」

「可愛い!」


 凛恋は自分で言っていたようにアイドルが好きというわけでもない。言葉通り、今巷で人気のアイドルグループであるから知っているというだけなのだ。


「ちなみに、あの中で誰の顔が好み?」

「え? 凡人」

「いや、あのグループの中でって話なんだけど?」

「私、凡人以外の男どうでもいいし。強いて言うなら、真井くんは良い人だと思うくらい?」

「ああ、あの人か」


 クイズの問題になった男性アイドルグループ、epic gloryのメンバーである真井義孝(さないよしたか)さんに俺は助けられたことがある。直接手を差し伸べられたわけではないが、俺の両親の問題で世間が好き勝手に盛り上がっている時、あの人がテレビ番組で俺を擁護というか、俺を過剰に非難して追い掛けるマスコミに対する疑問を話してくれたお陰で騒動が落ち着いたということがあった。もちろん俺も、そのことがあったからクイズで真っ先に名前が分かったのも真井さんだった。


「でも、断然凡人の方が格好良い!」


 世間でとんでもない数の女性ファンをキャーキャー言わせるアイドルと比べて俺の方が格好良い。そんなことを言うのは凛恋くらいのものだろう。でも、それを彼氏補正だとかリップサービスなんかとは思わなかった。凛恋は俺のことが一番好きで居てくれている。そう、素直に思えた。


「最後の問題だ!」


 二つのドアを目の前にして、ラストクエスチョンと書かれたプレートを見て凛恋が気合いを入れるように拳を握る。


『ラストクエスチョン! 壁に書かれている漢字の読みを順番に答えよ!』

「うげっ! なにこれ……」


 その音声を聞いてから壁を見た途端、凛恋がそう苦々しい声を発する。

 壁にはプレート上に『孟加拉国』『阿富汗斯坦』『柬埔寨』『以色列』『秘露』と、五つの国名が漢字表記で書かれていた。


 国名の漢字表記は日本の文化ではなく、中国からの伝来の名残だ。新聞みたいな一つの記事での文字数が制限されるようなものでは、アメリカ合衆国を米国と表記したり、グレートブリテン及び北部アイルランド連合王国のことを英国、つまりはイギリスと省略したりする時にも国名の漢字表記は使われる。でも、今では国名を片仮名表記するのが一般的で、国名の漢字表記は一般的じゃない。


「ズルすぎでしょ。最後の最後でこんなの分かるわけな――」

「左から、バングラデシュ、アフガニスタン、カンボジア、イスラエル、ペルーだ」

「へ?」

『……ピ、ピンポンピンポン大正解! おめでとうございます! 全問正解! 脱出のドアは右のドアです!』


 答えられると思っていなかったのか、一瞬スピーカーから聞こえる音声が遅かった。


「凡人! チョー格好良い! なんで知ってるの!?」

「前にクイズ番組で見たんだよ」


 難読漢字の読み、特に国名の漢字表記を問題にするクイズは多い。それこそ、テレビのクイズ番組でも難問として出題される。たまたま、全ての漢字がその記憶の中にあっただけだ。それに、国名を漢字で書けと言われたら出来なかったかもしれないが、読みは書きよりも難易度が低い。


「ヤバイヤバイヤバイ! 凡人格好良すぎだし! あんな難しい漢字サラッと読めちゃうとか流石凡人!」

「凛恋、興奮しすぎだって」


 ピョンピョン飛び跳ねて喜びを全身で表現する凛恋を落ち着かせると、凛恋は自分の胸に手を置いてゆっくりと深呼吸をする。

 興奮して頬をほんのり赤く染めた凛恋は、目をキラキラと煌めかせて俺を見上げる。

 その凛恋の顔が見れたことが、俺にとって一番の豪華賞品だった。




 係員の誘導に従って観覧車のゴンドラに乗ると、凛恋が俺の隣に座って俺へもたれ掛かる。

 ゴンドラの窓から見える外は日が傾き、空をオレンジ色に染めている。もう、遊園地デートも終わりの時間だ。


「豪華賞品が園内の食事券ってビミョーだったよねー」

「でも、一番高いアメリカンハンバーガーがタダになったんだし、お得だっただろ?」


 ゆっくりと上るゴンドラの中、隣同士で笑い合いながら話をする。すると、凛恋は俺の腕を抱きながら両手で俺の手を包み込む。


「また凡人との楽しい思い出が出来て嬉しい」

「これからもっともっと一緒に思い出を作ろう」

「当たり前よ! 凡人とずっとずっと思い出を作り続けるの。毎日色んなことを一緒にやってデートも沢山行って。想像しただけでチョー楽しみ!」


 凛恋と何かを一緒にやったり、それこそデートに行ったりするのは楽しい。でも、俺が一番楽しいのは、こうやって凛恋と何気ない会話をしている時だ。

 凛恋と話している時は穏やかで温かい時間が流れて、特別面白いことや変わったことがなくても楽しい。


 俺の言葉を受けた凛恋が頷いたり首を傾げたり、笑った表情を見せたり困った表情を見せたり、会話は沢山の凛恋を見ることが出来る。それに、凛恋と会話をすればするほど俺は凛恋を知ることが出来る。


 人の心の中は日々移り変わる。その日に経験したことでその人の考え方が一八〇度変わったり、その日に聞いた言葉で人生の岐路を迎えたりする。それを、会話することで感じることが出来る。凛恋の変化――成長に置いて行かれずに、リアルタイムに追い掛けられる。


 俺は不器用だ。融通が利かないし、一つの考えに縛られることが多い。それに、自分は気にしないと思っていても、どうしても過去のことを振り返って気にしてしまう。器用に立ち回ることをやろうとしていても、実際は俺に器用な立ち回りは出来ない。でも、凛恋と居れば、凛恋と歩んでいる道の先には、絶対に幸せが居て、そんな幸せに溢れた日々に巡り逢えると分かる。


 凛恋も俺と同じで器用な人間ではない。だけど、俺は凛恋と居れば器用になれなくても、強くなれるし弱くなれる。凛恋を守ろうと強くなれるし、凛恋になら大丈夫だと弱くなれる。それは、器用不器用よりもずっとずっと大切なことで重要なことだと思う。

 凛恋は自分の胸元に下がったローズピンク色をしたハート型ロケットを手にとってゆっくりと開く。そのローズピンクのハートは夕日に照らされてキラリとオレンジ色に煌めく。


「ありがとうって良い言葉」


 ロケットの中に書かれたメッセージを見て、オレンジ色に染められた凛恋の顔ははにかむ。


「これを凡人が私にくれたから、私はずっと噛みしめてるの。ありがとうって大事だって。これを見る度に、私は沢山の人に支えられてここまで来られたって再認識出来るの。パパもママも優愛も、希や栄次くん、萌夏に里奈と瀬名くんに理緒、露木先生、ステラ。他にも沢山。思い出せば切りが無いくらいの沢山の人が私が今幸せで笑っていられる。……もちろん、一番は凡人だから」


 横を向いた凛恋はゆっくりと俺に顔を近付けて下からすくい上げる様にキスをした。俺は、その凛恋の背中に手を回して抱き寄せる。

 ゴンドラが天辺に登った時、ほんの少しゴンドラの動きが止まった気がした。それはきっと、今の幸せな時間を少しでも長く俺へ噛みしめさせようとしてくれた神様のご褒美だったのかもしれない。


 俺はオレンジ色に染まるゴンドラの中で凛恋にキスをしながら、何度も凛恋へ気持ちを流し込む。

 ありがとう。そして、これからもずっと一緒に居よう。

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