【一八二《表と裏》】:二

 塔成大学にも新入生が入学し、他の大学と同じように当然サークルの新入生勧誘が行われる。

 大学の構内に響く複数の勧誘の声をBGMに、俺は食堂でコーヒーを飲む。すると、毎回恒例になってしまった顔が見えた。


「多野多野~。新年度会するぞ~」

「なんだよ、新年度会って」

「あれだよあれ。新歓の新人居ないバージョン」

「新人歓迎会で新人が居なかったら、それは新人歓迎会じゃないだろ。何を歓迎する気だよ」

「う~ん。陽気な春?」

「陽気になるのは飾磨の頭だけにしてくれ」

「なっ! 多野! いくら俺でも傷付くんだぞ! お詫びとして女の子を紹介しろ!」

「女性に限っては飾磨の右に出るやつなんて居ないだろ。自分でどうにかしてくれ」


 毎度毎度うるさい飾磨の話を適当に受け流していると、飾磨の後ろから飾磨を押し退けて空条さんがニコニコ笑って俺に手を振った。


「多野くんお疲れ」

「空条さんお疲れ」

「ここ座ってもいい?」

「どうぞ」


 空条さんが俺の正面に座ると、空条さんの隣には当然のように飾磨が座る。そして、飾磨は目を細めて俺を指さしながら空条さんに視線を向けた。


「千紗ちゃん! 多野がいじめる!」

「どうせ飾磨が多野くんに面倒掛けたんでしょ? 今度は何したの?」


 空条さんが手に持った紙コップから飲み物を飲みながら飾磨へ言うと、飾磨はギョッとした表情をして空条さんを見返す。


「なっ! 千紗ちゃんが俺じゃなくて多野の味方を!?」

「年がら年中、口八丁手八丁で女の子のお尻を追い掛けてる飾磨より、真面目で誠実な多野くんを信じるに決まってるでしょ? それに、多野くんは理由もなく人をいじめるなんてしない人よ」

「ぐぬぬ……多野の女の子からの好感度が憎い。俺はただ多野に新年度会をしようって言っただけなのに……」

「新年度会? ああ、いつもの食事会?」


 いつも飾磨の食事会に決まって誘われる空条さんは、飾磨の話を聞いただけで大体の話を理解する。そして、俺に視線を向けてニッコリ笑った。


「多野くんは行くの?」

「いつやるかによるな。凛恋のこともあるし、インターンもあるから」

「八戸さんも――って思ったけど、飾磨は予定にない人を連れてくるからね。もし男を連れてきたら八戸さんが可哀想だし」

「し、仕方ないだろ! 女の子と飯食いに行くって聞いたら行きたがるやつが多いんだから……」


 食事会に参加する人数を膨れ上がらせる悪癖のある飾磨は、それを空条さんに指摘されてばつの悪そうに身を縮込ませながら弱々しく反論する。空条さんが言ったように、飾磨の主催する食事会に凛恋を連れて行ったら、初対面の男が居る可能性があり凛恋には辛い状況になる。


「分かった。じゃあ、俺が日程を調節するから、決まった日に都合が良かったら参加してくれ。それで良いだろ?」

「ああ。まあそれで良いなら」

「よーし、これで由衣ちゃんと佳純ちゃんの参加も取り付けられる! あとは千紗ちゃんと奈央ちゃんも参加するよね?」

「奈央は聞いてみないと分からないけど、私は多野くんが参加するなら行く」

「ぐぬぬ……千紗ちゃんまで多野が居ないとダメなのか……」

「だって、飾磨が連れてくる男ってみんなガツガツしてて面倒なんだもん」

「仕方ないんだよ~……世の男が多野みたいに彼女居る男ばかりじゃないんだから」

「言っといてよ。私は彼氏作る気ないから無駄だって。私は楽しく話しながらご飯を食べたいだけなのに」


 小さくため息を吐きながら、空条さんはウンザリした表情で言う。

 空条さんは見た目が美人であるのもそうだが、ざっくばらんな性格で話しやすい。だから、男に好まれるのかもしれない。しかし、それは今の空条さんにとっては迷惑な話でしかないようだ。


「奈央ちゃんは彼氏とか欲しくないのかな?」

「う~ん、良い恋愛はしたいって話はするけど、奈央もガツガツした男は好みじゃないから」

「そっかそっか。確かに奈央ちゃんはスマートにリードしてくれる男が合ってるよな。ウンウン」


 何だか自分の中で納得した様子で飾磨が頷く。宝田さんに合う男を納得して飾磨に何があるのかは分からないが。


「あいつだろ? 文部科学大臣にうちの大学に入れてもらったやつって」

「――ッ!」

「飾磨。座ってろ」


 聞こえてきた声に反応して立ち上がった飾磨に、俺はコーヒーを飲みながら声を掛けてたしなめる。俺にキッと鋭い視線を向けた飾磨は、釈然としないという雰囲気をありありと発しながら乱暴に椅子へ座る。


「多野。前々から言いたいと思ってた。なんであんなこと言わせておくんだ。しかもあいつら一年だぞ? 多野は二年で先輩だ」

「俺は前々から言ってるだろ? ああいう輩の相手をするだけ時間の無駄だって」

「ふざけんな。こっちは友達バカにされたんだぞ」


 腕を組んでむくれた様子の飾磨から視線を外して隣の空条さんに視線を向けると、空条さんは俺の噂話をした男子学生達に視線を向ける。


「……私もああいう人達は嫌い。他人だからって、自分とは関係ないからって面白可笑しく他人のパーソナルな問題を話すなんて。それに、多野くんの話はマスコミが勝手に広めた話で、多野くんは事実じゃないってちゃんと否定しているのに」

「昔からあの手の人間は腐るほど会ってきてるんだ。それに、そういう人間をまともに相手にしたって切りがないことも分かってる。無視するのが一番だ。どうせ、そのうち別の楽しいことについて話し始めて、俺のことなんて頭の中から綺麗さっぱり消えてなくなるんだから」

「たとえそうだとしても、私はやっぱり嫌だな。特に、ああいう多野くんと一度もまともに話したことがない人に言われるのは」


 心なしか空条さんもムッとした表情で自分の飲み物を飲み干す。


「じゃあ、俺はこれから用事あるから。多野、千紗ちゃん、新年度会の予定が決まったら連絡するから! じゃあねー」


 自分の言いたいことを言い終えた飾磨は、さっさと席を立って去っていく。ああいう自分勝手なところも相変わらずだ。


「多野くんはもうお酒飲めるようになった?」

「いや、六月末まで飲めない」

「そっか。私も五月の二二日までは未成年なんだ。お酒飲めるようになったらみんなで飲み会したいね」

「そうだなー。まあ、その時は初めてだから加減しながら飲まないと」


 酒に酔った人間の面倒臭さは爺ちゃんで嫌ほど知っている。だから、俺が飲めるようになったら他人に迷惑が掛からない程度に飲みたいものだ。


「そうだね。私も多野くんと飲む時は、酔っちゃってはしたないところを見せないように気を付けないと」


 クスッとはにかんだ空条さんは俺の後ろを見て首を傾げる。


「多野くん、誰かこっちに来てるけど、多野くんの知り合――」

「こんなところで会うなんて奇遇だね」


 俺は後ろからそう声を掛けられて振り返り、驚きとムカつきを同時に抱いて、視線の先に居た羽村さんを睨んだ。


「担当作家さんがこの大学で公演を頼まれてね。その打ち合わせに同行したんだよ」

「そうなんですか」


 聞いてもいない話をペラペラ話す羽村さんに無難な言葉を返すと、俺の横をチラッと見て口元を歪めた。


「あれ? ごめん、取り込み中だった? でも、あんな可愛い彼女が居るのに浮気なんてダメだよ。彼女を悲しませちゃ」

「あの、勝手なこと言わないで下さい。私と多野くんは友人でそういう関係じゃありません」


 俺を挑発しようとした羽村さんに言い返したのは俺ではなく空条さんだった。


「あなた、月ノ輪出版の羽村さんですよね?」

「あれ? 俺のこと知ってるの?」

「知ってますよ。文芸界の救世主だとかなんとか。でも、この前出した自叙伝は残念だったみたいですね」


 空条さんに言われた羽村さんは穏やかな笑顔を浮かべながら肩をすくめた。


「いやー恥ずかしいよ。社がどうしても書けってうるさくてね。俺の自叙伝なんて売れないって分かってたんだけど――」

「少し前に雑誌のインタビューで、編集者の仕事は売れる本を作ること。たとえ売れないだろうって本でもなんとかして売らないといけない。それが自分の仕事だから……と仕事観を話してましたけど、その仕事観は変わったんですか?」

「く、空条さん?」


 何やら喧嘩腰に見える空条さんに声を掛けて止めようとするが、空条さんは俺を無視して立ち上がり、羽村さんの前に立ってニッコリ微笑んだ。


「私、羽村さんが担当されてる作家さんのファンなんです。それで新刊出る度に買って読んでて。でも、あなたの自叙伝は買わなくて良かったです」


 そこまで明るい口調で話していた空条さんだったが、急に声のトーン落として棘のある口調に変えて言った。


「人を馬鹿にしてる人の言葉ほど人に響かない言葉ってありませんからね。私の友人を馬鹿にしないで下さい。不愉快です」

「…………全く、最近の大学生は尖ってるね。でも、そのくらいじゃないと社会に出た時に潰されちゃうからね。じゃあ、勉強頑張って」


 表情を変えずにそう言って、羽村さんは軽く手を挙げて食堂を出て行く。すると、空条さんが俺の隣に座ってむくれた顔をした。


「多野くん、あの人と何かあったでしょ」

「えっ?」

「多野くんの目、敵を見る目だった。それにあの人の態度、多野くんのことを完全に馬鹿にしてた。でも、言いたくないことなら言わなくて良いから」

「そ、そっか、ありがとう」


 なんだか空条さんの雰囲気に圧倒されながら、何も聞かないでいてくれたお礼を言う。


「それにしても、さっきの話」

「あの人が担当してる作家さんのファンって話は本当。でも、前々からあの人が表に出てくるのは気に入らなかったの。本が売れたのは作家さんの実力だって言いながらも、自分の本の売り方をひけらかして、結局は自分が凄いってことを知ってほしいだけの自己顕示欲の塊にしか見えなかったから。はぁ~…………――ッ!?」


 そう言い終えた空条さんはハッと我に返った様子で自分の頬を両手で挟む。その空条さんの顔は真っ赤に染まっていた。そして、俺の方をチラッと見てはにかむ。


「ごめん。今の忘れて」

「えっ?」


 予想しなかった言葉に首を傾げると、テーブルの上に腕を置いてその上に空条さんは顔を伏せた。


「さっきの私、めちゃくちゃはしたなかったから。冷静になった今考えると、腹黒性悪女にしか見えないし……」

「いや、そんなことないって。理由は空条さんとは違うけど、羽村さんのことが気に入らないのは俺も同じだし。正直スッキリした」

「そ、そう? なら良かった」


 顔を上げた空条さんは顔を真っ赤にしたまま照れくさそうに笑った。

 さっきの羽村さんは冷静な対応をしていたが、内心かなり恥を掻いたはずだ。自叙伝を出していたなんて知らなかったが、それが売れなかったと指摘され、それを自分の意思ではなかったと逃げようとしたところに、自分自身で語った言葉で逃げ道を空条さんに塞がれた。まあなんだ、はっきり言って傑作だった。


「多野くんもそういう顔するんだね」

「そういう顔?」

「誰かの不幸を見て嬉しそうな顔」

「俺は良い人間じゃないからな。嫌いな人がちょっと嫌な思いをしたら、良い気味だと思うくらいはする。まあ、端から見たらどう見ても印象は良くないけど」

「そんなことないよ」


 空条さんは首を横に振って人が悪そうにニヤッと笑った。


「多野くんの良い人じゃないところも見れて、前よりも親近感が湧いた。それに、ただ優しいだけの人よりもそういう裏を見れる人の方が私は信じられるから。これからもよろしくね」

「ありがとう」


 空条さんに差し出された手を握って握手をし、俺と空条さんは互いに人の悪い笑みを向け合った。

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