【一八二《表と裏》】:一

【表と裏】


 新年度になると、色んな店で『新生活フェア』とか『新生活応援セール』なんてものが始まる。しかし、もう既に大学に入学して一年経つ俺は、新生活という感覚が薄い。

 優愛ちゃんとステラは無事にルームシェアを認められ、空き家になっていた俺と凛恋が住んでいる部屋の隣に住み始めた。ただ、それには条件があったらしい。

 その条件は、極力、凛恋や俺の力を借りないこと。


 家事が完璧な凛恋と違い、優愛ちゃんはほとんど家事をしてこなかったらしい。だから、この機会に家事を自分でやるようにとお母さんに言われたようだ。だが、今まで料理をしてこなかった優愛ちゃんが、一人暮らしをしたからと言っていきなり料理が出来るようになるわけがない。


「優愛、切り方が大きすぎ。それじゃちゃんと火が通らないわよ」

「ニンジンは生でも食べられるし……」

「ママに言うわよ? 優愛がちゃんと料理を覚えないって」

「わ、分かった! でも、お姉ちゃん。ここからどうすればいい?」

「見てて、こう切るの」


 台所にエプロン姿で並ぶ凛恋と優愛ちゃんは二人で夕飯の支度をしている。優愛ちゃんは慣れない料理に悪戦苦闘しているが、それを横で教えている凛恋は楽しそうな顔をしている。


「優愛は大変そう」

「ステラ。凡人にちょっかい出したら夕飯抜きだからね」

「……凡人ごめんなさい」

「いや、謝られても困るんだが……」


 凛恋に釘を刺されたステラが心なしか悲しそうなシュンとした表情をして謝る。が、俺はステラにちょっかいを出されたかったわけではない。

 本来なら、優愛ちゃんと共同生活をしているステラも料理をするべきなのだろうが、ステラは料理をして怪我をしてしまったら大変だ。


 ステラは既にクラシック音楽界では知らない人は居ないとまで言われるヴァイオリニストに成長し、進学した音大では特待生として選ばれている。しかも、入学金はおろか授業料と施設費も無償という待遇でだ。しかし、海外の音大からも声が掛かっていたのだから、そのくらいの好待遇をされていても当然だと思ってしまう。


 そんな世界的ヴァイオリニストのステラにとって、手はとても大切で怪我をして上手く動かせなくなっては大変なことになってしまう。だから、ステラのマネージメントをしている会社から、手を怪我するようなことはやらないように言われているそうだ。


「ステラ。ご飯を食べる前にお菓子を食べたらダメだぞ」

「……でも、優愛が遅いから」

「悪かったわね! 鈍くさくて!」


 待ちきれずにお菓子を食べようとするステラを注意すると、台所から優愛ちゃんの声が響く。


「優愛ちゃん、怪我しないようにゆっくりやって大丈夫だからね」

「凡人さん、ありがとうございます! やっぱり凡人さんは優しいな~。ステラとお姉ちゃんと違――」

「私に怒られるのとママに怒られるの、どっちが良い?」

「が、頑張りまーす」


 横からギロッと凛恋に睨まれた優愛ちゃんは、体を強張らせながら料理を続けていた。


「ステラは大学はどうだったんだ?」

「つまらない」

「……」

「講義は話を聞いているだけ。実技も自由には弾かせてもらえない。それに凡人が居ない」

「音大に俺が居たら問題だろ」

「別に凡人ならどこに居ても格好良いから構わない」

「いまいち理由の根拠が分からないんだが……」

「私は凡人のためにヴァイオリンを弾く。それ以外のことはどうでも良い。日本の大学に行くのも凡人の近くに居るた――」

「はい。お待ちどおさまッ!」


 俺の方にグイッとステラが顔を近付けた瞬間、ステラの前に音を立てて皿が置かれる。その皿の上には綺麗なオムライスが載っていた。


「全く、油断も隙もないんだから」


 優愛ちゃんと手分けしてオムライスを運んできた凛恋は、俺を引っ張ってステラから離しながら俺の隣に座る。


「優愛ちゃん?」


 ステラの隣に座った優愛ちゃんが俯いているのを見て、俺は首を傾げながら声を掛ける。俺から見える優愛ちゃんは酷く落ち込んでいるように見えた。


「凡人さん、インターンで疲れてお腹空いてるはずなのに……凄く待たせちゃって……」

「いや、優愛ちゃんは優秀だよ。俺が始めて卵粥を作った時は、優愛ちゃんの倍は時間が掛かったからな」

「え? 卵粥、ですか?」


 顔を上げた優愛ちゃんはキョトンとした顔をして首を傾げる。それを聞いた凛恋は、口を手で隠しながらクスクス笑う。


「私が風邪を引いた時に凡人が作ってくれたの。その時は調理器具のある場所も全然分かってなくて、分量守るためにマグカップの体積を計算してそれで分量を量ったんだって」

「マグカップの体積……プッ! なんか真面目な凡人さんらしい」


 凛恋の話を聞いた優愛ちゃんは小さく吹き出しながら言う。その表情はニコニコ笑っていて明るくなっていた。やっぱり、凛恋と同じで優愛ちゃんも笑っている顔が一番良い顔をしている。


「私も真面目な凡人らしいって思った。きっと、他の人じゃ分量分からなかったら適当にやっちゃうんだろうけど、必死にレシピ通りにやろうとするなんて」

「仕方ないだろ? 俺が食べる物じゃなくて凛恋に食べさせる物なんだから。間違っても失敗作なんか食べさせるわけにいかないんだから。まあつまりは、卵粥よりも複雑なオムライスを俺の半分の時間で作れた優愛ちゃんは凄いってことだ。だから、自信持って少しずつ上手くなれば良いよ」

「凡人さん……ありがとうございます」


 明るく可愛らしい笑顔を浮かべる。その笑顔を見て、改めて凛恋と優愛ちゃんはよく似ていると思った。


「いただきまーす!」


 すっかり元気になった優愛ちゃんは美味しそうにオムライスを食べ始める。

 いつも美味しい凛恋特製オムライスの味だ。優愛ちゃんは不安がっていたが、どこも失敗に思える箇所はない。


「めちゃくちゃ美味しい! 優愛ちゃん、バッチリだよ」

「本当ですか!? やった!」

「あとはスピードを上げることと、無駄口を叩かないようにしないとねー」


 喜ぶ優愛ちゃんに凛恋がツンとした言葉を投げる。でも、表情はとても嬉しそうだった。

 今までは二人だった夕食も四人にもなれば賑やかだ。それに口では色々と文句を言っていても、やっぱり凛恋は妹の優愛ちゃんが大好きだから、優愛ちゃんと一緒に居られるのが嬉しいのだ。


「優愛ちゃんは大学どう?」

「まだ慣れないですけど、講義がよく一緒になる子と話しますよ。それと、壮絶なサークルの勧誘に遭いました」

「まあ、今の時期は新入生を確保しようとサークルが躍起になる時期だからな~」


 新年度と言えばサークルの新人勧誘も風物詩の一つだ。しかし、俺が一年の時もあった気がするが、俺はサークルに入る気がなかったから俺が勧誘を受けた印象がない。


「優愛ちゃんは何かサークルに入るの?」

「音楽系のサークルに入ろうかなって思ってるんです。高校の頃から、ステラに教えてもらいながらピアノとか弾いてて」

「そうなんだ。そういえば、ステラってピアノも弾けたんだな」

「昔、ヴァイオリンと一緒に智恵に教えられた」


 ピアノと言えば、女の子が幼い頃に習う習い事の代表格だ。ただ、宗村さんのことだから、ヴァイオリンの演奏に役立つと踏んで教えていたのだろう。


「ピアノは楽器の中でも特に汎用性が高い楽器。八八鍵盤ピアノが出せる音域はクラシックオーケストラの音域よりも広い。それに、ピアノは極めれば楽器の中で最も難しいけど、ただ単に弾くだけならヴァイオリンよりも遥かに簡単。だから、昔は新譜の練習をする時はピアノで一回弾いて曲全体を感じてからヴァイオリンで弾いていた」

「昔はってことは、今は?」

「ヴァイオリンですぐに弾いてる」

「まあ、そうだよな」


 随分前に、宗村さんにステラのことを聞いたら『一度譜面を流し見ただけで、譜面を見ずに完璧に譜面通り弾くことが出来る上に、吸収が早く指示されたことは全てすぐに完璧にこなす天才ヴァイオリニスト』と言っていた。それを思い起こせば、ステラの言葉もより信ぴょう性がある。まあ、ステラは嘘が器用に吐けるような子でもないし、間違いなく事実だ。


「そっか。でも、俺は楽譜が読めないから羨ましいよ。楽器が弾ける二人が」

「凡人は歌が上手いからそれで良い」

「ありがとう、ステラ。でも、音楽系のサークルってピアノを弾くサークルとかもあるの?」


 褒めてくれたステラにお礼を言って優愛ちゃんに視線を戻すと、オムライスを美味しそうに食べながらニッコリ微笑む。


「軽音楽だとキーボードもありますし。あまり音楽で日本一になろう! とか思ってない気楽なところを探そうと思って。あと、バイトもしたいですし」

「まあ、大学生になると出費もあるしね」

「そうなんですよ~。パパとママからお小遣いも含めた仕送りは来ますけど、やっぱり自由に使えるお金が欲しくて。洋服も買いたいし、化粧品代だってバカにならなくて」

「女の子って大変だな~」

「いや、男子も結構おしゃれすればお金が掛かると思いますよ?」

「俺はおしゃれとか分からないからな~。滅多に服を買うことなんてないけど、その時は凛恋が全部選んでくれるから」

「凡人は飾りっ気ないからね。でも、私好みの格好に出来るから私は嬉しいけど」


 俺は本当に服装について全く分からないから、全部凛恋任せにしている。だから、文字通り凛恋の着せ替え人形状態と言っても良い。

 凛恋はおしゃれが好きで、どうやら俺の格好にもこだわりがあるらしい。高校時代は出掛ける時は適当にタンスの引き出しの手前から引っ張り出した服を着ていた。でも、今は出掛ける時には凛恋のコーディネートタイムがある。その度に凛恋は、俺を見て格好良いと言ってくれる。


 四人で優愛ちゃんとステラの新生活について雑談をしながら食事を済ませ食器を片付けると、優愛ちゃんはまだ残ろうとするステラを引っ張って隣の部屋に戻っていた。そして、丁度二人が部屋を出た時に凛恋のスマートフォンが鳴る。


「萌夏からだ。今すぐパソコン点けてってさ」


 スマートフォンの画面を見ながら凛恋がニヤッと笑って部屋にあるノートパソコンを開いて電源を入れる。どうやら、俺達が送った品物が届いたらしい。

 凛恋が手慣れた手付きでパソコンを操作してインターネット電話のソフトウェアを起動すると、すぐに萌夏さんから着信が入る。


『凛恋! 凡人くん! ちょっ、この荷物どうしたの!?』

「思ったより届くの遅かったわね。春休みにみんなで地元帰った時に選んだの。フランスで頑張ってる萌夏に何か送りたいって。ちなみに、提案者は私の彼氏ね」

『ちょっと……これヤバイって。ホント、マジで泣きそう』


 口の開いたダンボール箱を抱える萌夏さんが声を震わせ、さり気なく手の甲で自分の目を拭う。その様子から、サプライズが成功して喜んでもらっているのが分かって、俺はホッと一安心した。


『それにしても、この大量の下着は凛恋達でしょ。きっちり女子の人数分あるし』


 萌夏さんは嬉しそうな顔をしながら、凛恋に不満そうな声を作って言う。すると、凛恋がクスクス笑ってパソコンの向こう側に居る萌夏さんに軽くウインクをした。


「こういう時じゃないと、良い下着は買わないでしょ?」

『ありがと。みんなセンス良いから結構可愛いの多いし。それと凡人くん、パレットナイフ、本当にありがとう。めちゃくちゃ助かった』


 俺が送ったパレットナイフのセットを持ち上げた萌夏さんがそれを抱き締めながら満面の笑みでそう言う。しかし、俺はそれに首を傾げた。


「送っておいてこういうことを言うのはなんだけど、もうパレットナイフは持ってたんじゃないか?」

『当然持ってたよ。でも、私が使ってたのは高校の頃にお小遣いで買った安物でさ。良く持った方なんだけど今日壊れちゃったの』

「え!? ってことは、凡人のが届いたその日に壊れたってこと!?」

『そう! だから凄い良いタイミングだったの! 本当に凄い!』


 興奮した様子でパソコンの画面にパレットナイフセットの箱を突き出した萌夏さんは、満面の笑みで再び箱を抱き締める。


『しかも、これ先輩のパティシエールも使ってるやつなの。先輩が日本製は質が良いからわざわざ日本から取り寄せてるって話してて、ずっと欲しいなって思ってたの! 凡人くんありがとう!』

「パレットナイフは持ってると思ったけど喜んでもらえて良かったよ。スタージェ先では上手くやれてる?」

『うん! フランスでも名店中の名店にスタージェさせてもらって、日本に居る時よりも毎日勉強になってる! さっき話した先輩パティシエールが私のことを凄く気に入ってくれて、今日から最初から最後までケーキを一品作らせてもらえて。流石にお店には出せないけど、良いところとか悪いところとかを具体的に教えてくれて』


 萌夏さんは嬉しそうに身振り手振りを交えて、スタージェ先での出来事やフランスの街での出来事を面白可笑しく話す。

 俺と凛恋は並んで座り、優愛ちゃんとステラもパソコンの画面を見ながら、その楽しそに話す萌夏さんの話に笑顔で耳を傾けた。

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