【一八〇《煩えば煩うほど重なる思い》】:一

【煩えば煩うほど重なる思い】


 毛がフサフサと生えた背中を撫でると、縁側で伏せていたモナカは少し頭を持ち上げて俺を見上げる。

 温泉旅行から実家に帰ってきた俺は、モナカとまったりしながら考え事をしていた。


 考えていたのは、フランスに居る萌夏さんのことだ。

 フランスに居て日本へ帰って来られない萌夏さんに何か出来ないか、朝からずっとそう考えてはいるが妙案は何も浮かばない。


 モナカは首をクイッと傾げて俺を見上げている。もしかしたら、俺が悩んでいるのをモナカなりに心配してくれているのかもしれない。

 やっぱり、何か物を送るのが良いのかもしれない。


 スマートフォンでちょっと調べた感じでは、留学している人は日本の常備薬が貰って嬉しいらしい。しかし、そういう物は俺ではなく萌夏さんの家族が送っているだろう。

 だとしたら、俺は萌夏さんの家族が送らない物かつ、萌夏さんが喜ぶ物が良い。


「そんな都合の良い物が思い付いたら困ってないんだよな~」


 モナカの頭を撫でながら呟くと、モナカは立ち上がって俺の膝の上に乗っかって丸まる。今度は、俺を慰めてくれているのかもしれない。


「凡人お兄ちゃん、どうしたワン? 何か悩み事があるワン?」


 庭から凛恋の声が聞こえてモナカから庭へ視線を向けると、手を犬の前足のように曲げて首を傾げる凛恋が見えた。とんでもない破壊力の可愛さだ。


「凛恋、もう一回」

「凡人、大好きだワン!」


 モナカのモノマネを放棄して俺に抱き付いた凛恋は、優しく俺の頭を撫でる。


「何考えてたの?」

「萌夏さんに何か喜ぶ物を送れないかなって思って」


 抱き付いた凛恋を抱きしめ返しながら言うと、凛恋はニィーっと笑って少し強めに頭を撫でてくれる。


「凡人はチョー優しいよね! 私も良いと思う! さっそく、みんなに連絡して集まろ!」


 凛恋はスマートフォンを手慣れた手付きで操作してみんなへ連絡を取り始める。

 俺と凛恋、希さんと栄次、そして瀬名と里奈さんは地元に居るだろうが、理緒さんはまだ帰って来ていないはずだ。それに、真弥さんも今は仕事中に決まっている。


「理緒、昨日の夜に帰って来たんだって」

「そうなのか?」

「うん。みんなが揃ってるなら早めに帰るって帰ってきたらしい」

「じゃあ、みんなで萌夏さんへのプレゼント探しだな」

「うん!」


 真弥さんを交えて集まる日は別にあるが、その前にみんなで集まるのも良い。多分、真弥さんも萌夏さんに何か送りたいと言うだろう。それにみんなで集まることを言わなかったら、仲間外れにされたと拗ねてしまいそうでもあるし、後で話をしておいた方が良いだろう。


「凡人が萌夏の貯めに何かしたいって言ってくれて、めちゃくちゃ嬉しい」

「親友なんだから当たり前だろ?」

「そうだけど、それでも嬉しいの!」


 本当に嬉しそうに微笑んだ凛恋は、空を見上げながら言う。


「私もフランスで頑張ってる萌夏に何かしたいって思ってたから」


 その凛恋の表情は明るさの中に寂しさを感じさせた。

 凛恋も当然、萌夏さんが気軽に会えないフランスに行ったのは寂しいに決まっている。いくらインターネットで顔を見て会話が出来ると言っても、実際に一緒に会って遊ぶのとは違う。しかし、萌夏さんが夢に向かって頑張ってるというのも当然分かっているから、明るく応援したいという気持ちもあるのかもしれない。


「みんなが来るまでもう少し待ってようか」


 指を組んで俺の手を握った凛恋は、俺にもたれ掛かりながらモナカの背中を撫でる。

 暖かな日光が当たる縁側に座りながら、俺は隣からホッとする温かさを感じた。




 女三人寄れば姦(かしま)しい。なんて言葉があるが、今は凛恋、希さん、理緒さん、里奈さんの四人が寄っているからその騒がしさも三人より遥かに大きい。

 萌夏さんに何か送ろうと考え、みんなで萌夏さんへ送る物をショッピングモールへ選びに出た。しかし、その光景は、いつもみんなと遊んでる時とあまり変わらない。


「希達は良いけど、俺達はどうする? 萌夏さんの好みそうな物って言われても難しいからな~」


 隣で栄次が困り笑顔を浮かべながら、目の前にあった熊をモチーフにした置き時計を手に取った。

 言い出した俺だが、栄次と同じように萌夏さんへ送る物はまだ決めていない。


「萌夏さんに贈り物なんて、優しい凡人らしいね」


 猫をモチーフにした置き時計を両手で持った瀬名が、俺の方をニヤニヤしながら見ている。どうやら、俺の友達はどいつもこいつも俺をいじるのが好きらしい。


「俺をからかってる場合か? 里奈さんがこの前、瀬名が頼りないって愚痴ってたぞ」

「えっ……」


 俺が真正面にあるパンダをモチーフにした置き時計を睨みながら言うと、隣から瀬名のか細く消え入りそうな声が聞こえた。すると、反対側から栄次に肘打ちをされて睨まれる。どうやら「余計なことを言うな」と言いたいらしい。


「凡人みたいに頼れる人と僕は違うから……」

「そうだよ。瀬名には瀬名の良い所があるだろ?」


 テンションの落ちた瀬名を栄次が声を掛けて元気付ける。しかし、それでは瀬名と里奈さんの問題は何も解決しない。


「デートに行く時も行き先は全部里奈さんが考えて、デートで飯食う時の席も里奈さん任せで、終いにはホテルに誘うのも里奈さんからって嘆いてたぞ。流石に、ホテルの件は凛恋に言ったみたいだけど」

「カズ。瀬名には難しいって。特にホテルはさ」


 肩に手を置いた栄次が、その辺にしておけと言うような表情で話を止めさせようとする。しかし、俺は視線を瀬名に向けて話を続けた。


「別に毎回リードしろとは言わない。それに、問題なのはそれで里奈さんが"瀬名から好かれてるか不安"に思ってることだ」

「…………」

「もうちょい積極的に色々やってみろ。それできっと里奈さんも喜んでくれるだろ」

「う、うん……」


 俺の言葉に応えた瀬名の返事は大分弱々しかった。

 栄次が言ったように、引っ込み思案というか大人しい瀬名にとって、いくら彼女であると言っても女性相手に積極的になれというのは難しい。ただ、難しいからやらなくていいと言って放置して困るのは、俺と栄次ではなく瀬名自身だ。


 里奈さんの瀬名に対する不安は決して大きいものじゃない。むしろ、瀬名の性格をちゃんと理解している里奈さんだから、そんな瀬名の頼りなさに里奈さんは可愛げさえも感じている。だが、今はそれで済まされていても積もり積もればどうなるかは俺に分からない。

 人と人は些細なことですれ違い勘違いをして心の距離が離れてしまう。実際には離れていないとしても、離れたと感じてしまうものだ。俺は、それを痛いほどに何度も何度も経験している。そういう辛い思いを、出来るだけ自分の友達にはしてほしくない。


「まずは自分から手を繋いでみろ。さっきも里奈さんから手を繋いでただろ? そういうところから少しずつ始めて慣れて行くんだ」

「で、でも……」

「何を心配することがあるんだ。里奈さんは瀬名の彼女だろ?」

「う、うん。わ、分かった」


 さっきよりも声に力強さが出た瀬名は、手に持っていた置き時計を陳列棚に戻し里奈さん達の方に歩いていく。そして、里奈さんの後ろにそっと近付いて、里奈さんの手を握った。

 なんだろう……彼女と手を繋ぐ彼氏というよりも、心細くてお母さんの手を握る子供のような握り方だった。それに、今じゃなくて次の店に移動する道中に繋げば良いのだが……。


「まあ、良いか。里奈さんが嬉しそうだし」


 瀬名に手を繋がれた里奈さんは、嬉しそうに顔を綻ばせて瀬名と一緒に商品を選ぶ。すると、瀬名と里奈さんを二人きりにするためか、凛恋達が俺達の方に歩いてきた。


「瀬名くん可愛い」


 隣に立った凛恋が俺の手を握りながら、仲睦まじく手を繋いでいる瀬名と里奈さんを眺めてクスクス笑う。


「ぎこちないけど、一生懸命男らしくリードするぞって頑張ってるのが分かる。なんて言って背中を押したの?」

「俺は何も言ってない」

「それはないね」


 凛恋の質問に答えると、ニッコリ笑った理緒さんが言った。


「瀬名くんは自分から積極的に行くタイプじゃないし、栄次くんはどちらかと言うと背中は押さずに、余計なことを言わないように励ますだけに終わらせるタイプだから」

「うんうん。多分、凡人くんらしく不器用に背中を押したんだろうね」


 最後ににんまり笑った希さんがそう締めくくり、凛恋を合わせた三人で俺を見て笑う。栄次は、希さんと手を繋ぎながら苦笑いを浮かべていた。


「カズ、女性陣にはお手上げだな」

「高校の時からだろ?」


 栄次に「読まれてるな」という視線を向けられながら言われ、俺は肩をすくめて言って瀬名と里奈さんに再び視線を戻す。

 瀬名は頑張って手を伸ばしたし、後はいつも通り里奈さんが引っ張って行くだろう。


「それで? 凡人は萌夏に何を買うか決めた?」

「いや、それがさっぱりでさ。栄次と瀬名の三人で頭をひねってたけど、良い物はまだ思い付いてない」

「まあ、男の子は悩むかもね。でも、凡人が真剣に考えてくれて選んだ物なら萌夏は絶対に喜ぶよ」

「でも、萌夏さんが本当に喜ぶ物が良いんだよな」


 親友が選んでくれた物だから。そういう理由が無ければ喜べない物じゃなく、本当にただその物があるだけで喜べる物を送りたい。


「うん。そうやって真剣に考えるのが凡人の良いところだし、私も一緒に考える」

「凛恋の方は決まったのか?」

「決まったよ。女子陣全員」


 ニヤリとしたり顔で凛恋が言うと、希さんと理緒さんも同じように笑う。その顔を見て、俺の頭には「嫌な予感がする」という言葉が浮かんだ。




 俺達は買う物が決まったという女性陣に連れられて次の店に向かった。そして、着いた先で振り返った凛恋に視線を向ける。


「凛恋……ここって?」

「見て分かるでしょ? ランジェリーショップ。私達は、それぞれ萌夏に可愛い下着を贈ろうって決めたの」

「なるほど」


 なるほど、とは言ってみたものの、友達から下着を貰って嬉しいのだろうか? という疑問が浮かぶ。ちなみに、俺は栄次と瀬名から下着を貰っても一ミリも嬉しくない。むしろ、気味が悪いとさえ思う。


「男子陣は待っててね。流石に中までは連れていけないし」

「分かった。俺達は他の店で探してる。カズ、瀬名、行こう」


 希さんと話していた栄次が先頭に立ちランジェリーショップから離れていく。

 ランジェリーショップから大分離れた位置に来てから、栄次が俺を見てニヤッと笑った。


「正直言うと、希と入ってみたかったな~」

「彼女と女友達にプレゼントする下着を選びたかったのか?」


 俺がからかいたっぷりに言うと、栄次が爽やかな笑顔で首を横に振る。


「違う違う。希の下着を選びたかったなって。カズも瀬名も思うだろ?」

「ちょ、ちょっとだけ……」


 親指と人さし指で隙間を作った瀬名が照れくさそうに笑って言う。こういうところは、見た目に反して男らしい。


「俺は凛恋とスマートフォンで下着を選ぶからな。凛恋にどんなのが好きって聞か――」

「「その手があった!」」


 目を見開き声を揃えて言った二人を見て、俺は小さくため息を漏らした。


「…………嬉しそうで何よりだ」


 こっちは萌夏さんに何をプレゼントしようか迷っているというのに、二人揃って気楽なものだ。


「二人は何を送るか決まったのか?」

「俺は萌夏さんの好きな歌手の新曲CDかな。インディーズの人達だから、向こうじゃ手に入らないだろうし」

「な、なるほど」


 栄次の案はかなり良い物だった。

 最近はインターネットで全世界の色んな場所から物が買えると言っても入手し辛いものもある。萌夏さんの好きなインディーズアーティストのCDなら、きっと萌夏さんは大喜びするはずだ。


「瀬名はまだ決まってないんだろ?」

「僕は筆記用具にしようかなって。日本の筆記用具は質が良いし、これも向こうじゃ手に入らないと思うし」

「な、なるほどな……」


 瀬名までいつの間にか決まっていて、買う物が決まっていないのは俺だけになった。


「二人共、俺だけ別行動にさせてくれ。一人でじっくり考えたい」

「分かった。じゃあ、後で合流しよう」


 俺は栄次と瀬名と別れ、一人でショッピングモールの通路を歩き出す。

 みんな決まっていて俺だけ決まっていない。そう考えると、俺だけ萌夏さんのことを真剣に考えていなかったように思えて来てしまった。きっと、みんなよりも真剣に考えられていなかったから、まだ何も決まっていないのだ。


「はぁ~……」


 一人で通路を歩きながらため息が漏れる。

 真剣に考えていなかったわけではない。少なくとも、俺自身は俺が適当な思考でずっとショッピングモールを歩き回っていたとは思っていない。でも、実際にはずっと歩き回っていたのに何も思い付いていない。


 深い浅いの話をすることではないが、栄次や瀬名と比べたら俺と萌夏さんの関係は深いと思う。単に一緒に経験したことが多いだけではなく、一緒に経験して喜んだり悩んだり悲しんだことが二人に比べたら多いからだ。だけど、俺は萌夏さんの好きなアーティストのCDも、萌夏さんが留学先で絶対に使うであろう筆記用具も全く思い付かなかった。


 何も思い付いていない俺は、当てもなくショッピングモールの中を歩き回り、通り過ぎる店々を横目に見ながら首を横へ振る。

 女の子が好きそうな小物雑貨も違う。洋服なんて俺のセンスで選べる物じゃない。アクセサリーなんて男友達からプレゼントする物じゃない。……萌夏さんの告白を断った俺からなんて尚更だ。


「……俺から貰っても、萌夏さんに気を遣わせるだけなのかもしれないな」


 俺は萌夏さんからの告白を断っている。そんなやつからプレゼントを貰っても、気持ちの向け方に困ってどうすれば良いか分からないだけかもしれない。だから、俺はただただ迷惑なだけのことを萌夏さんにしようとしているのかもしれない。


「俺が萌夏さんから何か貰ったら……いや、迷惑なんて思わない」


 俺は、萌夏さんと俺の立場を入れ替えて考え自分を鼓舞する。告白云々に気まずさはあっても、萌夏さん自身には気まずさなんてない。素直に、萌夏さんが俺のために何かを選んでくれてプレゼントしてくれたなら嬉しい。だけど……やっぱり自分に置き換えて大丈夫だからと言って、素直にそのまま突き進めない。


「キッチン用品か」


 ふと立ち止まって横を見ると、キッチン用品の専門店が見えた。

 萌夏さんはパティシエ、正確にはパティシエールになるために製菓専門学校へ行きフランスへ留学した。キッチン用品の専門店に行けば、普通の料理道具以外にも製菓の専門道具があるかもしれない。


「製菓の勉強をしに行ってるんだから、道具は持ってるに決まってるだろ……」


 独り言を呟いて自分の考えを否定しながらも、俺はキッチン用品店の中へ足を踏み入れる。

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