【一七二《想い合う愛》】:二
大学入試の二次試験から約二週間。ほぼ同時期に全国で大学入試二次試験の合格発表が行われる。そして、もちろん成華女子大学の合格者も今日発表される。
部屋で朝食を食べる凛恋の箸の進みが遅い。その凛恋の目は、自分のスマートフォンの画面に向けられている。そのスマートフォンの画面には、優愛ちゃんの受験番号が書かれた受験票を撮った画像が表示されている。
俺の時もそうだったが、今はほとんどの大学のホームページで合格者の受験番号が発表される。だから、優愛ちゃんも家のパソコンか自分のスマートフォンで合格発表を確認するはずだ。
凛恋も合格発表を確認するんだろうが、まだまだ合格発表の時間まで時間がある。しかし、凛恋は朝起きてからずっと、スマートフォンの画面を見ている。
一足先に朝ご飯を食べ終えた俺は、凛恋の隣から凛恋の横顔を見る。上の空な顔でボーッとしている凛恋の頬を軽く指で突いて見ると、凛恋がチラリと俺に視線を向けた。
「凛恋、ちゃんと食べないと腹減るぞ」
「うん、分かってる」
分かってると言いながらも、箸を動かす速度は変わらず、むしろ箸の動きが止まってしまった。
「凛恋、ボーッとしてるとスカート捲るぞー」
「良いよ。どうせいつも凡人は覗いてるし」
「うぐッ!」
凛恋の気を逸らそうとふざけてみたら、淡々とした口調で言い返されてしまう。いや、確かに見てるし、見ていることを凛恋も分かっていると知っていたが、あえて言葉に出されるとダメージが大きい。
「凡人、一緒に大学までついて来てくれない?」
「良いぞ。凛恋と一緒ならどこでもついて行く」
横から凛恋の腰に手を回すと、凛恋は緊張した表情を緩めて俺にもたれ掛かる。
「まずはご飯をしっかり食べてからな。ご飯食べた後に出て行けば、丁度いい時間になるだろうし」
「うん。…………あー、無理。チョー怖い……」
「真弥さんが、優愛ちゃんの自己採点の結果もかなり良かったから合格間違いなしって言ってたぞ」
「でも、結果見るまで全然安心出来ないんだもん……。ほんと、凡人が居てくれて良かった。私一人じゃ絶対に見に行けないし、家でも見られないし」
やっと箸を動かし始めた凛恋は、ため息を吐きながらブツブツと話す。その、若干の不貞腐れ具合もまた可愛い。
「凛恋ってどうして、そんなに可愛いんだろう」
「えっ!?」
ふと思ったことを口に出すと、凛恋がぴょんと跳ねて声を裏返らせる。
「いや、だって怒っても可愛いし不貞腐れても可愛いし。凛恋は何やってても可愛いから、どうしてかなって思って」
「ちょっ、それチョー照れる」
「恥ずかしがるのも可愛いんだよな~」
恥ずかしがって俯く凛恋を見ながら言うと、凛恋の顔が一気に赤くなる。
「そんなこと言ったら、凡人は何やっても格好良いじゃん!」
「いや、それはないな」
「そんなことない! チョー格好良い! それに凡人は格好良いだけじゃなくてチョー可愛いし!」
「それはもっとないな」
「そんなことない! 寝顔とかチョー可愛いし、晩ご飯作ってる時に後ろをうろちょろしてるのも可愛い! それに、必死に私のことを励まそうとしてくれてるのは、格好良くて可愛くてズル過ぎ」
ご飯を食べ終わった凛恋は、箸を置いて俺に抱きつく。
「凡人が一緒に居てくれると凄く安心出来る。いつもありがとね」
「俺の方こそ、凛恋には家事だけじゃなくて沢山助けてもらってる。凛恋が側に居て励ましてくれるのが、毎日力になってる」
凛恋の背中に手を回しながら言うと、凛恋は俺の胸にグリグリと顔を擦り付ける。
「チョー嬉しいしチョー照れる。ちゃんと凡人のためになれてるって嬉しい」
「凛恋は俺のためにしかならないぞ」
「私も、凡人がしてくれること全部私のためにしかなってない」
凛恋は俺の両手を握りまた顔を近付けてキスをしようとする。しかし、その顔の動きを止めてニッコリ笑った。
「これ以上盛り上がっちゃうと、時間忘れちゃいそう」
「そうだな。合格を確認しに行って優愛ちゃんにおめでとうって電話しよう」
「うん!」
準備を済ませた俺と凛恋は手を繋いでアパートを出る。
成華女子までの道のりは俺も知っているが、いつも通い慣れた凛恋が先導する。ただ、先導すると言っても、凛恋は俺の隣をピッタリ寄り添って歩く。
成華女子が近付くにつれて、女性の話し声が多く厚くなってくる。その話し声が、大人よりも幼い声であるのがはっきり分かってきた頃には、周囲の風景も変わっていた。
制服を着た若々しい少女達が、同じ制服を着た別の少女や母親らしき大人と一緒に同じ方向へ歩く。歩く先は俺達と同じ、成華女子大学。
同じ方向へ歩くみんなが、大学合格を信じて歩いている。しかし、この中で何人かが喜び、何人かが悲しむ。
成華女子の校門の前に行くと、凛恋が立ち止まって俺の手を握りしめる。
「大丈夫」
一瞬立ち止まった凛恋は、俺にそう言ってすぐに歩き出す。
凛恋と一緒に校門を抜けると、入ってすぐの場所に人だかりが出来ていた。その人だかりの奥には、白い布が掛けられた大きな看板がある。
合格者番号が書かれているであろうその看板に、看板の前に集まった人達の視線が注がれる。みんな期待と不安で心臓が押し潰されそうな顔をしている。
ざわつく看板の前に出来た人混みの後ろから、俺は凛恋の手を強く握って一歩足を踏み出す。
女子大の合格発表だからか周囲は女性ばかりで、男の俺は少し浮いている。
白い布が被せられた看板が近付き、俺と凛恋は並んで看板を見上げる。その瞬間、被せられた白い布が取り去られた。
無数の数字が並ぶ看板の前に一瞬の沈黙が流れた。しかし、その沈黙はすぐに掻き消える。
「やったっ!」
「あったっ!」
看板の前に歓声が鳴り響き、周囲の制服を着た少女達が飛び跳ねて喜びを表す。しかし、その喜ぶ少女達の周りには、俯いて地面を見つめている少女達も居る。
周囲で明と暗の入り混じる中、隣に居る凛恋は俺の腕にしがみついて両目をきつく瞑っている。
俺は看板を少し見渡してから、凛恋の肩に手を回した。
「凛恋」
俺が凛恋の名前を呼びながら凛恋の体を揺すると、凛恋はゆっくりと目を開いて看板を見る。その凛恋の目は、どんどん潤んで揺らめいていく。
「かずとっ……かずとっ…………」
凛恋の目から溢れた涙を俺が手の甲で拭ってやると、凛恋は俺の胸に顔を埋めてしがみつく。
「かずとぉ……あったぁっ……」
「あったな。流石、優愛ちゃんだ」
ずっと優愛ちゃんのことを心配して心配して、心配し抜いて、それでやっと安心した凛恋は、一気に心の堰(せき)から気持ちが溢れて感極まる。
俺は凛恋の背中を擦りながら、看板に書かれている優愛ちゃんの番号を見る。
優愛ちゃんは見事、成華女子大学に合格していた。優愛ちゃんの実力を考えれば、万が一にも不合格なんてことはあり得なかった。でも、実際に合格を確認すると俺も安心出来る。
手の甲で凛恋が目尻を拭う。しかし、まだ泣き止んでいない凛恋は、口をキュっと結んで溢れる涙を抑えようとする。
優愛ちゃんの合格を確認し終えて、俺は凛恋の手を引いて成華女子大の校門を出る。
「凛恋、ゆっくり出来るところに行こう」
俺は凛恋の手を引いて成華女子大から近い喫茶店の、パーティションで遮られた最奥の席へ座る。店内には適度な音量のジャズか流れてうるさ過ぎず静か過ぎず、落ち着ける雰囲気になっていた。
「凛恋、ホットミルクティーで良いか?」
「うん」
グスグスと鼻をすすりながら泣く凛恋に微笑ましさを感じながら、俺は店員さんへ注文をする。ただ、注文を取りに来た女性店員さんから、泣いている凛恋と俺を交互に見られて、俺に白い目を向けられたが。
運ばれて来たホットミルクティーを一口飲んだ凛恋は、小さく息を吐いてから、長いため息を吐く。
「はぁ~~……本当に良かった。心臓が止まるかと思ったし」
「優愛ちゃんの成績なら確実に合格だったけど、実際に確認するとやっぱり安心するな」
俺がホットコーヒーに口を付けると、正面に座る凛恋が深々と頭を下げた。
「凡人、本当にありがとう」
「なんだよ急に」
「だって、夏も冬も、優愛のために時間作ってくれて勉強を教えてくれたじゃん。優愛が言ってた。凡人に教えてもらってから、成績が上がったし、問題を解くスピードが上がって余裕が出来たって。きっと、優愛が合格出来たのは凡人のお陰だから」
「一番大きいのは優愛ちゃんの努力だ。その次が、優愛ちゃんの周りの応援だろ? 俺はその応援の一部だっただけだ。ほら、俺にお礼言う前に優愛ちゃんにおめでとうって電話してあげろよ」
「うん。ありがと」
ホットミルクティーを飲んで大分落ち着いた凛恋は、スマートフォンを取り出して電話を掛け始める。すると、電話が繋がった瞬間、優愛ちゃんの明るい声が聞こえた。
『お姉ちゃん! 受かった!』
音は遠くて僅かに聞き取れる程度の優愛ちゃんの声だが、ジャズが流れる店内で聞こえるのだから、それなりの大きさなのは分かる。
「優愛、おめでとう。やったね」
『お姉ちゃんのお陰だよ! お姉ちゃんがくれた合格祈願のお守りと、お姉ちゃんが作ってくれたハンバーグとオムライスのお陰っ!』
「もうっ。私の格好良い彼氏が勉強教えてくれたことと、ケーキをご馳走してくれたことは?」
『あっ! 凡人さん居る?』
「もちろん居るわよ」
そう言った凛恋は、スマートフォンを俺に差し出す。そのスマートフォンを耳に当てると、優愛ちゃんの明るい声が聞こえた。
『凡人さん、無事合格出来ました!』
「優愛ちゃんおめでとう。良く頑張ったね」
『自信はあったんですけどね。実際に合格って聞くとやっぱりホッとします』
「俺も優愛ちゃんなら絶対に受かるって思ってたけど、合格発表を確認してホッとした」
『ありがとうございます。この後、パパに電話しようと思います。きっと心配してると思うから』
「そっか。きっと会社でやきもきしてるだろうし、早く電話してあげなよ。凛恋に替わ――」
『あっ、凡人さん』
俺がスマートフォンを凛恋に戻そうとすると、優愛ちゃんが呼び止める。
『凡人さんと居れば安心ですけど、お姉ちゃんのことお願いしますね。お姉ちゃん、凄く心配してくれてたから、安心してきっと気が抜けてますし。そういう時のお姉ちゃんって本当に危なっかしいんで』
「分かった。任せといて」
優愛ちゃんの照れくさそうなクシャッと笑った顔が想像出来る声に、俺は小さく笑って返事をする。そして、俺は凛恋にスマートフォンを差し出して返した。
スマートフォンが返ってきた凛恋は、一言二言……いや、三言四言と優愛ちゃんと話す。
凛恋はずっと優愛ちゃんを心配し続け、優愛ちゃんは自分を心配する凛恋のことを心配していた。互いが互いをよく知っているからこそ、二人はそうやって想い合うことが出来る。
本当に仲が良くて、本当に良い姉妹だと思う。
いつの間にか泣いていた影も形もない明るい笑顔になった凛恋の顔を見ながら、俺は少しだけ冷めたコーヒーを一口飲む。
冷めたコーヒーが流れ込んだ胸の中では、ほんのりと優しく温かい気持ちが湧いていた。
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