【一七二《想い合う愛》】:一
【想い合う愛】
暦の上では春にはなったが、体の周りを漂う空気はまだ冷たい。そんなまだ冬と呼んでも良いような春のとある日に、駅の改札を見ながら、俺は隣の凛恋に視線を向ける。
さっきから五分も経たずに時計を何度も何度も確認している凛恋は大分そわそわしている。落ち着きがないとは思うが、仕方がないとも思う。
「新幹線、遅れてるのかな~。もし停まってたらどうしよう……」
「雪も雨も降ってない日に停まるなんて滅多にないだろ。それに、電光掲示板には予定通り着くって書いてあるだろ?」
「そんなこと言ったって、優愛の人生が掛かってるのよ! 今日くらいちょっと早めに着いても良いじゃん」
「凛恋、世界で最も時間に真面目な公共交通機関に無茶を言うなよ……。それに、優愛ちゃんの試験は明日だ」
「そーだけどさー……」
妹を想うがゆえか、凛恋は無茶なことを言う。
明日は全国的に大学入試の二次試験が行われる。そして、凛恋の妹の優愛ちゃんは、凛恋が通っている成華女子の試験を受けるために新幹線に乗って俺達が住む街に向かっている。
「ちゃんとお守りも買ったし、お賽銭も奮発したし、これで絶対に受かる。大丈夫」
「センターでA判定が出ただろ。それに、優愛ちゃんの学力だったら間違いない」
「そりゃあ、優愛は私より頭が良いから試験自体は大丈夫だけどさ。他のことで優愛の大事な将来を邪魔されたくないじゃん」
「今のところ、全く誰も邪魔なんてしてないぞ」
受験者である優愛ちゃんではなく、凛恋がかなりナイーブになっている。その様子が、この上なく微笑ましかった。
「あっ、来た!」
明るい声を出した凛恋は、俺から離れて駆け出しそうになる。しかし、その足を一度止めてからゆっくりと歩き出した。
「お姉ちゃーん! 凡人さーん!」
改札を抜けて明るい笑顔で駆けて来る優愛ちゃんに、凛恋は腕組みをしながら声を掛けた。
「全く、せっかく凡人とラブラブデート出来る日に優愛の出迎えなんて」
「えー! 良いじゃん! 可愛い妹が明日頑張るんだよ?」
「自分で可愛いなんて言う可愛い妹が居るわけないでしょ」
ついさっきまで、世界一可愛い妹を心配する姉だった凛恋は、ツンとした態度で優愛ちゃんの手から荷物を受け取った。
「優愛ちゃん、お疲れ」
「凡人さん、お世話になります」
「気を遣わないで、優愛ちゃんなら大歓迎だよ」
「でも、お姉ちゃんとのラブラブ生活を邪魔しちゃいますしー。ごめんなさい」
俺が優愛ちゃんに挨拶をしながら凛恋の手から荷物を受け取ると、優愛ちゃんはニヤニヤ笑って俺と凛恋を交互に見ていた。
「私達をからかう余裕があるなら、明日も大丈夫そうね」
「もちろん! 冬休みにお姉ちゃんと凡人さんにみっちり教えてもらったし! 主に凡人さんだけど」
「何よ! 去年の問題の解き方を教えたでしょ!」
「その解き方も、どうせ一年前に凡人さんから教えてもらったやつでしょ?」
「誰に教えてもらっても自分のものにしてれば自分の力よ!」
仲の良い八戸姉妹のやり取りを見てほっこりとする。
凛恋は優愛ちゃんと直接話している時は、優愛ちゃんに心配していることを見せない。それは、凛恋が優愛ちゃんが気負わないようにする姉としての気遣いでもあり、心配する自分を見せたくないという姉としてのプライドでもある。つまり凛恋は良いお姉ちゃんだということだ。
優愛ちゃんの成績なら成華女子は確実に受かる。俺も出来る限り優愛ちゃんの力になれるように勉強は教えた。凛恋も熱心に教えていたし、凛恋はセンター試験の頃からずっと優愛ちゃんの受験を気に掛けていた。
「ママにはホテルで良いって言ったんだけど、凡人さんとお姉ちゃんが居た方が安心だって」
「当たり前よ。優愛は頼りないんだから」
「私、高三なんだけど……」
「優愛は見た目だけは可愛いんだから、変な男に声を掛けられるかもしれないでしょ。うちに居れば凡人が居るから安心だし。それに、ご飯の心配もしなくて良いし」
「見た目だけはって酷い!」
プリプリ怒ったように頬を膨らませた優愛ちゃんは、明らかにやり返してやるという風にニヤリと笑う。
「でも、お邪魔虫が居ると困るのはお姉ちゃん達でしょー?」
凛恋を斜め下から見上げる優愛ちゃんは、ニタニタと笑いながら凛恋をからかう。その優愛ちゃんを、凛恋は軽く小突いて唇を尖らせた。
「お姉ちゃんをからかわない」
「ひっ――あれ?」
凛恋をからかった優愛ちゃんは、凛恋からの反撃に備えて身構える。しかし、凛恋は反撃はせずに優愛ちゃんへ視線を向けていた。
「本当にもうっ! 試験の前の日くらい落ち着きなさいよ」
「はぁーい」
凛恋にたしなめられた優愛ちゃんは、いつも通り軽い返事をしながらも凛恋の隣をピッタリと寄り添いながら歩く。
「お姉ちゃん! 受験が終わったら遊びに連れてってね!」
「受験する前から遊びの話して……どんだけ脳天気なのよ」
「だって、前日に焦っても仕方ないじゃん。それに、私には強力な味方も居るし!」
優愛ちゃんは俺と凛恋の手首と俺の手首を掴み、強引に俺達の手を繋がせる。
「現役塔成大生の凡人さんと、現役成華女子大生のお姉ちゃんにみっちり教えてもらったから絶対に大丈夫。安心して、絶対にがっかりさせたりなんてしないから」
「まあ、優愛は私より頭が良いから、心配はしてないけど」
さっきまで過剰なくらい心配していた凛恋は、そう言いながら少し唇を尖らせる。頬はほのかに赤くなっていて、若干の照れがあるのが分かった。
「お姉ちゃん、今日の晩御飯は?」
「んー? ハンバーグとオムライス」
「やった! お姉ちゃんのハンバーグとオムライス!」
ぴょんと跳ねて無邪気に笑う優愛から凛恋に視線を向けると、凛恋は何食わぬ顔をしていた。
今日の晩御飯のメニューは、優愛ちゃんの試験前ということで、凛恋も優愛ちゃんが好きな料理を選んでいた。そういうところも、優しいお姉さんらしい。
「それと俺からは、ここでケーキのプレゼントだ。優愛ちゃんの好きなケーキを選んで良いよ」
「わぁっ! 凄い!」
アパートへの帰り道、俺の時給が上がった時に寄ったケーキ屋へ立ち寄る。凛恋は料理で優愛ちゃんを応援出来る。しかし、俺は料理は作れないから、ケーキを買ってあげるくらいのことしか出来ない。
「可愛い妹が頑張るんだし、せめてこれくらいの応援がしたいんだ」
「ありがとうお兄ちゃん! 大好――」
「優愛?」
満面の笑みで俺に飛び付こうとした優愛ちゃんは、凛恋に睨みを利かされてスッと身を引く。
「じょ、冗談だよお姉ちゃん。ケーキ選ぼうかなー」
優愛ちゃんはそう言って店内へ歩いて入っていく。その優愛ちゃんを追い掛けるように俺も足を踏み出すと、隣に居る凛恋が俺を横目で唇を尖らせた。
「ペケ、一」
「……なんでペケ付いた」
「優愛にお兄ちゃん大好きって言われて喜んでた」
「そりゃ嬉しいに決まってるだろ。優愛ちゃんがあんなに喜んでくれてるんだから」
「お兄ちゃん大好きって言ってほしいなら、私がいくらでも言ってあげるのに」
「…………いや、そういう問題じゃないんだけどな」
凛恋のちょっとズレた反応に困っていると、店内に入った瞬間に凛恋が一気に表情をパッと明るくする。
「チョー凄い……」
俺が働いている編集部の雑誌レディーナリーで以前紹介した店。
大人の女性が好むような落ち着いた雰囲気の店内で、ショーケースに並べられたケーキも宝飾品を展示するようにレイアウトに気を遣っている。
それらは全て雑誌に書いてあったことだが、少しお高い店だが女性に人気があると書いていた。それに、帆仮さんも給料日に贅沢したい時に時々行くと言っていた。
つまりは、ケーキが好きな女の子を連れて行けば、ほぼ確実に喜んでくれる場所ということだ。
「凛恋も好きなの選べよ」
「えっ!? 優愛のために連れて来たんじゃないの?」
「なんで優愛ちゃんにだけケーキ買って凛恋には買わないんだよ。そんなこと俺がするわけないだろ」
「で、でも……高いし……」
「こういう時くらい遠慮せずに買ってくれよ。俺の給料は、生活費に影響しないだろ」
「ありがとう、凡人」
「ほら、姉妹で仲良くケーキ選んでこいよ」
俺は凛恋の背中をゆっくり優愛ちゃんの方に押す。すると、優愛ちゃんの隣に並んだ凛恋は、笑顔で優愛ちゃんと一緒にショーケースに並んだケーキを選び始めた。
凛恋はずっと優愛ちゃんの受験のことを心配していた。それはかなり心労があったに違いない。そして、試験を明日に控えた今日、その凛恋の心労はピークに達している。
心配するなという方が無理なのだ。凛恋にとって優愛ちゃんはかけがえの無い妹で、本当に大切な存在なのだ。だから、優愛ちゃんに悲しい思いをしてほしくないと思っている。でも、試験を受けるのは優愛ちゃんで、凛恋には心配をすることしか出来ない。
心配をして優愛ちゃんの合格率が上がるわけではない。でも、心配することは決して無意味なことじゃない。心配をすることで、より相手のことを大切に想えて繋がりが強くなる。
優愛ちゃんと並んでケーキを楽しそうに選ぶ凛恋は、今心配をしなくて良い。凛恋は今、優愛ちゃんと一緒に楽しくケーキを選ぶことを考えるだけで良い。
俺に出来ることは、凛恋が心配に心を焦がす時間を、出来るだけ少なくしてあげることくらいだ。
次の日、冬らしい冷たい風が吹きすさぶ成華女子大前で、俺達を振り返った優愛ちゃんはニッコリ笑ってピースサインを向ける。
「いっちょ合格取ってくる!」
「優愛ちゃんなら絶対に大丈夫だから、いつも通りにね」
俺がそう言うと、凛恋は黙って前に歩き出す。その凛恋に笑顔を向けていた優愛ちゃんは首を傾げた。
「お姉ちゃ――」
「絶対に優愛なら大丈夫! 優愛より馬鹿な私が受かったんだから、優愛なら絶対に大丈夫! 合格祈願のお賽銭だって奮発したんだから! だから、絶対に大丈夫」
ギュッと優愛ちゃんを抱きしめる凛恋は、何度も何度も大丈夫を繰り返す。まるで、優愛ちゃんを励ます言葉に隠して、自分自身を励ましているようだった。
「昨日も言ったじゃん。私にはお姉ちゃんが付いてる。だから、絶対に大丈夫だって分かってるもん。それで、来年度からはお姉ちゃんと一緒に成華女子大生になるんだから」
「優愛……」
優愛ちゃんから離れた凛恋は、優愛ちゃんの肩に一度手を置いてしっかりと頷く。
「行ってらっしゃい」
「うん! 行ってきます!」
優愛ちゃんは明るい笑顔と元気な返事をして、凛恋と俺に背中を向けて大学の中へ入っていく。
「凛恋?」
優愛ちゃんの姿が見えなくなっても突っ立ったままの凛恋に声を掛けながら顔を覗き込むと、キュッと唇を結んで目をうるうると潤ませる凛恋の顔が見えた。
「終わるまで待つ」
「ダメだ。こんなに寒い中、何時間も立ってたら風邪引くだろ」
「でも、優愛は一人で頑張ってる。だから――」
「それで風邪引いたら優愛ちゃんが悲しむことくらい凛恋なら分かってるだろ?」
「だって……だってさ……優愛の人生が掛かってるんだよ? ジッとしてられない……」
「凛恋はお姉ちゃんだもんな。心配するのは当然だし、優愛ちゃんのために何かしたいって思うのも当然だ。だから、それだけ優愛ちゃんのことを心配で大好きな凛恋なら、優愛ちゃんを信じて待つことくらい朝飯前だろ?」
俺が凛恋の頭に手を載せながらそう言うと、凛恋は小さく頷いて返事をした。
「凡人、ありがとね。今日までいっぱい、凡人に気を遣わせちゃって」
「凛恋は優愛ちゃんのことになると、一気に弱気になるからな。そんな凛恋も可愛いけど」
凛恋の手を握って、俺は少し強引に凛恋の手を引いて歩き出す。それに凛恋は抵抗することなく自然に付いてきた。
「喫茶店で暖かい物でも飲みながら休憩しとかないと、この後大変なんだろ?」
「まあ、希も呼んで遊ぶからね。優愛、そっちの方が目的で出てきたようなものだし」
「優愛ちゃん、凛恋のこと大好きだからな。きっと久しぶりに凛恋と遊び回れるのが楽しみなんだろ」
「私は、優愛は二番目に大好きだから」
凛恋は俺と握った手をギュッと握りしめ、そっと俺の体にくっつく。そして、慣れた動きで俺の腕を抱いた。
「私が一番好きなのは凡人」
「ありがとう。俺も凛恋が一番好きだ」
何気ない言葉で言われたからか、いつも気恥ずかしそうに顔を赤くされるよりドキリとした。
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