【一七一《愛に酔うこと》】:一
【愛に酔うこと】
「何なのよあいつ! 頭おかしいんじゃないの!」
今日もインターンを終えた俺は、アパートへ帰って来て夕食も風呂も終わり、凛恋と部屋でまったりしていた。そのまったりとした時間に、凛恋がそう不満を露わにする。
今日、凛恋は大学で新関さんに話し掛けられたらしい。それで言われたそうだ。
俺が凛恋が不在の時に別の女の子を家に連れ込んでいる、と。
おそらく、凛恋のお母さんが来てくれた時に、同じく俺を心配して来てくれた希さんのことを言っているのだと思う。新関さんがアパートの敷地を出る前に目が合った時、新関さんは部屋から出てくる希さんの姿を見たのだろう。それを、新関さんは勘違いしたのだ。
ただでも男性に対して良い印象を持ち辛い凛恋は、週刊誌の一件で新関さんのことを完全に敵視している。だからより、新関さんに対する怒りが爆発しやすい。
「凡人が浮気なんてするわけないじゃん!」
「あの人、自分の見た情報だけで勝手に想像膨らまして行動してるし、無視しておいた方が良いぞ」
「凡人が浮気するような最低男だって言われたのよ!? 黙ってられるわけないじゃん! なのに、もう私に関わらないで下さいって言っても、君は騙されてるんだって言ってくるし。あいつ本当に頭おかしい!」
凛恋は、ムッとした表情でテーブルの上に置いた手をギリギリと握りしめる。
「せっかくママときっちり説明してきたのに、何の意味もないじゃん!」
「いや、意味はあっただろ」
プリプリ怒る凛恋に、俺は微笑みながら声を掛ける。
凛恋と凛恋のお母さんが大学に説明してくれた次の日、大学側から正式に謝罪が出た。
『当校の常勤講師が写真週刊誌の取材でお答えしたことは間違った情報であると、当校学生と学生の保護者様から抗議がありました。問題の講師に確認したところ、証言の根拠が講師の想像や推測に基づくものが多く、問題であると判断し厳重注意を行いました。関係者の皆様には、ご迷惑をお掛けして申し訳ございませんでした。今後はこのような問題が起きないよう、職員の教育を改めて行っていきます』
その成華女子から出た謝罪文は、一部の人から『週刊SOCIALは間違った情報を出した』という話になり、全面的に週刊SOCIALの報道を信じる人は減った。それは間違いなく、凛恋と凛恋のお母さんのお陰だ。
「でも、本人は全然反省してないし」
「良いって。凛恋が、俺のことを浮気するような人間じゃないって思ってくれてるだけで良い」
「当たり前でしょ。凡人のこと信じてるもん!」
隣に座った凛恋は、俺の腕に自分の腕を絡めてべったりくっつく。
「ほんと、どっからどう見たら凡人のこと悪く見えるのかな~。私、初めて見た時から凡人が悪い人なんて思わなかったけど?」
「それは凛恋が特殊だからだろ。俺は無愛想だからな」
「確かに凡人はペラペラ話す性格じゃないけどさ。でも、それがまた良かったんだよね~。さり気なく女子のこと守っててくれてさ! チョー格好良いってときめいちゃったし」
頬を赤くした凛恋は、俺の顔を見て小さくはにかむ。
「懐かしいなー。凡人に好かれようって頑張ってた頃が」
「高一の春だからもう四年前か」
「あの時、本当に必死だったんだから。絶対に凡人のことを他の人に盗られたくなかったし」
「前にもそんな話をしてたな。俺ってそんなに焦るほどモテてなかったんだけど。栄次みたいにモテるような顔でもないし」
「それはラッキーだったの。凡人の周りの女子がみんな凡人の魅力に気付いてなかっただけ。今ではチョーモテモテじゃん! 田丸さんでしょ、萌夏でしょ、露木先生に、理緒に、本蔵、それからステラ。本当、ステラと初めて会った時は焦ったしめちゃくちゃ泣いた。あんな美少女がライバルとか反則でしょ」
「でも、ずっと俺は凛恋のことが好きだったけど」
「だから、私は凡人のこと信じてるの」
凛恋は俺の手を包み込むように握って微笑む。
「凡人のことを好きな子って、みんな可愛いし良い人ばかり。そんな魅力的な人達にアピールされても私のことを好きで居てくれる。だから、凡人は浮気なんてしないって信じられる」
「ありがとう。俺は凛恋のことずっと大好きだから」
「嬉しい。私の方こそありがと!」
凛恋を抱きしめると、凛恋が俺のことを抱きしめ返す。すると、凛恋がゆっくりと体重を掛けて、床の上に俺を押し倒した。
「凡人大好きー」
上からギュウギュウと抱きしめてくれる凛恋に嬉しさを感じるが、俺の胸で凛恋の胸がムニュムニュ潰れているのはかなりドキドキする。
さり気なく凛恋の背中に手を回して、ルームウェアのシャツの裾から凛恋の腰に触れる。滑らかですべすべとしている凛恋の腰に触れていると、耳元で吐息混じりの凛恋の声が聞こえた。
「今日の下着は何色でしょー?」
「淡い水色」
「せーかい。……凡人のエッチ」
「一緒に風呂入ってるんだから分かるに決まってるだろ?」
「それもそうねー」
耳元でクスクスと笑う凛恋は、手で俺の頭を撫でて頬にキスをする。
「ママが泊まっててなかなかエッチ出来なかったね」
「なかなかどころか一度も無理だったな」
凛恋のお母さんは、せっかく出て来たということもあり三日ほど泊まって行った。優愛ちゃんの大学受験が控えている時期ではあったが、凛恋のこっちでの生活振りも心配だったのだろう。
当然、部屋があるのだから凛恋はお母さんと一緒に和室で寝て、俺は洋室で寝ていた。だから、そういうことをするタイミングがあるわけがない。
「私はチョー寂しかったなぁ~」
「俺も寂しかったぞ」
「凡人はエッチだもんねー」
「凛恋もそうだろ」
「仕方ないじゃん。凡人といちゃいちゃするの大好きなんだし」
そう言って、凛恋は体を起こしながら俺の手を引っ張る。
「ということで、お布団行こっか」
凛恋は軽口を装っているが、顔は熟したリンゴよりも真っ赤になっている。そういうところも、凛恋の可愛さの一つだ。
二人で布団に行くと、凛恋が俺を布団の中に引っ張り込んで布団の中で抱きつく。
「はぁ~思い出すな~凡人と付き合う前のこと」
「なんで布団に入って思い出すんだ?」
抱きしめられながら聞き返すと、凛恋がハッとした表情をする。どうやら、言うつもりのないことだったらしい。
「お風呂入って寝る前とかムラムラするじゃん?」
「いや、するじゃん? って言われてもどう答えれば良いか分からないんだけど……」
突然共感を求められて俺は戸惑う。ただ、凛恋はそうらしい。
「それで、凡人のこと考えてチューの練習とかしてたなって」
「…………そ、そっか」
「引かないでよぉ~」
「いや! 引いたわけじゃなくてだな! 嬉しいんだけど、唐突に言われると恥ずかしいというか……」
彼女が妄想でも俺とそうなりたいと思ってくれていたなんて、男としては結構……いや、かなりテンションが上がる。
「ほ、ほらさ……萌夏の時に一人でする話をしたじゃん? その流れっていうか、その途中でっていうか……」
「それはもう蒸し返さなくて良いだろ? 凛恋も恥ずかしいだろうし」
真っ赤な顔で恥ずかしがりながらそんな話をする凛恋は可愛いし、もっと聞きたい話ではある。しかし、途中で止めさせるきっかけを作るのも優しさだ。凛恋の場合、大体は引っ込みが付かなくなって話してしまうことが多い。
「初めてのチューは全然予想とは違ったけど」
「まあ、勝手にキスされるとは思わないだろうな」
「でも、あれはあれで良かったわよ? ちなみに妄想チューは、ベッドに隣同士で座ってて、優しく抱き寄せられてチュってされるのが良いなって思ってた」
「じゃあ、今からやるか」
「えっ?」
「ベッドじゃなくて布団の上だけど」
体を起こして凛恋も起こさせ、隣に並ぶように座る。
「ちょっ、改めてこうなると結構恥ずかしいかも……」
真っ赤な顔のまま、凛恋は俯いてチラッと俺に横目を向ける。その凛恋の肩を抱き寄せると、凛恋は小さくピクッと体を跳ね上げた。
ゆっくりと顔を近付け、俯かせた凛恋の顔の下からすくい上げるように唇を重ねる。そして、ファーストキスらしく、優しく唇を触れさせただけで顔を離した。
「……ヤバっ、チョー幸せ」
「良かった」
赤ら顔で嬉しそうに笑う凛恋を見て、俺は凛恋の頭を撫でながら微笑み返す。嬉しそうにしてくれる凛恋の顔が見られて良かった。
「じゃあ……その先もしてくれる?」
凛恋は俺の手を握り、自分の腰に回させながら言う。それに、俺は言葉では答えず、凛恋の唇を塞いで押し倒すという行動で応えた。
次の日のインターン終わり、酒が飲めない俺は飲み会に誘われた。もちろん、酒を飲むわけではなく俺だけは食事会だ。
「多野も、本当に災難よね。よりにもよって、本労社(ほんろうしゃ)の週刊SOCIALに目を付けられるなんて」
「週刊SOCIALって有名なんですか?」
適度にお酒の入った古跡さんの言葉に聞き返すと、隣に座っていた帆仮さんがグラスをテーブルに置きながら口を開いた。
「出版業界では有名も有名。あそこの取材は強引だし、取材した情報の確認もお粗末だって言われてるの。うちの同じ週刊誌の編集さんが、週刊SOCIALは売り上げのためならなんでもするって言ってた。今回のも文字通りなんでもだよね。全然関係ない多野くんのプライベートを根掘り葉掘り書いた挙げ句に情報元が妄想だなんて」
「まあ、それに関しては謝罪が出ましたし」
「毎日彼女さんに、今から帰るよって電話するような多野くんが、モラハラなんてするわけないのにねー」
クスクス笑った帆仮さんは、俺にニヤニヤと視線を向けて俺の頬を突いた。
「良いよねー、彼女と同棲なんて。毎日楽しいでしょ? 昨日もお楽しみだったんじゃないのー?」
「帆仮、セクハラよ。うちの貴重な人材を辞めさせる気?」
「えー、良いじゃないですかぁー。古跡さんと違って私は独り身で寂しいんですよー。これは独り身同士で傷の舐め合いをしてこないと」
グラスからお酒を飲んだ帆仮さんは、そう言うと別の席にフラフラと歩いていく。
「多野、ごめんなさい。帆仮って酔うと面倒臭くなるのよ」
「いえ、大丈夫ですけど。古跡さんは飲んでもあまり変わりませんね」
「変わらない程度にしか飲んでないからよ」
「なるほど」
自分の許容量内で収めて飲むというのは、何とも大人らしい飲み方だ。俺も、成人したらそのくらい大人な飲み方が出来るようになりたい。
「多野も早く成人しなさい」
「六月末まで待って下さい」
「じゃあ、その辺りにまた多野の成人祝いをしないといけないわね」
「良いですよ。俺のことは」
「何言ってるのよ。一緒に雑誌作ってる仲間じゃない」
「ありがとう、ございます」
古跡さんのそのさり気ない言葉に、俺は胸を締め付けられるような嬉しさを感じた。
「毒舌編集者Tのコーナーも恒例になりそうだし」
「……それは恒例にしないで下さいよ」
「何言ってるのよ。取材料は払ったでしょ?」
ニヤッと笑った古跡さんは、俺の皿を指さす。なるほど、タダ飯というわけにはいかないらしい。
名前は分からないが、めちゃくちゃ美味い肉料理を頬張りながら、飲み会で盛り上がるみんなを見る。
編集部でも過剰にピリピリしてるわけではないが、飲み会になるとより和気あいあいとした感じだ。それに、無礼講とまではいかないが、飲み会の席だと会社では上司と部下の関係の人達が楽しそうに話している。
「前までは、慰労会って強制参加だったの。でも、うちの旦那に言われたのよ。強制参加
の会社の飲み会で親睦なんて深まるわけないだろって」
「旦那さんがですか?」
「そう。それで、自由参加にしてコミュニケーションは日頃の仕事の中で取るべきだって言うの。全くその通りだと思った。だから、私が編集長になった時に変えたの。飲み会のことも、みんなとのコミュニケーションの取り方も。特にコミュニケーションの取り方を変えたのが良かったわ」
「どう変えたんですか?」
「簡単よ。話す機会を増やしただけ。旦那に言われたのよ。私は雰囲気が怖いから敬遠されやすいんだから、話す機会を増やしてちゃんとした私を伝えないとダメだって」
「旦那さん、凄いですね」
「本当、旦那には感謝してるわ。絶対に、旦那に出会ってなかったら私は編集長なんて出来なかった。きっと、部下の動きがバラバラで良い雑誌なんて作れない編集部にしてしまってた」
古跡さんはクスッと嬉しそうに笑った。
「頼りにならないんだけど頼りになる不思議な旦那なのよ」
頼りにならないんだけど頼りになる。その言葉だけでは、古跡さんの旦那さんの人物像は分からない。でも、古跡さんの表情を見れば良い旦那さんだというのが分かった。
「そういえば、多野に言っておかないといけないことがあったわ」
「言っておかないといけないことですか?」
「そう。多野の時給、昨日から上げたから」
「えっ?」
「任せる仕事が当初より増えたでしょ? それに、多野のお陰で全体的に見て作業の進みが早くなった。多野が編集全員の仕事がやりやすいようにフォローしてくれてるお陰。だから、上げたの」
「あ、ありがとうございます」
「時給を上げたのは仕事量に見合う対価にしたというのもあるけど、多野に辞めて欲しくないからよ」
「えっ?」
「多野は分かってないだろうけど、編集全員のクセと仕事内容を見てそれぞれの編集にあったやり方に変えるってちょっとどころか相当異常よ? 全員を見てる私でもそんな器用なこと出来ない。やっぱり、良い大学に行ってるだけはあるわ」
「あ、ありがとうございます」
「これからもいつもの調子でお願いね」
「はい。これからも一生懸命頑張ります」
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