【一七〇《他人には分からないこと》】:二

 そんなことがあった数日後、俺は全国的に批判の対象になった。

 週一で世間を賑わせている週刊誌、週刊SOCIALの最新号に記事が出たのだ。


『文部科学大臣の隠し子はモラハラ男だった』


 その記事の内容は、取材を続けていた週刊SOCIALの記者が、文部科学大臣の隠し子である男子大学生が同棲してる恋人へ取材をしようとしたが叶わず、その恋人の周囲の人に取材をして突き止めた新事実だったそうだ。


 モラハラとは、つまりモラルハラスメントのこと。そのモラルハラスメントは、精神的な暴力や嫌がらせのことを指す。

 週刊SOCIALは、俺が凛恋に対してモラルハラスメントを行っていると報道したのだ。

 その根拠とされているのが、凛恋が通っている大学の講師の証言だった。


 その講師は、凛恋が男性恐怖症であると聞いたため、男性恐怖症を治すためにカウンセラーを紹介したが俺に門前払いされ、恋人も俺の言いなりのようだったと証言していた。まず間違いなく、この講師というのは新関さんで間違いない。しかし、週刊SOCIALのいけ好かない記者のことを考えると、証言を改変された可能性もある。


 ただ、その週刊SOCIALの記事を見た人は、文部科学大臣の隠し子の男子大学生に批判的だった。まあ、明らかに批判を煽るような書き方をされた記事だけ見れば、誰だって批判して当然だ。


 アパートの部屋で、正面には希さんが座り、隣には泣き腫らして目を真っ赤にした凛恋が座っている。


「あいつ……絶対に許さないっ!」


 唇を噛み締めながら言う凛恋の"あいつ"という言葉が週刊SOCIALの記者か新関さんのどちらを指すのかは分からないが、俺はその凛恋の背中を擦りながら希さんに視線を向ける。


「希さん、心配して来てくれてありがとう」

「ううん。凡人くんは大丈夫?」

「まあ、大学で女子に白い目で見られたくらいだ」


 週刊SOCIALの最初の報道が出た時点で白い目で見られていたが、今回の報道で女子学生からはより強く白い目を向けられるようになった。まあ、女性に対してモラハラをしているというのは、同じ女性として怒りが湧いて当然だ。

 希さんに笑顔を向けて問題がないことを伝えていると、インターホンが鳴って来客を知らせる。


「私が出ようか?」

「大丈夫、大丈夫。希さんはお客さんなんだから座っててくれ」


 気を遣ってくれた希さんに笑顔を向け、俺はインターホンの受話器を取る。


「はい。どちら様ですか?」

「凡人くん? 私よ」

「お、お母さん!? すぐに開けます!」


 聞き馴染みのある声が受話器から聞こえて、俺は慌てて玄関のドアを開ける。すると、優しい温かさが体を包んだ。


「心配したわ」


 突然お母さんに抱きしめられた俺は、戸惑って体を固まらせる。すると、後ろから凛恋の驚いた声が聞こえた。


「ママ!? どうしてここに!?」


 その驚いた凛恋の声とほぼ同時に、俺は後ろに引っ張られてお母さんの腕の中から引っ張り出された。


「心配で居ても立っても居られなくて来たの」

「入って」

「ありがとう」


 俺の腕を掴んでいる凛恋の手を見たお母さんはニッコリと微笑む。

 お母さんが上がってドアの内鍵を閉めた俺は、希さんと挨拶をするお母さんから目を離してお茶の準備をした。


「どうぞ」

「気を遣わなくても良かったのに。ありがとう」


 お茶を出すと、お母さんはお茶に口を付けて小さく息を吐く。


「今朝、凡人くんの悪い話が報道されたでしょう。それで、凡人くんが思い詰めてるんじゃないかって心配になって」

「ありがとうございます。でも大丈夫です」

「そう。でも、私達家族は本当に腹が立ったわ。自分達の息子があんな言われようをして耐えられなかった」


 腿の上に置かれたお母さんの握られた両手が震える。


「うちにも取材が来てね。主人が追い払ったのよ。凡人くんのことを何も知らないのに好き勝手に言うなって。私も優愛も同じ気持ちだった」

「ありがとうございます。でも、あまり気にしてないので大丈夫です」


 お母さん達の気遣いに感謝しながらも、俺は自分が平気なことを示す。すると、お母さんは視線を凛恋に向けた。


「凛恋、これから一緒に来てくれる?」

「一緒に?」

「今回、凡人くんに対して間違った話をした講師に抗議しに行きたいの」

「分かった。私もあいつにちゃんと言っておきたいって思ってたし」

「ふ、二人とも! そんなに大事にしなくても――」

「私の息子を侮辱されて黙ってはいられないわ」「私の彼氏を馬鹿にされて黙っていられないわよ!」


 凛恋とお母さんに、ピッタリと重なった言葉と鋭い視線を向けられ、俺は浮かせた腰を下ろす。


「希、凡人のことお願い」

「任せて」


 お母さんと一緒に立ち上がった凛恋から俺を託された希さんはしっかりと返事をする。その希さんと一緒に凛恋とお母さんを見送った俺は、深く息を吐いてテーブルの上に体を載せる。


「ああなった凛恋はどう言ってもダメだからな」

「でも、凛恋のお母さんも出て来たら、講師の人も自分が間違ってたって思うんじゃない?」

「そうだな。流石に彼女の母親までモラハラの被害者なんてことにはならないだろうし」


 希さんにそう言いながら、俺はまたため息を吐く。

 今、八戸家は優愛ちゃんの大学受験を控えている大事な時期だ。そんな時に俺のせいで八戸家のみんなに迷惑を掛けてしまった。


「凡人くん、自分のせいで凛恋のお家に迷惑を掛けたなんて思っちゃダメだよ。本当に迷惑だなんて思ったら、わざわざ心配して来てくれるわけないよ」


 俺は顔を上げて希さんを見る。すると、希さんはニッコリ笑った。


「私も凡人くんとは長い付き合いだから、大体凡人くんが考えそうなことは分かるよ」

「……俺ってそんなに単純?」

「ううん。真面目で純粋」


 俺の問いに優しい笑顔で答えた希さんは、テーブルに両手を置いて小さくため息を吐いた。


「……凛恋と凛恋のお母さんだけじゃなくて、私も怒ってるよ。ううん、みんな怒ってる。凡人くんのことをちゃんと知ってるみんなは全員」

「みんな、心配してくれてるのは分かってる。みんな電話で励ましてくれたから」


 朝から立て続けにみんなから電話が掛かってきた。そして、みんな真っ先に俺へ「大丈夫?」と聞いてくれた。特に真弥さんは、電話口で泣き出してしまい、心配されているはずの俺が真弥さんを心配して励ましていた。でも、心配してくれる気持ちは嬉しかった。

 みんなが心配してくれることは嬉しい。でも、それが過剰な心配に思える。去年の夏に真弥さんの言葉を聞いたみんなもそうだが、あの場に居なかった鷹島さんや本蔵さん、空条さんまで過剰に心配してくれる。


「なんで世間の人って、人のことを考えられないんだろう……。こういうこと言われたら嫌だろうなとか傷付くだろうなって考えれば、絶対に凡人くんに対して言えない言葉ばかりなのに」

「他人にとって俺は人じゃないからじゃないか?」


 希さんの呟きに返した答えは、ただの皮肉というだけではなかった。


 インターネット上で、人が攻撃的な性格になるように、雑誌やテレビで見ている人にとって、俺は人であって人ではない。俺は、雑誌に載っている人やテレビに映っている人だ。

 世の中には、有名税という言葉がある。これは、テレビに出るような有名人、いわゆる芸能人と呼ばれるような人達が、行動や言葉を批判されたり、時には侮辱されたりすることを、税金に例えた言葉だ。


 つまりは『有名人になって良い思いをしているのだから、それくらいの税はあってしかるべき』ということだ。


 俺は芸能人ではないが、今は悪い意味で有名人だ。だから、有名税が発生している。

 傍から見ている人達にとって、有名人という存在は自分達と同じ人というカテゴリーから外される。そして、自分と同じという考えが無くなるから、自分が言われたら眉をひそめるようなことも平気で言えるし、自分だったら憤るようなことも言えてしまうようになる。


「人は、目の前に、視線の先に居たって言いたいこと言えるんだ。人じゃないって思ったら加減なんて無くなる」

「凡人くん……」

「昔からそうだった。親が居ないってだけでゴミ呼ばわりされたし、俺をゴミ呼ばわりしたやつらを無視しただけで協調性がないクズだって言われた。自分がゴミだって言って自分達の周りから掃除したのに今度はクズだって押し退けて、本当に勝手気ままなやつらだよ、他人って。でもさ、昔と違って俺には友達が沢山居るんだ。当然、その中には親友の希さんだって居る。だから、昔よりも世の中を腐ってるなって思わなくなった。世の中には良い人も居るって今の俺はちゃんと分かってるから」

「うん。私達は凡人くんの味方だよ。凡人くんが凄く凄く良い人だって分かってる。私は栄次の次に凡人くんのこと大好きだから!」

「ありがとう」


 笑いながら返すと、希さんもニコッと笑い返してくれる。そして、俺に希さんはテーブルに置いてあったクッキーを一つ手に取る。

 希さんがクッキーを頬張った瞬間、またインターホンが鳴る。俺は立ち上がってインターホンの受話器を取ると、男性の声が聞こえた。


「新関です。八戸凛恋さんは御在た――」


 声を聞いた瞬間、俺は受話器を置いてテーブルの前に座る。


「凡人くん?」

「例の講師が来た」


 俺の言葉を聞いた瞬間、希さんは立ち上がって玄関に歩き出そうとする。俺はその希さんの腕を掴んで、黙って首を振った。


『八戸さん、その男は良くない。絶対に君の人生を台無しにする。すぐに離れた方が良い』


 激しく叩かれるドア越しに聞こえるその声に、俺は小さくため息を吐く。

 正義感なのか何なのかは分からないが、これほどまでにお節介な人間は他に居ないと思う。


 最近、世間を賑わせている報道を見れば、俺を良いやつと思う人は居ない。

 人は自分の見聞きしたものしか知ることが出来ない。俺は凛恋にモラルハラスメントなんてやっていないし、凛恋だって俺からモラルハラスメントを受けているなんて思っていない。でも、それを知らない新関さんは、自分が見て聞いたもので判断するしかない。そして、自分の見聞きしたもので判断した結果、新関さんにとって俺は凛恋にとって有害な存在なのだ。

 その判断は間違っている。しかし、有害な存在だと答えを出した新関さんに何を言っても信じるとは思えない。


「凡人くん……」

「出て行かないと帰らないから」


 ドアの向こう側からは、凛恋を呼んで説得しようとする新関さんの声が聞こえる。

 お節介な上にしつこいという厄介な人間と関わってしまい、俺は小さくため息を吐きながらドアを開けて外に出る。


「八戸さんと会わせてくれ」

「少し前にあなたに会いに行きましたよ」

「私に?」

「週刊誌の記者に話したことについて抗議に行きました。凛恋の母親も一緒です」

「八戸さんのお母さんと一緒に抗議?」


 新関さんは眉をひそめて俺に訝しげな目を向ける。


「凛恋も、凛恋のお母さんも、新関さんが週刊誌に話したことが事実とは違うと言ってくれました。それで、事実とは違うことを流布(るふ)したあなたに抗議しに行ってくれたんです」

「私は八戸さんが君の言いなりにされているように見えた。それを八戸さんのご両親は理解されていないんだね」


 訝しげな目を変えずに向ける新関さんは小さく息を吐いた。そのため息に、俺は新関さんが俺に向けた呆れと軽蔑を感じた。


「男として、女性を自分の所有物のように扱うのは感心出来ないな」

「勘違いをして、他人のことを分かったつもりになるのもどうかと思いますけど」


 俺の言葉に何も言葉を返さず、新関さんは俺に背中を向けて歩いていく。その背中を眺めながら、俺は小さくため息を吐いた。

 新関さんにとって俺は、凛恋をモラルハラスメントでがんじがらめにして、凛恋を不幸にしている存在。だから、一刻も早く凛恋から引き離したいのかもしれない。週刊誌に俺の話をしたのも、外からの意見を入れて凛恋に気付かせようとしたのかもしれない。

 俺が凛恋を不幸にする男だと。

 でも、凛恋がそれに気付くわけがない。そんな事実なんて存在しないのだから。


 俺は過去に、何度も失敗して凛恋を悲しませてしまった。それこそ不幸にしてしまったことばかりだ。でも、俺は一度だって凛恋を不幸にしようなんて思ったことはない。それを、他でもない凛恋が分かってくれている。

 それは凛恋だけじゃなくて、俺のことをちゃんと知ってくれているみんななら分かってくれている。でも、それを新関さんに分かってもらう必要はない。


 だって、新関さんは俺にとって他人だからだ。俺にとっては週刊誌の報道を見て勝手に騒いでいるやつらと何も変わらない。俺本人に直接関わって来ることを考えると、そういう他人の中でもたちが悪い他人だとは言える。でも、それは他人という俺の世界の外にあるカテゴリーからは外れない。

 そんなどうでもいい存在の人間なんて、気にしてやる必要もない。


「凡人くん、講師の人は帰った?」

「ああ。今帰った」


 部屋から出て来た希さんに答えていると、アパートの敷地から出たところで俺を見る新関さんと目が合った。


「凡人くん、スマートフォンが鳴ってる。凛恋からかも」

「ありがとう」


 俺は目が合った新関さんから目を離して部屋に入る。

 やっぱり、自分の信じている人達が自分を信じてくれさえすれば、他人から何を言われてもなんてことはない。

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