【一六〇《断る理由》】:一

【断る理由】


 スマートフォンに表示されている返信済みの真弥さんからのメールを見る。


『みんなで楽しいことするなんてズルい!』


 悔しがる顔と泣き顔の顔文字のあるそのメールを閉じて小さくため息を吐く。

 今日、みんなでどこかに行くらしい。まあどこかと言っても、大人数で行ける場所には限りがあるだろうが。それに、いくら大学生になったと言っても、俺達はまだ未成年だ。そうなると、いよいよもって行ける場所は限定される。

 ベッドの上で、隣にモナカが伏せて目を閉じている。まあ、寝ているわけではないが、リラックスしているのは間違いない。


「夏休みが終わったら、またしばらく会えないからな~」


 モナカは夏休みが終わりに近付くに連れて、俺の側に居ることが多くなった。元々ちょくちょく俺について回ることが多かったが、ここ最近はそれが目立つ。もしかしたら、モナカは俺がもうすぐまた大学のある街へ戻ることを察しているのかもしれない。

 今日はいつも通り凛恋を迎えに行ってから、みんなと待ち合わせしている駅前に行こうと思っていた。しかし、昨日凛恋から電話が掛かってきた。


『絶対に私が迎えに行くから家で待ってて』


 その凛恋からの電話に、俺は自分が迎えに行くと言ったが、凛恋が頑として譲らなかった。まあ、頑なになった凛恋に対して何を言っても無理なのは分かっていたが。


「凡人! おはよ!」

「凛恋、おはよう」


 部屋に入って来た凛恋は、モナカを手で撫でてニッコリ笑う。


「おはようモナカ。ちょっと、お兄ちゃんと二人きりにしてくれる?」


 犬のモナカに人の言葉が伝わるわけがないのだが、モナカは凛恋の言葉を聞いてスタスタとドアの隙間から外へ出て行く。そしてモナカが出て行った後、凛恋はドアを閉めてベッドの前まで戻って来て、両手を後ろに組んでベッドに座る俺に軽くキスをする。


 キスをしたまま、凛恋がそっと俺の両肩を押す。押されてベッドに倒れた俺は、俺の腰に乗っかった凛恋を見上げる。


「凡人、時間まだあるしちょっといちゃいちゃしよ」


 俺に覆い被さりながら抱きついた凛恋は、小さくホッとした息を吐く。

 覆い被さる凛恋を抱き返しながら、俺は目を閉じそうになり……焦って目を見開く。


「このままだと寝る!」

「分かるー。チョーリラックス出来て寝ちゃうよねー」

「分かったらダメだろ。これからみんなと待ち合わせなのに」

「そんなに焦らなくても、まだ時間あるから大丈夫よ~」


 覆い被さる凛恋は俺の背中に手を回して、ギュウギュウと締め付けるように抱きしめる。

 今日が夏休み中、みんなで遊べる最後の日になる。

 今日、仕事がある真弥さんは昼は不参加だが、仕事が終わり次第、合流することになっている。


 あの花火大会の夜の一件で、みんなの間にしこりのような物が出来てしまうのではないかと不安だった。でも、自然とみんなで集まろうという計画が出てきたことに俺は安心した。


「露木先生にも理緒にも絶対にあげないから」

「凛恋、大丈夫だって」

「分かってる。でも、ちゃんと宣言しておきたかったの」


 凛恋の言葉を聞きながら、俺は凛恋の背中を優しく撫でる。

 理緒さんには、俺は一度告白されて断っている。でも、花火大会の夜に真弥さんがみんなに言った言葉を切っ掛けに、理緒さんは俺に宣言した。

 俺に相応しい人になる、と。それは友人としてではなく、恋人として。

 理緒さんは俺に宣言した日、俺の言葉を聞く前に帰ってしまった。その行動が、俺に答えを言わせなかった真弥さんと重なる。でも、真弥さんと違って、理緒さんの告白は一度断っている。……いや、ダメだ。一度断っているからと言って、そのまま放置するのは良くない。ちゃんと断らないといけない。もちろん、断らないといけないのは理緒さんだけじゃなくて、真弥さんに対してもだ。


「さて、そろそろ行こうか」

「そうだな」

「キャッ! もー凡人ったら~」


 体の上から凛恋が退くと、俺は体を起こして凛恋の腰を後ろから抱きしめる。すると、立ち上がり掛けた凛恋がストンと俺の足の間に腰を落とした。

 俺は凛恋の体を後ろから抱きしめる。そして、凛恋の首筋に唇を付ける。すると、凛恋が手を後ろに伸ばして俺の頭を撫でた。


「ほーら、凡人が一番遅刻するの嫌でしょ」

「ああ」


 俺は手を解いて凛恋を開放すると立ち上がった凛恋がニヤッと笑って俺の頬にキスをする。


「続きは、また明日ね」




 大人数で遊ぶスポットなんて限られている。しかし、まさか遊びに来て運動をさせられるとは思わなかった。


「カズ、ボウリングでそこまで疲れるか?」

「栄次、冷静に考えろ。六キロもある重い玉を転がすんだぞ? 相当な力が必要に決まってるだろ」

「凡人は本当に運動が苦手だよね」

「瀬名、人には得手不得手があるんだ。だから、しばらく休憩させてくれ……」


 俺はボウリング場のレーン前にあるベンチに座ってうなだれる。だが、疲れているのはボウリングのせいだけじゃない。

 俺達は、ボウリングやカラオケ、ダーツや卓球等のスポーツ施設が一箇所に集まった、複合アミューズメント施設に来ている。


 この施設では、ボウリングとカラオケ以外の施設もあり、一定金額を払うと全てが遊び放題になる。俺達も、その遊び放題プランで入ったのだが、ついさっきまでスリーオンスリーと呼ばれる三人対三人のバスケットボールをしていた。そこからの流れでのボウリングなのだ。


 バスケットボールで散々体力を消耗したところに、ボウリングが俺の前に立ちはだかった。もうほとんど腕が上がらない状態なのに、その上で重たい玉を転がさないといけないのだ。下手をしたら腕が千切れてしまう。


「みんな元気だな~」

「遊びになった女子陣のエネルギーは底なしだからな」


 真向かいに座る栄次が、ボウリングを楽しんでいる女子陣を見て微笑む。スリーオンスリーでも激しく動き回っていたのに、まだ爽やかな笑顔が出せる栄次のエネルギー量もおかしい。


「栄次、飲み物を買ってくるからみんなに聞いてきてくれ」

「分かった」


 俺の頼みに栄次は立ち上がって女子陣の方に駆けていく。まだ走れる体力が残っているのか……。

 栄次はスマートフォンでみんなの要望の品をメモして戻って来る。そして、栄次が戻って来るのに合わせて俺も立ち上がった。


「瀬名はみんなを頼むぞ。変な男が近付いて来たら追っ払え」

「分かった」


 グッと両手を握って気合いを入れる瀬名にみんなを任せ、俺は栄次と自販機の方へ歩いていく。


「あー……喉がカラカラで死ぬ」

「スリーオンスリーもカズにしては頑張ってたな」

「俺はあれで終わりだと思ったから頑張ったんだぞ。まさか、まだ後があったとは……」

「でも、その調子だと、カラオケで寝そうだな」

「カラオケか……あっ、栞姉ちゃんに今日は朝までだってメールしとかないと」


 スマートフォンを取り出しながらメールを打つと、栄次が俺の肩に手を載せてニヤリと笑う。


「まあ、みんなが寝かせてくれないだろうけど」


 栄次の不穏な言葉を聞いて、俺は栄次から視線を外し自販機に目を向ける。

 今日はボウリングが終わったら、仕事終わりに駆け付ける真弥さんと合流して、どこかで飯を食って帰るのだと勝手に思っていた。しかしまあ、みんなで集まれるのが今日で最後なのだから、ギリギリまで遊ぼうと考えるのは当然だった。


 栄次が買ったみんなの分を手分けして持ちながら、俺は自分の分のスポーツドリンクを買ってみんなのところに戻って行く。すると、俺達と同年代っぽい男達が、女子陣に向かって話し掛けていた。


「瀬名に任せたのは人選ミスだったな」

「まあ、女子と間違えられたのかもな」


 隣を歩く栄次に話し掛けると、栄次は苦笑いを浮かべてそう言う。全く、少しは瀬名にもしっかり彼女を守るくらいしてほしいものだ。


「なんか、用ですか?」

「ん? ねーねー、こいつ誰の彼氏ー?」


 明るい金髪の男がケラケラと笑い女子陣に目を向けながら俺を指さす。こいつは、人を指さしてはいけないと大人から習わなかったのだろうか。


「あまりしつこいと店員さんに対応してもらいますけど、どうします?」

「ああ? お前、その面で俺達と張り合おうっての?」


 男が俺に視線を向けてそう言う。随分自信たっぷりのようだが、男の方も大して顔が良いわけではない。


「すみません。ちょっとよろしいですか?」

「ああ?」


 俺が男に視線を返していると、アミューズメント施設の制服を着た店員さんが柔らかな表情で男に話し掛ける。隣には、警備員らしき制服を着た男性も立っていた。


「お客様方がご迷惑されています。これ以上続けられますと、場内から出て行っていただかなくてはいけません」


 その店員さんの言葉を聞き店員さんの隣に控えている警備員を見て、男は仲間達に目配せをして無言で立ち去っていく。


「ご迷惑をお掛けしました」

「いえ、ありがとうございました」


 店員さんに栄次がお礼を言うと、瀬名が俺達の前に来てシュンとした表情をした。


「凡人……ごめん……女の子と間違えられちゃって……」

「気にするな。一応、頑張ってくれたみたいだしな」


 俺は瀬名の肩に手を置いて笑顔を返す。

 瀬名はみんなと男達の間に立っていた。ということは、みんなを男達から守ろうと動いたということだ。結果的に女子と勘違いされたとしても、瀬名が頑張ったことには変わりない。


「まあ、瀬名を残したのは俺のミスだ。瀬名は悪くない」


 瀬名の肩に手を置きながら言うと、瀬名が両頬を膨らませて俺を見上げる。


「凡人っ! それ、全然フォローになってないよ!」

「瀬名、格好良かったよー」


 俺に真っ赤な顔で非難を向けた瀬名を、ニコニコ笑った里奈さんが手を引いてベンチに連れて行く。すると、凛恋が俺の隣に並んでそっと手を繋いだ。


「凛恋、大丈夫だったか?」

「うん、私はみんなの後ろに隠れてたから」


 俺はみんなにジュースを配りながら、凛恋と並んでベンチに座る。


「露木先生、今仕事終わったって。ジュース飲んだら、駅前に行こうか」

「了解」


 スマートフォンを確認した萌夏さんに、瀬名の手を握りながらジュースを飲む里奈さんが返事をする。


「次は冬だね」

「冬は初詣行こう初詣!」


 萌夏さんの言葉に里奈さんがニコニコ笑いながら言う。来年のことを言うと鬼が笑うなんて言うが、みんなが楽しそうだから良いだろう。


「今日の夕飯、露木先生が奢らせてって」

「別に割り勘で良いのにね」

「やっぱ、この前のこと気にしてんのかな~」


 萌夏さんと里奈さんの会話に俺は少し身を縮ませてスポーツドリンクを飲む。隣から、凛恋が笑顔を向けて微笑む。そして、ジュースを持ちながらベンチの背もたれに背中を預けた。


「相手が誰だろうと凡人は渡さないし。もちろん露木先生にも理緒にもね」


 俺は凛恋の言葉に驚いた。しかし、それよりもっと驚くことがあった。


「理緒? 凛恋はああ言ってるけど?」

「私は諦めないよ? やっぱり、小学校からずっと好きだし」


 里奈さんに聞かれた理緒さんは、平然とした表情で答える。俺はその雰囲気に驚いた。

 きっと、他の人達ならこんなことは話さないと思う。でも、みんなは平然と話をしている。遠慮が一つもなかった。

 いったい、どういうことになったら今の状況になるんだろう。


「私が言ったの。気を遣ってみんなと気まずくなるのが嫌だったから」

「そ、そうなのか」


 凛恋の言葉にそうなのかとは言ったものの、俺は正直言うと、この雰囲気をすんなりと受け入れられない。でも、凛恋の言う通り、みんなが気まずくなるよりは良いのかもしれない。俺の方はなんだか落ち着かないが。


「凡人くんが戸惑ってるしそのくらいにしよう」


 希さんが苦笑いを浮かべながら言うと、みんなは笑顔のまま別の話を始める。


「凡人、ちょっと良い?」

「ああ」


 ジュースを飲み終えると、凛恋が俺の手を握ってみんなから離れる。そして、自販機の前にある別のベンチに腰を下ろした。


「凡人は戸惑うよね」

「そりゃあな……」

「理緒にね……凡人に、凡人のことを諦めないって言って良いかって聞かれたの」

「それって……」

「うん。私がママと出掛けた日の前の日。それでね……私、ダメだって言えなかった」


 凛恋は俺の手を握りながら、俯いてそう声を漏らす。


「凡人と一年の春休み前に別れたじゃん。あの時、私は諦めなかった。露木先生と凡人が付き合ってるって噂が立っても諦めなかったし、諦めたくなかった。だからさ……やっぱり、露木先生の気持ちも、理緒の気持ちも……それから萌夏の気持ちも否定出来ない。萌夏は自分で区切りを付けたって言ってたけど、やっぱり凡人のことをまだ好きだって分かるの。萌夏、凡人のことを目で追ってるから」

「俺はみんなにちゃんと言う。俺は凛恋のことが好きだから、みんなの気持ちには応えられないって」

「うん。凡人がそうしてくれるなら私は安心。でも、露木先生も理緒も諦めないと思う。私と凡人が結婚したら流石に諦めると思うけど」


 凛恋はクスッと笑って俺と指を組み、俺の薬指にはめられたペアリングをなぞる。

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